進撃のヒグマ

 あるところに、運命の出会いを果たしたミカサという少女とエレンというヒグマがいた。
「あなたは家族!」
 そう言って、ミカサはエレンを溺愛し、服を着せ、同じテーブルで食事をし、家の中で放し飼い。ミカサの上げ膳据え膳でゴロゴロするヒグマの姿に「これが人間だったら完全にヒモ男だな」と言ったのは誰だっただろうか?
 さながら『人間』であるかのような扱いに、心配したミカサの親戚のおじさんは「これは持論だが、躾に一番効くのは痛みだ」とお説教をしたが、ミカサはシャー!(威嚇)するだけで、エレンの甘やかしをやめなかった。
 ミカサの住むパラディ町ですっかり有名となったエレンは、同じ町内のヒグマ調査研究所のハンジ所長の研究に協力したり、町おこしに一役買って人気者になったりと、周囲の人間は、いつしかエレンを人間のように扱い始めた。

 それがいけなかった。

 ある日、ミカサ達は思い出した。彼がヒグマであることを。
 ヒグマは、リラ●クマにはなれないことを――

 少女だったミカサも、子グマだったエレンもすっかり大人になった頃だった。それまで素直だったエレンが、突然姿を消してしまったのだ。
 隣のマーレ市レベリオ町で発見された時、エレンは地元の猟友会と交戦していた。
 危うく狩られる寸前だったが、長年、エレンを見守ってきたハンジ所長指揮の元、彼女の友人であり人類最強のクマハンターと恐れられるミカサの親戚のおじさん、そして彼が結成したミカサ、アルミン、ジャン、コニー、サシャの対ヒグマ捕獲チームの働きにより、エレンの捕獲に成功。
 しかし騒動のさなか、悲劇が起こった。
 レベリオ町猟友会の見習いハンターが撃ったゴム弾がサシャに命中しまい、彼女は入院してしまったのだ――

 連れ戻されたエレンは専用の檻に閉じ込められ、その処遇はパラディ町のピクシス町長とエルディア市のザックレー市長に委ねられた。
 市民達の間では『エレンが殺処分されるのではないか』と噂が流れ、町おこしでのエレン功績を掲げて擁護する声や、『ヒグマ撲滅』を掲げていたマーレ市への批判も上がっていた。
 一方、仲間達の間では、重苦しい空気が漂っていた。
 特にサシャと仲が良かったコニーの怒りと悲しみは相当なもので『殺処分やむなし』と言わんばかりだった。サシャはケガもさることながら、入院中、料理人の友人・ニコロの手料理に胃袋をつかまれ、5キロも太ったのだ――
「みんな、思い出して――」
 エレンに向けられる怒りと憎しみにいたたまれなくなったミカサは、必死にエレンと過ごした楽しい時間を思い出すよう訴えた。
 暑い夏の日、庭でスイカ割りをしようと目隠ししたエレンがジャンの頭をカチ割ったこと、エレンが投げ飛ばしたブーメランがコニーの頭にクリティカルヒットしたこと、ママチャリ漕いだエレンがそのまま猛スピードでアルミンに突っ込んだこと――
『殺処分やむ「エレンはいつも私達を想ってくれている」
 男達の心がひとつになりかけたところを、ミカサが声をかぶせてうやむやにした。
 ミカサは、エレンを守るためならなんだってするつもりのようだった。
 『リ●ックマじゃないんだぞ』というジャンの忠告も、聞いているようで聞いていない。それはさながら『我が子を信じる』と親らしいことを言いながら、現実から目を背ける母親のようだった。

 それから一ヶ月。
 すっかりクマが変わってしまったエレンに、ハンジ所長が頭を悩ませていた頃、事件が起こった。
 またしても、エレンが脱走してしまったのだ。

 しかも今度は、動物保護団体・クマーガー派が関わっていた。
 クマーガー派は『動物愛護と保護』を理念として掲げてはいるものの、その手口は実に過激な恐ろしい団体だった。ハンジ所長の研究所にも『クマと和解せよ!』と壁に落書きしたり、朝からピンポンダッシュを繰り返してきたので、困ったハンジ所長は、外で待ち伏せしてピンポンされる前に背後から『わっ!』して撃退したのだが、次の日はいつもより10分早くピンポンしてきたので負けじとさらに10分前に待ち伏せし、そしたらまた10分前に……と繰り返すうちに、その攻防は今では夜明け前に繰り広げられていた。
 そんなクマーガー派が、エレンの殺処分を検討していたピクシス町長とザックレー市長宅にびっくり箱を送りつけてぎっくり腰にするわ、どさくさにまぎれて『市民広場・クマクマの壁』で飼育されていた複数のクマを脱走させるわ、そのクマ達を率いてエレンはまたしてもマーレ市へ向かうわと、実にクマった事態に陥った。

