13.その心のままに - 3/4


「まいったな……」
 右足を引きずりながら、ロジェは勘を頼りに進んでいたが、進めども進めども、坑道はおろかキュカとジェレミアの姿も見あたらない。完全に怪物の通り道に迷い込んでしまったようだ。
 ランプの明かりを頼りに進むが、さっきの怪物から逃げる途中、右足をひねってしまった。応急処置はしたのものの、痛みがどんどん増していく。
 適当な場所に座り込み、靴を脱いで右足首の包帯を解いて具合を診ると、さっきより腫れがひどくなっている。むやみに動き回らないほうがいいかもしれない。
 何かないかと荷物を探り、ポケットにも手を入れると、指先に何かが当たった。
「…………?」
 取り出すと、イザベラの灰の小瓶だった。
 そういえば、ずっと入れっぱなしにしていた。振るとサラサラと乾いた音がする。
「…………」
 ただの灰だ。
 灰なのに、捨てられないのは――
「――ロジェ?」
 聞き覚えのある声に反射的に顔を上げると、自分が歩いてきたのとは逆の方角から、魔法の明かりと共に人影が見えた。
 薄暗い中であっても、わずかな明かりに照らされる長い銀色の髪――
「エレナ――」
 言いかけて、慌てて口をつぐむ。
 幸い、彼女には聞こえていなかったらしく、
「ロジェじゃない。どしたの? こんな所で」
「……エ、エリス?」
 目をぱちくりさせ、その姿を確認する。間違いなくエリスだった。
 なぜか髪をほどいていたが、それ以外は朝と特別変わりはなく、他には誰もいないようだ。
「って、なんでここにいるんだ!?」
 ようやくそのことに気づき、立ち上がろうとするが、痛みに膝をつく。
「ケガしてるの? ちょっと診せて」
「だ、大丈夫だ」
「『大丈夫』って顔じゃないでしょ? あーあ、こんなに腫れてるじゃない」
 そう言うと前に膝をつき、強引にこちらの足を手に取る。
「それより、なんでここに?」
「どこにいようとわたしの勝手でしょ。何よ、結局わたしがいないと、どいつもこいつもなんにも出来ないじゃない」
 不機嫌そうに答えると、短い呪文を唱える。
 確かに、この状況でエリスと会えたのは不幸中の幸いと言えるが、正直、喜べない。
「…………」
 こちらの腫れた足に手をかざし、術に集中するエリスの顔をぼんやりと眺める。
 暗がりの中であるにもかかわらず、間近で見ると、髪の色といい顔立ちといい、エレナにそっくりだ。今でこそ少女としての幼さが残っているものの、あと数年もすれば、そっくりどころか外見だけならエレナそのものになってしまうのではないかとさえ思う。
 ほどなくして、エリスは顔を上げると、
「これでいいわ。感謝しなさいよ」
「あ、ありがとう……」
 試しに足を動かすと、痛みはすっかり消えている。
 靴を履き、立ち上がると、なるべくエリスの顔を見ないようにしながら、
「ところで、どうやってここに来たんだ? 出来れば案内して欲しいんだけど」
「ああ、それね」
 エリスはにっこり微笑むと、小首を傾げ、
「……あんたが知ってるんじゃないの?」
「…………」
「…………」
 薄暗い中、重苦しい沈黙が漂う。
 しばらくして、
「……行こっか」
 それだけ言うと、適当に歩き出す。
 治ったはずの足が妙に重く感じるのは、道に迷ったことだけが理由ではないような気がした。
 エリスはエリスで、こちらの気など知ったことではないのか、お構いなしにずんずん進む。
「あ、むやみに進むと――」
 危ない、と言いかけたところで、

 ――ズシンッ。

 通路全体が大きく揺れ、たまらず壁にもたれかかる。
「な、なに?」
 先を歩いていたエリスも、その場に膝をついてあたりをキョロキョロ見渡していたが、そのすぐ横の壁がひび割れた。
「危ない!」
 慌てて駆け出し、へたり込んでいたエリスの体を小脇に抱えると、一気に穴の中を駆け抜ける。

 ――ボコッ!

