「……休憩する?」
 「……大丈夫。急ぎましょう」
  プリムはそう答えるものの、やはり疲労は隠せないようだ。目の下にはクマができ、足取りもおぼつかない。
  結局夕べは、森の近くで見つけた窪地に枝葉をかぶって身を潜め、持っていたチョコを食べて一晩明かしたらしい。
  もうじき夏とは言え夜は冷える。おまけに、いつ、何に襲われるかわからない状況。どんなに疲れていても、眠れたわけがない。
  こんないつ倒れてもおかしくない強行軍。何がそこまで彼女を駆り立てるのだろうか。
  わからない。さっぱりわからない。
 「きゃ!」
 「大丈夫!?」
  木の根につまずいたのか、悲鳴に、反射的に振り返り――
  すぐ横を、なにかがかすめた。
 「え?」
  辺りを見渡し、近くの木の幹に、一本の矢が刺さっていた。
 「なんだ? どうした?」
  プリムはポポイに任せ、刺さった矢の反対側に目を向ける。
  一瞬、人影が見えた。
 「誰?」
  そんなに離れていない。
  剣の柄を握り、声をかける。
 「な、なに!? またなんか来たの!?」
 「ねーちゃん、ぐるじぃ……」
  少しトラウマになっているのか、プリムがポポイの首を絞めるように抱きつく。
  しばらく様子を見て――木陰から、小さな影が顔を出す。
 「もしかして……ポロン?」
 「――ひぃっ!?」
  顔をのぞき込もうとすると、悲鳴を上げて木の後ろに隠れる。
  確かに今見えたのは、オレンジの頭巾に緑のローブを着たポロン――一見、人間の子供に見えるが、顔はネズミのような姿の亜人だった。手には、小さな木の弓を握っている。
  ポロンは木陰から顔だけ出して、声を震わせながら、
 「おっ、おっ、おまえらか! フレディ殺したニンゲンは!?」
 「フレディ?」
  知らない名前だった。
  しかし、心当たりがある。
 「もしかして、あの時の獣人……」
  ポロンがすくみ上り――その反応に、血の気が引く。
 「え? なに?」
 「ちょっと待てよ! おそってきたのはそっちだろーが!」
  状況が呑み込めないプリムを押しどけ、ポポイはポロンに詰め寄ると、
 「こっちにいるねーちゃんだってコロされかけたんだぞ! 悪いのはそっちだ!」
 「うるさいチビ!」
 「オマエのほうがチビだろが! チビ!」
 「オイラよりオマエのほうがチビだ! チビ!」
 「うるせー! チビチビチビチビ!」
 「あーもう、やめる!」
  取っ組み合いを始めるポポイとポロンの間に入り、引きはがす。
  言葉が通じることに安堵し、ポロンに目をやると、
 「キミ達の住処に入ってきたことは謝るよ。でもドワーフからは、エリニースさんは困ってる人を見捨てられない、気のいい人だって聞いたよ。なのに都の人達から生気を抜いたり……一体、どうなってるの?」
  ポロンは戸惑った顔で、
 「……オマエら、あいつらの仲間じゃないのか?」
 「あいつら?」
 「エリニースを、殺しにきたんじゃないのか?」
 「――まさか、魔女の討伐隊!?」
  黙っていたプリムが、ポロンの両肩をわしづかみにする。
 「教えて! 討伐隊はどうなったの!? ディラックは!? 無事なの!?」
 「落ち着いて!」
  硬直するポロンから、今度はプリムを引き離す。
 「とにかく、僕達は先に来た王国兵とは違うよ。出来れば、エリニースさんと話がしたい」
  悩んでいるらしい。ポロンは不安げに自分達の顔を眺め――
 『――チット。聞こえるかい?』
 「エリニース!」
  頭の中に、女の声が聞こえた。
 「え? なに?」
 「エリニース! 聞こえる! どうすればいい?」
  別に声の主が頭上にいるわけではないだろうが、ポロンは上空に向かって声を上げる。
 『その子らは、お前の手に負える相手じゃない……連れてきな。アタシの元へ』
 「でもコイツら、フレディを……」
 『いいから。フレディのことはいったん置いといて、強き者の言葉に従いな』
 「わ、わかった。エリニースがそう言うなら、そうする!」
