……ざざ~ん……
「……のどかだな……」
窓の外に広がる青い海を眺めながら、キュカはぽつりとつぶやいた。
甲板では、ロジェとテケリ、エリスとニキータが朝から釣り糸を垂らしていたが、一匹も釣れる気配はない。
「このシケじゃ、魚も釣れねーか」
「そうですねぇ。……さて、どうしたものでしょう」
ユリエルがまるで他人事のように言うが――まあ、これはいつものことだ。
ノルンを立って数日。
飛び立った直後からエンジンの音がおかしいとは思っていたが……まさか、エンジンが火を吹くとは思わなかった。しかも海のど真ん中で。
当然、エンジンに水をぶっかけていいわけがない。しかし、消火するには水をかけねばならない。かけなければ船が燃える。
……結局、海面着陸を余儀なくされ、エンジンは素人では手に負えない状態にまで壊れた。おかげで昨日から、海のど真ん中で漂流。さらに海は荒れ、船は揺れるし魚も釣れない。
ユリエルは、船の揺れをものともせず、のほほんとお茶をすすりながら、
「元々、長距離移動用の船ではありませんし……やはり、酷使しすぎましたね」
「だからって、こんな海のど真ん中で落ちるこたぁねえだろ。どうすんだよ。船も通らねーし、絶体絶命じゃねえのか?」
数日分の水と食料があるせいか、このご一行はどうにも緊張感が欠けている。もっとも、緊張感があったからといって、どうにかなるものでもないが……
ふと、船内の隅に目をやると、昨日から今朝まで、ラビ共々船酔いでグロッキー状態だったはずのレニが、ラビと一緒にごそごそと荷物をあさっていた。少しは回復したらしい。
ジェレミアもレニに気づき、
「おい。具合が良くなったんなら、ウンディーネやジンの力で船を動かすとか、やってみたらどうだ?」
ジェレミアの言葉に、レニはいったん手を止め、
「……この辺りは、特にマナの力が少ない。精霊の力だけでこんな船を動かすなど……」
「お前の力だけでも出来ないっていうのか?」
「……出来ない」
それだけ答えると再び荷物をあさり、見つけた本を広げる。
なんとなく、出来るのではないかと思ったが――本人がそう言う以上、無理強いも出来ない。
「――って、なんの本読んでるんだ?」
のぞき込むと、レニはきょとんとした顔で、
「ああ。お前の荷物の中に入っていたが、なんの本だ?」
「勝手に読むな! そして人の荷物を勝手にあさるな!」
ばっ! と、取り上げる。
まだ表紙をめくったところだったらしく、内容は理解していないらしい。
ユリエルは生暖かい笑みを浮かべ、
「ダメですよキュカ。見られて恥ずかしいものは、ちゃんと手の届かないところにしまってください」
「ちょっと待て! なんだそのいらん誤解受けそうな言い回しは!?」
言いつつ、服の中に隠す。
レニはレニでヒマらしく、立ち上がると、窓から甲板を眺める。
相変わらず、ロジェ達は釣り糸を垂らしていたが――騒ぐテケリ達を尻目に、ロジェは釣り糸を垂らしたまま、ぼんやりと海を眺めていた。
「ロジェ……?」
「あん? お前も釣りがしたいのか?」
「…………」
こちらの問いには答えず、レニは首を傾げ、ぼんやりと外に視線を向けていた。
◇ ◇ ◇
「――あーもう! つ~れ~な~い~!」
振り返ると、あまりの釣れなさに短気を起こしたエリスが、釣り竿でばっしゃんばっしゃん海面を叩いていた。
「そんにゃことしたら、余計に魚が逃げますにゃ!」
隣にいたニキータがなだめるものの、エリスは不機嫌そうに、
「も~。何よこの代わり映えしない風景は。水のくせに飲めもしないし。わたし、海は飽き飽きなのよ」
「飽き飽きって……海の近くに住んでいたのか?」
ロジェがなんとなく聞き返すと、エリスは海に目を向けたまま、
「わたし、小さい島に住んでたのよ。だから周りは海ばっか」
その言葉に、テケリは目を輝かせ、
「うきょ! ドグウでありますな! テケリ達も島に住んでたであります!」
「奇遇……」
ぼそりと訂正する。
「わたしが住んでたのは小さな村だったけど、なんにもないしつまんない。なんでみんな平気なのかしら」
