サンドシップに乗って一週間。
  その間にも、ポポイがまたしてもつまみ食いして自分が代わりに頭を下げたり、着替えをのぞかれたとプリムが騒いで仲裁に入った自分がなぜか引っぱたかれたり、ポポイのイビキがうるさいとの苦情に頭を下げたり、兵士に痴漢されたとプリムが騒いで代わりにうっかり犯人半殺しにしたり、二人が一緒に掃除して逆に床を砂まみれにして自分が代わりに以下省略。
  もういっそ、二人とも何もしないでくれたほうがいいくらいなのだが、どうやらプリムはいつぞやのバイトのリベンジに燃えているらしい。今度は無理矢理厨房に入って『手伝い』をしているようだが――さっそく口論が聞こえてきた。
  あえて聞こえないふりをしつつ、量の少ない昼食を口に運ぶ。向かいの席にセルゲイが座ったところで、声をひそめ、
 「セルゲイ、こないだの話……」
 「ああ、あれな。……やるにしても、タイミングだな。あんまり街から離れたところでやって、遭難なんてシャレにならん」
  セルゲイも周囲を警戒しながら小声で返す。
  とにかく、この船から降りなくてはならない。交渉のためジェマの名を出したりもしたが、若い兵士はジェマを知らないようで、適当に流されてしまった。
  もはやこうなると、なにかしら騒ぎを起こして無理矢理船を止めるしかない。
  この数日の間に、アウラ金貨をダシに何人かの労働者に話を持ちかけてみたが、しょせんは新参者の子供。金貨の価値を信じてもらえず、相手にしてくれなかった。そんな中、唯一、協力に名乗り出てくれたのがセルゲイだった。
  セルゲイは、周囲を警戒しながら紙を広げ、
 「これ、船内の見取り図?」
 「そう。兵が遊んでる隙に、船内をうろついて作ったのさ」
 「ああ、それで」
  自分達を助けてくれた時、ずいぶん都合よく通りかかったものだと思ったら。
  セルゲイは、簡潔に描かれた図を指さしながら、小声で、
 「俺らがいつも寝てるのがここ。で、こっちが武器庫。いいか? 街が近づいたら、まずは武器庫に忍び込む」
 「武器庫に?」
 「火薬をいただくのさ」
  この船にはいくつもの砲台がある。ということは、火薬や爆弾もあって当然だ。
 「そしたら、次はその火薬でエンジンルームをドカン! そうすりゃ、船は止まらざるを得ないってわけだ」
 「それ、ちょっとやりすぎじゃあ……」
 「そんくらいやらなきゃ停まんねーだろ。お前のおかげで、俺もこの船で働く理由がなくなったからな。どさくさに紛れてドロンする。後は知らん」
 「はあ……」
  さすが海賊。多少のリスクなど気にしない。
 「あ、でも、剣はどうしよう。取り上げられたままだし……」
 「新しいのを買うのはどうだ?」
 「いや、そういうわけには……」
  ただの剣ならそうかもしれないが、聖剣に、ルガーとエリニースからもらった槍と杖。そしてメダリオン。それをほったらかして逃げるわけにもいかない。
  なにかいい方法はないだろうか。考えるが、どうにもさっきから頭がぼんやりする。
  奇妙な耳鳴りがして、考えがまとまらない。なんなんだ一体。
 「じゃあよ。こういう方法はどうだ?」
 「え? なに?」
  セルゲイが何か思いついたのか、身を乗り出し――
 「――おいこらお前! こいつらなんとかしろ! チョロチョロ邪魔!」
  おばちゃんの怒鳴り声にさえぎられた。
 「なによ! おいしいもの作ろうとしただけじゃない!」
 「あれのどこがでやんすか! 貴重な食材、無駄にされちゃ困るでやんす!」
 「なー。こないだのタレ、まだ出来ないのかー?」
 「お前、厨房に近づくなと散々言ってるので、あーる!」
  ……さすがにこれ以上の聞こえないふりは無理だった。急いで残りの食事を平らげ、スプーンを置く。
 「大変だな。お前」
 「代わって……」
 「嫌だ」
  セルゲイが哀れみつつもキッパリ断る。
  この一週間、あの二人のせいで頭を下げたり余計な仕事が増えなかった日はなかったように思う。おかげで周囲からは、すっかり『かわいそうな子』と見られるようになってしまった。
  おばちゃん達に平謝りして、プリムとポポイを回収すると船員の控え室へと向かう。
  この船に関してわかったことはいくつかある。まず、この船は神殿を守っていないということ。
  もし帝国がカッカラ王国を制圧したら、帝国はカッカラ王国を拠点に、次はタスマニカを攻めてくる。それを阻止したいタスマニカと、帝国と戦える武力を持たないカッカラ王国。利害が一致してのサンドシップだったのだろう。
  つまるところ、タスマニカが守っているのはタスマニカだけであって、神殿の守りはさほど重視していない。