 走りながら振り返ると、ちょうどエリスがいた場所の壁を突き破り、黒い影が現れた。逃げるのがもう少し遅ければ、エリスは下敷きになっていただろう。
「何あれ!?」
「こっちが聞きたい!」
 暗くて姿はわからない。しかし、ちょうどこの穴の幅と同じくらい巨大な生き物であることは確かだ。
 適当な所でエリスを下ろし、二人そろって穴の中を走っていると、
「こっち!」
 突然エリスに腕をつかまれ、急ブレーキを掛けて振り返ると、壁に亀裂のような穴があった。自然に出来た隙間らしく、止める間もなく、エリスが体を横にしてその中に滑り込んだので、自分も慌てて後を追う。
 その狭い隙間を、壁に背をつけるようにして進みながら、
「ここなら、入ってこれないんじゃない?」
 エリスはそう言うが、振り返ると、
「あっちはそんなのお構いなしだぞ!」
 容赦なく穴を掘りながら追ってくる怪物に、スピードアップしたい所だったが、ただでさえ一人通るのがやっとの狭い道。しかも暗い上に足下も不安定だ。なんとか早足で進むものの、
「きゃっ!?」
「エリス!?」
 つまずいたのか、前を進むエリスが不自然な体勢で転倒し、やむなく足を止めるが、後ろには怪物が迫っている。
 エリスも立ち上がろうとするが、焦れば焦るほど思ったように動けなくなるものだ。おまけにこんな狭い隙間では、こちらも手助けはおろか、剣を抜くことも出来ない。
 万事休す――と覚悟を決めた瞬間、
「――エリス!」
 聞き覚えのある声と共に前方から突然赤い光が飛んできて、頭上ギリギリをかすめる。
「!?」

 ――ゴッ!

 振り返ると、奥で爆発が起こり、壁を赤い炎がなめていく。
「――急げ! あとちょっとだ!」
「サラマンダー!?」
 今、頭上を通り抜けたのはサラマンダーだったらしく、それに急かされなんとか進むと、その先に明かりと人影が見えた。
「兄さん?」
「無事か?」
 穴を抜けた先には、キュカや精霊だけでなく、留守番だったはずのレニもいた。そしてもう一人、知らない男がいる。
 その男は、膝をついて息を切らしているエリスの腕をつかみ、
「エリス! 何やってるんだお前は!」
「ちょっ……それどころじゃない……」
 エリスは息も絶え絶えに抗議の声を上げるが、聞く耳を持っていないらしい。彼は目をつり上げ、
「こんな所をほっつき歩いていないで、さっさと帰るぞ! いいな!?」
「それどころやないで!」
「何がだ!?」

 ――ボゴッ!

