「……わたしはルカ。姉が失礼したわね」
ルカと名乗ったルサの双子の妹は、意外にも素直に謝罪した。
その雰囲気に、ふと、ロリマーのことを思い出す。
あの時のルサは、以前会った時と雰囲気が違うと思っていたのだが――なんのことはない。あの時出会ったのはルサではなく、ルカだったのだろう。
「……どういうつもりだ? 邪魔者を消す、絶好のチャンスだったはずだ」
改めて二人と対峙すると、真っ向からにらみつける。
ルカは肩をすくめ、
「さっき言った通りよ。わたし達の目的はマナストーン。……姉さん、わざわざ自分が戦う必要はないでしょう?」
「フン」
ルカの言葉に、ルサは不機嫌そうにこちらをにらみつけ、
「そうだな。こんなヤツ……相手にしたところで、ただの弱い者いじめだ」
「…………」
何も言い返すことが出来ず、奥歯を噛みしめる。
ふと、風の音に紛れて、聞き覚えのあるエンジン音が聞こえた。
「どうやら増援が来たようね」
ルカの言葉に振り返ると、風を巻き上げて、一隻の船が姿を現した。
「ナイトソウルズ!」
「――お待たせ~!」
そして一足先に、ウンディーネ達精霊が姿を現す。
ルサは精霊達を一瞥すると、
「こんなヤツら、私達が相手するまでもない」
そう言うと、おもむろに指笛を吹く。
風と船のエンジン音をかいくぐるように、その音は遠くまで響き渡った。
ルサは手を下ろすと、
「さて。私達はこれで退く。お前達はあいつと遊んでいくといい」
「あいつ……?」
――ばさっ。
聞こえた羽音に空を見上げると、大きな黒い影が飛んできた。
「鳥?」
その影にロジェが眉をひそめるが、鳥にしては大きすぎる。あれは――
「……違う。あれは……ツェンカー!?」
その姿は人間の女性がとび色の翼をはやしたようなものだったが、鳥のような手足には鋭い爪をはやし、大きさも竜といい勝負だ。
「ツェンカー! こいつらとたっぷり遊んでやれ!」
ルサの声に、ツェンカーが甲高い声を上げる。完全に、ルサがコントロールしているようだ。
「……悪く思わないでね。それじゃあ」
「――待て! どうしてアナイスの味方をするんだ!?」
立ち去ろうとするルサとルカ――いや、むしろルカに向かってロジェが問いつめると、彼女は足を止め、
「……彼が、誰よりも人の心を知っているから、よ」
それだけ言うと、ルサ・ルカ姉妹の姿がかき消える。
「…………」
しばらく、二人が消えた場所を見つめるが――
「二人共! 来るわよ!」
ルナの声に空を見上げると、ツェンカーがこちら目掛けて急降下を開始した。
「――――!」
「こっちだ!」
ロジェに腕をつかまれ、慌てて駆け出す。
――ケエェッ!
その悲鳴に振り返ると、こちらを狙って降下していたツェンカーに、大胆にもナイトソウルズが体当たりを喰らわせていた。
「無茶苦茶な……」
思わず足を止め、その光景を唖然と見上げる。
これで戦闘不能になってくれれば話は早いが、やはりそう簡単にはいかないらしい。
「アカン! やられる!」
ウンディーネの言葉を肯定するかのように、ツェンカーの声が響き――突然、周囲にすさまじい風が吹き荒れる。
「なんだこの風!?」
「クッ!」
自分はラビを抱え、ロジェも帽子を押さえてその場に伏せる。
目も開けられないほどの強風に、とっさに結界を張るが、正直、どれだけ保つかわからない。
さっきまでツェンカーがいた方角に振り返ると、ナイトソウルズの機影はなんとか見えるものの、ツェンカーの姿は舞上げられる砂ボコリに紛れてよく見えなかった。
「どうする!? このままじゃ、一方的にやられるぞ!」
「わかってる! わかってるけど……どうしろって言うんだ!?」
サラマンダーの言葉に、ロジェがヤケクソ気味に返す。結界がなければ、二人ともとっくに吹き飛ばされていただろう。
仮にこの風が止んでも、相手は空を飛んでいるのだ。これでは、手も足も――
「……この風だって、いつまでも吹いているわけじゃないわ。風が止んだ瞬間を狙って、魔法で打ち落とすしかない」
「なに?」
ルナの言葉に驚いて目を見開くが、ウンディーネも、
「そやそや! 一発、いてこましたれ!」
「おうよ! あんなヤツ、焼き鳥にしてやろうぜ!」
サラマンダーもやる気満々らしく、口から炎を吐いてみせる。
「……兄さん、出来るか?」
「でも――」
「風が止んできたで!」
ウンディーネの声に、言葉が遮られる。
もう、考える時間はない。
嫌がるラビをロジェに任せると、覚悟を決め、結界を解く。
とたんに、すさまじい風に圧倒され、目を開けることはおろか、風のうねりに音も聞こえない。結界を解くのが少し早かったようだ。
「くっ……!」
なんとかその場に踏み止まり、さらに風が弱まると、それに合わせて呪文を唱えるが――
――どこだ!?
