「……すげーな。魔法って」
  カートはケガをしていた腕を回し、目を丸くする。
 「ったりめーだろ! さすがはオイラ! いやー、やっぱこの天才さまがいないと、ホントどいつもこいつもたよりなくてまいっちまうよなー。もうポポイさまさまだろー」
 「あなたのことじゃないわ」
  プリムが無表情につっこむ。誰一人、笑う者はいなかった。
  煙が迫っていたので、治療が終わるとすぐに、メタルマンティスの背後の通路を抜ける。
  行き止まりだったらどうしたものかと思っていたが、
 「なにこれ? 同じ牢屋じゃない」
  プリムが、ぽかんとした顔をする。
  通路の先は、さっきまでいたのと同じ形の牢屋になっていた。ご丁寧に、魔封じの仕掛けまである。
  牢屋から逃げた先も牢屋。恐らくあのメタルマンティスは、処刑のたびに部屋を入れ替えられていただけだったのだろう。
  つまりこの牢屋に放り込まれたが最後、爆弾でも持っていない限り、あのメタルマンティスを倒す以外に生き残る方法などなかったのだ。
 「結局……私じゃ、何も変えられなかったってわけか」
 「クリス?」
  なにかあったのか、クリスはひどくうなだれているようだった。
  再び、ゼノアの爆弾で扉を爆破し、牢屋の外に出ると、幸い火の手はまだ来ていないようだった。ゼノアの先導で、薄暗い通路を走る。
 「これからどうなさるのです?」
  あとはこの城から逃げるだけ――そう思っていたところに、突然、ゼノアが口を開いた。
  彼女は、走る速度を緩めると、
 「このまま、取りに行きますか?」
 「え? ……何を?」
 「皇帝の首」
 「……え?」
  クリスが足を止めた。ぽかんとした顔をしていたが――慌てて、
 「ちょ、ちょっと待って! 今日は、そんなことしに来たわけじゃあ!」
 「では、何しに来たのです?」
 「何しにって……」
 「――待て待て。何か勘違いしてないか? 俺達は『レジスタンス』だ。『反逆者』でも『テロリスト』でもない」
  カートのフォローに、クリスも我に返ったように小さくうなずくと、
 「そ、そう……だよ。そう。私達は、別に皇帝の命が欲しいわけじゃない。ただ、国民のために考え直して欲しいだけ。今日、ここへ来たのだってそのためだよ」
 「その回答がこれですが」
 「それは……」
 「実現は無理だよ」
  時間がもったいない。クリスとゼノアの間に割って入ると、
 「皇帝の素顔なんて誰も知らないんでしょ? 本物と影武者の見分けもつかないのに、どうやって首取るの? 城にいるかどうかだって怪しいのに」
 「…………」
  ゼノアは少し考えて、
 「でしゃばったことを言いました」
  すんなり引き下がった。内心、胸をなで下ろすと、
 「脱出についてなんだけど。ひとまず城の裏に行こう」
 「裏?」
 「この城は、正面入り口の橋を渡る以外に出入りは出来ないんでしょ? さっきの爆発や火災で人が殺到してるはずだから、裏は手薄なはず」
 「そこでこのキセキの天才さまが、魔法で氷のハシをつくる! それをわたってみごとダッシュツ! 大魔法使いさまポポイさまさまの伝説がまたひとつタンジョーするというすんぽーだ!」
 「え? そいつの?」
  ポポイを除く全員の顔から血の気が引く。
 「氷の魔法に関しては、エリ……知り合いの魔法使いに直接特訓受けて安定してるから、たぶん大丈夫だと思う。たぶん……」
  最後は小声になる。立案しておいてなんだが、さっきの魔法がひどすぎて、急に不安になってきた。
  ポポイの魔法は、見た目は派手だが中身スカスカなのだ。
  うまく行く時もあるにはあるが、博打要素が強すぎる。本来なら練習させるべきなのだろうが、教え方がわからないこと、そして、魔法を使った後は異常なまでに食い散らかすので、財布が危険でそれも出来ない。
 「……兵隊の服奪って逃げる?」
 「いや、向こうもそれくらい予測してるだろうし、バレた時のリスクが高すぎる。危険かもしれないけど、試すだけ試してみよう」
 「おう! 安心してまかせろ!」
  クリスの決断に、ポポイだけが空気を読まず威勢のよい声を上げる。
 「でも、城の裏ってどっちに向かえばいいの?」
  コートニーの問いに、カートは頭をかきながら、
 「あいにく、城内のことはわからん。見取り図でもあればいいんだが」
 「え?」
 「おい! なんかオイラをムシしてないか!? この大魔法使いさまをあがめたてまつるところだろ!?」