 『いい子だ、チット。しっかりご案内するんだよ』
  チットと呼ばれたポロンは、ほめられて嬉しそうな顔をすると、
 「来い! オマエら!」
 「え? そっちは――」
 「近道! 来い!」
  道をはずれ、森の奥へと駆け出す。
 「行きましょ!」
 「え? ちょっと……」
  止める間もなく、プリムが、ポポイが後を追いかける。
 「……仕方ないか」
  罠だったら罠だった時のこと。
  ため息をつくと、三人の後を追って走り出した。
「じゃあ、みんな無事なんだ?」
 「エリニースの魔法で眠らせて、閉じ込めただけだぞ」
  途中、チットが住処にしている穴に立ち寄り、食事休憩をする。借りた鍋に水を汲みに行っている間、討伐隊の無事を聞いたプリムは安堵して、そのまま眠ってしまったらしい。穴の中で、毛布にくるまって眠っていた。
 「エリニース、いつも言ってる。意味もなく殺しちゃいけない。食べるために殺したときは、命にかんしゃして、残さず食べなさいって」
 「ふぅん……なんだかお母さんみたいだね」
 「そうだ! エリニース、みんなのおかあさん!」
  水を張った鍋を火にかけ、沸くのを待つ間、チットが穴の中から内蔵が抜かれたラビを持って来る。
 「これ、昨日、オイラが狩ってきたラビ。食え」
 「え? いいの?」
  手持ちの干し野菜でも煮ようと思っていたのだが、思わぬごちそうだ。
 「かんちがいするな。エリニースのとこ、つく前に倒れたら困るから食わせてやるんだぞ。かんしゃして食え」
 「あ、ありがとう……じゃ、僕がやるよ」
  さっきの今だというのに肉の加工。己の図太さに呆れつつも、チットが用意してくれたまな板にラビを乗せ、解体を開始する。
  何はともあれ、プリムになにか食べさせなければならない。こんなの食べるかわからないが、干からびた携帯食よりマシだろう。
  ポポイは青ざめた顔で、口と鼻を押さえ、
 「うぇ……アンちゃん、よくやるなそんなの……」
 「え? 小さい頃からよくやってるけど。家畜飼ってたし」
  すでに下処理も済んで、血の臭いなどしないはずなのだが。
 「毛皮取れたけど……帽子でも作る?」
 「じょーだん言うな! キモイ! 呪われる!」
 「村の子、よくかぶってるけどなぁ……」
  嫌がるポポイに、チットは口をとがらせ、
 「コラ、オマエ。命、そまつにするな。この毛皮だって命の一部だぞ」
 「ンなこと言ったってヤなもんはヤなんだよ! オマエら、よくそんなの食えるな!」
 「――あ、そっか」
  沸騰した鍋に肉を放り込みながら、
 「妖精って、肉とか食べないんだろ?」
 「はぁ?」
 「獲物狩って食べるイメージないし。木の実とか、そんなのしか食べないんじゃないの?」
  本人は首を傾げ、
 「そういや……ドワーフのじいちゃんが肉いりのスープつくってくれたけど……ひとなめですげー気分悪くなって吐いた」
 「やっぱり。チット、好き嫌いとかじゃなくて、最初から肉を受け付ける体じゃないんだよ。勘弁してあげて」
 「そうか。ならしかたない」
 「あれ? ということはオイラ、メシ抜き?」
 「安心しろ。いいのがあるぞ」
  不安げな顔をするポポイに、チットは穴の奥から壺を持って来る。
 「木の実、干したのがある。たくさんあるぞ。たんと食え」
  木の蓋を開ける。
  壺の中にはぎっしりと、ミイラ化したネコアンズが詰まっていた。
 「……たんと召し上がれ」
 「……すっぺぇ……」
 「――え~? なになに? い~にお~い……」
  鍋が煮えてきた。そのにおいに目が覚めたのか、半分寝ぼけたプリムが体を起こした。
「すごい森……」
  さらに奥へと進むと、木々の様子も変わってきた。
  幹が太く、背も高い。樹齢千年を軽く超えているかもしれない。
  森の外側に生えていた木も十分大きかったというのに、そんな木が、あちこちに生えている。
 「ここら辺の木は、大昔の世界大戦の生き残りだってフレディが言ってたぞ」
