歌が、聞こえた。
とても美しい声で――それなのに、とても哀しく、背筋が寒くなるような――深くまで聞き入ると、もう戻れなくなるような、そんな歌声が。
耳をふさいでも、その歌声は頭の中を響き渡り、自分を闇の底へと引きずり込もうと、頭の中をぐるぐる駆けめぐる。
「―――っ!」
目を見開くと、薄汚れた天井が目に入った。
びっしょりと、全身から嫌な汗が噴き出し、肩で荒い息を繰り返す。
少し落ち着いたあたりで、首のあたりに、暖かく、柔らかい感触があることに気づいた。
「……お前か」
手を伸ばすと、テケリと一緒に寝ていたはずのラビが、こちらの顔をのぞき込んでいた。うなされていることに気づいて、わざわざ起こしに来たらしい。
ベッドから下りカーテンを開けると、すでに夜は明けているらしく、宿の前の通りには、すでに人の波が出来ていた。
* * *
「この辺だって言ってたんだけどな……」
通りを見回し、目的の道具屋を探すが、似たような建物が多いせいか、見つからないまま時間だけが過ぎて行く。
「うー。なんて書いてあるか、サッパリであります」
テケリが店舗の看板に視線をやるが、文字が読めずに首を傾げる。
「……字が読めないってのも、不便なもんだな」
古代語と言っても、自分達が使っていた文字のルーツのはずなのだが……雰囲気などで読み取れるものもあるが、大半がさっぱりだった。
「そーだ! レニさん、テケリに古代語教えて! であります!」
「なに?」
テケリの思いつきに、レニが目を丸くするが――言った本人は無邪気な笑顔で、
「だって名前くらい書けないと、色々不便であります!」
「……あー、確かにそれはあるな。お前、今のところ、古代語以外でなーんの役にも立たねーし」
「…………」
キュカの言葉に――何を思ったか、レニはたまたまこちらの近くを横切った強面(こわもて)の男を突然背後から殴り、すかさずキュカの後ろに隠れる。
「……おうコラ、にーちゃん」
「――へっ?」
レニの意図を確認するより先に、殴られた男がキュカのほうに振り返る。
ヤクザっぽい男は、キュカをにらみつけ、
「突然、他人様を背後から殴るたぁ、どういうつもりだ?」
「え!? いや、ちょっ――」
慌てて、後ろに隠れたはずのレニを捜して振り返るが――そこにいたのはラビだけだった。
そして殴った張本人は、まるでイリュージョンのごとき早業で、こちらから離れた植え込みの前にしゃがみ込んでいた。
彼は植え込みの土に木の枝で字を書きながら、
「簡単なのから教えてやろう。『ラビ』とはこう書く」
完全に他人のフリを決め込んで、テケリに古代語を教えていた……
「待て待て! 俺じゃねぇ! 濡れ衣だ! えん罪だ!」
「ふざけんなこのモミアゲ!」
男はこちらの胸ぐらをつかみ、鬼のような形相を近づける。
キュカは思う。なんでこう――人という生き物は、気にくわないことがあると暴力で訴えるのだろうか、と。
「レニさんレニさん。テケリの名前って、これでいいでありますか?」
「ああ。よく書けている」
言いつつ、笑いをこらえているのか、肩を震わせる。
一体、なんと書かれているのかは不明だが――そんなことはどうでもいい。
「……おいコラ」
「なんだ。早かったな」
手を止め、レニがしゃがんだまま振り返る。
結局拳で語り合い、わかってくれたのか、男は『今日はこのくらいにしといてやる』という和解の言葉を残して去って行った……
レニは、ボロボロになったこちらの姿に満面の笑みを浮かべ、
「どうした? まるで拳で語り合いをした後の野蛮人みたいだぞ?」
「ふざけんなてめぇ! あんな邪悪なことを平気でやるヤツ、初めてだぞ!?」
自分がやったことをさも人がやったように見せかけ、被害者を二人出すという凶悪犯罪。間違いなくプロの仕業だ。
しかしレニは、悪びれた様子などカケラもなく、
「では詫びに、キサマの名前の書き方を教えてやる」
「遠慮する」
瞬時に断る。
一瞬の沈黙ののち、レニはこれまでにないくらい穏やかな微笑みを浮かべ、
「遠慮するな。嘘など教えん」
「その邪悪なツラが信用できねぇ」
「…………」
