4.聖なる都に祈りを - 2/2


「お前……ひょっとして、儀式の時の……」
 キュカの言葉には応えず、少女は物陰から姿を現すと、軽く頭を下げ、
「勝手にごめんなさい。でも、教団から逃げるにはちょうど良いと思って」
「逃げる? キミは一体……」
 ロジェは、不思議とその声に聞き覚えがあるような気がした。
 少女は困った様子で、
「えっと……わたし、あやうく生け贄にされそうだったの。ヘンな術かけられて……意識が戻ったのがあの祭壇の上。なんか騒ぎが起きてるし、これは逃げなきゃマズいと思ってね。そしたら、ちょうどこの船が来て……」
「それで、どさくさに紛れて乗り込んだわけですか」
「そうよ。よくわかんなかったけど、あそこよりマシだと思って」
 ひとつうなずくと、顔を隠していたヴェールを脱ぐ。
「――――!」
 ロジェの脳裏に、一人の女性の姿がよぎる。

 ――エレナ!?

 年齢的には、こちらのほうが二、三歳若いだろう。
 しかし、毛色といい目の色といい、その顔立ちはエレナそっくりだった。
 少女は髪を直しながら、
「わたしはエリス。よろしくね」
 エレナとまったく同じ声色で、少女は明るく挨拶した。