エリスは釣り糸を垂らしたまま、不機嫌そうに言う。そういえば、彼女が自分のことを話すのは初めてかもしれない。
「――うきょっ! 思い出したであります!」
隣で釣り糸を垂らしていたテケリが、突然声を上げて立ち上がり、走って船内へと戻る。
「………?」
ぽかんとそれを見送り――ほどなくして、愛用の角笛を抱えて戻ってきた。
「それでどうするんだ?」
「魚を呼び寄せる吹き方があるであります! 試してみるであります!」
言うなり『ぷぃ~』と、気の抜ける音を鳴らす。
「なんか……やる気がなくなる音だな」
「そんなんで魚が来るの?」
たいして期待もせず、釣り糸を垂らしたまま、海を眺める。
数分後。
「ぷはっ……魚、来ないでありますか?」
ゼエゼエ息を切らしながら、テケリはようやく吹くのをやめた。
「そもそも、魚に音なんてわかるのか?」
自信があったのか、テケリは首を傾げ、
「う~……ヘンでありますねぇ。たしかに、なにかを呼び寄せる吹き方だと教わったであります」
「何かって、伝説の海の主とか? そんなのが簡単に呼び出せたら、誰も苦労しないわよ」
エリスも笑いながら、竿を引き上げる。
朝から釣り糸を垂らしていたものの、結局、一匹も釣れずじまいだ。自分も竿を引き上げ、片づけに入る。
「……あれ、にゃんですか?」
最初に気づいたのはニキータだった。
まだ釣り糸を垂らしていたニキータの視線の先に目を向けると、海のど真ん中だというのに、赤い何かがはためいているのが見えた。
「……旗?」
目をこらして見てみるが、やはり旗に見える……
周りには陸もなければ船もない。漂流物にしたって、海面に漂っているならともかく、しっかりと海面に立ち、堂々とはためいている。
なぜか――どこかで見たような気がした。
「なんか……増えてない?」
エリスの言う通り、その旗が海中から浮上し、ぞくぞくと増えてきた。
「――何事です?」
「また何をやったんだ?」
さすがに異変に気づいたユリエル達も駆けつけ、テケリに視線が集まる。
「テ、テケリなにもしてないであります! お魚さん呼んだだけであります!」
「あれのどこが魚だ!」
ジェレミアは怒鳴りつつも、いつでも双剣を抜けるように構える。
謎の旗は船の周辺をすでに囲んでいる。海中に目をやると、不気味な黒い影が見えるだけで、姿は見えない。
「これは……もしや……」
「兄さん、下がって!」
身を乗り出して海中を見下ろすレニを下がらせ、こちらも剣に手をかける。
「キュィッ!」
ラビが甲高い声を上げると同時に、海水が盛り上がる。
「――――!」
「来るぞ!」
ジェレミアが双剣を抜き放ち、自分も剣を抜こうとして――途中で、止まる。
海水をまき散らしながら現れたのは、巨大な、緑色の生き物だった。
カメのような甲羅を背負い、顔はペンギンのような――まあ、一言で言うと『マヌケ面』をした……
「ぷぅ?」
その、カメだかペンギンだかよくわからない巨大生物は、気の抜けた声を出すと、不思議そうに首を傾げた。
* * *
「なんだかなぁ」
ブリッジの窓から、船を牽引(けんいん)するブースカブー達の勇姿(?)を眺めながら、キュカは、何度目かのため息と共に首を傾げる。
「ここまでマヌケな光景はねーだろ」
「まあ、おかげで助かりましたし、良しとしましょう」
なぜかは知らないが、ブースカブーは領域内に入ったはずのこちらを襲うこともなく、それどころか船を牽引してくれたりと――なんとも親切なものだった。
レニも不思議そうに、
「ブースカブーといえば、本来、人には心を許さない危険な生き物のはずなんだが……」
「危険、ねぇ……」
あのマヌケ面が危険と言われても、ぴんと来ない。危険だったのは――
レニにしか聞こえないよう、小声で、
「たしかにゾンビ化したのは危険だったが……あれ、元はお前の仕業か?」
「…………」
レニは、肯定はしなかったが否定もしなかった。
