「プリム!」
「……来てくれたの?」
呼ぶと、驚いた顔で振り返る。
ゼノアが案内してくれた、まるで猫が通るような近道のおかげで、寺院の手前で見つけることが出来た。
もう夕暮れ時だ。先ほどから雲が厚くなり、雨の気配がする。おかげで前方に見える寺院はさらに不気味さを増していた。
肝試しじゃあるまいし、あんな所へ一人で行こうなど、よくもまあ考えたものだ。
「――あー、まったくよぅ! なんで一人で行くんだよ!」
一足遅れて、ポポイが追いつく。
ポポイは息を切らしながら、
「水くさいじゃねーか! オイラたちを待ってくれてもよかっただろ!」
「ごめん……」
プリムは槍を抱きかかえたままうつむくと、これまで聞いたことのない、か細く震える声で、
「でも、早く助けなきゃって……あんた達にしてみれば、ディラックのことは無関係だし」
「パメラさんに言われたこと、気にしてるの?」
「違う」
即座に否定する。
彼女は顔を上げると、
「誰かが嘘ついてるとか、疑ってるとか、そんなんじゃない。私は、私の知ってるディラックを信じてる。もちろん、パメラも」
信じて疑わないような、はっきりとした声で言い放つ。
「パメラがあんな風になって……悪事の片棒担がされて。ディラックも、今頃そんな目に遭ってるって思ったら……なんか、一秒でも早く助けてあげたいって、じっとしていられなくて」
「…………」
本当に、なんなんだこの子は?
少しくらい疑ったっていいのに。他人も、自分自身も。
相も変わらず、人を疑うことを知らない。
「……僕からあまり離れないで。簡単な術なら、聖剣が守ってくれるから」
「え?」
すぐ戻ると約束したはずなのに。
驚いて顔を上げるプリムに、本日何度目かのため息をつくと、
「早く助けたいんでしょ?」
「あ……ありがとう」
我ながら、どうかしている。
何があっても自業自得だと見捨てることも出来るのに。
なぜだろう。
とうとう降り出したらしい。雨粒が、外壁を叩く音が聞こえてきた。
その音は次第に激しくなり、静かだった建物の中が騒々しくなる。雷雲も出来ているのか、時折、ゴロゴロと音がした。
古い建物だけに、あちこち隙間が出来ているらしく、所々雨漏りで壁が濡れ、怪物のうめき声のような風の音が奥から響いてくる。
その音に、ポポイは一瞬すくみ上り――すぐに、
「なっ、なかなか『フゼー』があるとこじゃねーか。タンケンしがいがあるな」
「……風情?」
入口で待ってろと言ったのに。そのくせ、こちらの足にしがみつき、震える声で強がりを言う。
「プリム。今からでも引き返す?」
行くとは言ったものの、いざ実際、中に入ってみるとやっぱり嫌だ。
怖気づいてくれるとありがたかったのだが、
「……ここにディラックがいるんだもの。怖いことなんて何もないわよ」
そう言うと槍を握り、奥へと進む。
あきらめて肩を落とすと、ランプ片手に後を追う。
なんのための建物だったのだろう。入ってすぐは広いホールのようで、入り口の扉を全開にしているのに、奥まで光が届かない。
外光が届かなくなり、ランプの明かりを頼りに真っ暗な通路を奥に進むと、崩れた壁で通路がふさがれていた。
「これ以上は行けないんじゃない? 一度戻ったほうが――」
「待って。ここから下に行けそうよ」
なんとか帰る方向に話を持って行こうとするが、地下へ続く階段を見つけてしまったらしい。階段の半分はガレキに埋まっていたが、一人通れるくらいの隙間はありそうだ。プリムはすぐに隙間をすり抜け、階段を下りていく。
仕方なしに続いて階段を下りると、通路の奥に、小さな明かりがあった。
――人?