風が収まり、墜落したナイトソウルズの姿が見えた。船体は岩壁にもたれかかるように傾き、大きな傷が付いている。
しかし、肝心のツェンカーの姿が見あたらない。
「上だ!」
ロジェの声に、上空を振り仰ぐと、ちょうどこちらの真上にその姿があった。
――ケェッ!
「――――!」
奇声を上げ、恐ろしい形相でこちら目掛けて急降下するその姿に、集中が途切れ、体が凍り付く。
「逃げて!」
魔法は無理だと悟ったルナが、ツェンカー目掛けて強い光を放ち、そのスキにロジェがこちらの体を抱えて走り出す。
「こっちだ!」
岸壁と墜落した船の隙間に隠れていたジェレミアの姿を見つけ、そこに逃げ込むと、ロジェは息を切らしながらこちらとラビを地面に下ろし、
「兄さん、大丈夫か?」
「あ、ああ……」
うなずき、立ち上がろうとするが、足は完全にすくんで立ち上がれず、異様な寒気に体も震えだす。
「おい、どうした!?」
「…………」
サラマンダーが顔をのぞき込んでくるが、返す言葉もない。
「――レニさん!」
「テケリ?」
傾いた船からエリスと一緒に下りてきたテケリが、こちらまで真っ直ぐ駆け寄ると、そのまま抱きついてくる。
――どうしてここに……
理由はよくわからないが、不思議な安心感に震えが収まる。
「まったく、ツェンカーとはやっかいな……」
キュカもつぶやきながら、船の影から見えるツェンカーをにらみつける。
ツェンカーはルナの目くらましからすでに立ち直り、再び空に舞い上がっていた。これでは手がつけられない。
それに、こんな開けた場所だ。うかつに飛び出せば、たちまちツェンカーの餌食になる。
へたり込んでいると、突然ジェレミアがこちらの胸ぐらをつかみ、
「おい! ボケッとしてないで、魔法の一発でも食らわせたらどうなんだ!?」
「レニさん、病み上がりでありますよ!?」
「鬼かお前は!」
テケリとキュカが慌てて引きはがしてくれたが、ジェレミアは手を離さぬまま、
「元はと言えば、お前のせいでこんなややこしい事になってるんじゃないか! お前のせいで……こんな……!」
最後は別のことを思い出したのか、言葉に詰まる。
「……ジェレミア。彼は非戦闘員です。戦いには向いていません」
「フン!」
ユリエルになだめられ、乱暴にではあったがようやく手を離す。
「ちょっと! そんなことやってる場合じゃないわよ!」
「またあの風が来るで!」
エリスとウンディーネの声に、我に返る。
「レニ!」
「くっ……!」
ルナに促され、とっさに結界を張る。今の自分には、これが精一杯だ。
なんとか結界を維持しながら、
「船で逃げたらどうなんだ!?」
「船を集中攻撃されるだけです! それに――」
「それに?」
続きを促すと、ユリエルは笑みを浮かべ、
「実は動かなくなりまして。あ、もちろんMOB召喚も出来ません」
「……マジっスか?」
「マジっス」
絶望的な顔で聞き返すロジェに、ユリエルはさらりと返す。
どうりで不自然な形で着陸しているわけだ。もっともMOBが召喚出来たところで、ツェンカーに届く前に風で吹っ飛ばされるのがオチなのだが。
ジェレミアは深いため息をつき、
「どのみち船が動いたところで、あの化け鳥が見逃してくれるとは思わないがな。最悪、船ごと落とされる」
「だな。……ツェンカーは風を自在に操る。ある意味、竜よりやっかいなバケモンだ」
「キュカさん、詳しいでありますか?」
テケリが目を丸くすると、キュカはあごヒゲをなでながら、
「まあな。俺の故郷にも住んでるし……ガキの頃から危険性は教え込まれていたが、まさか戦う日が来るとは……」
悔しそうに舌打ちをするその姿は、ようするに『教え込まれた』はずの話を真面目に聞いていなかったということを暴露しているも同然だった。