離れた場所にいるロジェに目をやると、甲板ではしゃいでいるテケリやエリスとは対照的に、複雑そうな顔で窓の外のブースカブーを眺めている。
――ブースカブーに、罪はないんだけどな。
普通なら、あんな見た目が愉快な海獣が出てくれば、テケリやエリスのようにはしゃいでも良さそうなものなのだが、船内は不気味で重苦しい空気が漂い、掃除中のニキータも戸惑った顔をしている。
「――陸が見えてきたぞ」
ジェレミアの言葉に外に目をやると、山が見えてきた。
「あれは……イシュ火山ですかにゃ?」
「火山?」
ニキータの言葉に、よくよく山を見てみると、確かに山頂付近から煙が立ち上っている。
ジェレミアも地図を広げ、
「どうやらそうみたいだな。町もあるみたいだ」
横から地図をのぞき込むと、自分達の時代でいう火山島ブッカの辺りだ。この時代では島ではなく、陸続きになっている。
ニキータは顔をほころばせ、
「イシュの町は温泉で有名にゃ観光地ですにゃ。旅の疲れを癒すには、ちょうどいいんじゃにゃいですかね?」
「温泉……」
たしかに、火山の近くと言えば温泉だ。それに観光地と言うことは、休憩にももってこいである。
ロジェも同じことを思ったらしく、レニに目をやり、
「温泉なら、湯治(とうじ)にちょうどいいな。兄さん、無理しないでゆっくり休んでくれよ?」
「あ、ああ……」
その言葉に、レニはなぜか不安そうに右肩を押さえる。
「…………?」
一瞬、その何気ない動作に不自然なものを感じたが、再び外に目をやると、こちらにも不自然なものがあった。
――なんだありゃ?
一見、緑一色と思っていた山だが、削り取られたのか、一部、不自然に斜面が剥き出しになっている。
船はさらに進み、その剥き出しの斜面は、あっという間に見えなくなった。
「……立派な観光地だな」
「あら、いいじゃない。一カ所くらいこういうところがあったって」
半ば呆れた様子でつぶやくジェレミアに対し、エリスは上機嫌のようだった。
ニキータが言った通り、たどり着いたイシュの町には温泉の湯気やにおいが立ちこめ、観光客でにぎわっていた。外の世界では悲惨な虐殺が起こっているというのに、ここだけはそんなものと無縁のようだ。
「さて。それより問題は、船の修理が出来るかどうかですね」
町の中央広場で足を止め、ユリエルが今一番の問題を口にする。
「こんな町に技師がいるのか?」
「最悪、別の町まで向かうしかないですね。徒歩で」
ジェレミアの言葉に、ユリエルはため息混じりに返す。
たしかに、こんな観光地に船の修理が出来る技師がいるとは思えない。そうなると、別の町から連れてくるしかない。
「とにかく捜そう。ここでどうこう言ってても仕方ないし」
そう言うと、ロジェはレニに目をやり、
「兄さんは宿で休んでてくれよ。船酔いで疲れてるだろ?」
「あ、ああ……」
乗り物に慣れている者ならともかく、一番船酔いがひどかったレニは相当疲れているだろうが、どこか不安げだった。
不安といえば――
「あー、今回は、俺とテケリとニキータでコイツを見とくから、お前達で捜してくれ」
手を挙げてそれだけ言うと、レニと名前が挙がった二人を有無を言わさず強引に集める。
そしてぼそりと、
「……ここいらで稼いどかねーと、いつまで経ってもダークプリーストに呪われたままだぞ」
『うっ』
こちらの言葉に、三人は小さくうめく。
そう。それだ。
この所、稼ぐどころかノルンではマナストーンの捜索や船の修理に時間を費やしてしまい、レニもずっと寝込んでいた。つまり、収入ゼロ。唯一稼いだのは、留守番中に宿でちゃっかりバイトをしていたニキータくらいだ。
とにかく、稼げる時に稼がなくてはならない。
「……そうは言うが、どうやって稼ぐんだ? こんな観光地で」
満足に働いたこともない彼にとって、こんな観光地で稼ぐと言っても、まるで想像がつかないらしい。テケリも不満そうに、
「うー、テケリ、温泉入りたいであります~」
「大丈夫だ。これから堪能出来る」
『…………?』
こちらの言葉に、テケリだけでなく、レニも目をぱちくりさせる。