ぼんやりと、白いマントとフードをかぶった人影が見えた。
人影はすぐに通路を曲がって姿を消し、明かりも見えなくなる。
「ディラック!?」
「え?」
突然、プリムが走り出す。
「ま、待ってプリム!」
「間違いない! ディラックよ!」
「はあ!?」
顔なんか見えるわけないのに。しかしプリムは謎の確信を持っているらしく、振り返りもせず、人影が消えた方角へと突っ走っていく。
「ねーちゃん! オイラをおいてくなー!」
ポポイが叫ぶが、耳に入っていないらしい。再び白い人影が見え――その方角へと走っていく。
おかしい。
どんどん奥へ向かっている。
「――プリム!」
なんとかプリムの腕をつかみ、強引に引き留めると、
「やっぱり帰ろう! あれは――」
「離しなさい!」
罠だ。
言い終わるより先に、頭に衝撃が走り、壁に叩きつけられていた。
「アンちゃん!? ――オイコラ、ねえちゃん!」
槍で思い切りぶん殴られたと気づいて顔を上げるが、視界がチカチカして何も見えない。
「アンちゃん、大丈夫か!?」
「っ……プリム……」
なんとか体を起こすと、落とした拍子にランプの火が消えたようで、真っ暗だった。
痛みを堪えて立ち上がると、一瞬、足下がふらついた。
「……おまえはじっとしてろ!」
「へ? アレ? アンちゃん!?」
暗闇の中、遠ざかるプリムの足音を頼りに突っ走る。
もはや彼女にとって、邪魔する者は誰であろうと敵でしかないのかもしれない。
しかし、止めなければならない。
胸騒ぎがする。
意外とすぐに、光が見えた。
開きっぱなしの扉をくぐると、空気の流れが変わり、広い空間に出た。
真っ先に目に付いたのは、中央の高台だった。その高台へ続く階段には明かりが灯されていて、その階段をプリムが駆け上っている。
「プリム!」
後を追って階段を駆け上ると、広い高台の奥に、さっきの白マントの人物がいた。フードを下ろし、金色の髪が見える。
最後に見た時とは違う格好ではあるが、間違いない。ディラックだ。
しかし――
「――ダメだ」
行ってはダメだ。
あれは、ちがう。
手を伸ばし、プリムの腕を捕まえようとするが、あと一歩、届かなかった。
「ディラック! よかった、無事――」
――どすっ。
ディラックに抱きつくのとほぼ同時に、プリムの体が、はねた。
槍が、床に落ちる音が響く。
「え?」
ディラックにもたれかかるように、プリムはぐったりと崩れ落ち、一瞬で姿が消えた。恐らく魔法でどこかへ飛ばしたのだろう。
「……フン、馬鹿な女だ」
プリムが消え、残ったのは無表情に立った男だった。
「なに……やったんだよ?」
声が震えている。
ずいぶん走ったというのに、背筋に吹き出した汗は冷たく、凍えるように寒い。
どうして、中に入ってしまったのだろう。
ディラックのこととなると、考えなしに突っ走ることくらいわかっていたはずなのに。泣かれようが殴られようが、中に入らず引き返すべきだったのだ。
その結果が、これだ。
ディラックは淡々と、
「生け贄だ。儀式に、女の生き血が必要なのさ」
「――そんなこと聞いてんじゃねぇ!」
的外れな回答に、たまらず怒鳴る。
「自分がなにやったのかわからないのか!? プリムはなぁ、あんたを捜して命がけでここまで来たんだぞ!?」
おかげでずいぶん振り回された。
一にディラック二にディラック、三四もディラック、五もディラック。プリムの行動原理は、すべてディラックだと言っても過言ではないくらいディラックだった。
そのディラックからの回答が、これだ。
「いくら操られているからって、自分の愛する人もわからないのか!? ……ゆるせなぇぇぇぇぇっ!」
あんなに冷えていた全身の血液が一瞬で熱くなり――頭の中が、真っ白になった。
「――アンちゃん!?」
背後からポポイの声が聞こえたが、振り返える余裕もなく、膝をついたまま肩で荒い息を繰り返す。
自分でも何をやったのか、よく思い出せない。
「ぅっ……ゲホッ……」
顔を上げると、少し離れた場所で倒れ込んでいたディラックが体を起こし、血を吐いていた。口の中を切った――というか、歯が折れたらしく、血と一緒に、折れた歯を吐き出す。
拳が、じわじわと痛み出す。
その痛みに、ようやく、自分が何をやったのか理解する。
「オ、オイ、にーちゃん! だいじょうぶか?」
ポポイがディラックに駆け寄るが、彼は殴られた顔ではなく、頭を抱え、
「ぅう……プリム……プリムゥゥゥゥゥゥゥ!」
「ディラック……さん?」
ただ事ではない気配に恐る恐る近づくと、彼は突然、こちらの腕をわしづかみにし、
