11話 船の守り猫 - 2/3

「……あの~。オイラのメシは?」
 周囲の殺気だった視線が一斉に集まり、ポポイはおとなしくなった。
 夕食時、おばちゃんの宣言通り、ポポイはメシ抜きとなったわけだが……同時に全員の食事も、薄くスライスされたパン一切れとわずかな漬け物、これまたわずかな水だけとなった。
 メシ抜きと言っても、あれだけ食べたのだ。普通なら、満腹で苦しいくらいだと思うのだが、
「……お前、あれだけ食い散らかしといて、なんでまだ食べる気でいるわけ? どこに入るスペースがあるの? 胃袋が異世界にでも繋がってるの?」
「んなもん知るかよー。へるもんはへるんだよ。ハデにぶっぱなしたせいかな?」
「は? 魔法使うとおなかが空くの?」
 普段から、食い意地が張っているとは思っていたが……魔法の使用によるエネルギー消費と食事量が関係しているのだろうか?
「ちょっと! 私だっておなか空いてんのよ!」
「せめて一切れ!」
「ダメに決まってんでしょ! あんた、自分がなにやったかわかってるの!?」
 隣のプリムの漬け物に手を出そうとして、はたかれる。
 さすが食べ物の恨みは怖い。プリムはテーブルに両手を叩きつけると、
「あんたがしたことは泥棒よ! みんなのものを奪って、一人占めしたの! あんた一人の身勝手で、みんなにしなくていい我慢をさせてるの! 子供なら許されると思ったら大間違いなんだから!」
 『泥棒』の言葉に、ようやく状況を理解したらしい。ポポイの顔が青ざめる。
 ため息をつき、トレイごと自分の夕食をポポイに突き出すと、
「あげる。食べていいよ」
「へ?」
「おなか空いてるんでしょ?」
「あ……いや、アンちゃんは?」
「いい。さっきから、船酔いで気分悪い……」
 これは本当だった。さっきから頭がぼんやりして、妙な耳鳴りがする。
 これまで、体を壊すことなんてめったになかったのに。もしかすると、ポポイ達のほうがタフなのかもしれない。
 席を立つと、外の空気を吸いに甲板へと向かった。

「……寒っ」
 甲板に出ると、冷たい風が吹き付けてきた。
 昼間はあんなに暑いというのに、夜になると一気に冷える。何か羽織るものでも持ってくるんだった。
「うなー」
「見回り?」
 積まれた木箱の上に、カールが寝っ転がっていた。
 近寄ると、起き上がり、そのままトコトコ去って行く。媚びない猫だ。
 カールがいなくなった木箱に座ろうとして――ふと、空を見上げる。
「すごい星……」
 頭上には、一面の星空が広がっていた。
 星空などどこででも見られるが、砂漠のど真ん中で見る星は空気が澄んで、よりいっそう近くに見える。
 木箱に腰を下ろし、ぼんやり星を眺める。
「――さっむっ! もう一枚持ってくるんだった……」
「プリム?」
 声に振り返ると、マントを羽織ったプリムの姿が見えた。向こうも気づいたのか、すぐこちらにやってくる。
「いたいた。はい、これ」
 持ってきたトレイを、木箱の上に置く。
 さっきの食事だ。やると言ったのに、手をつけなかったらしい。
「チビちゃん、反省して、みんなに謝ってたわよ」
「ポポイが?」
「ヘタなお説教より堪えたみたいね。……ずいぶん子供の扱いがうまいのね?」
「まあ、うちにも小さいのがいたから」
 一瞬、プリシラの顔がよぎる。
 と言っても、ポポイとは真逆だ。こちらがやっているのをまねて、自分で服をたたみ、出した本を元の場所に戻してくれるような子だ。そんなに手が掛かった記憶がない。
 プリムも木箱に腰を下ろすと、
「ちょっと感心したわ。特別にこれあげる」
 そう言って――一枚の、ぱっくんチョコを差し出す。
「……結構です」
「大丈夫! こんだけ寒けりゃもう固まってるわ!」
「一回溶けたってことだよね!?」
 灼熱の砂漠でチョコ。何の嫌がらせだ。
「なーによ。そんなこと言うならもうあげなーい。自分で食べるわよー」
 口をとがらせ宣言すると、包み紙を剥がし、変形したチョコをかじる。
 こちらも酔いが収まったので、少し遅れての夕食をとる。量が量なのであっという間だ。
 プリムは最後の一かけを口に放り込むと、ぼんやりと空を見上げ、
「……あーあ。こんなきれいな星空……どーせならディラックと見たかったなー」
「……すみませんね。ディラックさんじゃなくて」
 今に始まったことではないが、この女、なんでいちいちイラつかせてくるんだ。いや、なんでこんなにイラつくんだ?