『あ。』
 振り返ると――
 ヤケドから立ち直った怪物が壁を突き破り、周囲を砂ボコリが舞った。

 ◆ ◆ ◆

「もうイヤー!」
「お前がこんな所に逃げ込むからだろう!」
 悲鳴を上げて走るエリスに、カシムが適切なツッコミを入れる。
 もう、どこへ向かっているのかもわからない。今はただ、背後に迫り来る怪物からひたすら逃げるしかなかった。
 とはいえ、
「逃げてもラチがあかねぇ! こりゃ、戦うしかないぞ!」
 キュカの言う通り、逃げれば逃げるほど、奥へと追い込まれている。
 それに……もう、限界だった。
「兄さん!?」
 足がもつれ、とうとうその場に倒れ込む。肩は激しく上下し、息も絶え絶えに、
「先に……逃げろ。もう、これ以上は……」
「出来るわけないでしょ! ほら、がんばって!」
 引き返してきたエリスも、息を切らしながらこちらの腕をつかむが、その間にルナが今来た道に目をやり、
「……いないわ。どこかに行ってしまったみたい」
「なに?」
 言われて振り返ると、確かに、魔物の姿が消えている。
 エリスも目をぱちくりさせ、
「あきらめたのかしら?」
「いや……違う、な……」
 さっきの魔物の姿、暗かったのではっきり見たわけではないが、イノシシのような体と、モグラのような黒く鋭い爪――
 ようやく呼吸が落ち着くと、その場に座り込んだまま、
「……さっきのあれは、恐らくジュエルイーターだ。千年に一度、世界に異変が起こる時に現れる地底獣と言われているが……」
「そんなのが、こんな所に?」
 カシムは半信半疑といった顔だが、現に追われたのだ。仮にジュエルイーターでなかったとしても、それらしき怪物であることに変わりはない。
「ヤツは地中を自由自在に行き来する。恐らく私達を追いかけ回し、弱った所をまとめて仕留めるつもりだろう」
「だったら早く逃げなきゃ!」
「それはちょっと難しいダスー」
 血相を変えるエリスに、ジンが難しい顔で口を挟む。
 ジンは、大きな耳を動かしながら、
「空気の流れが変わっているダスー。たぶん、オイラ達が通って来た道はとっくに崩されているダスー」
「それとジェレミアだ。あいつは今一人だから、早いとこ見つけてやらねーと」
 キュカの言う通り、ロジェとエリスは見つかったが、ジェレミアが未だに見つからない。
 恐らくジェレミアも、自分達同様、ジュエルイーターに追い込まれているのだろう。となると――
「このまま奥へ行くしかないな。ジュエルイーターの巣があるはずだ」
「巣!? 自分から喰われに行くようなもんだぞ!?」
 今度はカシムが血相を変える。ロジェも怪訝な顔で、
「ジュエルイーターの巣に行って、どうするんだ?」
「ジンの言う通り、ヤツが道を崩しているということは、退路を断ち、私達を巣へ追い込むつもりだ。そうなるとヤツを叩かない限り、ここから出るのは難しいぞ」
「じゃあ、ジェレミアもそこにいるのね?」
「たぶんな」

 ――とっくに喰われてなければ、の話だが……

 最後のセリフは口に出さないでおいた。わざわざ不安にさせる必要はないだろう。
 カシムはこちらに不審な目を向け、
「……ずいぶん詳しいんだな」
「ああ、宮――家の書庫に、いくらでも本があったからな」
 宮殿と言いかけて、慌てて言い直す。
 ロジェも思い出したのか、
「確かにあの量はすごかったよな。一生かかっても読み切れないんじゃないかな?」
「……お前が読まなさすぎるんだ」
 宮殿に保管されている書物には、各地から集めたものもあれば、歴代の主教が書き記したものもある。
 やはり子孫としては、先祖の残した書物には目を通しておくべきだと思うのだが、ロジェはあまり読んでいなかったと思う。むろん、それらの書物は呪術に関するものばかりだったので、ロジェにしてみれば興味がないというより、さっぱりわからないというのもあったのだろうが……
 ロジェは苦笑いを浮かべつつ、
「だって、そんなに役に立つとは思ってなかったし。おまけに、ほとんどは古代語の古い本ばっかりだったしさ」
「…………」
 確かにそうだった。
 今の魔物の知識にしても、あの宮殿の中にいる限り、あまり役に立たないような知識だ。
「……何がいつ役に立つか、わからんもんだな……」
 そう思うと、あの宮殿で学んだこと、教わったことは、無駄ではなかったのかもしれない。歴代の主教が、自分の代まで伝えて来てくれたことも含めて――
「さあ、行きましょう。脱出するにもマナストーンを探すにも、ジェレミアを見つけなきゃね」
 ルナに促され立ち上がると、真っ暗な穴の奥に目を向ける。
 その暗闇を見ていると、どこまでも終わりなく続く迷宮のような気がした。

 * * *

 叔父は、やはり殺されたのかもしれない。

 一度は病死だと信じたのに、再びこんなことを考えるようになったのは、この世界に来てからだ。
 もし、この世界に来て――『彼』と再会しなければ、こんな疑念は抱かずに済んだかもしれない。
 『彼』なら、本人はおろか誰にも気づかれず、人の一人や二人、呪い殺すくらい出来たはずだ。
 もし、そうだとすれば――
「――ククッ……疑っているのなら、直接、問いただせばよいものを……」
「――――!?」
 突然声が聞こえ、一瞬で意識が覚醒する。
 目だけを動かすが、真っ暗で何も見えない。

 ――夢?