こちらの言葉に、ちっ、と、小さく舌打ちするのを、キュカは見逃さなかった。
「――キュカさんキュカさん。テケリ、名前教えてもらったであります! これで古代もバッチリであります!」
テケリはテケリで、こちらの災難など眼中になかったのか、テケリの名にしては明らかに字数の多すぎる文字を書いている。
よく見ると、他にもなんだかよくわからない文字を色々書いているが――どう見ても、字に見えないものまで混じっている。
そこに、杖をついた老人がヨポヨポと通りかかり、植え込みのわずかなスペースに古代語(?)を書いては消してを繰り返す二人をしばし眺め――
「……あ~、そこの~お若いの。子供にぃ~ウソ、教えちゃ~イカン。イカンぞぉ~」
そう言って、ヨポヨポ去って行く……
「…………」
「…………」
「…………」
しばらく、その老人の背を見送り――
「――ヒドイであります! レニさん、テケリにウソ教えたでありますか!?」
立ち上がり、抗議の声を上げるテケリに、レニはとうとう耐えきれずに吹き出す。
「……信じるほうも信じるほうだよな……」
聞こえないよう、ぽつりとつぶやく。
レニはしゃがみ込んだまま腹を抱え、
「お前……本当に、面白いな……」
笑いながら、苦しそうにうめく。
「ヒドイであります! 悪魔であります! ギャーギャーギャー!」
腕をぶんぶん振り回し、ポカポカとレニの背を殴る。
傍目には、性格の悪い兄が年の離れた弟をからかって遊んでいるようにしか見えない。
「なんだかなぁ……」
だんだん、怒るだけ無駄な気がしてきた。
「――よし。では今度はちゃんと教えてやる。お前の名前はこう書く」
「こうでありますか?」
レニは字を消し、今度は、明らかに字ではない字を書く。そしてテケリも、馬鹿正直に書いてゆく……
「完璧だ。もう私が教えることはない」
「うきょ!? ホントでありますか!? テケリ、こんな短時間で古代語マスターしたでありますか!?」
「ああ。これからは自分で精進するがいい」
「はいであります! ししょー!」
その言葉に――今度は、キュカまでもが吹き出した。
「――あら、あんた達。いらっしゃーい」
ようやく見つけた道具屋に入ると、ジャンカが笑顔で出迎えた。
ざっと店内を見回すと、店舗はさほど広くないものの、商品を吊すなど、陳列の仕方を工夫して大量の商品が並べられている。
「テケリ、どうしたの? なんだか不機嫌よ」
ジャンカは頬をふくらませたテケリに気づき、カウンターから身を乗り出す。
テケリはふくれっ面のまま、
「……二人とも、テケリを笑うであります。二度と口きかないであります」
むすっ、と答える。
ジャンカは事情を察したのか、
「やれやれ、悪いお兄さん達ね。――これ、サービスであげるから、機嫌直しなさいな」
ジャンカがぱっくんチョコを差し出した途端、テケリはコロッ、と表情を一変させ、
「いいでありますか? 感謝するであります!」
怒りなどあっさり忘れ、上機嫌でチョコを受け取る。
ジャンカの笑顔に、キュカはかすかな希望を胸に、すり傷だらけの自分を指さし、
「……あのさー。俺、ケガしてるんだけど……」
「ツバつけときゃ治るわ」
「…………」
笑顔で即答され、言葉をなくす。
「うきょきょ! キュカさん、カンペキにフラれたであります! ざまーみろであります! ――ギャーッ!」
とりあえず、テケリのこめかみを左右から拳でえぐる。
ジャンカは二人は無視して、レニに目をやり、
「なんか買い物? それとも、まだ聞きたいこととかあるの?」
「後者だ」
その言葉に、ジャンカは少し考え、
「いいけど、ちょっと頼まれてくれないかしら?」
「なんだ? デートなら喜んで引き受けるぜ?」
ジャンカはキュカを無視し、
「ウチで雇ってるニキータが、市場まで商品売りに行ったんだけど、忘れ物があってね。届けに行きたいところなんだけど、今日、店番出来るのがあたししかいなくて。代わりに届けてくれない?」
「ニキータ?」
ニキータといえば、代々商人をしている猫の獣人一族だ。
ジャンカは表情を曇らせ、
