4.石のつぶて
パラディ島を掌握したイェーガー派は、三つに分かれていた兵団を一つに統合した。『軍』というものを作るのだと言う。
そして『国旗』というものも作った。広げた翼の前で銃を交差させた、なんとも好戦的な旗を見て、まだ戦いに取り憑かれていると思った。
軍の代表は、私にこう要望した。
「あなたはこれまで通りでいいのです。あの孤児院で、将来、お国のために働く子供を育てる。牧場で牛や作物を育てる。節目の式典に顔をお出しいただく。これまで通り、何も変わりません」
それは私に『政治への口出しをするな』ということだった。軍が望む『女王さま』とは、いるだけのマスコット。
民からは『女王不要論』も挙がった。しかし軍はそれを許さなかった。まだスケープゴートとしての使い道があったからだろう。
……こうして比較対象が現れると、かつての兵団がいかに私を守ってくれていたのかがひしひしとわかる。
今の軍は、自分達が『いい人』になるため、私を守っている。まるで、いざとなれば親に責任を取ってもらえばいいと考えている子供だ。そこに、女王への敬意はない。
かつての兵団は、私を守るために自分達が『悪者』になってくれた。国の方針を女王である私にゆだね、その意志を尊重してくれた。
だけど、その人達を裏切り、排除したのは私。
その代償として、私の情報はだだ漏れとなり、噂となって飛び交った。巨人継承が嫌でエレンをそそのかしただの、男を作って遊びほうけていただの――私が、一度は『する』と言ったはずの巨人継承をしなかったのが事実である以上、反論のしようがない。
でも今は、耐えるしかない。私には力がない。兵団という後ろ盾を失い、人心も離れた。
しかし私は、行動しなくてはならなかった。みっともなくても、女王さまの椅子にしがみつかねばならない。
そこで私は、島の中を見て回ることにした。壁の崩壊による被害者に会いに。
政治への口出しは許さずとも、慈善活動には文句を言うまいと踏んでのことだったが――それ以上に、私は見に行かなくてはいけないと思った。自分がしでかしてしまったことを、この目で。
正直怖かった。夫が一緒に行くと言ってくれたが、それは許されない。出かける時は、必ず私か夫のどちらかが、娘と共に残るよう、軍から言われていたからだ。
軍は、女王と跡継ぎの姫が、同時に危険な目に遭うリスク回避のためと言ったが――本当は、私を逃がさないための人質だ。
逃げるところなんてないのに。
夫の代わりに、手を挙げたのはコニーのお母さんだった。
「女王さま、私を連れてってくださいよ。私も、夫と、子供を二人失いました。同じような境遇の人達と、話がしたいんです」
彼女は人間に戻った後、私の牧場で名を変えて働いていた。
来てすぐは、彼女自身、なにがなんだかわからない状態だった。
当然だ。
気がつくと四年以上の歳月が過ぎていて、村はなくなり、夫と、二人の子供をいっぺんに失い、長男は島の裏切り者で、しかも行方不明だ。
実感がわかず、言われた通りの仕事をこなしながら、うつろな目でぼんやりと過ごしていた。
そんな彼女が、初めて自発的なことを言い出したのだ。同じく、名前を変えて牧場で働いていたジャンのお母さんも心配して同行を申し出たが、彼女はそれをやんわりと断り、
「あなたはどこに知り合いがいるかわからないでしょう? どうせ私を知ってる人なんて、もうどこにもいませんから。人に見られても困りゃしませんよ」
自虐的に笑う彼女の姿に、連れて行く覚悟を決めた。
そして私は愕然とした。
家も財産も失った人たちのために、仮設の住居を建てたと聞いたが、なんとも粗末なものだった。軍が資金を回してくれなかったらしい。
そして仕事も、辛い、土地の開拓だった。表向きは志願者のみということになっていたが、家も仕事も失った弱みにつけ込んでの強制だった。ほとんどの人は、元の仕事や暮らしに戻るための支援を望んでいたが、逆らうと反逆とみなされるので、声を上げることさえ許されなかった。
子供達もみすぼらしい格好で、やせ細り、『巨人が来る』と夜中に泣き出すことも少なくないという。
当然ながら、みんな怒っていた。
軍に不満をぶつけることも、エレンへの怒りの声も出せない彼らは、その恨み辛みをすべて私にぶつけてきた。
それもそうだろう。何もしなかった無能な女王。それが民からの、私への評価だった。
一方的に罵られることもあれば、石を投げられることもあった。
夫と三人の子供を全員失った女性に刺されそうにもなった。