 しばらく気を失っていたらしい。仰向けに倒れ、何かが体にかぶさっている。土のようだ。
 体が半分、土に埋まっていたようだが、圧迫されるほどの量ではなかったことが幸いしたらしい。起きあがると、体についた土を払い落とす。
 そういえば、何かが壁の中から現れて、ぶつかった記憶がある。ただ、そこから先の記憶がない。
「誰かいないのか?」
 暗闇の中、声を上げ――その声の響きように驚く。

 ――どこだここは!?

 今頃になって、今いるのが広い空間だと気づく。
 記憶では通路にいたはずだ。なのに、今の声の響き方からして、ここは広いホールのような空間だ。おまけに妙な獣臭がする。
「明かり……」
 手探りでランプを探すが、手に触れるのは土の感触ばかりだ。それに、もし自分が運ばれてきたのだとすれば、ランプなど――
「――お探しものはこれですか?」
「…………?」
 顔を上げると同時に、目の前に小さな明かりが灯る。
 探していたランプが顔の真ん前に突きつけられていたが、その炎は、不気味な青白い光を放っていた。
 そして、その向こうにはいたのは、
「――――!?」
 その姿に、思わず後ろに飛び退く。

 ――なん……だ? コイツ……

 ランプを手に立っていたのは、道化師のような格好をした男だった。
 人と呼ぶには不自然に腰が曲がり、カマキリのような顔をしている。ランプを持つ反対側の手には、巨大な鎌を担いでいた。
「何者だ!?」
 我に返ると慌てて双剣を抜き、構えるが、男はランプを足下に置き、
「驚かせてスミマセンねぇ。ワタクシは、死を喰らう男と申します」
 そう言うと、戦う意志がないと示すように両手を軽く挙げてみせる。
 この姿、そういえば――
「お前……まさか、ノルンでレニをさらったヤツか?」
 巨大な鎌に道化師のような衣装。以前、テケリが言っていた特徴と一致する。
 しかし、それがなぜ自分の前に現れたのか、その理由がわからない。戦う意志がないのは確かなようだが……
「あたしになんの用だ?」
 双剣を構えたまま聞いてみると、死を喰らう男は笑いながら、空いた片手を前に掲げ、
「用も何も、ワタクシは引き寄せられただけですよ。迷い、悩み、苦しむ……孤独な、哀れな魂……」
 ぽっ、ぽっ、と、音を立て、ランプと同じ青白い炎が次々とその手の平から生み出され、こちらと死を喰らう男の周囲をゆっくりと囲んでいく。
 その炎はまるで――人魂のようだった。
「人とは哀れですねぇ。心のままに生きることを望みながら、くだらない理性でそれを押さえ込み、本当の自分を隠す。……殺したいほど憎い相手なら、さっさと殺せばいいのに、それをしないで一人抱え込む」
「…………」
 ……そう。『彼』に疑念を抱えているにもかかわらず、未だに問いつめることが出来ないでいる。
 それもこれも、彼が『ただの人間』だったからだ。
 もし、彼がもっと冷酷で残忍な男だったら、疑う余地もなく、とっくに一戦交えていたかもしれない。いっそのこと、彼がアナイス側に寝返ってくれたらどれだけ楽だったか……
「どうやら、心当たりがあるようですね?」
 わずかな動揺を見逃さず、死を喰らう男は目を細める。
 その時になって、死を喰らう男の術中にはまっていたことに気づき、小さく舌打ちすると、
「アナイスは一体何をするつもりだ?」
「さあ? ワタクシはうまい魂さえ食えれば、他のことには一切興味がありませんので」
 しれっ、と、肩をすくめてみせる。本気なのかしらばっくれているのか、よくわからない。
「なるほど。それでも、何か知っていることはあるだろう? ……あたしの前に現れたこと、後悔させてやる!」
 言うと同時に駆け出し、懐に飛び込むと、双剣を振るう。
「!?」
 死を喰らう男は避けもせず、攻撃を受けるが――まるで霧でも斬るように、手応えがなかった。
 斬ったものが分身だと気づいたのは、自分ののど元に、冷たい何かを感じてからだ。
「ご安心下さい。今日、ワタクシは戦うつもりはありませんので」
 それが鎌だと気づくのに、たいした時間はかからなかった。
 いつの間にかこちらの背後に回った死を喰らう男は、静かな声で、
「哀れな魂は哀れな魂を呼ぶと言いましょうか。あなた達ご一行は、皆、いい魂をしている……ククッ……楽しみですねぇ……いい具合に熟成すること、期待していますよ」
 ……気がつくと、双剣を持つ手をだらりとたらし、その場に膝をついてへたり込んでいた。
 背後の気配はとっくに消え、すぐ側に置かれたランプも、元通りのオレンジ色の光を灯している。
 死を喰らう男が去ったのだとようやく理解するが、それでもすぐには動けなかった。