  そういう意味では、ジェマやルカの危機意識と、タスマニカ本国の危機意識にはズレがあると思ってよさそうだ。もしかすると、マナの要塞復活なんて話半分程度に思っているのかもしれない。
  控え室のドアを開けると、何人か休憩中だった。
 「お疲れ。若いのによく働くねぇ」
 「おう! これが『ろーどーのヨロコビ』ってヤツだな!」
 「ほんと、こんなに働いたの、初めてだわ」
 「…………」
  おまえらじゃない。
  声をかけたラムティーガも、苦笑いを浮かべる。
  彼は膝の上のカールをブラッシングしながら、
 「オレなんか、いかにさぼるかばっか考えてるぞ。こうやって、猫相手してるのが気楽でいいや」
 「まあ、何もしてないほうが落ち着かないというか……根が労働者なのかな?」
  部屋の隅に腰を下ろす。
  そもそも、働かない日なんて病気で寝込んだ時くらいだ。気がついたら家事をこなし、畑の仕事も、家畜の世話もしていた。
  それが、ある日いきなりなくなったのだ。いいかげん慣れるべきだとは思うが、こうして地味に働いていることに、逆に安心している自分がいる。
 「ホレ、きれいになったぞ。こんなに抜けた」
 「にゃー」
  カールの手入れが終わり、ブラシに絡まった抜け毛を取る。
 「カール、あそぼーぜ」
  ポポイが手を伸ばすが、カールはそっぽを向くと、ラムティーガからプリムの膝に移動する。
 「あ、このやろ。なんでオイラになつかねーんだよ!」
 「そりゃお前、トイレを掃除しない、ブラッシングしない、あげくエサをつまみ食いされる。なのにお前の都合のいい時だけなでさせろ。嫌われはしても好かれるわけねぇだろ」
 「う……」
 「猫のエサつまみ食いとか、よくするわよね……」
  さすがにあれは引いた。そしてまったく反省していない。
 「お疲れーっと。なんだよ、ねえちゃんの膝を一人占めかようらやましい」
  遅れて部屋に入って来たセルゲイが、プリムの膝の上のカールを見下ろす。
  プリムもカールのあごをなでながら、
 「思ってたほど人嫌いじゃないわよこの子。ねー?」
 「にゃー」
 「…………」
  そうは言うが、ラムティーガとプリム以外の膝に乗っているところを見たことがない気がする。完全に人を選んでいる。
  気を取り直し、セルゲイが隣に座ったところで、
 「ところで、さっきの話」
 「ああ、あれな」
  セルゲイは周囲を見渡し、いきなりこちらの肩に手を回して顔を近づけると、小声で、
 「ずっと考えてたんだけどよ。騒ぎ起こしてトンズラだとか、そんなみみっちいことするより、ここはドーンと、この船そのものをいただいちまう、ってのはどうだ?」
 「え?」
  セルゲイはさっき見せた図面を片手で広げながら、
 「操舵室と武器庫を制圧しちまえば、あとはこっちのもんだ。なぁに、この船の連中ときたら、船員も兵士も不満だらけ。提督と中佐を船から捨てりゃあ、後はその場のノリでどうとでも転ぶ。そしたらそのまま砂漠を超えて、海へドボン、だ。そしてセルゲイ海賊団復活! って寸法だ」
 「…………」
  この船は、元々海用の船を改造したものだという。海の上だって問題ないはずだ。
  帝国まで、行けるかもしれない。
 「――なーんてな! そんな後々めんどいこと、やってらんねー!」
  体を離すと、こちらの背中を叩きながらゲラゲラ笑う。
  そりゃそうだ。仮に成功しても、タスマニカに追われることになる。さすがにそれはごめんだ。
 「なに? おもしろいことでもあった?」
 「おう。こいつがねーちゃんのバスタイムのぞくの協力しろってさー」
 「言ってない!」
  とっさに、近くにあった金属製のトレイを投げつける。
  しかしよく狙わず投げたせいか、トレイはセルゲイを外れ――天井に深々と突き刺さった。
  セルゲイは、突き刺さったトレイを見上げたまま、
 「……スミマセン、ウソデス」
  棒読みで謝罪する。風圧で切れたのか、頬から一筋の血が流れた。
 「――おい、女はいるか?」
  ノックもせずに、兵士が入ってくる。視線は、自然とプリムに集まった。
 「え? 私?」
 「モリエール中佐が、肩がこったからマッサージしろと仰せだ」
 「はぁ!? なんで私なのよ!? 取り巻きいっぱいいるでしょ!」
  天井に刺さったトレイが落ちる音が響き、驚いたカールがプリムの膝から逃げる。
 「『どうせもんでもらうなら、むさ苦しいのよりキレイなねーちゃん』ってか? ガキが色気づきやがって」
  ラムティーガが呆れた顔で肩をすくめる。兵士も不機嫌そうな顔で、
 「そ、そうは言っても、命令だ」
 「冗談じゃないわよ! ディラックの肩すらもんだこともないのに、なんであんなチビ――」