「あの子ったら、ニキータ族のくせに気弱でね。ウチで商売の勉強がてら働いてるんだけど、押しの強いお客さんが来たりすると、断れなくて。しょっちゅう、パパに叱られてるのよ」
「ニキータってぇと、商売上手でがめついと思ってたけど……やっぱ、そんなのもいるんだな」
「そうなのよ。本人も、なんとかしようとがんばってるみたいなんだけど……なかなか、ね。あたしも心配なのよ」
困った顔で肩をすくめる。
「えーと、つまり、教えるかわりに、そのニキータさんに忘れ物を届ければいいでありますね?」
「そういうこと。で、どう? 昨日、タダで色々教えてあげた上、届け物渡すだけで追加情報まであげるっていうのよ? 安いもんでしょ?」
「あ~……俺、どうせなら『一日デート券』とかのほうがいいなー」
ジャンカはキュカの言葉は無視して、ごそごそと番台の下からなにかを引っ張り出す。
「じゃ、お願いね。市場に行けば、すぐ見つかるだろうから」
言いながら――どんっ! と、使用目的不明の、実寸大・ダークプリースト像を置いた。
「――キュカさん、遅いであります! 早くするであります!」
テケリの声が聞こえるが、正直、これが精一杯だった。
なんとかジャンカが言っていた市場まで辿り着いたが、人々の奇異の視線が痛い。
「おい……お前ら……」
なんとか二人に追いつくが、こちらが口を開くより先に、
「フン。なかなかお似合いだぞ。無様で」
「なんだとテメー! 第一、なんで俺ばっかがこんな重いもん持たされなきゃなんねーんだ! お前も持て!」
怒鳴りながら、布に包んで担いでいた像を、道の端にどんっ! と下ろすが、レニは鼻で笑うと、
「あいにく、私は杖より重いものを持った経験がない。重い荷物は、召使いが運んでくれたからな」
「…………」
――くたばれ上流階級。
腹の内で呪いの言葉を投げつつも、確かに、コイツにこんな重いの持てるわけないな……と、納得する。そういえば、ジャンカは軽々と持ち上げていたような気がしたが。
キュカは背伸びをすると、像を見下ろし、
「第一、こんなの誰が買うんだ? そのニキータ、『忘れた』んじゃなくて、『置いてった』の間違いじゃねーのか?」
誰にともなくうめくが、レニは包みを解き、あらためて石像を眺め、
「……ふむ、よく出来ている。こんな状況でなければ、ひとつくらい欲しいかもな」
「……お前、こういうの欲しいのか?」
リアクションに困り、思わず後ずさる。
「うきょきょ! キュカさんにはわからないでありますね? このたたずまい! そしてにじみ出る神々しさ! まさに、ダープリの中のダープリであります!」
「この間抜けヅラのどこが神々しい!?」
怒鳴りながら、どこからどう見てもただのダークプリーストにしか見えない像を指さす。
「――五万四百八十ルクとは高いのか?」
「は?」
突然そんなことを聞かれ、振り返ると、レニが石像の背に張られた紙を指さし、
「これは値段だろう? 五万四百八十ルクだそうだ」
「ごまんよんひゃくはちじゅう……!?」
凍り付くキュカに、テケリはきょとんとした顔で首を傾げ、
「ぱっくんチョコ何枚買えるでありますか?」
「えーと、一枚四十ルクだから……千二百六十二枚! 一個五ルクのまんまるドロップなら一万九十六個! ――てゆーかぱっくんチョコと比べるな!」
「ギャー!」
殴られ、テケリが悲鳴を上げる。
キュカは殴った手をさすりながら、忌々しげに石像を見下ろし、
「……クソッ、値段聞いた途端に神々しく見えてきた……」
「お前とどっちが高いかな?」
「聞くな! 虚しくなる!」
傭兵をやっていた頃の給料を思い出し、ちょっと切なくなる。
レニは石像を包み直すと、
「まあ、そんなに高価なものなら、私が持ってやろう」
「わー! やめろ! 持つな! さわるな! 引きずるな! 壊すな!」
どう考えても持てるわけがないのに、無理矢理運ぼうとするレニから石像をひったくると、さっきより丁寧に担ぐ。
「うきょきょ! ダープリ係はキュカさんに決定でありますな!」
「……『神々しい』とか言っといて、『ダープリ』って略すんじゃねーよ……」
それ以前に、こんなものが市場で売れるのだろうか……