「ところでさ。次はマンダーラじゃなくていいの? お母さん、捜してるんでしょ?」
「え?」
「ニキータと話してたじゃない」
 なに勝手に聞いてんだ。
 聞いてたくせにすぐ出てこなかったことに、意地の悪さを感じつつ、
「……それでもし、僕が次はマンダーラって言ったら、どうせ文句言うでしょ」
「そりゃあ、私としては帝国に急ぎたいけど……でも、急ぎたいのはあなたも同じでしょ?」
「は?」
「ルカ様やジェマも行けって言ってたし。それに、ディラックのことで付き合わせといて、自分は合わせないなんてひどいし」
「心配しなくても、次は帝国だよ」
 こちらの言葉に、プリムはぱあぁっ、と、表情を明るくすると、
「よかった! これでもし、『やっぱりマンダーラに行く』って言われたらどうしようと思ってたのよね!」
「……出来もしないこと『やる』って言わないでくれる?」
「あはははは」
 この女。つくづく、自分に都合よく出来ている。
「プリムはディラックさんとパメラさんを助けて、さっさとパンドーラに帰ってください。最初からそのつもりでしょ?」
「うーん、わかんない」
「わかんない?」
 思わず聞き返すと、彼女はあごに指を当て、
「そりゃ、たしかに最初はそのつもりだったけど……チビちゃんのことや、ルカ様達の話聞いてたら、二人を助けてはいさよーならーってわけにはいかないなって」
「余計なお世話です。パンドーラに帰って、ディラックさんと結婚でも駆け落ちでもなんでもすれば?」
「あ、なにその突き放した感じ。もし結婚することになったら、もちろん式には呼んであげるわよ」
「あっそ」
 誰が行くか。
 出かけた言葉を飲み込み、星空に視線を戻すが、どうにも落ち着かない。さっきと何ら変わりない光景なのに、なぜだろう。
「実はね。ディラックも、いつか捜したい人がいるんだって」
 よくしゃべる女だ。もしくは、ディラックのことならいくらでもしゃべれるのか。
 横目に見ると、彼女は星を見上げたまま、
「小さい頃の命の恩人らしいけど、名前も顔も、どんな話をしたのかも全然覚えてないらしいの。自分より小さい子供を連れてたってのは覚えてるらしいけど」
「ふーん……」
「私、一緒に捜してあげたいの」
「はぁ? プリム、無関係でしょ」
「関係なくないわよー。だってその人がいなきゃ、ディラックに会えなかったんだもん。会って、お礼言うの」
「手掛かりゼロで、記憶にも残ってないんでしょ? 無理無理」
「無理かどうかなんて捜してみなきゃわかんないわよ。あんたもそうよ。捜す前からあきらめてたんじゃ、いつまで経っても見つかんないわよ?」
「そりゃあ……まあ、そうだろうけどさ……」
 別に自分の母親でも恩人でもないというのに。なんだって他人の事情を自分のことのように受け止めて、首を突っ込むのだ。この子は。
「でね。思いついたんだけどさ! まずはディラックとパメラを助ける。それからディラックにお願いして、あなたのお母さんを捜すの、彼にも手伝ってもらうの。その時一緒にディラックの恩人も捜す。一石二鳥だと思わない?」
「ただの『ついで』じゃん……」
 ずいぶん簡単に言ってくれる。
 第一、彼自身、どこまでその『恩人』とやらに会いたいと思っているかわからないというのに。
「ついででもなんでも、一人より二人、二人より三人で捜したほうが、見つかる可能性は高くなるでしょ? きっとディラックも協力してくれるわ」
「はあ?」
 なんでディラックが、赤の他人の母親捜しを手伝わなきゃならないんだ。
 しかしそんな心配はよそに、プリムは無邪気な笑顔で、
「決まり! きっと何かの縁だし、私達、あなたの旅の手伝いをするわ! きっと今より、ずっと楽になるわよ!」
「は? あの……」
 何勝手に決めてんだ。いや、こちらもそうだが、ディラックの意思は?