 ――なんだ……? あれは……

 これまで、死にそうな目には何度も遭った。
 何しろ戦場だ。気を抜けばこちらが殺される。誰だって恐怖を抱く。
 しかし――あの男がもたらしたのは、それとは違った恐怖だった。
 何がどう違うのかはわからない。だが、まるで心の奥底に黒い染みが浮かび上がってくるような、そんな感覚だった。

 ――ズシンッ。

「…………?」
 振動に、我に返る。
 その振動は、ゆっくりと、着実に近づいてきていた。

 ◆ ◆ ◆

 穴は、奥に進むほど道が入り組んでおり、枝分かれした道に出るたびに怪物の足跡を頼りに進む。
「おい。これはなんだ?」
 カシムが何かを見つけたのか、壁のわずかなでっぱりに引っかかっていた布きれを取り、近くにいたこちらに手渡す。
「これは……」
「ジェレミアのバンダナじゃない。じゃあ、近くにいるんだわ」
 エリスの言う通り、ジェレミアがいつも頭に巻いているバンダナのようだったが、泥まみれで、頭からすっぽ抜けたのか、結んだままだ。
「この汚れ方……それに、しばったまま落としたら気づくだろ」
「まさか、怪物に運ばれた?」
 キュカの言う通り、バンダナの汚れは、まるで壁や地面にこすりつけたような汚れ方だった。自分で歩いている最中に落としたにしては不自然だ。
「きゃっ!?」
 突然足下が揺れ、エリスがよろめく。
「近いぞ! この奥だ!」
 サラマンダーに言われるまでもなく、一斉に走り出す。
「ここダスー!」
 精霊達の案内で先に進むと、少し広い場所に出た。
 獣臭さに鼻を押さえつつ周囲を見渡すと、小さなランプの明かりが見える。その近くに――
「――ジェレミア!」
「お前ら……」
 慌てて駆け寄ると、ジェレミアはぽかんとした顔でへたり込んでいた。
 そして、こちらの顔ぶれを見るなり、
「って、なんでお前らがいる!?」
「成り行きだ」
「別に好きこのんで来たんじゃないわよ!」
 エリスは朝のことをまだ根に持っているのか、ヤケクソ気味に怒鳴る。
「とにかく明かりだ! こう暗くちゃ、味方の位置もわかんねー!」
 サラマンダーの言葉に、エリスと二人がかりで、あちこちに魔法の明かりを灯す。
「きゃあ!?」
 奥にも明かりを飛ばし――そこにいた黒い生き物の姿に、エリスが驚いて悲鳴を上げる。
「やはりジュエルイーター……」
 固そうな体毛に覆われたずんぐりした体、イノシシのような顔、口には巨大な牙をはやし、短く太い手足にはえた鋭い黒爪は、地面に手がつくたびに土をえぐる。あの爪に引っかかれたら、人間の体など一瞬でズタズタだ。
「来るぞ!」
 ロジェの声に我に返ると、ジュエルイーターがこちら目掛けて突進を始め、全員散り散りに逃げ出す。
 ジュエルイーターはそのまま走り抜け、壁に激突して止まったが、その衝撃で、立っているのが困難なくらい穴全体が大きく揺れる。
「出口が……!」
「やはり、私達を閉じこめるつもりだ」
 衝撃で、通ってきた穴の入り口が崩れ、愕然とするカシムに、冷静に答える。
 ふと周囲を見ると、ロジェとエリス、キュカは自分達と反対側に逃げたらしい。そしてこちら側には、カシムと、なぜかただならぬ形相(ぎょうそう)で自分をにらみつけるジェレミアがいた。
「…………。なんだ?」
「別に……」
 そう言うと、ジェレミアはそっぽを向く。
 気を取り直してジュエルイーターに目を向けると、すでに体勢を直し、地面を蹴り上げて砂ボコリを舞上げていた。
「オイラの力を使って下さいダスー!」
 ジンが、ジェレミアとカシムの剣にサンダーセイバーをかけるが、正直な話、突進してくる相手を斬るのはどう考えても困難だ。
「逃げろ!」
 案の定、突進してきたジュエルイーターに為す術なく逃げ出し、ジュエルイーターは自分達を横切ると壁に激突して止まるが、その震動は、さっきより大きくなっているような気がする。
「アカン! これ以上ぶちかましかけられたら、穴が崩れて生き埋めや!」
「だったら、崩れる前に動きを止める!」
「おい!?」
 ウンディーネの言葉を聞くなり、ジェレミアは駆け出し、壁に激突したまま動きを止めているジュエルイーターの後ろ足に斬りかかる。
 ジンの力を借りた双剣は固い体毛に覆われた足を斬り裂くが、次の瞬間、