寸前のところで兵士に取り押さえられながらも、私に罵声を浴びせるその女性をひっぱたいたのは、コニーのお母さんだった。
「あんたねぇ! そんなことするんじゃないよ! 子供に教えなかったのかい? 『人を傷つけちゃいけません』って!」
彼女は怒鳴りつけると、唖然としている女性を抱きしめた。
「辛いねぇ。会いたいよねぇ。私も会いたいよ。だけど、生きてかなきゃいけないんだよ。だったらせめて、自分にお迎えが来た時、母ちゃん、あんたらの分も立派に生きたよって、胸張って会えるよう生きなきゃねぇ」
二人とも泣いていた。ああやっぱり、この人はコニーのお母さんだ。
私も泣いてしまった。泣きながら、彼女の行いを許し、自分の無力を謝ることしか出来なかった。
みんな傷つき、泣いていた。
ケガによる後遺症に苦しんでいる人もいた。
今も家族を捜し続けている人もいた。
心を病み、自殺してしまった人もいたという。
なのにその一方で、喜んでいる人もいた。死んだ甲斐があったと。家族の尊い犠牲と引き換えに、この島が救われたのだと。まるで信仰のように『イェーガー万歳!』と、酒瓶片手に両手を挙げた。
私はそんな人を否定しなかった。そう思い込むことで、家族の死を意味あるものだったと思い込みたいのだ。生き残ってしまった自分の辛さから逃れるために。
みんな、なにかに怯えていた。島の外が滅びれば、敵がいなくなって自分達は安泰だ、なんて喜んでいたくせに。まるで小動物のように、何かに怯えて暮らしてる。
それもこれも、エレンが死んだことを知らないからだ。
なにしろエレンは、出て行ったきり帰ってこなかった。
人々の間では、エレンは破れ、世界は今、島への報復のための準備をしているといった噂が流れていた。
その一方で、世界は滅びてもう敵はいない。エレンが帰ってこないのは役目を終えてどこかで静かに暮らしているからだ、という噂もあった。
果たしてどちらが正解なのか、どちらも違うのか。知っているのは私だけ。
なんにせよ、軍がこの島を統治するのに必要としたのは『敵』だった。
敵が攻めてきた時のために、兵を増やし、増税してまで武器開発に資金を回した。おかげで人々の生活は苦しくなる一方だった。
しかし恐怖で支配された民は、軍が掲げた政策をすべて受け入れた。
果たして、彼らが恐れているのは『世界からの報復』だけなのだろうか?
本当はエレンが生きていて、しかもあの『強大な力』が健在であることではないのか? だから今でも、必死にエレンを崇拝するのだろうか? 『踏みつぶさないでください』と。
わからない。
だけど私には何も出来ない。女王さまのくせに、力がないから。
ある日、ジャンの母親から、畑の一部を使わせて欲しいと頼まれた。家族や親族と一緒に、花を育てたいのだという。
「私、考えたんですけどね。この島が花でいっぱいになれば、すてきなんじゃないかって。きれいな花畑を見て、ケンカする人いやしませんよ」
私はその要望を受け入れた。ちょうど休眠中の畑があったので、一部と言わず丸ごと使ってもらうことにした。
みんなで畑を耕しながら、息子のことをどう思っているのか聞いてみると、彼女はクワを振る手を止めぬまま、
「あの子は昔っから口ばっかな子でしてね。私の誕生日の時とか『プレゼントなんてやんねーから!』なんて言っといて、こっそりお花飾ってるんですよ。本人は『オレじゃない!』って言い張るんですけどね。兵士になる時も『中央で楽して暮らすため』なんて言って出て行ったけど、ホントは私達に、お金で苦労させないためなんです。ホント、口ばっかりなんですから」
息子のせいで自宅を追われ、不慣れな畑仕事をするはめになっているというのに、彼女の口から出てきたのは愛しい息子ののろけ話だった。
「そんな子が、よりにもよって調査兵団になっちゃって。私としては生きた心地しなかったですけどね。それでもあの子が決めたことなら、きっとそれは、私達のためになることに違いないんです。今だってそう。たとえ今は好き放題言われたって、そんなの長い人生においての風の一吹きですよ。私にはわかってますよ。ええ。あの子、根はすごく真面目なんです。真面目に、私達の幸せのために行動してくれてるんですよ。そのためには、私らも、あの子のためになることはなんだってやらなきゃ。……で、考えた結果が『お花畑作る』とか、能天気なもんですよねぇ」
でもどうせなら、食べられる花がいいですよねぇと笑う彼女につられて、私も笑った。
そうだ。花畑を作るなら、ついでに養蜂にも挑戦しよう。蜂蜜が採れれば、きっと子供達が喜ぶ。
おいしいものを食べて、怒る人もいない。