「ところで、『ニキータ』といえば猫の獣人だったな?」
「あん? なんだ突然」
聞き返すと、レニは一点を指さし、
「あれじゃないのか? 猫が二足歩行している」
言われて振り返ると――三人の少年が自分達のすぐ側を走って横切り、そのすぐ後を、全身黒い体毛で覆われた猫の獣人が、慌てた様子で追いかけて行く。
「――うきょっ! 追いかけるであります!」
「って、ちょっ……!」
真っ先にテケリが走り出し、レニも走り出す。
「おい!? これ、めちゃくちゃ重いんだぞ!?」
怒鳴るが――それで足を止める者がいるはずもなく、キュカはふらつきながらも、なんとかその後を追った。
* * *
「――なあ。縛ったはいいけどさ。どーすんだよコレ」
少年の一人が、縄でぐるぐる巻きにされた黒猫の獣人――ニキータを踏みつける。
その言葉に、山積みになった粗大ゴミに腰を下ろし、奪った風呂敷包みの中を物色していた二人の少年の視線が、自然とこちらへと向けられた。
「あうぅ~……お願いだから、あんまりひどいことはしにゃいで欲しいにゃ~」
涙を流しながら、必死で命乞いをする。
商品を奪われた上、取り返そうと追いかけたら逆に捕まり、命乞い。
自分でも情けないのはわかっている。しかし、恐怖には勝てなかった。
「そうだな~。どうしよっか?」
三人共、まだ十代半ばの少年らしく、まるでこれからどこに遊びに行くかを相談をするようなノリで、こちらの対処法を考えている。
「……川に流すか?」
「いや、さすがにそれはマズいだろ」
「そういやコイツ、『ジェマの騎士』んトコのニキータだよな? あそこのねーちゃん、美人だよなー」
その聞き捨てならない言葉に、耳がぴんっ、と立ち上がる。
「い、言っておくにゃが、ジャンカさんにごめーわくかけるようなことはしにゃいで欲しいにゃ! ジャンカさんににゃんかしたら――」
「なんだ? どうしてくれるんだよ?」
逆に聞かれて、言葉に詰まる。
一瞬、恐怖で硬直するが、それでも勇気を振り絞り、
「ジャ……ジャンカさんに、にゃんかしたら、おみゃーら全員……ぶ……ぶっ……」
「ぶ?」
ごくりと、唾を呑み込み、
「ぶっ……ぶっコロがすにゃーーーーーーーーーーー!!」
一瞬、あたりが静まりかえり――
次の瞬間、爆笑の渦と化す。
言ってしまったほうは言ってしまったほうで、がっくりとうなだれて、しくしく涙を流している。なぜここでセリフを噛んでしまったのか。悔やんでも悔やみきれない……
少年は何か思いついたらしく、
「なあおまえ。荷物、返してほしいか?」
「と、当然にゃ! 商品が全部奪われたとにゃれば、オイラ、今度こそクビにゃ!」
それは本当だった。
ただでさえ、失敗ばかりで散々迷惑をかけているのだ。その上、売るはずの商品すべてが奪われたとあっては、クビになっても文句は言えない。
一番年長らしい少年は、いやらしい笑みを浮かべてニキータの顔をのぞき込むと、
「じゃあさ、ものは相談なんだが……あの店のねーちゃん。ジャンカって言うのか? あのねーちゃんをここに連れてきてくれよ。そしたら返してやってもいいぜ」
さっ、と、全身から血の気が引く。
「ダッ、ダメにゃ! それだけは絶対にダメにゃ!」
「じゃ、使用済みの下着でもいいぜ」
「それもダメにゃ!」
ぶんぶん首を横に振る。
「あっそ。じゃ、お前、もうクビだな。ク・ビ」
その言葉に――ニキータの脳裏に、これまでのジャンカとの日々がよぎった。
親方に頼み込んで雇ってもらった時、間に入ってくれたのはジャンカだった。
うっかり商品を壊した時、かばってくれたのもジャンカだった。
その後、掃除洗濯食事他雑用を蹴られながら命じられたり、ついでに彼女がやった失敗の罪をかぶせられたりもしたが、それでも彼女のためだと思うとなんの苦もなかった。
それが――その幸せの日々が、こんなことで終わってしまうなど――
「どうだ? 下着くらいなら持ってこれるだろ?」
その問いかけに、一瞬、うなずきかけたが、
「ダッ、ダメにゃ! ぜっっっっったい、ダメにゃーーーーーーーー!」
ありったけの声で叫ぶ。