 これは、エレン一頭だけのせいではない――

 責任に駆られたのは、ミカサ1人ではなかった。
 エレンと共に育ったアルミン、そして先日までエレンに怒りを抱いていたコニーやジャンも、この事態を前に、エレンを責める気持ちが吹っ飛んだ。
 そして一番責任を感じていたのはハンジ所長だった。自分がついていながら、エレンの脱走もクマーガー派のピンポンダッシュも止められなかったことを悔やみ、そしてミカサの親戚のおじさん――前日、自分が仕掛けた罠でうっかり自爆っちゃって大ケガしたばかりだというのに――も、エレン捕獲のために再び駆けつけてくれた。

 そしてハンジ所長の呼びかけで集まったマーレ市猟友会会長のマガト率いる、信頼と実績は折り紙付きのクマハンター・ライナー、アニ、ピークと、期待の新人のガビ、ファルコまでもが加わった。
 エレンが向かったマーレ市の危機は彼らの肩に乗っていたから、鬼気迫るものがあった。道中のクマーガー派の妨害も、彼らの協力あってこそかいくぐれたと言っても過言ではない。
 マガトと、途中で加わったミカサ達の恩師であるベテランクマハンターのシャーディス教官が手を組み、クマーガー派のやんちゃな若者達を正座させてお説教してくれたのだ。そのスキに、一行はミカサの親戚のキヨミおばさんが経営する運送会社のデコトラでエルディア市を出ることに成功した。

 この時のミカサ達は、まだ、自分達が行けばあのやんちゃなエレンもおとなしくなると希望を抱いていた。
 しかし、現実は残酷だった。

 凄腕ドライバーのオニャンコポンが運転するデコトラでマーレ市に到着した頃には、すでにエレンwithクマクマ集団は、各市町村が技術の粋を結集して作った対ヒグマ用捕獲器をことごとく破壊し、街も破壊し、人々を無差別に襲い、幼子のキャンディにまで手をかけていたのだ。
 給油に立ち寄ったオディハ町では、現れたクマクマ集団を前に、ハンジ所長は研究所所長の辞職を表明。エレンのこと、そして研究所をアルミンに託し、自分はクマクマ集団の足止めのために残った。
 所長職を辞任したハンジは、迫りくるクマクマ集団を前に、
「やっぱりクマってすばらしいな」
 そうつぶやくと、お手製の対クマさん用投網機、雷槍型ネットバズーカーが火を噴き、各市町村の捕獲器では手も足も出なかったクマさんを次々と捕縛。
 捕らえきれずに襲いかかってきたクマさんには、『ハンジ特製☆スペシャル唐辛子パウダー』を発射する自作の改造銃――彼女は『ソニー☆ビーンD-14雷槍型』と名付けた。なお違法――で、一頭残らず悶絶させた。雷槍、つよい。

 ミカサ達は、ついにエレンに追いついた。
 アルミンはエレンに向かって、必死に叫んだ。
「僕達が悪かった! エレンを人間の世界に連れ込んだのは僕らだ……!」
 この頃には、みんなわかっていた。そう、エレンが自分達を困らせたのではない。自分達がエレンをクマらせたのだ、と。
 本来なら『森のクマさん』やってたはずのエレンを、人間の世界に連れ込み、『人間になれ』と不自然な生き方を強要していたのは自分達ではないか。今さらクマとして森で生きることも出来ず、人間にもなれない中途半端な存在を、自分達が生み出してしまった。
 自分がクマになる気はないくせに、これでどうやって『対等な友達』と言えるだろうか?
 しかし、アルミン達の説得も好物の鮭とばもむなしく、自由の身となったエレンは誰の声にも耳を傾けず、進撃を続けた。
 やはり、クマはクマだった――