「プリムが! プリムを……頼む! プリムが、プリムがぁっ!」
錯乱しているようだった。力加減も出来ないのか、つかまれた腕に爪が食い込む。
彼は、焦点の定まらない目で、
「プリムを……早く! 奥の間に、タナトスが!」
ディラックの手を振りほどき、手すりから身を乗り出す。見下ろすと、高台の向こうの壁に、扉があるのが見えた。
「ここにいるんだ!」
「って、アンちゃん!?」
回り道する暇はない。
いつもならこんな馬鹿なことするはずもないのに、気が付くと手すりに足をかけ――二階分はあろうかという高さから、一足跳びに飛び降りていた。
「プリム!」
「――おっと」
部屋に飛び込むと、背を向けていた男が振り返り――突然、全身に奇妙な重みがのしかかる。
「なんだ、これ……」
見えない何かに上から押さえつけられるような感覚に、膝が、手が地面につく。
なんとか顔を上げると、いつか見た仮面の男――タナトスが、どこか呆れたように肩をすくめていた。
「やれやれ。これから大切な儀式なんだ。邪魔をしないでくれたまえ」
「プリム……!」
タナトスの向こうに大量のロウソクとお香が焚かれた祭壇らしき台があり、その上に、プリムが供え物のように横たわっていた。
……いや、『ように』ではない。『供え物』そのものだ。
タナトスは、宝飾を施された短刀を手に、
「感謝するよ。パメラに逃げられ、どうしたものかと思っていたが……ククク……生け贄のほうから来てくれるとは。せっかくだから、見物していくといい」
「っ……!」
なんとか剣の柄を握ると、のしかかる何かを持ち上げるように立ち上がる。
「ほう? 立ち上がるとは驚いた」
「――タナトス!」
渾身の力で抜刀し、奇妙な圧力を薙ぎ払う。術が解けたのか、体が軽くなった。
「なんの儀式か知らないけど! 今すぐプリムを開放しろ!」
「いよいよ本物の聖剣の勇者か。まさかこんなガキがな」
「うるさい!」
怒りで、恐怖という感覚がマヒしているのかもしれない。
気が付くと、かつて一目見ただけで動けなくなった相手に、剣を向けていた。
しかしタナトスは、口元に笑みを浮かべたまま、
「おお、怖い。さすがの私も殺されてしまいそうだ。ならば、やられる前にやってしまうか」
突然、暗くなった。
見上げると、人よりも巨大な黒いコウモリが、牙をむき出しに迫っていた。
「――アンちゃん!」
背後から、ポポイの声が聞こえた。
完全な不意打ちに、体が動かない。
「――ガァッ!」
爪が目前に迫った瞬間、コウモリの体が横にそれ、床に墜落した。
「!?」
視界に入ったのは、コウモリの首に刺さった槍だった。プリムが落とした槍だ。
迷う暇はない。駆け出すと、槍を抜こうともがくコウモリの心臓めがけて、剣を突き立てる。
コウモリは抵抗して悶えたが――まもなく絶命したらしい。体が灰になって崩れ、槍が乾いた音を立てて床に転がる。
「……なに?」
初めて、タナトスの声に不快が混じる。
「アンちゃん! 大丈夫か!?」
ポポイが駆け寄ってくるが、さらにその向こう――槍が飛んできた方角に目を向けると、息を切らしたディラックが、開いたままの扉に寄りかかっていた。
「ディラック……さん?」
「プリム……」
そこで力尽きたのか、扉にもたれかかったまま、その場に膝をつく。
彼に、助けられた。
ぽかんとしていると、
「ククク……ハハハハハ! そうか、私の術を完全に破ったか! 素晴らしい! これはますます手放すわけにはいかなくなった!」
突然、大声で笑い出すタナトスにすくみ上がる。
こいつ、何言ってるんだ?
刺客を返り討ちにされたというのに、まるで気にならないらしい。それどころかプリムへの関心まで失せたのか、祭壇に背を向けると、
「必要なくなった。その娘は返品だ。だが、ディラックはもらっていくぞ」
「え?」
突然、強風が吹き荒れ、たまらず目を腕で覆う。
風が収まり、慌てて扉に振り返ると、さっきまでいたはずのディラックの姿が消えていた。
祭壇に向き直ると、タナトスもだ。部屋のあちこち見回すが、二人の姿はどこにもなく、さっきまでのことが嘘のように静かだった。
「そんな……」
何も、出来なかった。
ついさっきまで、そこにいたのに。
「――う~ん……」
うめき声に振り返ると、意識が戻ったのか、プリムが台の上で身じろいでいた。
「ねえちゃん!」
「ディラック……」
駆け寄ると、彼女はぼんやりとしたまなざしで、
「……ディラックは?」
「え?」
「ディラックは、どこ?」
何も答えられなかった。
何も答えられないまま――プリムは再び、目を閉じた。