  ポポイが両腕を振り回して怒鳴っているが、全員無視した。泣きわめいて見かけ倒しの魔法で危害を加えただけのくせに、そんなことはすでに忘却の彼方のようだ。
 「あの、それでしたら私が」
  ゼノアが小さく手を上げる。
 「出入り口の場所は、先に確認しましたので」
 「ホントに? ……すごいね、キミは」
  クリスが驚くが、その顔は、喜びや安堵というより、どこか複雑そうなものだった。
  とにかく、地上へ出ることが先決だ。見つけた階段を上り、城の裏口へ急ぐ。
  途中、兵士が慌ただしく走り回っている姿を見たが、自分達を捜しているというより、消火活動や、高価な品を運び出す作業をしているようだ。そちらに夢中で、びっくりするほど気づかれない。
 「これなら、簡単に逃げられそうだな」
  物陰に潜み、兵士が通り過ぎていくのを見送りながら、カートがつぶやく。
  そう。後は逃げるだけだ。逃げるだけなのだが――
――逃げろ逃げろ。そうして逃げれば逃げるほど、お前の身の回りに災いがもたらされる――
 ポケットから取り出した地図を広げると、一カ所に、赤いバツ印がついていた。裏口とは逆だ。
 「――そこの角を右に曲がって、後は道なりに進むだけです」
 「行くぞ」
  ゼノアが方角を指示し、カートが周囲を確認すると、先頭を切って走って行くが、こちらは足が動かない。
 「どうかなさいましたか?」
  気づいたゼノアが、怪訝な顔でのぞき込んでくる。
  我ながら、馬鹿だと思う。
  しかし、遅かれ早かれ、やらなければならない。でないと、次はどんな『災い』が起こるかわからない。
  一瞬、プリムに見えたメイドの死体が脳裏をよぎる。
 「聞きたいんだけど……さっき、コインみたいなの投げてたよね? あれって?」
  問われて、ゼノアはブラウスの胸ポケットに手を突っ込むと、
 「これは精霊のコインです。特殊なコインの中に、精霊の力が封じられています」
  取り出したのは、精霊・サラマンダーの姿が彫られた赤いコインだった。
 「これって、誰でも使えるの?」
 「はい。元々、魔法使いじゃなくても使える魔法兵器として開発されたものですから。握って、精霊の名を呼べば、コインに封じられた魔法が発動します。ただ、威力に関しては、名を呼んだ者が持つマナに比例するそうですが」
 「そう……」
  つまり、さっき見たものと威力が同じとは限らないということだ。最悪、もっと弱いかもしれない。
  そして、魔法を使うのは自分じゃない。あくまでコインの力だ。自分が魔法を使うのは、聖剣の力とぶつかって危険だのなんだの聞いたが、これなら問題ないかもしれない。
  もちろん『かもしれない』だけで、実際どうなるかはわからないが――そんなことにびびってる場合ではない。
 「それ、もらえないかな?」
* * *
「あれ?」
  プリムがそのことに気づいたのは、通用口から塀の外側に出て、ポポイの魔法の橋が完成した頃だった。
 「どーだオイラの魔法は! こんなカンペキなハシ、だれにも作れねーだろ!」
 「こ……ここ渡るの……?」
 「そりゃあ……このチビの魔法じゃこれが限界なんだろうけどよ……」
  コートニーとカートが、怯えた顔でつぶやく。
  出来上がった氷の橋は、『橋』と言うよりただの『板』だった。かろうじて二人並べるくらいの幅はあるものの、デコボコで厚みは不均等。その下は水路のはずだが、暗くて何も見えず、まるで奈落の底へと続いているかのようだ。
  日が沈み、月明かりだけが頼りの中、こんなチビが作ったできの悪い氷の板の上を、風に吹きさらされながら渡る。命知らずにも程がある。
  しかし今は、そんなことよりも、
 「ちょっと……ランディは? さっきまでいたわよね?」
 「え? そんな……」
  クリスも周囲を見渡すが、影も形も見当たらない。
  全員困惑する中、ポポイだけが呆れた顔で、
 「なんだよ! オイラには『迷子になるな』っていつもいっといて、自分が迷子かよ! ったく、しょーがねーな!」
 「――そのまま渡ってください」
 「え?」
  振り返ると、最後尾にいたゼノアが、黒い鉄の筒をこちらに向けていた。
 「ちょ、ちょっと待ってゼノア! さっきから気になっていたけど、それ鉄砲だよね!? どういうこと!?」
 「おまえ、前々から怪しいと思ってたけど――」
――パンッ!