そうだ。クビになってしまえばいい。
たしかに、やろうと思えば下着をちょろまかすくらい出来るだろう。そうすれば、荷物が戻ってきて、なんとかクビは免れる。
しかし――出来ない。散々世話になった彼女に、これ以上の迷惑をかけるなど。そんなことをするくらいなら、クビなったほうがマシだ。
少年は、冷たい目でこちらを見下ろすと、
「……あっそ。じゃ、もういいや。――おい、こいつマジで川に流そうぜ」
少年は振り返り、仲間に向かってそんなことを言い出す。
いいのだ。これでいい――
――さようにゃら、ジャンカさん……オイラ、ドジでダメにゃヤツでしたが、ジャンカさんとジャンカさんのぱんつを守ったにゃ……漢を見せたにゃ……
はらはら涙を流しながら、とりあえず辞世の句を考える。
少年達が、ニキータを担ぎ上げようとしたところで、
「――うきょ! ニキータさん、発見であります!」
突然、子供の声が響いた。
* * *
「騒がしいと思ったら……」
声がするほうへ駆けつけると、縄で縛られたニキータが、三人の少年に囲まれ、涙を流していた。
「一人相手に三人がかりか。まったく、呆れたな」
「……………」
――大量のMOBこき使ってたお前が言うなよ……
重い石像を担いで走ったキュカには、もう、つっこむ気力もなかった……
一度見失ってしまい、あちこち捜してようやく見つけたのだ。疲れるなというほうが無理だった。
テケリは、奥の壊れたタンスやテーブル、木材に目をやり、
「ここ、ゴミ捨て場でありますか?」
どうやって積んだのかは知らないが、粗大ゴミがゆうに身長の倍の高さまで積まれている。崩れたらひとたまりもないだろう。
キュカは石像を下ろすと、凝った肩をほぐしながら、
「……あー、ちくしょう。今日はゆっくり出来ると思ってたのに、なんだこの疲れは。ダークプリーストの呪いか?」
「年のせいじゃないのか?」
「ちょっとしか年違わねーだろ!」
レニの言葉に、疲労を忘れてつっこむ。
少年達はしびれを切らしたのか、
「なんだお前らは!? 漫才しに来たんなら帰れ!」
もっともなツッコミに、レニは石像を指さすと、
「いや、忘れ物を届けに来モガッ」
キュカは後ろからレニの口を手でふさぎ、セリフを強制終了させると、
「お前らこそ、一人相手に何やってんだ?」
「そうであります! ネコさんいじめとはけしからんであります!」
口々に非難の声を浴びせるが、唯一、レニは不満そうな顔で、
「……我々の目的は、ニキータに石像を届けることのはずだが」
「いやあのな。それ以前に、人として色々問題あると思わないか? この場合」
――本気で見捨てる気だったなコイツ……
いや、それ以前に『助けよう』という発想自体ないのかもしれない……
深いため息をつくと、キュカはニキータに目をやり、
「おい、お前、ジャンカのトコのニキータだな?」
キュカの言葉に、ニキータは驚いた顔をすると、
「は、はあ……そうですにゃが……じゃなくて! 関係にゃい人は早く逃げるにゃ!」
なけなしの勇気を振り絞るように叫ぶが、少年はその頭を踏みつけ、小馬鹿にするように、
「ハンッ! コイツを助けられるもんなら、助けてみろ!」
と、ナイフ片手に、ニキータの頭を踏みつける。
「ネコ質なんてひきょうであります!」
「まったく……いるんだよな。刃物出した途端に強気になるヤツ」
怒るテケリに対し、キュカは呆れた顔でつぶやく。
まあ、数々の戦場を駆けめぐったキュカにしてみれば、たいしたことはない。やろうと思えば、簡単にはり倒せるだろうが――問題は、それでうっかりケガをさせる可能性があるということだった。
「――確かに、美しくないな」
悩んでいると、突然、レニが前に出る。
少年は、キュカやテケリはともかく、レニのあざけるような言い方が気にくわなかったらしく、レニにナイフを向け、
「なんだテメー! ……って……」
つかつかつか、と、レニはニキータを踏みつけている少年の前まで来ると、
「なんだ? 今の品性のない踏み方は。正しくは、こうだ!」
「ぎにゃっ!?」
ぐりっ! と、今度はレニが、ニキータの頭を踏みつける!