とはいえ、確実に言えることは、
「ようするに……逃げられない、ということか?」
「そうなります。……竜なら、翼を狙って地上に引きずり下ろせばいいのですが……」
たしかに、竜なら翼の膜さえ破ってしまえば勝機が生まれる。
その点、ツェンカーの翼は羽毛に覆われ、傷をつけにくい。かといって、体を傷つけたところで、翼さえあれば空に逃げられてしまう。
それにあの巨体だ。完全に動きを封じない限り、矢を放ったところで届く前に風で吹き飛ばされるだろう。
近づいて斬ることも出来ない、矢も届かない。キュカの言う通り、竜よりやっかいだ。
――ギシッ。
「なんだ?」
妙な音にジェレミアが顔を上げ、つられて自分も顔を上げると、斜めに傾いた船が、さっきより傾いているような気がする。
「まさか、船が風に押されているのか?」
そのまさかだった。
もとより、不自然な形で着陸していたのだ。自分達は船と岸壁の隙間に隠れているのだが――そうなると、ツェンカーがすることはひとつ。
「船が攻撃されてるであります!」
風のせいで気づかなかったが、耳を澄ませると、風の音に混じってガンガンと金属を叩く音が聞こえる。そして、岩壁が船の重みにひび割れ、じわじわと崩れていく。
「ちょっと! このままじゃ、船の下敷きじゃない!」
焦ったエリスが怒鳴るが、かといって、船の下から逃げ出すと、今度は空から狙われる。
「――風が止んだら、俺がオトリになる」
振り返ると、ロジェが剣を抜き、
「ツェンカーも、立て続けにこの風を起こせるわけじゃないみたいだし、攻撃する時は地上まで下りてくるはずだ。そこを狙えば――」
「攻撃が当たらなければ、お前が餌食になるぞ?」
最後まで言い切る前に、ジェレミアが口を挟む。
そう。ギリギリまで接近する上、一撃目をはずせば、逃げるヒマすらない。誰が聞いても苦肉の策だ。
むろん、ロジェもそれをわかって言っているのだろう。ジェレミアをにらみつけ、
「じゃあ、他に方法があるって言うのか?」
「私が――」
ふいに、口から自然と言葉が出る。
そのことに自分でも驚いたが、言いかけた言葉をひっこめるわけにもいかない。
「もう一度……私がやってみる」
「レニさん?」
テケリが驚いた顔をするが、同じオトリでも、ロジェがやるよりはマシだろう。
ユリエルもこちらに目をやると、
「出来ますか?」
「…………」
さっき、こちらをかばうようなことを言っておきながら、まるでこちらが言い出すのを待っていたみたいだ。
「……村ひとつ燃やせて、鳥が燃やせないとでも?」
「では、お願いします」
こちらの皮肉をあっさり受け流すと、竜巻の向こう――遙か上空にいるであろうツェンカーに目を向ける。
「じゃあ、はい、コレ」
「…………?」
そう言うと、エリスがかしの杖を差し出す。どうやら船から下りた時、一緒に持ってきたらしい。
「船に置きっぱなしになってたわよ。使ってあげなきゃかわいそうじゃない」
「…………」
この場合、杖をくれたプリシラがかわいそうなのか、それとも杖そのもののことを言っているのだろうか?
無言で杖を受け取ると、ずいぶん久しぶりな感触がした。
「よし! 今度はびびんなよ!」
「……そろそろ風が止むわ」
ルナの言葉に顔を上げると、少しずつ風が弱まり、うっすらと空が見える。
「今や!」
ウンディーネの合図と同時に、結界を解き、船の下から飛び出す。
ツェンカーの姿を探して辺りを見渡すが、
――どこだ!?
三六〇度、空を見渡しても、影も形も見あたらない。これではさっきと同じだ。
「――レニさん! 下からなにか聞こえるであります!」
「!?」
――なぜついてきた!?
