13.その心のままに - 4/4


「エリス、無事か?」
「…………」
 死を喰らう男が去り、最初に口を開いたのはカシムだった。
 彼の存在にジェレミアは首を傾げ、小声で、
「あいつは?」
「エリスの兄貴だそうだ。なんか、家出してたのを捜していたらしい」
「なに?」
 キュカの返答に、ジェレミアの目つきが険しくなる。
 一方で、エリスは不機嫌そうな顔で、
「こんなトコまで追ってきて、わざわざご苦労なことね」
 その言葉に、カシムは顔を真っ赤にして、
「当たり前だ! ある日突然いなくなって……海に落ちたんじゃないか、化け物に喰われたんじゃないかって村中大騒ぎで、葬式の話まで出たんだぞ!?」
「…………」

 ――葬式……

 まさか、そこまで大騒ぎになっているとは思っていなかったのだろう。エリスの顔から血の気が引く。
「なんや。アンタ、連れ戻すんやのーて、生きとること信じて捜しとったんか」
「…………」
 ウンディーネの言葉には応えず、カシムは厳しい口調で、
「とにかく帰るんだ。……お前達が一体何者なのかは知らないが、冗談じゃないぞ。エリスをこんな危険な目に遭わせるなんて」
 そう言って、さっきまでジュエルイーターが横たわっていた場所をにらみつける。
 たしかにそうだ。
 ヘタをすれば命はなかった。そんな目に遭うとわかっていて、妹を預ける者はいないだろう。
「危険は承知よ。わかってついて行ってるの」
「…………」
 口を挟むエリスに、カシムは少し考え、
「じゃあ、こう言えばいいのか? お前、なんでこいつらと一緒にいる? こいつらと一緒にいて、お前は何かの役に立っているのか? いなくなると困るくらい?」
「それは……」
「お前達はどうなんだ? エリスと一緒に行動しなきゃいけない理由でもあるのか? エリスに何かあった時、責任は持てるのか?」
「――確かに、置いておく理由はないな」
 最初に口を開いたのはジェレミアだった。
 ジェレミアはエリスをにらみつけ、
「家族がいて、帰る家があるとわかった以上、お前を置いておく理由はない」
「…………」
 そのきつい言い方に、エリスは何か反論しようとするが、言葉が思いつかなかったらしい。二人の険悪な空気に、キュカが慌てて、
「ま、まあ、お前には色々助けてもらったし、いなくなると困ることもあるだろうが……万が一お前に何かあった時、俺達は責任が取れないしな。それにやっぱり、家出は良くないぞ」
「……そう。そうね……」
 ジェレミアとキュカの言葉に、エリスは肩を落とす。二人の言葉はもっともなだけに、反論の余地もないが――
「……追い出す理由もないんじゃないのか?」
「え?」
 ふいにレニの口から出た言葉に、全員の視線が集まる。
「わたし、いてもいいの?」
「え? いや……」
 エリスの何かを期待する目に、どう答えればいいのかわからず口ごもる。
 自分でも、なんだってこんなことを言ってしまったのかわからない。自分に決定権などないというのに。
「ウチはレニに賛成や。ウチらも勝手についてきとるよーなもんやしな」
 助け船を出してくれたのはウンディーネだった。
 ウンディーネは、カシムとジェレミアを交互に見やり、
「帰るにしろ残るにしろ、これまで通り、エリスの勝手にさしたったらええやん」
「オイラ、エリスさんがいなくなるのは寂しいダスー」
「…………」
 ウンディーネとジンの言葉に、ジェレミアはしばらく口をへの字に曲げていたが――
「……フン。勝手にしろ」
「…………」
 その言葉に、エリスはぽかんとした顔で立ちつくす。
 カシムもしばらく黙っていたが、
「エリス、村に帰る気はないのか?」
「…………」
 改めて問われ――しばらく黙り込んでいたが、
「……わたしの生き方は、わたしが決めたいの」
「…………」
 重苦しい沈黙の末、カシムはため息をつくと、
「……勝手にしろ」
「勝手にするわ」
 そう言い放つと、互いに背を向けた。