「グッ!?」
「ジェレミア!」
 ジェレミアの体はジュエルイーターが振り向きざまに振るった前足にはじかれ、こちらの近くまで軽々と吹っ飛ばされる。
「ジュエルイーターは痛みに鈍い。ちょっと斬りつけた程度で動きを止めるのは無理だ!」
 慌てて駆け寄り手を差し伸べるが、ジェレミアはそれを拒み、自力で立ち上がる。剣を手放さなかったのはさすがと言うべきか。
「ジェレミア! 無茶するなお前は!」
「うるさい!」
 ジェレミアは心配して駆けつけたキュカにも容赦なく怒鳴り返し、その態度にエリスが眉をつり上げ、
「何よ! 心配してる相手に、そんな言い方――」
「それどころじゃないぞ!」
 ロジェの声に振り返ると、ジュエルイーターはすでに体勢を直し、再びこちら目掛けて突っ込んでくる。
「きゃーきゃーきゃー!」
「曲がれ!」
 一人で騒がしいエリスはさておき、サラマンダーの言葉に従い、慌てて左右に散ると、ジュエルイーターはそのまま真っ直ぐ走り抜け、再び壁に激突して停止する。
 カシムは目を丸くして、
「あいつ、真っ直ぐにしか走れないのか?」
「そうみたいだな。……ひたすら逃げまくって、向こうが力尽きるのを待つという手もあるが……」
「これやと生き埋めになるんが先や!」
 ウンディーネの言う通り、壁には細かい亀裂が走り、天井から降ってくる砂の量も増え、いつ崩れてもおかしくない雰囲気だ。
 キュカも、降ってくるホコリや小石を腕でガードしながら、
「動きを止めるには、それこそ足を切り落さにゃならんってことか?」
「そうだ」
 うなずくが、それが困難なのは誰が見ても明らかだ。
 ジュエルイーターは体勢を直すと、斬られて血が流れている足で地面を蹴り上げている。痛みどころか、ケガそのものに気づいていないのかもしれない。
 どう考えても、ジュエルイーターの太い足を骨ごと切り落とすのは無理だ。ならば――
「私が……なんとか動きを止める。その間に仕留めろ」
「そんなこと――」
「来るで!」
 ロジェが止めようと口を開きかけるが、ウンディーネの声にさえぎられる。
 こちらに突っ込んでくるジュエルイーターに、全員慌てて逃げ出すが、自分はその場に踏み止まり、
「ジン!」
「はいダスー!」
 杖を構えると、ジンの力を借りて、渾身の力で前方に結界を張る。攻撃よりも、結界ならば自信がある。それに真っ直ぐしか走れないのなら、こちらはじっとしているだけでいい。
 頭から突っ込んできたジュエルイーターは、結界にめり込むように激突し、そのままなんとか押しとどめる。
「クッ……!」
「負けないダスー!」
 ジンも風で押し返すが、向こうも退くつもりがないのか、地面に足をめり込ませながら、一歩、また一歩と進む。そのたびに、直接は触れていないはずの体が結界ごと押され、じりじりと後退していく。
「兄さん!」
 剣を手に、ロジェがジュエルイーターに飛びかかり、その目に剣を突き立てた。
 どう考えても致命傷だと思うのだが、野太い悲鳴を上げながらもジュエルイーターは動きを止めず、それどころか、さらに強い力で結界を押してくる。
 キュカやカシムも、ジュエルイーターの足に精霊の力を宿した剣を突き立てるが、それでもなお、地面に足をめり込ませ、血を吹き出しながら前へ突き進もうと力を込めてくるのがわかる。
「うぅっ……!」
「ぐぬぬ……!」
 想像以上の力に、自分も、ジンも、限界が近い。
 目に剣を突き立てられたにもかかわらず、最後の力なのか、ジュエルイーターは咆哮を上げ――
 突然、その力が消えた。
「――――っ!」
 その拍子に結界が解け、思わず尻もちをつく。ジンも、コテンッ、と地に落ちた。
「……ジェレミア?」
 顔を上げると、ジュエルイーターのもう片方の目に、ジェレミアの剣が柄まで深々と突き立てられていた。
「……フン」
 ジェレミアは剣を引き抜くと、さっさとこちらに背を向ける。
 ジュエルイーターが完全に動きを止めたことを確認すると、エリスはこちらに駆け寄り、
「大丈夫?」
「あ、ああ……」
「疲れたダス~」
 うなずくと、大の字に転がったジンを拾い上げ、ジュエルイーターに目を向ける。
 両目から流れる血は、まるで、血の涙を流しているようだった。

