世界一の悪い子 前編 - 1/5

1.悪い夢

「私が……子供を作るのはどう?」
 意見を変えないエレンに、私はこう言った。
 さすがにこんなこと許せるわけがないだろう。自分のバカげた計画に、子供を利用するだなんて。
 そう思っていた。
 予想通り、エレンは驚いた顔をしたが――すぐに安堵した顔で、
「――なるほど。たしかにそれなら、わざわざ逃げなくても継承を回避出来る。ありがとう、ヒストリア」
 ――へっ?
「でも子供ったって、恋人いたのか? 初耳だな」
 なに言ってるのこの人?
「え……あ、ああ、その、ちょうど、気になってる人が……」
 驚きすぎて、とっさに話を合わせてしまった。
 『気になってる人』がいるのは本当だった。
 昔、私に石を投げてきたヤツが、こそこそとこの牧場で働いているから『気になってる』だけ。口を聞いたこともない。
 だけどエレンは、まるで『親切な友人』のような顔で、
「じゃあ、今からでも告白してこいよ。不安なら、オレも近くで見ててやるから」
 なんでそんな平然としてるの?
 さっき、かっこいいこと言ってたじゃない。
 私が好きで言ってくれたんじゃないの?
「オレはもうじきマーレに行く。ジークが島に来てからじゃ手遅れだ。だから子供を作るならその間に――」
 エレンは、これからの行動や計画を言っていたような気がしたが、まるで頭に入ってこなかった。
 なぜか、エレンの形をした別の世界の住人がしゃべっているように見えた。
 目の奥がガンガン痛み、相手の言葉に理解が追いつかず、自分が立っているのかどうかもわからない、ふわふわした感覚。
 ねえ、エレン。
 私、『子供作る』って言ったんだよ?
 あなた、ついさっき私に『島の生け贄になる子供を産ませない』って言ったよね?
 なのに、『あなたの都合のいい子』は産ませるの?
 私が親に利用された子だって、知ってるよね?
 どうして叱ってくれないの? 『そんなことに子供を使うな』って。
 叱ってよ。
 叱って、私をさらってよ。私のために『悪者』になってよ。なんでまた、私を『悪者』にしようとしてるの?
 なんでそんな『他人事』みたいな顔してるの?
 ねぇ?
 冗談にしちゃ笑えないよ?
 ホントに作っちゃうよ?
 止めるなら今だよ?
 止めなさいよ!
 ねえ!

 ……正直、そこから一、二か月の記憶はあまりなかった。
 気がついた頃には、呼び出された兵団支部で説教を食らっていた。
「――聞いていますか? あなたには、女王としての自覚がなさ過ぎる!」
 私の反応の薄さにしびれを切らしてか、ローグさんは少し声を荒げた。
 隣にいたピクシス司令が彼の肩を叩き、
「ローグ、少し落ち着かんか」
「司令がそうやって甘やかすからです。たしかに年の葉も行かぬ少女を女王に祭り上げた責任は我々にある。とはいえ、民には関係ない。女王になった以上は、身の振り方というものを――」
 そう言いつつも、ローグさんは司令を気にして、声のトーンは少し抑え気味にし、こんこんと説教を垂れた。
「――もうそのくらいにしろ。女王陛下のお体に障るだろう。胎教にも悪い」
 ナイルさんの言葉に、改めて、自分は妊婦として扱われていることを実感する。
 ……果たしてあれは、自分だったのだろうか?
 あの後の私の行動は、自分でも信じられなかった。
 例の彼に近づき、まるで好意を持っているかのように、一気に距離を縮めた。
 しかし、日に日に仲は良くなれど、手を出す気配のない彼にしびれを切らし、酒に酔わせてやった。
 お互い我に返ったのは、事が終わってからだった。
 土下座してひたすら謝る彼を、私はやさしく許してやった。そして一人になってから、自分のバカさ加減に泣いた。
 今思うと、エレンへの当てつけだったのだろうか? 他の男との仲睦まじい姿を見せつけてやれば、嫉妬のひとつでもして、後悔してくれると期待でもしたの?
 しかしエレンはあの後、一度も私の前に顔を出すこともなく、そのままマーレに行ってしまった。まるで私への用事はあの一日で済んでしまったかのように。
 私の浅はかな期待は、もろくも崩れ去った。
 その後だった。体の異変に気づいたのは。
 ……まさか、こんなあっさり出来るなんて思ってなかった。
 赤ちゃんなんて、そんな簡単に出来るもんじゃないと思っていたのに。
 しかし医者に『おめでとうございます』と言われた時は目の前が真っ暗になり、すぐ隣で、驚き、戸惑い――そして喜んでいる彼に、軽く苛立ちを覚えたくらいだ。
「陛下、申し訳ありませぬ。彼は『立場』というものを重視しておりましてな。他人にもそれを求めるものですから、厳しくなってしまうのです」
「いえ……ごもっともで、返す言葉もありません」
 気がつくと、ローグさんはナイルさんと共に退室していた。ピクシス司令の詫びに、それっぽく返しておく。
 ……ちゃんとした手順を踏んでいれば、きっとみんなから祝福されただろうに。この子を、最悪のタイミングでやってきた『やっかいな子』にしてしまったのは私。
「まあ、出来てしまったものは仕方がありません」
 これまで、窓際に立って外を見ていたザックレー総統が口を開いた。
 彼はこちらに振り返ると、
「女王陛下のご懐妊、本来なら国を上げて祝福したいところですが……このご時世です。どこに敵のスパイが潜んでいるかわかりません。あなたと、お子さまの身を守るためにも、当面公表は伏せさせていただきます。そこはご理解いただきたい」
「はい……」
「ですが、新しい命の誕生。それはめでたいことです」
 顔を上げると、彼は笑みを浮かべ、
「面倒くさいことは我々に任せ、まずは体を労ってください。あなたは、その子を無事に産むことだけを考えればいい」
「……ありがとう……ございます」
 感謝の言葉を告げると、私は護衛と共に支部を後にした。
 わかっている。彼らが私にやさしいのは、私に巨人継承させる後ろめたさがあるからだ。
 私は、私を食うための子を産む。彼らは、いずれこの子に私を食わせる。
 それは事実だ。
 だけど彼らは信じている。あの日『巨人継承する』と言った私を。
 私を信じているから、私の身勝手を『若気の至り』と許してくれているのだ。
 本当は違うのに。
 むしろローグさんのように、真っ向から責めてくれたほうが気が楽なくらいだ。もしかすると、この妊娠の『動機』を疑ってすらいるかもしれない。
 しかし直接こちらに疑念をぶつけてこないのは、彼が『大人』だからだろう。
 結局私は、子供なのだ。
 私が『子供』だから、『大人』の彼らは守ってくれる。
 私は彼らをあざむき、その『信頼』を利用する『悪い子』だ。