「……エレンを、殺そう」
 苦渋の表情で、誰も言えなかった言葉を絞り出したのはジャンだった。
 なんだかんだ言っても、エレンとの一番のケンカ友達は彼だった。相撲を取ったり、時にミカサを巡って夕日をバックに殴り合ったりもしたが(なお、彼がエレンに勝てたことはない)、この惨劇を前にしてなお、エレンの命乞いをするような無責任な男ではなかった。
 コニーも同じだった。エレンに憎しみを向けたのは、身勝手な人間の責任転嫁に過ぎなかったのだ、と。だってクマだもの――

 ――すべては自分達のせい。

 いくら休日のおっさんのように、ジャージ姿でこたつでテレビ見ながら食っちゃ寝していようとクマはクマだというのに、『自分達と同じ人間』のように扱ってしまった。
 その一方で、エレンはきっと何かの拍子に気づいてしまったのだ。『オレはみんなと違う』ということに。
 『オレはみんなと違う→だからオレは特別に扱われてる→それはオレが神だからに違いない』と思ったかどうかは知らないが、神が下々の言うことに従う必要はない。だから『やっちゃダメ』と言われたことをするようになり、誰の言うことも聞かなくなったのではないか――
 神を檻の中に閉じ込められない以上、止める手段はただひとつ。殺すしかない。

 その現実を拒むように、ミカサを激しい頭痛が襲った。
 あまりの痛みに意識が遠のき――気がつくと、不思議な場所にいた。
 誰もいない静かな草原。そこに建つ小さな家で、ミカサはエレンと二人きりで暮らしていた。
 そしてありえないことに、エレンは川でシャケを獲り、材木を運んで小屋を作り、ミカサをいたわりながら薪を割ったり掃除をしたり、せっせと働いているのだ。あのエレンが、すべてはミカサのためだけに。
 それは、幸せな夢だった。
 少女の頃から夢見た、愛するエレンとの穏やかな暮らし――

 しかし。それでエレンは幸せなのだろうか?

 幸せなのは、自分だけではないのか?
 クマであるエレンを人間扱いすることが『対等』なのか?
 それどころか、これまでの自分との暮らしは、クマのままのエレンの否定だったのではないか――
 自分の欲望のために、エレンを人間の世界に閉じ込め、クマとしての彼の自由を一番奪っていたのは自分ではないか――
 もしエレンを連れて遠くに逃げることが出来たとして。またそこで、エレンを『あなたは家族』だなんて言って、クマのままの彼の自由を奪い、自分の都合のいい世界に閉じ込めるのか?

 そんなこと――出来ない。

 ミカサが目を開くと、さっきまでの頭痛はきれいさっぱりなくなっていた。そして目の前には、夢ではない現実の世界が広がっていた。
 もう、迷いはなかった。
 その目には、家族としての愛と、飼い主としての責任が宿っていた。
「私がやる。みんなは援護をして」
「了解だ。ミカサ」
 ミカサが猟銃を構えると、ミカサの親戚のおじさんが最後の雷槍型ネットバズーカーを速やかに発射した。

 あれから数年経った。
 退院したサシャは、運動とニコロの食事療法でシェイプアップするつもりが筋トレしすぎてビルドアップしていた。
 ハンジ前所長は辞職後、ミカサの親戚のおじさんとオニャンコポンと何故かガビとファルコまで引き連れて、今度は珍獣ハンターとして世界中をヒャッハーしていた。
 意気投合したマガトとシャーディス教官は縁側でお茶しながら将棋を打つ仲になり、ぎっくり腰から回復したピクシス町長は各地の利き酒大会で優勝を総なめし、ザックレー市長は一人の芸術家として夢の個展を開いたりした。

 人々からヒグマへの恐怖が消えたわけではなかったが、荒らされた街は復興し、人々は立ち直り始めていた。
 あれだけのことをしたエレンだったが、仲間達は誰一人彼を憎まず、教訓として、人々に彼との物語を語り続けた。
 そしてミカサは、二度とクマを飼うことはなく、ちゃんとした男性と結婚し、穏やかな暮らしを得たが、その心の中でエレンはいつまでも生き続けたのだった――

進撃のヒグマ
~完~

アルミン「さよなら、エレン・クマーガー」
エレン「いや、なにコレ?」
ライナー「俺達必要だったかな……」

仲間達がエレンを憎んだり怒ったりしなかったの、まあ、相手クマだからしゃーないよね。うん。