「……おい、なんかヤバくないか?」
 ジュエルイーターが倒れ、安心したのもつかの間、キュカの言葉に顔を上げると、砂はなおも降り続け、穴の中もグラグラと揺れている。その震動で、壁の亀裂がますます大きくなっていた。
「――何か、強い力を感じる!」
 ルナの言葉に、ジュエルイーターの亡骸に目を向ける。そこから何か力を感じた。
「ジュエルイーターが……」
 突然、ジュエルイーターの体が溶け出し、地面に染み込んでいく。
 ジュエルイーターの体はあっという間に地面に吸収され、さっきまでの揺れもぴたりと止まった。
「………?」
 顔を上げ、ジュエルイーターが横たわっていた場所に目をやるが、もう跡形もなくなっている。
「どうなって……」
 ジュエルイーターがいた地面に歩み寄ると、次の異変はすぐに起こった。
「――――!?」
「マナストーン!?」
 今度は突然、足下が光りだし、巨大な石が浮かび上がってくる。
 ロジェに引っ張られて慌てて後ろに下がり、石が出現する様を、ぽかんと眺める。
「まさかジュエルイーターが現れたのは、マナストーンの影響で……?」
 もしかすると、元々普通のモンスターだったものが、マナストーンの力を吸収して突然変異し――そのモンスターが死んだことによって、マナストーンが奪われた力を取り戻したのかもしれない。
「――クククッ……ご苦労様です」
「!?」
 突然の声に振り返るが、姿を確認するより先に、頭上を何かが通り過ぎる。
 再びマナストーンに目をやると、その横に、鎌を持った道化師姿の不気味な男が立っていた。
「お前は……!」
 間違いなく、ノルンで会った不気味な魔族――死を喰らう男だった。
 死を喰らう男は、口を笑みの形に歪め、
「一人くらい、くたばってくれないかと期待したんですがねぇ……いやはや、お見それしました」
「キサマ!」
 ジェレミアが飛び出そうとするが、次の瞬間、マナストーンの真下に魔法陣が出現し、それが放つエネルギーに押されて踏み止まる。
「マナストーンが……!」
 止める間もなく、魔法陣はマナストーンをあっという間に呑み込むと、しゅんっ、と、音を立てて消える。
 死を喰らう男は満足そうにうなずくと、
「お仕事完了、と。それでは、ワタクシは失礼しますかね」
「逃がすか!」
 ジェレミアが再び飛びかかるが、死を喰らう男は後ろに大きく飛んで避けると、余裕の態度で、
「ホッホッホッ。お相手したいのは山々ですが、あいにく、あなた方の本日のお相手はワタクシではありません。それでは、これにて失礼します」
 そう言うと鎌を一閃させ、空間を切り裂くと、その姿は一瞬で消え去った。