唯一、ニキータだけがなんとなく悟ったのか、深いため息をついた。
「――で」
棒ブラシでタイルを磨きながら、レニは露骨に不機嫌顔で、
「なぜ私が、地味に風呂掃除のバイトをせねばならん!?」
「仕事は仕事だろーが! それとも何か? 人が見つけてきてやった仕事にケチつける気か!?」
棒ブラシを床に叩きつけて怒鳴るレニに、こちらも棒ブラシでタイルを磨く手を止めて怒鳴り返す。
「ま、まあまあ……にゃんだかんだ言っても、こーいう地道な仕事で稼ぐのが一番ですにゃ」
「そうであります。レニさんもそのカッコ、似合ってるであります」
「嬉しくないな」
亀の子タワシで桶を磨くニキータとテケリのフォローにも、こめかみを引きつらせたまま返す。
風呂掃除だけあって、全員濡れてもいいよう作務衣(さむえ)姿だ。レニも、中途半端に伸びた髪を無理矢理結っていた。
彼は床に叩きつけた棒ブラシを拾うと、こめかみを引きつらせたまま、
「……確かに、仕事は仕事だな」
「温泉も堪能してるな」
「そうだな」
こちらの言葉に、レニは同意した。何しろ嘘を言ってはいない。ゆえに、誰もだまされてはいない。
だというのに――納得が出来ないらしい。がっ! と、床に棒ブラシを突き立て、
「それにしたって……それにしたって、なぜ私がこんな庶民的なことを……!」
「一応言っとくが、この町、他に仕事なんてほとんどねーぞ。あとは土産物屋のバイトにメシ屋のバイト、老人介護くらいか? どっちにしろ短期間となると、こんな仕事じゃねーと雇ってくれるところなんかないからな」
「くっ……!」
今にもブラシをへし折りそうだったが――あきらめたのか、がっくりとその場に膝をつくと、打ちひしがれた様子で、
「これまで掃除も洗濯もしたことのない私が、ふと気がつけばぞうきんの絞り方をマスターし、日々の生活費に頭を抱え、あげく風呂掃除のバイトで地味に小銭稼ぎ……短期間でここまで落ちぶれるか」
「あんなにお高くとまってたのが、すっかり庶民の仲間入りだな」
「うきょきょ! なんだかんだで、ちゃんとなじんでるであります! さすがロジェのお兄さんであります!」
「…………」
こちらの言葉に反論する気力もないのか、立ち上がると、再びタイルを磨き始める。根は真面目なので、引き受けたからにはちゃんとやるつもりらしい。
しばらくの間、シャコシャコとブラシでタイルを磨く音だけが虚しく響き――ふと、手を止める。
たしかに、レニが文句を言う気持ちもわからんでもない。自分も、何が悲しゅうてこんなところで棒ブラシを武器に、タイルの水アカと戦わなくてはならないのか。戦うべきものなど、水アカやらカビ以外にもたくさんあるだろうに――
「……たしかに、せっかく温泉にまで来て、野郎同士で風呂掃除……これほど虚しいことはない」
考えているうちに、釈然(しゃくぜん)としない怒りがふつふつとわき上がり、自然と肩が震える。
そして、
「つーか、温泉っつーと普通アレだろ? たとえば女の子同士がはしゃいでじゃれ合ったり胸の大きさ比べたり風呂上がりのなまめかしいお色気シーンとかそーいううっふんイベントが発生する絶好の場だろ? なのになんだ? この町にいるの年寄りばっかじゃねぇか!」
血涙を流しながら、ありったけの力を込めて棒ブラシを床に叩きつける。その拍子に、棒ブラシの先端がスポーン! と抜けて床を勢いよく滑り、隅っこで遊んでいたラビに激突して止まった。
「あにょぅ……もしかして、このバイトを選んだ理由って……」
「呆れたな」
もはや取り合う気も失せたのか、レニは痛がるラビを拾い上げる。
「若い女の人なら、ジェレミアさんとエリスさんがいるであります」
「あの二人は色気がないからダメだ。のぞく気も起こらん」
テケリの言葉に、ぴしゃりと返す。
「まあ、のぞいたのがバレたら、シャレ抜きで処刑されそうですにゃ……」
「そうだ。俺だって命は惜しい」
ニキータのつぶやきに、真顔でうなずく。
「……それより、どうするんだ? 掃除道具壊して……」
「あ」