 * * *

 ユリエルは、キュカの話を一通り聞き終えると、
「……つまり、教団の目的はマナストーンの解放、ということですか?」
「みたいだが……それが一体なんになるんだ?」
 キュカはレニに目をやるが――彼は右肩をさすりながら、不機嫌そうに、
「……さあ、な。マナ不足を補うためといっても、所詮は一時的なものでしかない」
 木にもたれたまま返す。
 ウェンデル近くの森の中に停泊し、休憩がてら、ここ数日で得た情報と儀式についての説明を終えたはいいものの、今後のことについてとなると、手詰まり状態だった。
「とりあえず、ウェンデルにはしばらく近づけねーな。あのタイミングでこんな船が出てきたんじゃ、犯人俺達にされても文句言えねーぞ」
「そうでありますねぇ……あーっ!」
 突然、テケリが大声を上げ、全員の視線が集まる。
「テケリの角笛がないであります! 荷物、宿に置きっぱなしであります!」
「――あ」
 キュカもそのことに気づき、口を開ける。
 しかし、レニは慌てず騒がず、近くにいたニキータに目をやり、
「女神の祝福亭だ。取ってこい」
「……はい?」
 ニキータが振り返ると、レニは無表情に、しかし、殺気立った目で、
「取ってこい」
「……………」
 不機嫌と重なって、異様にドスの効いた声で、情け容赦なく命じる。
 キュカもニキータに目をやり、
「あ~、そうだな。俺達、戻るとヤバそうだし……」
「ニキータさん、ありがとうであります! 感謝するです!」
 たたみかけるように、テケリまでもが先に感謝の意を伝える。ちなみに『女神の祝福亭』とは、泊まっていた宿の名だ。
 ニキータは、しばし困惑した顔で三人を見回すが、
「……ハイ……」
 はらはら涙を流しながら、結局うなずく。
「今日中だ。急げ」
「ハッ、ハイにゃ~!」
 よほど怖かったのか、慌ててウェンデルの方角へ走り出す。
 その後ろ姿を見送ると、レニは再び木にもたれ、
「フン。これで荷物は解決だ」
「……ただのニキータいじめじゃない。性格悪いわねー」
 口を開いたのは、これまで、黙ってこちらの様子をうかがっていたエリスだった。
 レニはエリスをにらみつけ、
「一番適任だっただけだ。……第一、なんなんだお前は」
 視線が集まり、エリスは一瞬、困った顔をしたが、
「……さっき言った通りよ。生け贄にされそうになった、かわいそーな美少女よ」
「……『美少女』はいらんと思うが」
「何言ってんのよ! 古来から生け贄といえば、清純で可憐で愛らしくて儚げで美しくてキュートでプリティでビューティフルでエレガンスで美しくして美しい美少女と決まってるでしょ! だからわたしが選ばれたんじゃない!」
「……………」
 レニは何かもの言いたげな顔をするが、疲れているのか呆れているのか、それ以上は何も言わなかった。
 キュカは、さっきから黙っているロジェに、小声で、
「……なあ、ロジェ。あの子なんだけどな――」
「……わかってる。顔と声は似てるけど……まったくの別人だよ」
 そう言うものの、何か複雑そうな面持ちだ。
 キュカはそれ以上は何も言わず、今度はレニに目をやり、
「ところで気になってたんだがな。お前、あのルサって女に突っかかった時、魔法使っただろ。魔力が戻ったのか?」
「…………」
 こちらの問いに、彼は困惑した顔で黙り込む。もしかすると、自分でもよくわからないのかもしれない。
「まあ、いーけどよ……」
「それで、これからどうする? 燃料のことを考えると、無意味に長距離移動は出来ないぞ」
「そうですねぇ……」
 ジェレミアの言葉に、ユリエルが困った顔で首をひねっていると、エリスが、
「ねぇ。わたし、行きたい所あるんだけど」
「なんです?」
 聞き返すと、勝手についてきたこともあってか、少々遠慮がちに、
「この近くに村があるんだけど、そこに連れてってほしいの。明日でもいいから」
「エリスさんのおうちでありますか?」
 テケリの問いに、エリスは首を横に振り、
「違うわ。でも、あなた達の話聞いてると、教団の味方じゃないみたいだし……行って損はないと思うけど」
 意味深な言葉に、一同、顔を見合わせるが――
「……どうせアテもないんだ。いいんじゃないのか?」
「そうですね……わかりました」
 ジェレミアの言葉に、ユリエルも賛同する。もっとも、反対する理由もないのだが――
「……罠だったら、どうする?」
 その言葉に、全員、発言者――レニに目を向ける。
 彼はエリスをにらみつけ、
「生け贄とか言っていたが、本当は教団の回し者かもな?」
「な、何よ! 失礼ね!」
 慌てて反論するエリスに、ロジェも間に入り、
「兄さん、そんなの別にいいだろ。どうせこの状況じゃ、他にアテもないし」
 キュカも呆れて、
「まったく、お前がそんなこと言える立場か?」
「フン」
 レニはそれ以上は何も言わず、立ち上がる。
「兄さん?」
「少し休む」
 それだけ言うとさっさと船へと向かい、ラビも慌てて後を追う。
 テケリは頬をふくらませ、
「ラビきち、レニさんに取られたであります~」
「あのラビ、なんであいつになついてんだ?」
 首を傾げるキュカの横で、ロジェはひとつあくびをしながら、
「悪いけど……俺もちょっと休むよ。ここんトコ、歩いてばっかだったし」
「……そんなにキツかったんなら、途中で『やっぱり俺が残れば良かった』なんて思ったんじゃないのか?」
 キュカの言葉に、ロジェは生傷だらけのキュカに向かって、さわやかな笑顔で、
「俺はキュカに任せて、本当に良かったと思ってるよ」
「………………」
 その言葉は――暗に、『今後、こういう別行動をとる場合は兄さんを夜路死苦!』と言っているように聞こえた……
「――ってお前な! 自分の兄貴だろ!? なんで俺がお守りしなきゃなんねーんだ!? 本来お前の仕事だろ!」
 ロジェはユリエルに目をやり、
「どうせニキータが戻ってくるまで動けないんだろう? だったら、それまで自由時間でいいよな」
「無視か!? 無視するのか!? お前のことはトモダチだと思ってたが、違うってことだな!? 身の保身のためなら、友情は切って捨てられるんだな!? 見損なったぞ!」
「そうですねー。では、しばらく休憩してください。ジェレミアもお疲れ様でした」
「ああ。あたしも少し眠るとするよ」
「あ! お前らまで無視するのかよ!?」
 ユリエルとジェレミアにまで無視され、キュカは、残ったテケリに目をやるが、テケリはすでにこちらに背を向け、
「エリスさん、お天気いいでありますし、お散歩行くであります!」
「あら、いいわねー。散歩にはもってこいの天気よね」
 元よりこちらの話について行けないエリスと共に、どこかへ散歩に行った……
 キュカは、仲良く散歩に出かける二人を見送り――振り返ると、すでに横になっていたロジェに向かって、
「――いいか!? たった二日だぞ!? たった二日であの野郎にどんだけひどい目に遭わされたと思ってるんだ!? ケンカに巻き込まれるわヤクザけしかけられるわかかとでえぐられるわ、そこまでやるか普通!?」
「うるさい! 静かにしろ!」
 ジェレミアが横になったまま怒鳴るが、キュカは無視して、ロジェが顔の上に乗せていた帽子を取り上げ、
「特にロジェ! 身内が悪さしたんなら、それ相応の誠意を持って被害者に謝罪なりなんなりするもんだろ!? それもなしか!? そこまで誠意のないヤツだったのか!?」
 耳元で怒鳴られ、ロジェは横になったまま、うるさそうにポケットを探り――
「じゃあ……お詫びにコレやるよ」
 と、まんまるドロップ(HP100回復/買価5ルク)をキュカに差し出した。