服を引っ張るテケリに、胸中で怒鳴りつけるが――確かにテケリの言う通り、風の音に紛れて、かすかな羽音が聞こえた。それも上からではなく――
「サラマンダー!」
「まかせとけ!」
サラマンダーの姿が消え、代わりに、周囲に複数の炎の玉が生まれる。
――来る!
ほとんど直感で振り返ると同時に、崖の下からツェンカーが姿を現す。
「――行けぇっ!」
杖を振るい、複数の火炎球が一気にツェンカーに襲いかかるが、ツェンカーは横滑りして火炎球を次々とかわし、そのままこちらに狙いを定めて突っ込んで来る。
「!?」
とっさに結界を張るが、ツェンカーの突き出した右手が結界に突き刺さり、鋭い爪が目前に迫るが――それ以上突き破られないよう、結界に力を込める。
「くっ……!」
「レニさん、がんばってであります!」
腰にしがみついたテケリの声援に応えたというわけではないが、ここで力を緩めれば、自分もろともテケリも餌食だ。
「――兄さん!」
そこに、横から突っ込んできたロジェがツェンカーの右腕を斬り裂き、同時に、限界を迎えた結界が砕け、その場に膝をつく。すぐ側に、斬り落とされたツェンカーの腕が落ちた。
顔を上げると、ツェンカーは右腕を失ったにもかかわらず、体勢を崩したロジェに狙いを定めて左腕を振り上げていた。とてもではないが、かわせる距離ではない。
「ロジェーーーーーーー!」
脳裏に、ツェンカーの爪で切り裂かれるロジェの姿がよぎるが――突然、ツェンカーの背中に、さっき避けられたはずの火炎球が次々と直撃する。
「!?」
どうやら避けられた魔法がUターンしたようだが――理由はどうあれ、そのスキに体勢を直したロジェは、ひるんだツェンカーの腹を斬り裂き、さらにユリエルが放った矢が次々とツェンカーの胸や頭に突き刺さる。
普通なら、どう考えても致命傷なのだが――
「まだ倒れないでありますか!?」
テケリも顔面蒼白になって叫ぶ。
ツェンカーは再び斬りかかろうとしたロジェを突風で突き飛ばし、そのスキに、風を呼び起こす。
この状況であの風が来たら、今度こそ船は倒れ、全員吹き飛ばされる。
――ひゅんっ!
その時、すぐ横を何かがかすめた。
白い、風の塊のようなものだと気づいた時には、それはすでにツェンカーの体に直撃し、その巨体を大きく仰け反らせていた。
「――ボケっとすんな!」
サラマンダーの言葉に、風が止んでいることに気づく。
ツェンカーは翼を広げ、飛び立とうとしている。今を逃せば次はない。
杖を突き出すと、目を閉じる。
――大気のマナに、自分の波長を乗せて――同化する――
一瞬、意識が遠のくような感覚に身をゆだね――ほとんど無意識に放ったエクスプロードが、ツェンカーの左翼を破裂させる。
片翼を失ったツェンカーは、崖っぷちで踏み止まろうとしたものの、
――ケエエェェェェェェェェェ――
踏ん張りきれず、断末魔の悲鳴を上げながら、谷底へと真っ逆さまに落ちていく。
「…………」
その光景に――杖を突き出したまま立ちつくし、肩で荒い息を繰り返す。
「――大丈夫ダスかー?」
ほどなくして、抜け落ちたツェンカーの羽を舞上げながら、風の精霊が姿を現した。
* * *
「こちらにいらっしゃいましたか」
その声に振り返ると、ルサがこちらに向かって術で飛んできた。
山のどの辺りかはわからない。ただ、なんとも足場が悪く、ヘタに動けば崖の下へ転落するかもしれないが、その代わりに、空がとても近くに見える場所だった。
ルサはこちらの側に降り立つと、
「マナストーンを発見しました。今、ルカとマミーシーカー達が運び出しています」
「そう」
それだけ言うと、アナイスは岩場に座ったまま、空に視線を戻す。青い空を、白い雲がゆったりと泳いでいる。
なんとも、穏やかな空だった。
「……本当に、ここは空がキレイだね」
「はい」
ルサは素直に肯定する。
こうやって空を見るのは、ずいぶん久しぶりな気がした。
空を見上げたまま立ち上がると、
「この空よりもっと青くて、もっとキレイな空を見たことあるような気がする……」
「?」
「いつ……見たんだっけ……」
確かに見たような気がする。
なのに、思い出すことが出来なかった。
◆ ◆ ◆
「あぶないところだったダスね」
風の精霊・ジンが姿を現し――そのなんとも緊張感のない顔を見たとたん、足から力が抜け、その場にへたり込む。
――終わった……?