 「フレディが?」
 「フレディが、エリニースから聞いたって」
  先頭を行くチットは、無邪気な笑顔で、
 「フレディは、オイラがまだ狩りがうまくなかったころ、特訓につきあってくれたり、コツおしえてくれた。初めてオイラがしとめた獲物、いっしょに食べた。フレディ……」
 「……ごめん、チット」
  思い出したのか、肩を震わせ、涙ぐむ。
  その姿に、自分達と何も変わらないのだと認識する。
  なにしろ獣人も亜人も、しゃべったことに驚いたくらいだ。仲間の死に、涙だって流す。
  ポトス村の中ではものを知っているほうだと思っていたが、ジェマの言う通り、自分はこの世界について、あまりに無知だ。
  チットは服の袖で顔をぬぐうと、
 「エリニースの城、もうすぐ。……あそこだぞ」
  前方に、古い城が見えてきた。
 「あれが、魔女の城……」
 「すっげー……でっけー」
 「あそこにディラックがいるのね!」
  古びた石造りの城。
  さすがに国王の宮殿ほどではないが、木々と水路で囲まれ、城壁には蔦がびっしり生えている。
  城門に立つと、自動的に門が開いた。
 「エリニースさんって、ここに一人で住んでるの?」
 「そうだ。森の仲間、勝手に来て、エリニースのお手伝いする」
  門をくぐり、よく手入れされた中庭を通る。
  やはり城の扉が勝手に開き――
 「え?」
 「ひっ!?」
  後ろで、プリムが息を呑む。
  中に入ると、壁際や二階の通路に、十数人の獣人と、チットと同じく、弓を担いだポロン族が待ち構えていた。
  やっぱり罠か――しかし、殺気立ってはいるものの、襲い掛かってくる気配はない。
 「エリニース! 言われた通り、連れてきたぞ!」
  正面奥には大きな扉があり、片脇に槍を持った鎧が飾られている。扉が開き、一人の女が現れた。
 「ようこそ、アタシの城へ。アタシがこの森の主、エリニースだ」
  白いローブに、紫の頭巾をかぶった女だった。胸元には、星の中央に青い石がはめ込まれたペンダントを下げている。
  肌は白く、頭巾の隙間から波打つ黒い前髪がはみ出していた。年齢は若くも見えるが、もしかすると母親くらいの年齢かもしれない。なんとも怪しい雰囲気の美女だった。
 「まずはご苦労だったね、チット。……フレディのこと、辛かったろうに」
 「エリニース!」
  チットはエリニースに抱きつき、これまでこらえていたのか、子供のように泣きじゃくる。
  エリニースはチットの背をなで――後ろに下がらせると、
 「アンタかい。よくもフレディをやってくれたね」
 「…………」
  迫力に押されたのか、今度はポポイも何も言わなかった。
 「ね、ねぇ……フレディとか、さっきからなんの話……?」
  後ろのプリムが小声で聞いてくるが、無視してエリニースをにらみつける。
  しかし、エリニースはすぐに肩をすくめると、
 「――と、言いたいところだが。アタシの言いつけを破ってちょっかいかけたのはフレディだ。そして、相手の力量を見誤ったのもフレディ……アンタを恨むのはお門違い。水に流そう」
 「エリニース! いいのかそれで!? フレディは――」
 「お黙り! ここではアタシがルールだ!」
  口を開いた獣人に、一喝する。
 「無害な蛇だとちょっかいかけたら、恐ろしい毒牙を持っていた。それだけのことだよ。……アンタはただ、身を守っただけ。気にすることはない」
 「…………」
  そうは言うが、周囲を見渡すと、みんな納得しているようには見えない。しかしエリニースの手前、従うしかないといった面持ちだ。
 「あ、あの、ところで……」
  しびれを切らしたのか、プリムがおずおずと、
 「討伐隊……ディラックはどこに……?」
 「討伐隊? ああ、あの連中か……」
  プリム一番の、というか、唯一の関心事に、エリニースは思い出したように、
 「安心しな。生気を抜いて、地下牢に閉じ込めてやっただけさ。メシも食わせてやってるし……死んじゃいないよ」