 ロジェとジェレミアが完全に眠り、ユリエルが昼食のために水を張った鍋を火に掛けた頃――嫌がらせに、昼食に混入するための虫を探していたら、背後から、
「――で、彼が魔法を使ったというのは本当ですか?」

 ――この人は本気でわけがわからん。

 これまでこちらを散々無視してくれたユリエルが、いきなり真顔で聞いてくる。おかげで、せっかく捕獲したヘバタのタコムシに逃げられてしまった。
 かと言って無視するわけにもいかず、
「……ああ。儀式の時に、いきなりだ」
 手についたホコリを落としながら返す。
 とりあえず虫はあきらめ、適当に座ると、
「これまで『使えないフリ』をしてたっていうより……まるで何かに取り憑かれたみたいだったというか……」
 自分でも、どう答えればいいのかわからず、あごヒゲをなでる。
 ユリエルも少し考え、
「アニスの呪い……でしょうかね」
「あん?」
「一度、アニスの鏡に魅入られた彼を、魔女は簡単に手放しますかね?」
「…………」
 しばらく黙り込むが――
「――ケッ、くだんねーな。呪いだのなんだの、俺はそういう話は信じねぇ。呪われてりゃ、なんでも許されるってのかよ?」
「フフッ、どうやら、あなたに彼のことを任せたのは正解だったようですね」
「フン」
 レニのお目付役となると、ロジェではどうしても身内の甘さが出てしまう。そうなると、キュカが適任といえば適任だったのだろうが――
「俺はもう嫌だぞ。次は隊長がやってくれ」
「いやぁ、私だと警戒されてしまうようでして。別に、腹に一物持っているわけではないんですがねぇ」
「…………」

 ――気持ちはわからんでもないな……

 たしかに、何を考えているかわからないユリエルに監視されたら、誰だって警戒するかもしれない……
「キュカ。今、何か失礼なこと考えませんでしたか?」
「いや、なにも」
 ずいっ、と、笑顔で――しかし、弓を握って顔を近づけるユリエルに、キュカは目をそらしながら返す。
「しかしまあ、理由はどうあれ、魔法を使ったということは……魔力を失ったわけではない、ということでしょうか」
「さあ? 俺は、魔法に関してはよくわかんねーし……そもそも、『幻夢の主教』ってなんなんだ?」
 ユリエルが知っているとは思えないが、かと言って、ロジェやレニ本人には聞きにくい。
 ユリエルも少し考え、
「闇の呪術の継承者であることは確かなようですが……そもそも、ミラージュパレスはおろか、幻夢の主教の存在自体、知られていませんしね」
「それだよ。なんで隠す必要があるんだ? しきたりだかなんだか知らねーが、どうも気に入らねぇ」
 どうにも、その『しきたり』のために、自分を犠牲にしているような気がしてならない。
「魔力を高めるためか、結界の維持か……こればかりは、本人に聞かないことにはわかりませんね」
「どうやって聞くんだよそんなこと……」
 ちらりと、横になっているロジェに目をやるが、よほど疲れていたのか、しばらく起きそうにない。
「まあ、今は関係のないことです。もうしばらく様子を見たほうがいいでしょう」
「ああ……」
 たしかに幻夢の主教のことは単なる好奇心であって、今のこの状況とは関係がない。
「あと、エリスのことですが。そんなに似ているんですか?」
 聞かれて、キュカは少し考えて、
「……ああ。年は違うみてぇだが、顔と声は似ているな。……不気味なくらいに」
「…………」
 髪の色も目の色も、声色までもがエレナに似ている。正直――ロジェには、酷なくらいに。
 ユリエルはため息をつくと、
「……ややこしいことにならなければいいんですが」
「ああ……」
 鍋に目をやるとちょうど沸いたらしく、勢いよくお湯が吹きこぼれた。

