「ただの脳しんとうだって。意識も、さっき戻ったよ」
「そ、そう……よかった」
クリスの説明に、プリムは顔を上げ、ようやく安堵の表情をした。
アジトに戻った直後は、てっきり大泣きすると思っていたのだが、驚きすぎると逆に涙も出ないらしい。部屋で待つ間、プリムは一言も発しないまま、青ざめた顔でイスに座っていた。
プリムはため息と共に肩を落とすと、
「……パメラが言ったこと、きっとホントのことだと思う」
気まずい空気の中、ボソボソと、
「いつも私ばっかり好き勝手なことしゃべって……ひどいこと、色々言ってたのかも」
「――なに言ってんだ! ひどいのはあっちだろ!」
これまで黙っていたポポイは、怒りで顔を真っ赤にすると、
「パメラってねーちゃんは、ずーっとウソついてたってことだろ!? ウソをつくってのは、グーでなぐられるわるいことなんだぞ! ウソつきは自分のくせに、なんでねえちゃんのせいになるんだよ!」
「まあ……そうなんだけどね」
みんながみんな、言いたいことを言い合えれば苦労はしない。
パメラのことはプリムの話でしか知らないが、いたって普通の、おとなしい子なのだろう。
だから、つけ込まれたのだ。
「ところでどうする? 会う?」
「え?」
クリスの言葉に、プリムが驚いた様子で顔を上げる。
「ショック療法って言っていいのかな? 洗脳、解けたみたい。話してみる?」
「…………」
「プリム?」
プリムはしばらくうつむいたまま、押し殺した声で、
「謝りたいけど……ごめん。どんな顔して会えばいいのか、わかんない」
プリム自身も、まだ混乱しているのだろう。いくら操られていたとはいえ、親友だと信じていた相手にあそこまで言われて、相当ショックなようだ。
「あの……」
「わかってるわよ! 私が悪いって! パメラの気持ち考えないで、自分のことばっかりで、あげく手を上げて! 謝りたいけど……謝りたいけど!」
思わずクリスと顔を見合わせる。確かにさっきの今で、顔を合わせるのは気まずいだろう。ポポイは自分の胸を叩き、
「よーし! そんじゃオイラが、いっちょしかってきてやる!」
『やめて』
ポポイを除く全員の意見が一致した。こんな空気読めないヤツの面会を許したら、こじれるどころか刺される。
ため息をつくと、
「じゃあ、僕が代わりに会ってくるから。ひとまず、それでいい?」
「ごめん……」
うつむき、イスの上で膝を抱える。
ようやっと涙が出てきたらしく、それきり無言で、膝に顔をうずめた。
何やってるんだろう。
「『お人よしで損してる』って言われたことある?」
「……今、まさに言われてる……」
なんで女同士の痴話げんかに首突っ込んでるんだ。思わず頭を抱えるが、今さらだ。
クリスも苦笑しながら、
「奇遇だね。私もだよ」
「え?」
「パメラ、入るよ」
返事も待たずクリスがドアを開けて中に入ると、ゼノアと目が合った。
ゼノアに軽く頭を下げてから、ベッドに視線を向けると、
「……洗脳、解けてるんだよね?」
「うん。少なくとも、今は正常」
思わず小声で尋ねると、クリスは説得力のない回答をする。
頭に包帯を巻いたパメラは、ベッドの上で上半身起き上がっていたが――完全に、目が据わっていた。どうやら都合良く記憶喪失、なんてことはなさそうだ。
「……だれ?」
「ああ、彼はランディ。プリムと一緒に、キミを捜してくれてたんだよ」
「そう……」
「えーと……」
代わりに来てはみたものの。
まるで面識のない相手に、何をどう話せばいいのやら。
悩んでいると、こちらより先にパメラが、
「プリムと一緒だなんて、相当苦労したんじゃないの?」
「え?」
「あの子、猪突猛進で後先考えないから。ロクに旅支度もしてなかったでしょ?」
「当たってる……」
さすが付き合いが長いだけのことはある。
「おかげで、いつもわたしがフォロー役。一緒に出かける時は、荷物を余分に用意しないと、後であれがないこれがないって大騒ぎするんだから」
「確かに。水すら持ってないし、森に行くのにハイヒールなんて履いてるし」
「ふふっ……」
笑った。
ようやく、洗脳が解けているのは本当だと確信する。さっきまでの人を寄せ付けないオーラが、少し和らいだ――ような気がした。
彼女は膝を抱え、どこかうっとりした顔で、
「とっても――気持ちよかった」
「え?」
「いつもいつも自分のことばっかりでさ。こっちのことなんてお構いなし。どーせ人のこと、なに言ってもハイハイ聞いてくれる召使いと同じだと思ってたんでしょ。あの顔……あはは、いい気味だわ」
「…………」
思い出したのか、心底嬉しそうにケラケラ笑う。たしかに洗脳はされていたのかもしれないが、あの瞬間は、正真正銘の本音だったのだろう。
「そう。言いたいこと全部言って、スッキリしたんだ。それは良かった」
クリスは腰に手を当て、ひとまずパメラを全面的に肯定すると、
「で、これからどうするつもり?」
「…………」
「プリムは、謝りたいけど会わせる顔がないってさ。キミは、どうしたい?」
「…………」