 それともこの子は、ディラックなら、自分のワガママを疑いもなく聞いてくれると心から信じているのだろうか? もはや開いた口がふさがらない。
 深くため息をつくと、座っていた木箱から立ち上がる。
「行くの?」
「……食器返してくるんだよ」
 それだけ言うと、トレイを手に、船内へと戻った。

「あれ? みんなもう戻ったのかしら?」
 食堂に戻るとすでに人の姿はなく、明かりも消えていた。
 唯一、厨房だけ明かりがついていたが――調理担当の三人組の姿が見当たらない。流し台にはまだ洗い終わっていない食器が積まれ、放置されている。洗い物の途中でどこかへ行ったのだろうか?
「仕方ないなぁ……プリム、ちょっと――」
 手伝って。と、言おうとして振り返ると、なにかを察知したのか、さっきまでいたはずのプリムの姿が消えていた。
「……あのアマ……」
 多少の気遣いに、一瞬でも好感度を上げた自分を後悔した。
 やはり他人などアテにならない。ため息交じりに流し台の前に立つと、積まれた食器を洗う。
「…………?」
 頭が、ぼんやりする。
 頭の奥底で、何かが呼びかけてくるような、奇妙な耳鳴りがした。
「だれ?」
 何を言ってるんだろう。
 思わず口をついて出た言葉に、自分で自分に驚く。
 濡れた手を拭き、背後の棚に目を向ける。
 船の揺れを考慮してか、棚は扉がつけられ、今は全部閉まっている。
 適当な扉を開けると食器棚だったらしく、カップや皿が積まれ――その奥に、見覚えのある壺が、隠れるように置かれていた。
「この壺……」
「――あーーーーーーーーーーーーー! 何してるでやんすか!?」
 大声に、すくみ上がる。
 振り返ると、調理担当の三人が戻って来たようだ。血相を変えて詰め寄ると、
「さてはつまみ食い!? 言っておくがあの夕食は、お前の連れのガキのせいで、あーる!」
「え? いや、あの」
「言い訳したって無駄だよ! 一人でコソコソ、つまみ食い以外なにがあるって言うんだい!?」
 食堂のおばちゃんまで詰め寄って来たが――このしゃべり方……
「あの……どこかで会ったことないですか?」
『――――!』
 突然、三人が挙動不審に目をそらす。
「食器洗ってたんですけど。ポポイが迷惑かけたし」
『へ?』
「まだ拭いてないんだけど、拭くものってどこに?」
 洗い終わった食器の山を指さすと、三人はぽかんとした顔で、
「そっ、そうかい。それは……悪かったね」
「わ、若いのに、なかなか感心、なので、あーる……」
「ご、ご苦労だったでやんす……」
 声が裏返り、ボリュームも落ちている。
「あの……」
「ととと、とにかく! これはアタシらの仕事だから!」
「そそ、そう! 後は我々に任せるでやんす!」
「さーさー、帰った帰った! で、あーる!」
「あの……」
 背を押され、強引に食堂から追い出される。
「なんだあの人達……」
 ドアが乱暴に閉められ、ぽかんと立ち尽くす。
 いつの間にか、さっきの奇妙な耳鳴りは消えていた。