 ◇ ◇ ◇

 翌日、エリスの案内でやってきたのは小さな村だった。
 荷物を持って戻ってきたニキータを船の留守番に残し、村の中を見て回るが、人の気配はまるでない。田畑は荒れ果て、家屋も壊れている。
「誰もいないみたいだけど……ここに何があるんだ?」
 ロジェの問いに、エリスは辺りをきょろきょろ見回し、
「こっちよ。ついてきて」
 先頭に立ち、村の奥へと向かう。
 案内されたのは、一軒の民家だった。他の民家と比べると、さほど壊れてはいないようだ。
 エリスは入り口のドアを叩き、
「マハルさんに、『エリスが戻った』って伝えてくれる? それでわかるはずだから」
 返事はなかったが、しばらく待っていると、入り口が少し開き、若い男が警戒した様子で顔を出す。
 男は、エリスの姿を確認すると、
「――入れ」
 そう言うと、再び奥へと引っ込む。
 エリスを先頭に建物の中に入るが、やはり廃屋にしか見えない。
 奥は台所らしく、床の扉が開いている。のぞき込むと、地下へと続く穴があった。
 元は食料を貯蔵しておくスペースだったのだろうが、そこを掘ったらしい。
「地下室ですか?」
「そうよ。この下が根城になってるの」
 そう言うと、エリスはハシゴを伝って下りていく。
「案外広いな」
 見回し、ジェレミアが感心した様子でつぶやく。
 下はロウソクで照らされた広い空間になっており、扉はないものの、カーテンで仕切られた部屋が数室あるようだ。
 ラビを抱えたまま、テケリは辺りをきょろきょろ見回し、
「まるでモールベアであります。なんでこんなトコに住んでるでありますか?」
「そりゃあ、教団に見つかるとマズイからよ」
 そう言うと、エリスは一番奥のカーテンをめくり、中へと入ってゆく。
 そこは会議室なのか、部屋の真ん中に大きな長机が置かれ、イスが数脚並んでいる。
 そして、入り口から一番離れた奥の席に、大柄な中年の男が座っていた。すぐ後ろの壁には地図が貼られている。
「――来たか」
 男は座ったまま、こちらの顔ぶれを見回す。
 エリスは彼の隣に立つと、こちらに振り返り、
「この人はマハルさん。レジスタンスのリーダーよ」
「じゃあ、お前は……」
 キュカの問いに、エリスはうなずき、
「わたしはつい最近入ったんだけど……教団に捕まっちゃって。だから助かったわ」
「じゃあここは、昨日、広場をドッカンした人達の本拠地ってことでありますか?」
 目を丸くするテケリに、マハルは再び一同を見回し、レニに視線を留める。
「……昨日の魔法使いか。主教の片腕にケンカを売るとは、たいした度胸だな」
 どうやら彼も現場にいたらしい。レニはマハルをにらみつけ、
「……お前らのおかげで、こちらは踏んだり蹴ったりだ」
 言って、ケガをした右肩を軽く押さえるが、彼は悪びれた様子もなく、
「それは悪かったな。ま、運がなかったとあきらめてくれ」
「……キサマ……」
 詰め寄ろうとするが、それをキュカが制し、
「たしかに、コイツは運が悪かったかもしれねーな。だが、昨日、あそこで死んだ連中にも『運がなかったからあきらめろ』って言うのか? それで納得しろって?」
「そうだ。あきらめてもらう」
「……………」
 キッパリと即答され、キュカだけでなく、後ろで聞いていたジェレミアも殺気立つ。
「――まあ、落ち着いて。我々は、ケンカを売りに来たわけではありません」
 ユリエルが前に出てなだめると、改めてマハルに目をやり、
「我々は成り行きで彼女を助け、ここまで送り届けに来ました。そのついで……というのもなんですが、教団やあなた達に関するお話をうかがいたいのですが、どうでしょう?」
 ユリエルの言葉に、彼は少し考え、
「いいだろう。……まあ、座れ」
 うなずくと、全員に席を勧めた。