 「よ、よかった……」
  その言葉に、プリムは胸をなでおろす。
 「あの……その人達もそうだけど、街の人達から奪った生気も、返してもらえませんか?」
  この場合、地底神殿より都のほうが先だろう。なにしろ、人の生死がかかっている。
 「ドワーフ達から聞きました。エリニースさんは気のいい人だって。チットの話を聞いてても、どうにも、あんなことをするような人には……」
 「気のいい人、ね……」
  エリニースはほほえむと、
 「アンタもたいがい、『気のいい人』のようじゃないか。王国が討伐を決定した『悪い魔女』を、『気のいい人』だなんて……いいよ」
 「え?」
 「アタシが都の人間から抜き取った生気、返してやるよ」
 「……本当、ですか?」
 「ホントだとも。この目が、嘘をついてるように見えるかい?」
  エリニースの黒い瞳が、こちらの目に止まる。
 「ホラ……アタシの目を見て――」
 「――アンちゃん!?」
  ポポイが足につかみかかる。
  しかし、視線が離れることはなかった。
「――馬鹿な!」
  先に声を上げたのはエリニースだった。
 「どうなってんだい!? アタシの術が……二人目だってぇ!?」
 「エリニース!?」
  頭を抱え、混乱したように叫ぶエリニースに、灰色の獣人が駆け寄る。
 「今……何を?」
 「大丈夫か!? なんかされたんじゃないのか!?」
  ポポイが焦っていたが、何もされていないし、何もしていない。
  しかしエリニースはその場に膝をつき、かなり動揺した様子で、
 「まさか、そんなはず……でもあのマナは……こんなボウヤが、そうだってのかい!?」
 「エリニース?」
  チットも不安げな顔でエリニースに寄り添うが、彼女はチットを下がらせ、
 「事情が変わった」
  すっくと立ち上がる。
 「ここでのルールは至ってシンプル。強ければ生き、弱ければ死ぬ。……すなわち、力こそが正義! 自分の望みを叶えたければ、自分の力でつかみ取りな!」
 「エリニースさん?」
 「おい、オバサン! さっき『返してやる』って言っただろーが!」
 「事情が変わったって言ってんだろ、チビ」
 「チビ言うな!」
  ポポイが怒鳴るが、すでに眼中にないらしい。身を翻すと、
 「こっちに来な」
 「エリニース? まさか……」
  エリニースは周囲の獣人達を見渡すと、
 「お前達は手出しするな。この結果次第で、この森の運命が決まる。いいね」
  さっき、彼女が出てきた扉を開く。
 「ね、ねえ……」
 「……行くしかないよね」
  周囲の獣人達の視線に、やむなく後に続く。不安げなチットと灰色の獣人も、エリニースの言いつけに従い、その場に止まった。
  扉の向こうは中庭になっていた。広々とした空間の奥には、水晶玉を抱いた女性像が乗った噴水があり、庭を囲むように木々が生えていた。
  その噴水の後ろ側。壁の中の空洞に、巨大な動物がいた。
 「これって……剥製?」
  虎のように見えたが、巨大な牙と、黄色に黒い縞模様の毛並みを持つ怪物だった。
  台座の上で四つ足で立っていたが、台座の高さを差し引いても、こちらよりはるかに大きい。
 「その昔、妖魔の魔女に勝負を挑んだ魔導師が作った猛獣、タイガーキメラさ」
  エリニースが片手をかざすと、何もない空間から、青い玉が二つ埋まった木の杖が現れる。
  彼女はそれを手にすると、
 「アンタが本物かどうか……試してやるよ。聖剣の勇者」
 「え?」
 「さあ、勝負だ! ――ホホイのホイ!」
  今の呪文か?
  しかし、もはやそれどころではない。
  エリニースが振るった杖から放たれた光が剥製を包む。
 「ア、アンちゃん……」
 「とりあえず……話し合いは、無理、かな……」
  剥製が、動き出す。
 「さあ、剣を抜きな。アンタが本物なら、わかるはずだ。コイツを動かすマナが!」
 「――逃げろ!」
  言われるまでもなく、一斉に散る。
  そして飛び上がったタイガーキメラが、噴水の前に降り立った。