レニはかかとでニキータをえぐりながら、
「まず足運びが悪い! キサマの足の上げ方は品性を感じない。あくまで余裕を持って、優雅に! 下ろす時はかかとでえぐるように! しかも踏む場所を考えていないな? こめかみを狙え。ここをえぐることで敵は戦意を喪失し、なおかつ多大な苦痛を与えることが出来る」
「ぎゃー! イタイイタイイタイイタイ! やめてにゃ痛いにゃ死ぬにゃ苦しいにゃ! なんでも言うこと聞くからカンベンしてにゃー!」
その言葉に、少年の一人が、なぜか申し訳なさそうに、
「えっと……じゃあ、あのねーちゃんの下着持ってくるとかは……」
「わかりましたにゃ言うこと聞くにゃだからもうカンベンしてくれにゃー!」
「フン、どうだ。たったこれだけのことで、生意気をぬかした猫がこんなに素直になったぞ」
「コラコラコラコラコラーーーーー!」
思わず見入ってしまったが、我に返ると、慌ててレニを引きずり戻す。
「何、悪事のレクチャーしてやがる!?」
「踏み方がなってないから手本を見せてやっただけだ」
「それが悪事だーーーーーーーーーー!!」
全力でツッコミを入れる。
「レニさん、なんでそんなに踏み方に詳しいでありますか?」
テケリの問いに、レニは遠い目をし、
「昔、ロジェで色々試したからな……」
「ロジェ……苦労、したんだな……」
――まさか、ロジェがミラージュパレス出た理由ってコイツなんじゃ……
心の底から、ロジェに同情の念を送りつつ、
「えーと、とにかくそのニキータを解放しろ」
「う、うるせぇ! コイツがどうなってもいいのか!?」
「ひぃっ!?」
少年は、今度はニキータの首筋にナイフを突きつける。
「おいおい、無茶すんじゃねーよ」
「黙れ! そんなことより、どうする? どうやってコイツを助ける?」
はっきり言って、もうヤケクソだ。このままだと、勢い任せに本当にやってしまうかもしれない。
さすがに、ケガをさせる覚悟で突っ込もうとするが――それより先に、
「よし。やれ」
…………。
しん……と、静まりかえる。
しばらくして、声の主のほうに全員が目をやると、声の主――レニは真顔で、
「どうした? やるんじゃないのか?」
「えーと……いいん……ですか?」
少年は、なぜか敬語で聞き返す。
レニは逆に、
「いいもなにも、やるんだろう?」
しごく当然と言わんばかりである。
そこまで言われると、もはやツッコミすら思いつかず、固唾を呑んで見守る。
少年達も目を点にして、
「え……えーと……殺すぞ! いいのか!?」
「ああ」
平然とうなずかれ、完全に言葉をなくす。
しばらくして、カツーン……と、少年はナイフを地面に落とし、
「まっ……参りました……!」
全員、その場で土下座して謝った。
「……大丈夫か?」
縄を解いてやると、ようやく解放されたニキータは、散々えぐられた頭をさすりながら、
「いやはや……ホント、ご迷惑おかけして申し訳ありませんにゃ」
「いや……こっちも悪いって言うか……」
振り返ると、後ろのほうでは、土下座する少年達を前に、レニが、
「『親分』だと? なんだその呼び方は!? 言葉も身振りも品性がない! そんなことでは我が下僕にもならぬ!」
「そ、それじゃあ『ご主人様』で!」
「フン。キサマら程度の者を従えたところで、私の価値が下がるだけだ。身の程を知れ! 身の程を!」
「ひいぃ!? スイマセンスイマセン申し訳ありませんご主人様てゆーかイタイイタイマジめちゃイタイこれ!」
ぐりぐりぐりと、リーダー格の少年を、例の『えぐり踏み』でいたぶっている……
「なんかあの人、踏まれてるのにうれしそうであります」
「ああ……そうだな……」
元々そっち系の素質があったのか、はたまた、レニの妙な『悪のカリスマ』によほど魅せられてしまったのか、少年は涙を流しつつも、どこか嬉しそうに見えた……
「――それはそうと、ジャンカに頼まれて届けるように言われたんだが」
後ろは無視して、例の石像をニキータに押しつける。
取り戻した荷物を確認していたニキータは、頬を引きつらせ、
「そ、それは……! 不幸のダープリ像!」
「不幸の……」
まんまな名前に、キュカも頬を引きつらせる。
ニキータは石像を前に、眉間にシワを寄せ、
「……この石像は、どこかに存在すると言われるダークプリーストの村から盗んできたものと言われてますにゃ……これまで、持ち主がことごとく不幸な目に遭ってるそうですにゃ!」