「で、何から聞きたい?」
 全員が座るのを確認すると、マハルはこちらをぐるりと見回す。エリスは着替えたいと言って出て行ってしまった。
 ユリエルは少し考え、
「そうですね……では、マナの教団の規模や構成などについてうかがいたいのですが」
「……まず、本部があるのはロリマーだ」
 言いながら、後ろの壁に貼り付けられた地図の北側を指さす。
「……俺達の時代で言う、アルテナかな?」
「そうですね。場所的に、あまり違いがありません」
 小声でつぶやくロジェに、ユリエルもうなずく。
 地図を見ると、自分達の時代と通じるものがあったが、違う部分もある。まず、ペダンらしき島がない。
 マハルはこちらの様子は気にせず、
「昔は小さな国だったが……十年前の終戦後、エレモスがマナの教団の大司教になってからは、復興の旗頭としてどんどん勢力を拡大させている。噂じゃ、今、魔法で動く船を造っているらしい」
「船を?」
 ユリエルの言葉にうなずくと、今度はウェンデルを指さし、
「ウェンデルの光の神殿はその支部みたいなもんだ。二年ほど前か、先代の主教が亡くなって……大司教の推薦で、わけのわからん若造が主教になっちまった。詳しいいきさつは知らんがな」
 わけのわからん若造――
 言うまでもなく、アナイスだ。
「大司教の推薦、か……その大司教とは、どんなヤツだ?」
 レニが聞くと、マハルの代わりに、
「――大司教エレモス。精霊魔法の使い手らしいけど、こもって魔法の研究ばっかりしてるんだって。だから『隠者』なんて呼ばれてるわ」
 ちょうど、着替えて戻ってきたエリスが答える。動きやすそうな青い服に着替え、髪も青いリボンで結い上げていた。
 マハルは、エリスが自分の隣に座るのを待ってから、
「世界大戦の時は活躍したらしいが……終戦後、大司教になってからは、表にあまり出てこなくなった。ここ数年でますます姿を見せなくなったから、何者かにひそかに謀殺されたって噂もある」
「謀殺、か……」
 アナイスがその大司教に取り入って主教になり、用が済んだので消した。ありえる話だ。
「どちらにせよ、あの主教が現れてからだ。おかしくなり始めたのは。大司教の代行とか言って、本部にまで出しゃばって、あれこれ指示を出している。今じゃ、あの主教が教団の実権を握っているようなもんだ」
 吐き捨てるように言う。
「教団内に、対抗勢力のようなものはないのか?」
 ジェレミアの問いに、マハルは首を横に振り、
「『主教に自分の代行をさせろ』ってのは、大司教の命令らしいからな。他の者は従うしかないんだろ。唯一、止められそうなのは、大司教の師匠である魔法使いなんだが……そっちも、行方をくらましている」
 消されたか、それとも逃げ出したのか……どちらにせよ、教団内にアナイスをどうにか出来る者はいないと考えたほうがよさそうだ。
「なあ。この村もそうだけど、この辺りは廃村が妙に多くないか? 不作続きにしても、荒れすぎている」
 ロジェの問いに、マハルの表情が険しくなる。
「……粛清(しゅくせい)、だ」
「?」
 マハルは、机の上で組んだ自分の手をにらみつけ、
「教団は、言うことを聞かない者を異端者として容赦なく処刑している。身分制なんてものを作って、この辺り一帯の村は一番下層だ。そのことに抗議した村人は、粛清と称して、女子供見境なしに殺されちまった」
「…………」
 その言葉に、室内は重苦しい沈黙に支配される。
「ここにいる方々は、みなさんそういった被害に遭われた方……ということですか?」
 ユリエルの問いに、彼は無言でうなずき、
「教団は狂っている……今はウェンデルだけだが、そのうち、世界各地でこんなことが起こるかもしれない。誰かが、なんとしてでも止めないと、大変なことになる」
 重々しい口調で語る。
 しばらくして、
「――フン。だからどうした」
 重い空気を破ったのは、レニだった。
 レニはマハルをにらみつけ、
「馬鹿馬鹿しい。……ただ、教団に仕返しをしたい連中が群れているだけではないか」
「……なに?」
 レニの言葉に、マハルの眉がつり上がる。
 キュカも険しい表情で、
「……俺達もあの場所にいたからな。儀式の邪魔をするにしたって、女子供、見境なしに吹っ飛ばす必要があったのか? あれじゃ、教団がやってる『粛清』ってのとたいして変わりがねぇ」
「…………」
 マハルは無言だったが、ほどなくして、
「……なら、お前達は一体なんだ? あんな船を、どこで手に入れた?」
 逆に問われ、返答に困ったキュカは、この中ではもっとも交渉事に強いユリエルに目をやる。
 彼は少し考えてから、
