「……本当に申し訳ありません」
立ち寄った公園の水飲み場で、キバタン――いや、ジオさんは何度目になるか、とにかく謝罪の言葉を告げた。
今朝から飲み食いもせずジアを捜し回っていたらしい。なんだかげっそりしている。
「食い物買ってこようか?」
「いえいえ! そこまでしてもらうわけには! どのみち、今は食事も喉を通りそうにないですし……」
俺の申し出に、ジオさんは慌てて首を横に振る。
そして――深くため息をつくと、
「どうしてこうなっちゃったんでしょうねぇ……」
つぶやき、肩を落とす。
被害者の俺が同情する必要はないのだが、なんだか可哀想なので、黙って話を聞く。
「親一人、子一人……寂しかったんでしょうか。友達もいないようでした。辛さを、妄想で誤魔化していたんでしょうかねぇ……」
だからと言って父親にこの仕打ちはどうかと思ったが、やはり黙っておく。
「女の子だし、私も気を使っちゃって。気むずかしい年頃だとか、そんなので逃げてちゃダメなんですね……うぅっ……」
「…………」
俺は、泣いているジオさんの背に手を置くと、
「……ヒマワリの種、買ってくる」
「うぅっ……お気持ちだけで十分です……」
俺の申し出に、ジオさんは大粒の涙をボロボロ流す。
とにかく空腹はよくない。人間、腹が減っていると考えが後ろ向きになる。
近くに店はないか見渡すと――
「……ん?」
見覚えのあるツインテールが、巨大な剣を抱えて走っているのが見えた。
「ジア!」
ジオさんも気づいたらしい。バサバサ飛んでいくが、いかんせん元がオッサン。途中で落っこちる。
「ああもう、無理すんな!」
「すっ、スイマセン……」
ゼエゼエ荒い息を吐くジオさんを抱えると、ジアを追って走る。
ジアは追われていた。
二人の警察官に。
……そりゃそうだよな。剥き出しのでかい剣抱えてうろつく女の子がいりゃあ……
それにしても、早い! 俺も警察官も、まったく追いつけない!
「あんな重い剣抱えて、なんでこんなに早く走れるんだ!?」
「きっと、魔法で剣を軽くしてるんです! ホント、この力を正しいことに使ってくれれば……」
「それはいいから、なんとかならないのか!?」
「右の路地に入って下さい!」
ジオさんの言うがまま、俺はすぐ右の狭い路地に入る。
「ジアはこの先の道を通るはずです! 警察と挟み撃ちにしましょう!」
「よし!」
ジオさんには胸にしがみついてもらい、俺は全力で路地を駆け抜ける――はずだった。
路地の出口には、
黒ぬこヤマトの宅急便が停まっていた。
『ぬぉああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!』
予想外の出来事に、俺はグリオのキャラメルのようなポーズで急ブレーキをかけ、激突寸前で停止した。あと少し遅ければ、ジオさんはサンドイッチの具材になっていただろう……
ほどなくして、トラック越しに『待てー!』『止まらんと撃つぞー!』という声と足音が聞こえ――遠ざかっていく。
いっそ撃っちまえとヤケクソなことを考えていると、宅急便のトラックがブオォ……と走り去る。当然、みんな通り過ぎた後だった。
「あ……ああ……」
「あああああ……」
しばらく呆然としていたが、いつまでも呆然としているわけにもいかない。
「と、とりあえず、家……行こうか」
「そ、そーですね。どうせ行き先はわかってますし……」
そして俺はジオさんを肩に乗せ、とぼとぼ歩き出す。
すっかり日は暮れ、街灯が灯りだした。ようやく家が見えてきた頃――
「勇者様!」
最初、それが俺のことだと気づかなかった。
気づいたのは、後ろから腕をつかまれた時だ。
「勇者様、お待ちしておりました!」
はぁ?
振り返ると、そこには剣を抱えたツインテールの女の子が。
「ジア! お前は――」
「さあ、今こそ旅立ちの時です!」
「へ?」
この時、始めてジアを近くで見たが、色白で大きな目をした可愛い子だった。それだけに、やってることの残念感が否めない。
いや、それよりも、
「勇者様?」
「いやですわ。世界の危機にご冗談を☆」
「危機を迎えているのはお前の頭だ! パパをこんな姿にして!」
俺の頭の上でジオさんが怒鳴るものの、ジアは笑顔で、
「まあ、クーもご一緒でしたか! うふふ、にぎやかな旅になりそうですわね!」
「話を聞け! ていうか『クー』って誰だ!?」
動じないジアに、ジオさんは冠羽を限界まで広げて怒鳴り散らす。頭上だから見えないんだけど、雰囲気で。
……整理すると、ジアの頭の中では俺が勇者で、ジアとクー(キバタン)と一緒に、これから世界を救う旅に出るらしい……
それにしても、なんで俺が勇者なんだろう。本物の勇者は、芸人で例えると『(コンビ名)の○○じゃないほうの人』と言われそうな顔だったはず……
こちらの心中に気づいたのか、頭上のジオさんが小声で、
「ジアは幼稚園の頃から、金髪の男の子を脳内彼氏に変換してはつきまとう行為を繰り返していたから、そのせいでは……」
「ああ、なるほど……ってストーカーじゃん!」
ノリツッコミで返す。気になる点は多々あったが、それは後回しにして、
「とにかく、うちの店から盗んだ剣と、ジオさんの手帳! 返してもらうぞ!」
「あせってはいけませんよ勇者様。この剣は勇者様が七つの試練を乗り越えて始めて手にすることが許される聖なる剣ですよ? そのためにはまず――」
「話を聞けええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
「スイマセンスイマセン本当に申し訳ありません!」
娘の無礼に、ジオさんは必死に謝る。
説得するにも、話を聞かないんじゃどうにもならない。
誰かなんとかしてくれと思った次の瞬間、
パッ! と、俺達は白い光に照らされた。
「――ジア・バートルン! 剣と手帳を捨て、今すぐ投降しなさい!」
その声に驚いて辺りを見渡すと、武装した十人ほどの警察官が俺達を取り囲んでいた。
姉ちゃんの通報を受けて、家の近くで待ち伏せていたのだろう。盗んだものが剣で、しかも魔法まで使う危険人物ということで、それなりの人数で来たようだ。
この光景に、ジオさんも覚悟した様子で、
「……ジア、もう目を覚ましなさい。お前は警察の世話になるようなことをしているんだ。これ以上、罪を重ねるんじゃない」
「パパ……」
ようやく目の前のキバタンを父と認めたのか、ジアは剣を落とす。
「ジア。パパが悪かった。今回の件も、お前をそんな風にしてしまったのも、すべて私のせいだ。もう一度……ジアのパパとして、やり直すチャンスをくれないか?」
その言葉に、ジアはポロポロと涙を流す。
……本当ならしんみり来るシーンなのだが、俺の頭の上で語るのはやめて欲しかったな……
俺は、気まずさを咳払いでごまかすと、
「な、なあ。なんでこんなことしたんだ? せっかく魔法の素質があるのに」
「だって……」
俺の質問に、ジアはしゃくり上げながら、
「だって……魔王、いないんだもん!」
…………。
?