「どんな不幸でありますか?」
テケリの問いに、ニキータはツバを呑み込むと、おどろおどろしい声で、
「……ある者は仕事がクビになり、ある者は実家が不幸に遭い、ある者は女性にフラれまくり、ある者は借金地獄に陥り……」
「キュカさんみたいでありますな」
「どういう意味だ!?」
ニキータは二人は無視して、
「オイラとしてはもっと安くして無理矢理にでも売り飛ばしたいところですにゃが、ジャンカさんが『なにがなんでもこの値段で売り飛ばせ』と言って聞かないですにゃ」
「そうか……」
ある意味、このニキータがまさに今、呪われているような気がする……
「まあ、大変だろうけどがんばってくれ。荷物は確かに届けた。それじゃこの辺で」
「待ってくださいにゃー! なんとかしてくださいにゃ!」
「知るか! 自分でなんとかしろ!」
しがみついてきたニキータをなんとか引きはがし、レニに目をやる。
あっちはあっちで、何やら話がついたらしく、
「――よし。では、今与えたミッションをこなせたら、我が下僕として迎えてやろう」
その言葉に――さっきまで土下座していた三人がゆらりとその場に立ち上がり、こちらに座った目を向ける。
「……おい?」
不吉な空気に、思わず一歩後ずさる。
レニはキュカを指さし、
「行け。あの生意気なモミアゲを始末しろ」
『はっ!』
さっきとは明らかに違う様子で、それぞれナイフやら棒やら鉄パイプやらを一斉に構える。
キュカはさらにもう一歩後ずさり、
「改心どころか、悪の手下にクラスチェンジしてどうする!?」
――やっぱアイツ悪人だ!
テケリをからかって笑っているのを見て、ちょっとでも『普通の人間だ』と思った自分が馬鹿だった……
レニは、さらに懐からぱっくんチョコを取り出し、
「テケリ。これをやるからこっちにこい」
「は~い♪ であります~!」
「コラコラコラコラ! だまされるな! あれはお前から盗んだぱっくんチョコだ!」
「――うきょ!? ホントであります! ジャンカさんからもらったぱっくんチョコがないであります!」
「ふっ。もう遅い」
気づいた頃には、レニは勝ち誇った顔でテケリの肩をわしづかみにしていた。ラビまで一緒だ。
「なんでこう……悪事に関して頭がよく回るんだお前は!?」
「失敬な。まるで私が悪の化身のような言い草だな」
「その通りだろーが!」
もうツッコミ所が多すぎて、一人ではツッコミきれない……
――ロジェ! 頼む! 頼むから早く帰ってきてくれ!
なぜか、子供を置いて女房に逃げられたダンナの気持ちがわかったような気がした……
しかし、祈ったところで帰ってきてくれるわけもない。
「では、そろそろやるとするか」
その言葉に、すっかり洗脳(?)されて悪の手下と化した少年達がキュカを囲む。
「お前、さっき一人相手に三人がかりはどうこうって……」
「なんのことだ?」
しれっ、と返す。
一方で、不良達は殺気だった目で、
「キサマ! 我が主になれなれしいぞ!」
「そうだ! モミアゲの分際でちょこざいな!」
「関係ねーだろ!」
「うきょ! スゴイであります! キャラまで変わってるであります!」
「ふっ。私の手にかかれば、ざっとこんなものだ」
「テケリ! お前どっちの味方だー!」
少年が振り下ろした鉄パイプを小手で受け止めながら、テケリに向かって怒鳴る。
「――お前も! 何寝返ろうとしてやがる!」
「うにゃ!?」
コソコソと、レニのほうに向かっていたニキータめがけて、捕まえた少年を力任せに投げつけ――少年共々、ニキータは地に倒れた。
「なんだ? お前も私の下僕になりたいのか?」
「ふにゃ~……」
レニは目を回すニキータを見下ろし、頭をぐりぐりかかとでえぐる。
キュカはそれを指さしながら、
「あれのどこに『品性』があるんだ!?」
「黙れ! 美のわからぬ愚民め!」
「お前らに言われたかねー!」
ナイフを振り回してきたリーダーの少年の攻撃を受け止め、空いたほうの手で思い切り殴り倒す。
少年は大きく吹っ飛び、ゴミの山に激突し――
「――げ」
ぐらっ、と、そのゴミ山が揺れ、次の瞬間、一気にこちらに向かってなだれ落ちる。
『わーーーーーーーーーーーーーーー!!』
さすがに少年達も悲鳴を上げ、逃げようとするが……間に合わない!