「そうですね……少なくとも、我々は教団の味方ではありません。かと言って、あなた方の味方でもない、とだけ言っておきましょうか」
「話にならんな」
 マハルはため息をつくと、肩をすくめる。
「…………」
 話は終わりと判断したのか、レニが立ち上がり、無言のまま出口へと向かい――
「――キィッ!」
 突然、テケリの膝の上のラビが甲高い声を上げた。
 レニはカーテンの前で足を止め――次の瞬間、カーテンがめくれ、何者かに外へと引きずり出される。
『―――!?』
 ロジェ達が驚いて席を立つが、ほどなくして、レニを後ろから羽交い締めにした男と、ナイフを持った男が入ってきた。
 さらにその後ろから、船で留守番をしていたはずのニキータを連れて、別の男が入ってくる。
 ニキータは縄で縛られた上、さるぐつわまで噛まされ、まったく何もできない状態だ。
「さて、おとなしくしてもらおうか」
 マハルも立ち上がり、腰から剣を抜く。これで前からも後ろからも挟まれてしまった。
「ちょ、ちょっと! マハルさん!?」
 エリスが驚いた顔で、こちらとマハルを見比べるが、彼は無視して、
「正直、お前らが何者なのか気になるところではあるが――それよりも、あの船だ。移動手段として大変魅力的だ」
「なるほど。我々の船を、あなた達の破壊活動に利用しようというわけですね」
 ユリエルが弓を構えつつ、冷静に返す。もっとも、こんな人の集まった狭い場所では矢も撃てないだろうが。
 マハルは鼻で笑い、
「『破壊活動』じゃなくて、『世界の開放』と言ってもらいたいな」
「世界の開放、だと?」
 ジェレミアがにらみつけると、マハルは憎悪に満ちた顔で、
「そう、開放だ。……この世界は、女神に縛られている。何がマナの女神だ。そんなもの俺達に必要ない。それを崇める教団も……それに従属する馬鹿共も、皆、くたばってしまえ!」
「それがさっきの答えかよ!」
 キュカが今にも殴りかかりそうな顔で怒鳴るが、人質がいるせいか、誰も身動きが取れないでいる。
 しばらくの間、不気味な静寂と、張りつめた緊張感が室内を支配するが――
「――くだらん。実にくだらん」
 口を開いたのは、人質に取られたレニだった。
 彼は口元に笑みすら浮かべ、
「世界の開放だと? お前達が? まったく、身の程知らずにも程がある」
「おい、黙れ!」
 男が、レニの首にナイフを突きつけるが――レニは身を乗り出し、皮膚が切れ、血が流れるのもお構いなしに、
「お前達虫ケラごときが、どうあがいたところで何かが変わるものか! 壊して、殺して――それだけだ。何も変わりはしない。変わるものか! ハハッ……アハハハハ!」
 室内に、背筋が凍り付くような不気味な嘲笑(ちょうしょう)が響く。
「こっ、こいつ……おかしいんじゃないのか!?」
 羽交い締めにしていた男がレニの口をふさぐが、レニはそれでも笑っているらしく、肩を上下させる。
「黙らせろ」
 マハルの言葉に、ナイフを突きつけていた男が、レニのみぞおちに拳を叩き込む。
「兄さん!」
 抱えられたまま意識を失うレニに、ロジェが駆け寄ろうとするが、隣にいたユリエルが制止する。彼が人質になっている状況に変わりはない。
 ジェレミアの後ろに隠れていたテケリは、マハルに目をやり、
「テ、テケリ達を、どうするでありますか?」
「そうだな。話次第では、仲間に入れてやってもいいぜ」
「冗談じゃない!」
 間髪入れず、ジェレミアが怒鳴る。
「俺もゴメンだな。あいにく、テロリストとは雇用契約を結ばないって決めてるんだ」
「そうか。それは残念だ」
 マハルは悠然とこちらを横切り、自分の仲間達の元まで行くと――意識を失ったレニの首に剣を突きつけ、
「だったら、ここで一人残らず死んでもらう!」
「――やめて!」
 エリスの声が響き、突然、赤い花びらが舞い上がる。
 何が起こったか理解出来ないでいると、剣が乾いた音を立てて床に落ち、続けて、マハル達も床に倒れた。
「兄さん!」
 ロジェが駆け寄ると、どうやらマハルを含め、仲間の男達、ついでにニキータも巻きぞえを食らって眠っているようだ。
「兄さん、兄さん!」
 ロジェが、男達と一緒に倒れたレニを揺さぶるが、完全に意識を失っている。幸い、首は皮一枚切れた程度で、たいしたことはなさそうだ。
「今のはスリープフラワーですか?」
 ユリエルがエリスに目をやると、彼女はひとつうなずき、
「しばらくは起きないはずよ。――さあ、早く逃げましょ!」
 エリスにうながされ、ロジェはレニを、キュカはニキータを担いで、慌てて部屋の外へと飛び出した。