 「――プリム」
  罵詈雑言が始まる前に、耳元でささやく。彼女も気づいたのか、
 「……ああ、そうだったわぁ。そういえば私、マッサージとぉっても得意なんですよぉ。ぜひお任せくださぁい☆」
 「そ、そうか。助かる」
 「はぁ~い☆」
  プリムはちらりと振り返り、うなずくと、手をバキバキ言わせながら兵の後についていく。
  ポポイはぽかんとした顔で見送ると、
 「ねぇちゃんに肩もめって、勇気あんなー」
 「あ、いけない」
 「あん?」
 「『殺しちゃダメ』って言うの、忘れてた」
 「なんだ。いいんじゃねーの? べつに」
 「いっか。別に」
  その時はその時。
  とにかく、絶好のチャンスには違いない。
 「逃げるにしても、せめて剣は取り返さないと」
  チャンスが向こうから来た。
  心配ではあるが、脱出するためにも、今はプリムに賭けるしかなかった。
 賭けてはみたものの。
 「プリム、大丈夫かなぁ……」
  行かせておいてなんだが、不安になってきた。ホウキで砂を掃く手が止まる。
  セルゲイも手を止め、
 「まあ、腐っても一応は騎士だし、女に危害を加えるなんてことはしないだろ。そんな根性あるとも思えないしな」
 「そうだけど、ここ、男だらけだし」
  プリム本人が気づいているのかどうかは不明だが、やはり注目はされている。隙あらば、よからぬことを企んでいる者がいてもおかしくはない。
  しかし、セルゲイはお気楽に、
 「お前、この前、ねーちゃんによからぬことしようとした兵士半殺しにしただろ。あれからみんなおとなしくなったし、大丈夫じゃねーの?」
 「え? あったっけそんなこと」
 「…………」
 「ヘビ捕まえたでやんすー」
 「ありがとう。はいこれ」
  デイビットが捕まえた蛇と引き替えに、小銭を渡す。
  なぜかセルゲイが『最近の子供怖い』とつぶやくのが聞こえたが、無視して蛇をタルの中に放り込み、即座に蓋を閉める。これでタルも三つ目。だいぶ集まった。
  ため息をつき、空を見上げる。
  ……時々、彼女の無防備さに不安になることがある。
  なんでそんな無防備でいられるのか考え――思い至ったのは、彼女はきっと、『人の悪意』というものに触れたことがないのだろうということだった。
  だから人の優しさに、裏があるなんて思いつきもしない。言葉をそのまま素直に信じてしまう。そういう意味では、ずる賢さを持っているポポイのほうが世渡り上手だ。
  この頃、会ったこともない彼女の父親の気持ちがなんとなくわかってきたような気がする。そりゃあ心配で、口うるさくもなるだろう。
――帝国になんて行って大丈夫かな……
 今さらなんだとは思うが、不安になってきた。
  ディラックとパメラの救出ということは、またあの男と会うかもしれないのだ。命の保証はどこにもない。
  そしてあの子のことだ。ディラックのこととなると、後先考えず突っ込んで行きかねない。
  そうなった時、果たして守り切れるのか。正直、自信はない。
 「――お。見えてきたぞ」
 「え?」
  ラムティーガの声に振り返ると、船の進行方向に、巨大な岩山が見えてきた。
 「あれってたしか……」
  見覚えがあると思ったら、自分達が迷子になった時、休んでいた岩山だ。どうやら一週間かけて、砂漠を一周したらしい。
  改めて見てみると、かなり大きい。この船も十分大きいが、すっぽり隠れられるくらいの大きさがある。
  ラムティーガはこちらに振り返り、
 「お前、脱走するんだろ? だったら急いだほうがいい」
 「え?」
 「あの岩山が見えた次の日くらいに街が見えるんだ。それを逃したら、また一週間待つことになるぞ」
 「そっか。ありがとう」
  ラムティーガは脱走の協力者ではなかったが、こういった情報をちょくちょくくれる。『お人よし』と言うより、欲がないのだろう。
 「ラムティーガはどうする?」
 「あ?」
 「セルゲイとデイビットは逃げるみたいだけど。逃げる?」
 「オレか? オレは自分でこの船に乗ったしなぁ。一応、契約満了までは働くつもりだが……ま、そこそこ暮らしていけりゃあそれでいいさ」
 「そう……」
  明日が一番都に近づくと言うのなら、今夜中には武器庫に忍び込み、エンジンを爆破しなくてはならない。そのことが後々、ラムティーガ達にとって困る事態にならなければいいのだが。
  船が、岩山を通り過ぎ――
 「え?」
  通り過ぎるのとほぼ同時に、岩山の向こうを、こちらと同じような船が走っていた。
  その船の砲台が、こちらに向いている。
 「――伏せて!」
  言葉より先に体が動いた。
  頭を抱えて床に伏せるのとほぼ同時に、船が激しく揺れた。