そう思ったとたん、鼓動が激しくなり、体は熱いのに不気味な寒気で震えだす。
「――レニさん!」
そこに突然、背後からテケリに抱きつかれ、思わずすくみ上がる。
恐る恐る振り返ると、テケリは泣きながら、
「ごめんなさい……ごめんなさいであります!」
「………?」
意味がわからず目をぱちくりさせると、テケリはこちらを見上げ、
「レニさんのこと任されてたのに、なんにも出来なかったであります! テケリ、役立たずであります~!」
「…………」
その言葉に、ようやく自分がさらわれた時のことを言っているのだと気づく。
あの状況では、テケリであろうと他の誰かであろうと、結果は同じだったというのに……
ユリエルは泣きわめくテケリを見下ろし、
「テケリ。今回の件についてはこちらのミスです。まさか、彼が直接狙われるとは思ってもみませんでした」
「――違うであります! テケリがもっとちゃんとしていれば、こんなことにはならなかったであります!」
顔を上げ、ユリエルの言葉に真っ向から反論する。
「テケリだって、偵察部隊の一員であります! 子供だからとか……そんな理由に、甘えてちゃダメなのであります!」
「…………」
……どうして、そこまで一生懸命になるのだろう。
自分は、ここにいる理由すらわからないのに――
「……お前は十分役に立っている。何度もお前に助けられた」
「…………」
「だから……泣くな」
頭をなでてやると、テケリは泣きやもうとしゃくり上げるが――堪えきれずに、再びこちらに抱きついて泣き出す。
その背をなでてやりながら顔を上げると、こちらの頭上を漂っていたジンと目が合う。
「さっき、ファイアボールの軌道が急に変わった。お前のしわざか?」
「そうダスー」
こちらの言葉にジンはうなずく。避けられた後、風で軌道修正してくれたらしい。
「ホント、助かったよ。でも……マナストーンはどうなったんだ?」
「…………」
ロジェの言葉に、ジンはしばらく黙っていたが、
「……今頃、運び出されているダス。ここで争いを起こしたのも、オイラをおびき出すためダスー」
「なに? じゃあお前、敵の作戦だとわかって出てきたのか?」
ジェレミアの言葉に、ジンは無言でうなずく。
――姉さん、わざわざ自分が戦う必要はないでしょう――
ようやく、ルカの言葉の意味がわかった。そして自分を連れ去った理由も。
どうやら、ロアでの仕返しだけが目的ではなかったらしい。
とはいえ――
「お前……どうして私達を助けた? マナストーンを守るのは精霊の役目だろう」
ジンはつまり、自分の役目を放棄したのだ。そこまでして、どうして――
「……たしかに、マナストーンの側を離れるべきじゃないというのはわかっているダス。精霊失格と言われても、仕方ないダスー」
ジンはふわふわ浮かんだまま、こちらに目をやると、
「でも……だからと言って、見て見ぬふりは、どうしても出来なかったダスー」
「…………」
その言葉に、ぽかんと口を開く。
ジンが言っていることは、すなわち――
「どうして……そんなことで役目を放棄したんだ?」
泣きやんだテケリから手を離し、立ち上がると、ジンに目を向けたまま、
「お前にしてみれば、どこの誰とも知らぬ人間が危機を迎えたところで、関係ないはずだ。なのにどうして……」
自分の役目より、自分の意志を優先した。
……信じられないことだ。
自分の意志を殺し、役目を果たそうとしてきた自分には――
ジンは、しばしこちらを見つめ――笑みを浮かべると、
「……マナストーンは、ちょっとやそっとじゃ壊れないダス。でも命は、一度失えば、もう帰ってこないダスー」
「……わからない」
背筋が寒くなる。
死を喰らう男やツェンカーに襲われた時よりも、体から血の気が引いていくような心地だった。
「わからない……私にはわからない! 見ず知らずの赤の他人だろう!? 自分の役目の前には、どうでもいいはずだ! どうでもいいと言え!」
怒鳴りつけるが、ジンは無言で首を横に振る。
「…………」
不気味なほど静まりかえった中、風の音だけが響く。
「……なんか事情はよくわかんねーが……困ってるヤツがいたら助ける! それでマナストーンが奪われても、取り返しゃいいだけの話だろーが!」
「私達の役目は、マナストーンを守ることだけじゃない。それよりも、もっと大切なことがある。ただ、それだけよ……」
「…………」
サラマンダーとルナの言葉も、頭の中をすり抜けるだけだった。
一体、なんなんだ?