完全に、ただの棒とブラシに分裂した清掃用具に言葉を失う。
「あー……たしかもう一本あったはずだから、持ってきてくれ」
「まったく……」
レニはため息をつくものの、意外と素直に取りに行く。
その間に、なんとか直そうと試みるが――
「――おい」
「あん?」
結局直せないまま顔を上げると、レニが戻ってきていたが、その手に棒ブラシはなく、代わりに、
「温泉というものは、地熱に暖められた地下水が沸きだしたものだったな?」
「なんだ? 知識のひけらかしか?」
こちらの嫌味は無視して、レニはなにやらケバいパッケージの缶をこちらに見せ、
「この粉はなんだ? てっきり、『温泉』というものは特定の土地に行かねば入れないものだと思っていたが……粉を入れただけでどこでも作れるとは、便利だな」
『…………』
レニが手にした缶。
古代語なので読めなかったが――訳すとこう書かれていた。
【あなたのおうちに温泉が! ~名湯・イシュの湯~】
「おかげで儲かったな」
「まあ、そうだけどよ……」
ずっしり重くなったラビ貯金箱に、レニとテケリは満足げだったが、こちらはなんとなく複雑な気分だった。
「どーなってんだこの町は……」
宿への帰り道、すれ違う観光客達に聞こえないよう、小声でつぶやく。
温泉が擬装だと判明し、宿主を問いつめたところ、宿主はバイト代にさらに金額を上乗せして払ってくれた。ようするに口止め料だ。
……ちなみにその後、他の温泉施設にも風呂掃除バイトと称して入り込み、巧妙に隠された温泉の素を見つけ出しては同じ手口でバイト代に口止め料の上乗せを要求。おかげで、夕方までに予想以上に稼げたが――
「にゃんか……弱みにつけ込んでお金を請求って、ヤクザのやることじゃあ……」
「言うな。呪いを解くためだ」
そう言うものの、まさにニキータの言う通りだった。ついでに、テケリとレニに明らかに間違った稼ぎ方を教えてしまったような気がして、良心が痛む。
まあ、天然温泉を謳(うた)いながら、温泉の素を投入しているほうも悪いと言えば悪いのだが……(今ごろ、イシュ温泉組合のブラックリストに自分達の名前が載っていることだろう)
「それにしても、なんで温泉擬装なんかしてんだ? それとも俺が知らないだけで、温泉ってのは、本来温泉の素溶かしたヤツのことを言うのか?」
「いや、さすがにそれは……」
「行った温泉全部がそうだと、そうも思いたくなるってんだ」
言いながら、ニキータの頭を拳でえぐる。
「第一、お前ももうちょっといい稼ぎ方とか考えろよ。それでもニキータ族か?」
「にゃっ……!」
こちらの何気ない言葉に――ニキータは後ろによろめき、その場に膝をつくと、
「……どうせオイラはニキータ失格ですにゃ。商売やっても押しが弱く、客になめられ、失敗するたびに出てくる罵声は『ニキータのクセに』『それでもニキータか』……みにゃさんと旅してる間も影は薄いしその扱いは脇役A。いてもいなくても同じ……どこへ行ってもイジメられ、きっとこのまま、羽化に失敗した蝶のなり損ない、咲かないまま落ちた花のつぼみのように、はかなく朽ちゆくさだめですにゃー……」
「あ……いや、ゴメン……」
「ニキータさん、かわいそうであります~」
何か心の傷に触れてしまったらしく、こちらに背を向け、小さくなってはらはらと涙を流すその姿に、テケリまで泣き出す。
「――私は、お前が不要な存在だとは思わんが」
ふいに、レニがつぶやいた言葉に、ニキータが顔を上げる。
「別に、すべてのニキータが商売に秀でている必要はないだろう。今だって、お前がいるのといないのとでは、ずいぶん違ったはずだ」
「あうぅ……」
めずらしく優しい言葉をかけるレニに、ニキータはどばーっ、と、滝のような涙を流す。
レニは、ぽんっ、と、ニキータの肩を叩き、
「まあ、これでも食ってHPを回復するといい」
「レニさん……別にオイラ、HP減ってないですにゃ」
言いつつも、レニが差し出したぱっくんチョコ(40ルク)を受け取る。
なんとも親切なその行動に――キュカは眉をひそめ、