「まったく、ひどい目に遭った」
「だ、だから、『最近入った』って言ったでしょ? ……あそこまでひどいことする人達だとは思ってなかったもの」
 操舵席のジェレミアににらまれ、エリスは慌てて弁明する。
「……二回目……」
「ん?」
 声がしたほうに振り返ると、意識を戻したレニが、荷物を入れた木箱の上に座ったまま、
「これで二回目……意識が飛んだのは三回目か……」
 忌々しげにうめく。
「あ、ああ……そういえば……」
 人質に取られた回数だと気づき、ロジェも引きつった笑みを浮かべる。
「――って、三回?」
「一回は、そこのモミアゲに殴られた」
 一斉に、キュカに視線が集まる。
「――待て待て! あれはお前が悪いとしか……つーか、余計なことチクってんじゃねぇ!」
「ふむ。ですが、意識が飛ぶほど強く殴るというのは、いかがなものですかね」
 ユリエルまでもがそんなことを言い出す。
 キュカは頭をかきむしり、
「あー、わかった! 俺が悪かった! 悪かったよこんちくしょうが!」
 半ばヤケクソに叫ぶ。
「それで、これからどうするんだ?」
 ジェレミアに聞かれ、全員黙り込む。
 エリスのおかげで、なんとか逃げおおせることに成功したが、アテがない。
「ねぇ。わたしもあなた達と一緒に行っていい? この状況じゃあそこに帰れないし、他にアテもないし」
「……危険な旅になるかもしれませんよ?」
 ユリエルの言葉に、エリスはレニの前に来ると、右肩に手をかざし――白い光が灯る。
「これは……ヒールライトか?」
 エリスは術に集中するためか、無言のままだったが――ほどなく手を下ろすと、
「具合はどう?」
 レニは肩を押さえ――三角巾を解くと、軽く肩を回す。
「……治っているようだな」
 エリスは、再びユリエルに目をやり、
「どう? まったく役に立たないってわけでもないでしょ?」
 その言葉に、ユリエルは少し考え、
「……では、我々の正体については一切質問しない、という条件で」
「わかったわ。ありがとう!」
 満面の笑みを浮かべて頭を下げる。
 一方で、ジェレミアは憮然とした顔で、
「まったく、そんな術が使えるんなら、もっと早くしてほしいものだな」
「仕方ないじゃない。あなた達がどういう人なのかわかんなかったし、交渉に使えるかと思って」
「小娘……」
 エリスの言葉に、ある意味、三度目の人質にされたレニが殺気立つが、エリスは無視して、
「ねえ。行くアテがないんなら、ロリマーなんてどう?」
「ロリマー?」
 ロジェが聞き返すと、エリスはひとつうなずき、
「ロリマーは年中雪が降っててね。特に、クリスタルフォレストは森全体がキラキラ光ってて、すっごくキレイなんだって! 前から行ってみたかったの!」
 『雪』の言葉に、テケリは目を輝かせ、
「うきょ! テケリも雪が見たいであります! レニさん、いっしょに雪だるま作るであります!」
「……なぜ私なんだ……」
 勝手にはしゃぐエリスとテケリに、ジェレミアは呆れた様子で、
「まったく、遊びに行くんじゃないんだぞ」
「でも、教団の本部があるんだろう? 一度、見ておいてもいいんじゃないか?」
 ロジェの言葉に、ユリエルもうなずき、
「そうですね。では、ロリマーへ行ってみましょう」
「――って、ちょっと待てよ」
 話がまとまりかけた所に、キュカが入ってくる。
 キュカは、エリスの術で一緒に眠らされたニキータを指さし、
「なんとなく連れてきちまったけど……コイツはどうすんだよ?」
 床に横たわったニキータに、一同の視線が集まる。
 術の効果が切れたのか、タイミングよくニキータが目を覚まし――
「――うにゃっ!? にゃ、にゃんですか!?」
 視線が集まっていることに驚き、飛び起きる。
「やっと起きたか。俺達、これからロリマーに行くんだが、お前はどうする? 出来ればウェンデルまで送ってやりてぇ所なんだが……」
「い、いや、その……」
 キュカの言葉に、ニキータは困った顔で、モゴモゴと、何か言いたそうな顔をしている。
「その……非常に言いにくいんですが……」
「なんだ? さっさと言え」
 ジェレミアがうながすと、ニキータは懐から、ピンクのかわいらしい封筒を取り出す。
「その……ジャンカさんが、お三方にこれを渡すように、と……」
「ジャンカが?」
 代表してレニが封筒を受け取り、中の手紙を広げ――淡々と、
「『請求書。ダークプリースト像(税込み価格五万四百八十ルク相当)一人につき一万二千六百二十ルク、ご請求いたします。追伸:逃げないように』」
 ブフォッ! と、キュカが無言で吹き出す。
「――請求書!? 俺達がいない間、何やってたんだよ!?」
 驚いて、ロジェがキュカを問いつめるが、キュカはレニから手紙をひったくり、食い入るように読めない文面をにらみつける。
 女性らしい、とてもかわいらしい文字で書かれていたが、追伸と思われる部分だけ、ドスの効いた何かがにじみ出るような文字でつづられていた……
 ニキータは、はらはら涙を流しながら、
「石像壊したこと……ジャンカさんにバレたみたいでして……オイラも、お金を稼ぐまで帰ってくるなと追い出されましたにゃー……」
 青ざめ、汗を流すキュカ達を尻目に、レニだけは妙に冷静な面持ちで、
「ふむ。つまり、一万二千六百二十ルクとは、石像の金額を四つに割ったものか……」
「って兄さん! それがどくれくらいの金額かわかってるのか!? ぱっくんチョコ三百十五.五枚分だぞ!?」
「……なんでぱっくんチョコで計算するんだ?」
 慌てるロジェに、ジェレミアがつっこむ。
 ロジェもわかりにくいと気づいたのか、
「キュカの給料で言うと、」
「言うな! つーか、なんでお前が俺の給料知ってんだ!?」
 キュカが慌てて、ロジェの口を背後から押さえる。
「こ、これ……テケリも払うでありますか?」
「ジャンカさんは、相手が子供であろうと容赦しませんにゃ……オイラがこうしてここにいるのも、お三方が逃げないように見張れと言われてまして……」
 ニキータは涙を流しながら、ふふふ……と、邪悪な微笑みを浮かべる。
 様子を見ていたエリスは、あごに人差し指をあて、
「なーに? つまり、借金ってこと?」