役目より大切なものなど――
「兄さん……?」
「――ちょっと、大丈夫? 顔色悪いけど……」
エリスが顔をのぞき込もうとするが、その横をすり抜けると、
「……大丈夫だ。少し……疲れた、だけ……」
船へと向かって歩き出すが、真っ直ぐ歩いているはずなのに、地に足がついていないような、奇妙な感覚だった。
視界もぼやけ――突然、世界がぐにゃりとゆがむ。
「――キュゥッ!」
「レニさん!?」
もう、立っているのかどうかもわからない中、ラビとテケリの声が、ひどく遠くに聞こえた。
◇ ◇ ◇
「まったく……病人にずいぶん無茶をさせる。殺す気か?」
「まあ、これは不可抗力というか……別に、好きこのんで無茶をさせたわけでは」
「同じことだ」
愛想笑いを浮かべるユリエルを、テセニーゼは一言で切り捨てる。
幸い、船は応急処置で動くようになり、すぐ町まで戻ったものの、その頃にはもう空はあかね色に染まっていた。
テセニーゼはレニの様態を診ると、注射器で薬を投与する。
起こそうとしているのか、ラビがレニに頬ずりしていたが、テセニーゼはそれをつまみ上げ、
「とにかく安静にすることだ。ちゃんと食事をさせて、ゆっくり休ませてやれ」
それだけ言うと、ラビをテケリに手渡し、帰り支度を始める。
全員部屋を出て行く中、ロジェとテケリだけが残った。
「……テケリ、行こう」
「イヤであります」
ロジェの言葉に、テケリはラビを抱きかかえたまま、ベッド脇のイスに座る。
今回のことはテケリの責任ではないのだが、こういう時のテケリは、なんとも頑固だった。
……果たして、こんなことを聞いていいのかどうか悩んだものの――
「なあ……気になってたんだけど、テケリはどうして軍隊に入ったんだ? あ、別に、無理に話さなくても――」
「テケリが、自分で志願したであります」
意外と即答だった。
「たしか両親が亡くなった後、親戚に引き取られたんだよな?」
「おじさん夫婦は、テケリにとても良くしてくれたであります」
思い出したのか、テケリの頬が少しゆるむ。
「おじさん達にはまだ子供がいなくて、テケリをかわいがってくれたでありますが、赤ちゃんが生まれたであります」
「…………」
「あ、でも、だからってテケリのことをほったらかしにしたりはしなかったであります。それまで通り、優しかったであります」
こちらが余計な想像をする前に、慌てて付け加える。
「テケリはおじさんとおばさんの役に立ちたくて、赤ちゃんのお世話をしようとしたでありますが、テケリはおっちょこちょいなものでありますから、なにかすると、かえって仕事を増やしちゃうみたいで……なにもしなくていいって言われちゃったであります」
たしかに大人としては、子供に子供を任せるなど不安だ。
しかし子供としては、自分が必要とされていないようなものなのだろう。もっとも、その叔父夫婦に悪気はなかったのだろうが。
「そしたらなんだか……テケリがいないほうが、おじさん達、楽でいいんじゃないかって……」
「…………」
――たしかに、ミラージュパレスにロジェは必要ないのかもしれない――
ふいに、子供の頃、父に言われた言葉を思い出す。
ミラージュパレスが必要とするのは魔法使いだ。魔法の素質がない自分は、必要ないのではないかと子供心に不安を感じていた。
そしてある日、父にそう言われたのだが――
「…………?」
その後、続けて何か言っていたような気がする。
「テケリ、ここにいてもいいでありますか?」
「え?」
我に返ると、テケリはこちらを見上げ、
「レニさんが目を覚ました時、一人じゃきっと困るであります」
その顔は、いつものテケリの笑顔だった。
「……ああ。じゃあ、頼むよ」
「ラジャ! であります!」
テケリは片手でラビを抱え、元気に敬礼し――自分は部屋を出る。
「…………」
ドアを閉めた後も、頭の中では同じことを考えていた。
――たしかに、ミラージュパレスにロジェは必要ないのかもしれない――
その後、父はなんと言っていた?
どうしても、思い出せなかった。