「なあ……お前、そのチョコどうした?」
「ああ――」
レニは、なんとも『イイ笑顔』を浮かべると、
「お前の荷物の中からいただいた」
「オイ!?」
そういえば船の中で、勝手に荷物をあさられたことを思い出す。
「断りもなしに人のものを盗るな! そしてそれを人にやるな!」
「安心しろ。代わりにまんまるドロップ(5ルク)を入れておいてやったぞ。ユリエルの」
「殺されるぞお前!」
たかがまんまるドロップ、されどまんまるドロップ。
ふいに、『私はまんまるドロップを盗られたことを怒っているのではありません。人のものを盗むというその行為を怒っているのです』と、それっぽいことを言いながら、嬉々として弓を構えるユリエルの姿が脳裏をよぎる。
なんとも怖い者知らずな行動に、全身から血の気が引くが、レニは平然と、
「しかし驚いた。ヤツのまんまるドロップには記名がしてあった」
「はあ?」
「仮になくなったことに気づいて探したとしても、見つかるのはお前の荷物の中からだから、私は安全だ」
「ちょっと待て! 荷物宿に置きっぱなし――」
↓本日の部屋割り
ロジェ・テケリ、レニ・ニキータ、キュカ・ユリエル
「バレる率高いでありますな」
「…………!」
この際、ぱっくんチョコはどうでもいい。
とりあえず、ユリエルに余計な誤解をされる前にまんまるドロップを戻しておかないと、自分の命が危険にさらされる。(死因→まんまるドロップ窃盗容疑による私刑)
そして、慌てて宿に戻ると――騒ぎが起こっていた。
◆ ◆ ◆
「兄さん! どこ行ってたんだよ!?」
ロビーに入ると、騒ぎの中心地にいたロジェがこちらに気づき、駆け寄ってくる。風呂上がりなのか、髪が濡れ、宿の浴衣を着て手にはきっちりコーヒー牛乳の瓶が握られていた。(完全くつろぎモード)
――心配しているわりに……悠長に風呂に入っていたか……
心配してるんだかしてないんだかわからない弟に、なんとなく複雑な気分だったが、それよりも、
「技師はどうだったんだ?」
「やっぱりいないみたいだ。まあ、期待はしてなかったけど」
肩をすくめ、首を横に振る。
「で、ありゃあなんの騒ぎだ?」
キュカが指さした先に目を向けると、何があったのかは知らないが、ジェレミアとエリスが宿の主の胸ぐらをつかんで何か問いつめている。二人とも風呂上がりらしく、濡れた髪を結い上げ、宿の浴衣を着ていたが――なるほど。確かにキュカが言っていた通り、その鬼の形相には色気のカケラもない。
「…………」
「……俺の気持ちがわかったか」
キュカの言葉に、深いため息で返す。
「――ちょいと調べたんやけどな。どうやらこの町の温泉、天然やないみたいなんや」
「知ってる」
返すと、姿を現したウンディーネは目をぱちくりさせる。
再びジェレミア達に目をやると、
「――まだシラを切るつもりか!? じゃあこれはなんだ!?」
「そうよ! 男湯の掃除道具入れの中に入ってたわよ!」
怒鳴りながら、なにやら缶を突きつけている。これまで自分達が見つけたものと同じもののようだ。
しかし、個人的にはそんなことよりも、
「……男湯?」
「いやー。ちょうど上がって着替えてるところに、いきなり二人が殴り込んできた時は焦ったよ」
はははー、と、気楽に笑う。
「ここの温泉も、ただのおっきなお風呂だったってことでありますか?」
「――違います!」
テケリの声が聞こえたのか、必死にジェレミア達に弁論(べんろん)していた主が叫ぶ。
「これには深い訳がありまして……とにかく奥で話しましょう!」
そう言うと、主は女二人の背を押し、強引に奥へと連れて行く。
そういえばユリエルの姿が見あたらないと思ったが、ロビー脇の談話室に目をやると、やはりこちらも浴衣姿で、宿泊客らしい老人と、のほほんと将棋を指していた……(傍らにはフルーツ牛乳)
「……隊長、すっげー馴染んでるな……」
「前世がここの住人だったんじゃないのか?」
キュカのつぶやきに適当に返すと、とりあえずユリエルは放置して、全員で奥へと向かった。