 ――借金ってこと……借金ってこと……借金ってこと……借金って――(←エコー)

 その貧乏臭さあふれる言葉に、レニがぴくっ、と反応する。
「いえ、この場合は『弁償』です。『借金』は適切ではないかと」
「だが、金を返さねばならないという点では、『借金』と同じだろう」
 ユリエルのフォローに、ジェレミアが情け容赦なく返す。
 レニは、持っていた封筒を床に叩きつけると、
「ばっ……馬鹿馬鹿しい! 借金だと!? なぜ私がそんな――」
「――ほう。踏み倒す気か」
 その言葉にレニが振り返ると、キュカは邪悪な微笑みを浮かべて、
「元・幻夢の主教様ともあろーお方が、一万二千六百二十ルクの金も払えない。いやぁ、こんなののために税金払ってたのかと思うと、馬鹿馬鹿しくて笑えらぁ」
「なんだと!?」
「兄さん! 落ち着いて!」
 キュカにつかみかかろうとするレニを、ロジェが慌てて羽交い締めにする。
「げんむの……何って?」
「ああ、お気になさらず」
 不思議そうに聞き返すエリスに、ユリエルは適当にごまかす。
 ロジェは暴れるレニを押さえながら、
「俺も手伝うから! そうすれば、一万ルクくらい――」
「余計なお世話だ! この程度の金、自分でなんとかする!」
「そうだぞロジェ! 兄貴を甘やかすな! コイツはちょっとくらい、こういう経験すりゃいいんだ!」
「うぇ~ん! テケリ、この若さで借金王でありますか!?」
「やーねぇ。ビンボー神に取り憑かれたのが四人も一緒なの~?」
 自らの状況に嘆き、泣き出すテケリ、鼻で笑うエリス、無関係を決め込んだユリエルとジェレミア……
 レニはロジェをふりほどくと、誰にともなく、
「違う! 借金でもなければ貧乏神に取り憑かれたわけでもない! これは――」
 レニは一瞬考え、そして、
「――呪い! ダークプリーストの呪いだ!」
 力強く、キッパリと断言する。

 ――ダークプリーストの呪い――

 その言葉に、船内が静まりかえり――
「……私ともあろう者が、ダークプリーストごときに……」
「言っとくけど……お前が言ったんだからな」
 自爆したレニは、隅っこで膝を抱えて激しく落ち込み、キュカも怒りが削がれたのか、肩を落としてつっこむ。
 ユリエルは何事もなかったように、
「ではジェレミア。ロリマーへ向かってください」
「……もう向かってるよ」
 投げやりに返す。
 そしてナイトソウルズは、新たにエリスを、そしてダークプリーストに呪われた四人を乗せて、ロリマーへと向かった……