 乾いた音が響き、横を、猛スピードで何かが通り過ぎていく。
 「早く。振り向かず、真っ直ぐに」
  ただならぬ気配に押され、先頭にいたポポイが氷の橋の上に立つ。
  数歩進んだところで、
 「ひぃぃ~! たけえぇぇぇぇぇぇ~! おちるぅぅぅぅぅぅぅぅぅ! こわれないよなおちないよな!?」
 「あなたが作ったのよ……」
  高さに腰が抜けたか、その場に手をついて騒ぎ出す。
 「さっさと行け」
――パンッ!
「ギャァァァァァァァァ!? なにおこってんだよ!? あ! もしかして戸棚のチョコ、ねーちゃんのだったのか!?」
 「お前か」
  パンパンパンッ! と、音が連続で響き、ポポイは四つん這いのまま猛スピードで橋を渡りきる。明確な殺意を感じた。
 「ひとまず渡れるようだが……次は誰が行く?」
  カートの言葉に、全員、顔を見合わせる。
  みんないっぺんに渡っては、重みで落ちるんじゃないか――いや、そうじゃなくても、滑ったら終わり――
  突然、ばさっと、足元にロープが放り投げられる。
 「命綱です。あまり太くないですが、人一人なら持ち上げられる強度はあります」
 「……キミ、なんでも持ってるね」
 「あなた達が準備不足なんです」
  ゼノアが出したロープに、クリスは目を点にする。
 「……じゃあ、俺が行くよ。渡りきったら、向こうでロープ持っといてやるから――」
  カートがロープを拾い、そこに、先に渡りきったポポイが杖を振り回しながら、
 「オイ、はやくこいよー! なんだー? こわいのかー? だっらしねーなぁー!」
 「あんたどういう神経してんの!?」
 「殴りてぇ……」
――パンッ!
イラッときたのか、また発砲音が響き、ポポイは悲鳴を上げて近くの茂みに隠れた。
「つ、ついた……」
  クリスが、そして最後にゼノアが渡りきると、緊張が解けて胸をなで下ろす。
  これであとは――
 「最後のひとつです」
  ゼノアの声に顔を上げると、手のひらサイズのカボチャにたいまつの火を近づけていた。
 「え? なにそれ?」
 「ただのパンプキンボムですが」
  涼しい顔でわかりきった回答をすると、たった今、渡ってきた橋目掛けて放り投げた。
 「は? ちょっと――」
  声は、爆発音にかき消された。
  サイズ的に、そこまでの威力があったわけではないが、氷を破壊するには十分だった。氷の橋は崩れ、下の水路へと残骸が落ちていく。
  これで、敵はこちらを追ってはこれなくなったが、それはつまり――
 「本人が、そうしてくれと言ったので」
 「え?」
  すーっ、と、全身から血の気が引いていく。
  言葉に詰まっていると、同じく顔を青ざめさせたクリスが、
 「まさか……自分の意思で来なかったの?」
 「あ? なんだなんだ?」
 「不甲斐ないあなた方の代わりに、取りに行ったのでは?」
 「何を?」
 「皇帝の首」
  ロープを回収すると、ゼノアは、全員の横を通り過ぎながら、
 「今の音で兵が集ってくるかもしれません。逃げるならお早めに」
 「――ちょっと待て!」
  思わず見送りそうになってしまったが、カートはゼノアの前に立ちふさがると、
 「前々から気になってたけどな! お前、何者なんだよ! 爆弾だの鉄砲だの、どこで手に入れた!?」
 「ちょ、ちょっとカート! 子供相手に……」
 「ガキだからこそ怪しいんだよ! お前、俺達のこと探りに来たスパイだろ!」
 「スパイって……どこの?」
  真っ先に思い浮かぶのは皇帝だが、それだとこちらを助ける理由がない。
  しばらく、カートとゼノアは睨み合い――
 「……根性なし」
 「は?」
  ゼノアは、少し怒ったような顔で、
 「皇帝に怯え、『よそ者』にすがった。……あなた達は、革命も起こせない根性なし」
――ぼむっ!
「きゃあ!?」
  ゼノアが何かを地面に叩きつけた瞬間、周囲に白い煙が立ちこめ、たまらず咳き込む。
  煙が風で流され、消えた頃には、ゼノア自身も消えていた。
 「……忍者か? あいつ……」
  ゼノアが立っていた場所を見つめたまま、カートは呆然と立ち尽くした。