あたり一帯にすさまじい轟音が響き――そして、静かになる。
「っくう……」
一瞬、気を失っていたのか、目を覚ますと、胸から下、そして右腕が、タンスの下敷きになっていた。
「――はっ!?」
我に返って見上げると、レニがこちらを見下ろしている。
「ふっ……チェックメイトだな」
「てっ、テメー……」
なんとか抜けだそうとタンスを押してみるものの、びくともしない。どうやら、乗っているのはタンスだけではないようだ。
レニは、口元に邪悪な微笑みを浮かべ、
「気分はどうだ?」
「最悪だよ……って、なにしてやがる」
レニは、こちらのこめかみにかかと置いたかと思うと――容赦なく、ぐりぐりえぐる。
「てめぇコラ! 身動き取れない相手に何 凶悪なことしてやがる!? つーかマジいてぇコレ!」
「泣け泣けわめけ、恐怖しろ。モミアゲの分際で、私より高い位置から見下ろすな!」
「身長のことかよ!? お前、ンなこと気にして――イテテテテ!」
「アハハハハ! もっと苦しめ! 私の足下にひれ伏すがいい!」
「うわー、ムカツク! テメー、本気でぶっ殺す!」
さすがに堪忍袋の緒が切れた。
キュカは左手を地面に押しつけると、渾身の力を振り絞って体を押し上げる。
「ぐっ……! うおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
ぐらっ、と、体の上に乗っていた粗大ゴミを力任せに背中で押し上げ――わずかに出来た隙間からはい出る。
「……ほう。少しはやるではないか」
レニは後ずさりつつも、余裕の態度は崩さない。
キュカは肩で荒い息をしながら、落ちていた棒(テーブルの脚だろう)を拾うと、うっすらと笑みを浮かべ、
「……くっくっくっ……いくらロジェの兄貴とはいえ、もう勘弁ならねぇ。お前はこの場で始末してやる!」
「フン。キサマごときがこの私を倒せるものか。返り討ちにしてくれる!」
レニも落ちていた棒を拾い、キュカを迎え撃つ。
いい大人が、勝手にチャンバラを始めたその後ろでは、
「うぇ~ん! ラビきちがぺったんこであります~!」
「ス……スイマセン。もう悪さしません。よい子になるから誰かタスケテ……」
テケリが、ガラクタの下敷きになったラビを前に泣きわめき、生き埋めになった少年達も、泣きながら必死で助けを求めている……
そんな中、ニキータ(幸い、生き埋めにはならなかった)が目を覚まし、顔を上げ――
「あーーーーー!!」
その悲鳴に驚いたのか、レニの手が一瞬止まるのを、キュカは見逃さなかった。
「――スキありぃ!」
――ガンッ!
キュカが横なぎに振るった棒がレニのこめかみにクリティカルヒットし、
「こっ……こんなモミアゲに……!」
と、負けゼリフをつぶやきながら、そのまま目を回して倒れた。
「この期に及んでそれか!?」
試合には勝ったが、別の何かに負けた気がする。
「それより、なんだ? 突然大声出し……て……」
ニキータの視線の先に目をやると、さっき、ガラクタの山が崩れた時、飛んできたものにぶつかったのだろう。見覚えのある包みが横倒しになり、その形が、明らかに最初と違うものになっていた……
「――うきょっ!? 五万四百八十ルクがコナゴナであります!」
「…………!!」
ラビを救出し終えたテケリの言葉に、さっ、と、全身から血の気が引く。
重苦しい沈黙があたりを包み――しばらくして、騒ぎを聞きつけたのか、複数の足音がこちらに近づいてきた。
とりあえずキュカは無言で、意識を失ったレニを肩に担ぐ。
「――何事だ!?」
数人の僧兵が駆けつけ、この場の状況を見回し――彼らが口を開くより先に、
「窃盗、暴行、恐喝、器物破損の犯人はあいつらです! というわけで後ヨロシク~!」
迷うことなく、未だガラクタの下敷きになっていた少年達を指さすと、キュカ達は全速力でその場から逃走した……
――その後、不良少年達がよい子になったのかどうかは、不明。
~本日の収穫~
・古代語の知識を深める。(テケリの知性+1)
・テケリはぱっくんチョコを手に入れた!
・ いい大人が 童心に返ってチャンバラをする。(レニのHP+1 攻撃力+2)
・荷物運びのミッションに失敗する。
・レニの『かかとでえぐる』と『悪のカリスマ』が使用可能になりました。