誰一人、意味がわかる者はいなかった。
ジアは責めるように、
「なんで魔王退治しちゃったの!? そうでなきゃ、ジアとジアの勇者様で退治したのに! なのにみんなで勝手に退治ちゃって、ズルイ!」
そして、わんわん泣き出す。
俺達は、しばらく声もなく突っ立っていたが――やがてジオさんが、
「ア……アホか! 魔王の恐ろしさは散々習っただろうが! 何脳天気なことを言っとるんだお前は!?」
「あなたも! あなただってそう思うわよね!?」
「へっ?」
ジアはジオさんを無視して、突然、俺に向かって、
「学校で習うのはつまんない魔法ばっかり! ジアは、魔王をやっつける魔法を習うつもりで入学したのに、パパのうそつき! こんな時代じゃなきゃ、今頃ジアは素敵な勇者様と冒険して、いずれ結ばれていたのよ! あなただって勇者になりたかったでしょ!?」
「…………」
俺は言葉を失い、ポカーンと突っ立っていたが……次第に、何かがこみ上げてくる。
そして、
「アホかお前は! 俺は商売で成功するんだよ! 全国に出店して、大企業の社長になるんだ! 勇者なんてやってられっか!」
「何バカなこと言ってるのよ! あなた、洗脳されてるんだわ!」
「てめぇの物差しで俺の夢測ってんじゃねぇ! 洗脳されてるのはお前の方だ!」
「そうだジア! 一体、どれだけの人々が魔王に苦しめられたと……! 謝れ! 世界に謝れ! お前なんてもう娘じゃない!」
「キャー! パパ、何すんのよ!」
ぶち切れて怒鳴り散らす俺。ジアの頭をくちばしでつつきまくるジオさん。逆上してますますわめき散らすジア……
警察官達が、慌てて俺達二人と一羽を引きはがしてくれたが――羽交い締めにされつつ、ジアはヒステリックに、
「もう嫌い! みんな嫌い! 消えちゃえ!」
その言葉に、頭に上っていた血が、すっ、と下りていくのを感じた。
いつの間に取り出したのか、ジアの手には、表紙に太陽と月のマークが施された古びた手帳があった。
まさか――
「イカン!」
ジオさんが叫んだ時には、遅かった。
ジアの口からは謎の言葉が発せられ、辺りが光に包まれる。
そして――
ぱさっ、と、手帳が地に落ちた。
「あれ?」
……まあ、自業自得っちゃあそうなんだけど……
さっきまでジアが立っていた場所には、一羽のキバタンが、きょとんとした顔で立っていた。
なんとも後味の悪い終わり方だったな……俺は、今でもそう思う。
「鳥は、うちでは扱えないんで……」
この事態に警察も困惑した。相談の末、ジアはどうなったかというと――
鳥獣保護センターに収容された。
「せまーい! くさーい! ジアをカゴの鳥にして! 勇者様はいつ助けに来てくれるのよ!」
「自業自得だアホ者! 第一お前は平和の尊さというものをだな――」
「はいはい、ヒマワリの種あげるから静かにしてー」
飼育小屋としては十分広いオリの中、暴れ回るキバタン二羽……慣れたのか、飼育員のおばちゃんが笑顔でヒマワリの種を与えている。
……別にジオさんまで収容される必要はなかったんだけど、本人の強い希望で、ジアと同じオリに入った。
二人の魔法を解く方法は、今、ジオさんの学校の先生達が手帳を頼りに研究中だ。しかし、かなり難解な魔法らしく、時間がかかるとのことだが……
「わざとじゃない?」
姉ちゃんの言葉に、俺も、ひょっとするとそうなんじゃないかと思い始めたところだ。考えてみりゃ、ジオさんが普段どんな人かなんて知らないし。むしろ、いなくなって喜ばれているんじゃあ……
親子の今後のことは割愛するけど、その後、変わったことと言えば――
親父が、勇者グッズを大量入荷して帰ってきた。
……八つ当たりは承知で言わせてもらう。
勇者なんて大っ嫌いだ!