パメラの顔から表情が消える。膝を抱え、ぼんやりと虚空を眺めていた。
「あの……どういう気持ちでプリムと付き合ってきたのか知らないけど。縁切りたいなら切っちゃえばいいんじゃないの?」
「え?」
「僕のおじいちゃんもよく言ってたよ。『一緒にいて不愉快な相手と、無理して付き合うな』って。『人には相性がある』ってね。どっちが悪いとかじゃなくて、単に相性が悪かったんだよ。きっと」
「…………」
パメラはこちらに振り返り、ぽかんとした顔で、
「……ヘンな子。てっきり、余計なお節介焼きに来たんだと思ってたわ」
「僕も、プリムのワガママには苦労してるんで」
「切っちゃえばいいじゃない。縁」
「え?」
「してるんでしょ? 苦労」
「…………」
たしかに、見捨てて置き去りにしようと思えば出来た。実際、そうしようとしたことだって何度かある。
あるはずなのに、
「まあ……できるんなら、とっくにそうしてた、とは、思う……けど」
なのに結局、こんな所まで一緒に来てしまった。帝国に来る必要なんて、自分にはなかったはずなのに。
なぜだろう。
「ぷっ……ふふふっ……」
膝に顔をうずめ、肩を震わせる。
「……やっぱりヘンな子。プリムと互角かしらね」
「え? なんか今馬鹿にされた?」
「悪気はないと思うよ」
クリスは肩をすくめると、
「なにはともあれ、助かったんだし、ひとまずそれで良かったよ。具合が良くなったら、パンドーラに帰るといい」
「え?」
「いくら成り行きで保護したからって、『後は知らない。さようなら』じゃ無責任だからね。パンドーラに帰れるよう手はずを整えるから、帰りなよ。家族も心配してるだろうし」
「…………」
「パメラさん?」
なぜか、迷っているように見えた。
「――アンちゃん、大変だ!」
派手な足音が近づいてきたと思ったら、ポポイの声が聞こえてきた。
隣の部屋から。
ついでに女の悲鳴が聞こえ、何か割れる音がする。
「……ポポイ?」
「アンちゃん! 大変だ!」
部屋から顔を出すと、改めてポポイが部屋に飛び込んでくる。花瓶でもひっくり返したのか、頭に花が刺さっていた。
「ねえちゃん、さっきの寺院に一人で行っちまった! 止めたんだけど、聞かねーし!」
「え?」
一瞬、思考が停止する。
「まさか、ディラックさんを捜しに!?」
しまった。プリムならやりかねない。
ポポイは頭に刺さった花を払い落としながら、
「だいじょーぶなのかよ? なんか、あぶないトコなんだろ?」
「ディラックがいるとしたら、たぶんタナトスもいる……」
「タナトスだって?」
驚いた声を出したのは、クリスだった。
「四天王の中で、一番素性がわからないヤツだよ。早いとこ連れ戻さないと――」
「どうして?」
振り返ると、パメラは膝を抱えたまま、
「プリムが勝手に行ったのよ。……何があったって、自己責任よ」
震える声で、正論を吐き捨てる。
かつての自分だった。
妖魔の森へ行くと言って聞かないプリムを置いて、立ち去ってしまった自分だった。
「――オイラは行くぞ!」
返答に詰まっている中、真っ先に声を上げたのはポポイだった。
「オイラにゃむずかしいことはわかんねーけど! 今、ねえちゃんをたすけられるのはオイラたちだけだ!」
「……『達』って、僕も含まれてるわけ?」
思わず自分を指さす。
良くも悪くも単純明快。ため息をつくと、
「……仕方ない。放っておくのも気分悪いし」
「私も行くよ」
クリスも手を上げる。
「あの寺院には、調査に仲間を送ったばかりなんだ。立ち入り禁止で誰も行かない場所なのに、人が出入りしているって聞いて。何者かまでは、まだわかってなかったけど」
「仲間は?」
無言で首を横に振る。どうやら寺院に一緒に来てくれたのは、ただの道案内だけではなかったようだ。
彼女はパメラに目を向けると、
「別にプリムのためじゃない。リーダーを名乗るからには、私は私の仲間の命に責任があるんだ。……捕まっているのなら、助けなきゃ」
「クリスは来ちゃダメだよ」
「いや、でもね」
「僕達はプリムを連れ戻しに行くだけ。クリスとは目的が違う。……帰ってこない仲間が心配なのはわかるけど、だったらなおさら、作戦をきちんと立ててから行動すべきだと思う。万が一リーダーに何かあったら、今ここにいる仲間達はどうすればいいの?」
「…………」
自然と、ゼノアに視線が向かう。
「それに、パメラさんのこともある。タナトスが連れ戻しに来ないとも限らない」
「――――!」
脅かすつもりはなかったのだが、パメラが息をのむ。
クリスは、こちらとパメラ、交互に視線を向け、
「……そうだね。焦って目的を履き違えるところだったよ。プリムを見つけたら、すぐに戻ってね。くれぐれも、無茶はしないで。約束だよ」
「うん」
最大の問題が、プリムがおとなしく引き返してくれるかどうかなのだが、触れないでおく。
「――あの」
唐突な声に驚いて振り返ると、これまで黙っていたゼノアが、
「……近道、ご案内しましょうか?」
「近道?」
「途中まで、最短ルートでご案内します」
そう言うと、ゼノアはスタスタと部屋の外へと出て行った。