自由の翼 後編 - 1/3

3.昼間の月

「リヴァイさん、ダメだよこれ」
 話をメモしていた青年が、困った顔で、
「こんなの出版社に持って行っても信じてもらえねーや。一人で巨人十五体倒したって……」
「本当はその倍だ」
「うそぉ……」
 改めて話してみると、自分でも冗談じみた内容だと思った。語った内容に脚色はしていないのだが、結局、信じるかどうかは相手次第だ。
「でもさ。実際にすごい数の巨人倒してたじゃん」
「めっちゃ遠くて、豆粒みたいにしか見えなかったけど」
 一緒に聞いていた子供達の非難の声に、彼は慌てて、
「いや、別に疑ってねーよ! ただ、これを信じてもらうにはどう伝えりゃいいんだろうって話で!」
 いわば取材というヤツだった。収容所暮らしでは叶わなかった、ジャーナリストになりたいのだという。
 体調も良くなり、部屋の外を歩き回れるようになると、顔見知りが増えた。
 ガビが言っていた通り、島のこと、調査兵団のことに興味があるらしく、子供だけでなく、大人やマーレ兵もよく話を聞きに来た。娯楽に飢えているらしい。
 ジャーナリスト志望の青年は、自分で書いたメモを読み返しながら、
「しっかし、こんなすごい人達を冷遇するなんて。無知ってのは怖いもんですよ」
「巨人と戦うくらいなら、無知なままでいたいもんだろ」
「まあ……たしかに俺も、同じ立場ならそうかも……いや、でもやっぱなぁ……」
「真実は白日に晒したいか?」
「だって、なんか悔しいじゃないですか」
 彼は口をとがらせ、
「俺達は、ずっとマーレに都合のいい話ばかり聞かされて生きてきましたから。だからこれからは、いいことも悪いことも、ちゃんと伝えていかないと。……俺達や仲間を守るために、そんなひどいケガをしてまで巨人と戦ってくれた人がいたこと、ちゃんと伝えないと。それがせめてもの恩返しです」
「…………」
 白日に晒さんでいい真実もある。
 なるべく聞かれたことには正確に答えていたが、これに関してだけは『自分のドジで出来た傷だ』とは言えなかった。寝込んでいたのも、ほとんどそっちのケガを悪化させたせいだということも。

 その日は右足が痛むので、部屋でおとなしくしていた。リハビリも兼ねてなるべく体を動かすようにしていたのだが、片足に負荷がかかりすぎたようだ。
 車椅子に座って、物資と共に届けられた数日前の新聞を広げるが、すでに大勢で回し読みされた後だったので、だいぶくたびれていた。
 部屋の角では、ピークから返却されたコートがいまだ吊るされたままだった。果たして誰に渡したものか。
 気配を感じ、開いた窓に目を向けると、窓枠に小さな花が一本生えていた。
「サボリか?」
「……おみまい、でーす」
 花の下から手が伸び、顔が出てきた。パラディ島のことに興味があるらしく、頻繁に絡んでくる少女だった。
 この時間は、教師をやっていたという大人達が子供を集めて勉強を教えていたと思うが、抜け出してきたらしい。
 こちらも暇だったので、特に追い返すこともしなかった。生まれを聞かれたので、窓越しに地下街のことをひととおり話すと、
「楽園なんてさいしょからなかったんだ……」
 これまでも、巨人に食われた仲間達のこと、島の中での反乱のことも話していたが、特に地下街の存在はひどくショックを受けたようだった。
 しかしそれも数秒のことで、すぐに顔を上げると、
「地上にはどうやって出たの?」
「兵士から盗んだ立体起動で地下街を飛び回って、目立ちすぎたのが運の尽きだな」
 我ながら『運の尽き』とはおかしな話だと思う。地下街で生まれた時点で運などなかったというのに。
「調査兵団に目をつけられて、このままお縄について処刑されるか、調査兵団に入って巨人と戦うか、交換条件を突き付けられた」
 今思い返してもとんでもない条件だった。罰ゲームにしたって悪質すぎるだろう。
「……そうか。罰だったな、そういえば」
「ばつ?」
 それには答えず、ぼんやりとエルヴィンに捕まった当時のことを思い出す。
 お互いに打算もあったが、問われた罪から逃れるためでもあった。調査兵団に入ったのは。いつ許されたと錯覚したのだろう。
 地上に出た後も、自分が見たのは次々巨人に食い殺される仲間達だった。
 果たして、どちらが地獄であり、何が罰だったのか。
「わたしたち、そのうちここから出て行かなきゃいけないって。ここにいる人たちはみんなやさしいけど、いつまでもここで暮らすわけにはいかないから……つぎ行くところは、どんなとこかな?」
「どこに行っても、たいして変わんねぇよ。地獄から別の地獄に移っただけだ」
 半ば投げやりな気分で答え――少し大人げなかったかと少女に目をやると、彼女は窓枠に手をかけ、顔半分だけ出して、
「……ミュラー長官がいってた。この世を地獄にかえたのは自分たちだって」
 子供なりに、色々と思うことがあるらしい。彼女は考えながら、
「自分たちで地獄をつくれるなら、ほんものの楽園も自分たちでつくれるよね? だから調査兵団でたたかったんでしょ?」
 一瞬、虚を突かれる。自分で楽園を作る。そんな風に考えたことはなかった。
 彼女は窓から手を放し、背を向けると、
「――あ、月!」
 突然、空を指さす。
 少し窓から身を乗り出して見上げると、昼間だというのに青空の中に白い月が見えた。
「しってる? お月さまにはうさぎがいるんだって!」
「……そりゃ初耳だな」
 適当に合わせる。
 彼女はこちらに振り返ると、目を輝かせ、
「いつか、月までうさぎに会いにいくの。で、うさぎといっしょに、わたしたちがつくった楽園を見るんだ!」

 ピークから返却されたコートは、その少女に譲った。
 頭からコートをかぶり、他の子供と一緒に走り回る少女の姿に、ピークは首を傾げ、
「なんであの子に?」
「サイズが合うかと思ってな」
 適当に返す。コートのサイズに追いつくのは、果たして何年先だろう。
 自分が要塞で子供の相手をしている間、アルミン達やミュラーが各地を飛び回ったが、地鳴らしの被害は深刻で、滅亡した国もあれば、国のトップがごっそり消えて秩序が崩壊した国もあったという。
 祖国から脱出したはいいものの、肝心の祖国が踏みならされて帰るに帰れず、そのまま留まった土地で現地民とトラブルになったという話もあれば、逆に、地鳴らしが止まったと知って故郷に帰ってきたら、別の土地からの避難民に勝手に住まわれていたという、笑うに笑えない事態に陥った街もあったらしい。
 そんな中でも、ミュラーの熱の入った説得に応じて、いくつかの国が『開拓』『復興』という名目で、レベリオやマーレの避難民を移民として受け入れてくれた。
 コートを譲った少女も移民としての受け入れ先が見つかり、旅立つ際『コートのお礼だ』と、自由の翼が刺繍されたハンカチを贈られた。母親に教わりながら自分で縫ったらしい。
 そうして過ごすうちに、三年が過ぎた。