「――やれやれ。兄妹ゲンカは済んだかの?」
 その声に顔を上げると、ルナとサラマンダーと共に、ヒゲをはやし、緑の帽子をかぶった小さな老人が現れた。
「ノーム! 無事だったのか?」
 ロジェの言葉に、ノームはひとつうなずき、
「事情は聞いたぞ。まったく、やっかいなことに首を突っ込んでおるな」
 そう言うと、ノームはルナとサラマンダーに目をやる。
「マナストーンが盗られちまったが……いいのか?」
「いいわけなかろう。あれは、人が扱うには危険なシロモノ。まったく、マナストーンをどうするつもりじゃ」
 キュカの言葉にノームは眉をつり上げるが――ぽつりと、
「……そのマナストーンを守るのがお前の仕事だろう」
「う、うるさいわい! 第一、あんな化け物をワシ一人でどうしろと言うんじゃ!」
 まるで、精霊一人に任せる女神が悪いと言わんばかりだ。たしかにノームの言うことも一理あるが。
「マナストーンといえば、神獣が封じられた石のことだろう? そんなものが盗まれて……万が一封印が解けたら、大変なんじゃないのか?」
 それくらいの知識はあるらしい。首を傾げるカシムに、ウンディーネが、
「ウチらもそのことで色々相談しとるんやけどな。マナストーンの力を解放した所で、すぐ危険な状況になるわけやないんや」
「起爆剤がないからか?」
 言ってから――精霊達が、きょとんとした顔で、
「なんでお前がそんなこと知ってるんだ?」
「え?」
 サラマンダーに問われ――首を傾げる。
 ……どこで知ったのだろう。思い出せない。
「……確かに、力を解放しただけではダメ」
「今、神獣は深い眠りについているダスー。ちょっとやそっとじゃ起きないダス」
 首を傾げるこちらはさておき、ルナとジンも、ウンディーネの言葉を続ける。
 ノームもうなずき、
「まあ、差し迫った危機ではない、ということじゃ。だからと言って、安心していいわけでもないがな」
「でも……アナイスは、マナストーンをどうするつもりなんだ?」
「マナストーンの力だけが目的なら、神獣が深く眠っているほうが好都合、ということじゃないのか?」
「…………」
 ロジェの言葉に、ジェレミアはさほど深く考えずに言うが――本当にそうだろうか。
 マナストーンの力だけが目的なら、ひとつもあれば十分なはずだ。
 それなのに、すべてのマナストーンを集める理由――すべてのマナストーンを集めなければならないような理由があるというのだろうか?
 ……単純に、エネルギーを利用するだけとは思えない。
「……とにかく外に出ようぜ。こんないつ崩れるかわからん所じゃ落ち着かねーし」
「ワシが案内しよう」
 キュカの言葉に反論する者がいるはずもなく、ノームが崩れた出口を開き、その案内で全員外へと向かうが、自分はその場に留まり、さっき、マナストーンが出現した場所をぼんやりと眺める。
「……神獣を復活させようと思ったら、何が起爆剤になるんだ……?」
「縁起悪いこと考えないでよ」
 聞こえたのか、同じく動かなかったエリスが口をとがらせる。
「おい、エリス……」
 さっさと出て行きたいらしいカシムがエリスの肩をつかむが、それを無視して、
「神獣が復活したら、自分も含めてみんな危なくなるのよ? 意味ないじゃない」
 サラマンダーもうなずき、
「そうだぜ。いくらなんでも、神獣を復活させようなんてムチャはないだろ」
「ああ……」
 二人の言葉に一応うなずくが――何か引っかかる。
「何をしている。早くしろ」
 自分達がいないことに気づいたのか、ジェレミアが出口の穴から顔を出す。
「今行くわ。……ほら、行きましょ」
 エリスに手をつかまれ、足早に出口へ向かう。そういえば――
「おい」
「……なんだ?」
 先に行こうとするジェレミアを呼び止めてから、ポケットに手を入れると、
「落ちてたぞ」
 取り出したバンダナを差し出すと、ジェレミアは慌てて頭に手をやる。今頃になって、バンダナがないことに気づいたらしい。
「フン」
 ジェレミアはひったくるようにバンダナを取り上げると、礼も言わずにずかずかと歩き出した。

「ホレ、出口じゃ」
 ノームの案内で穴を進んでいると、いつの間にか覚えのある道を歩いていた。たしか、ガイアの口から入った道だ。
 ほどなく先に小さな光が見え、それに安堵したのか、エリスは大きく息を吐き、
「あー、やっと出た~。もうこんなトコこりごりよ」
「自分で入ったんだろう……」
 カシムがうんざりした顔でつぶやく。こちらもかなり疲労しているらしく、さっきから口数がかなり減っている。
 穴の中で走り回っている間にすっかり日が傾いてしまったらしい。外に出て見上げると、空は赤くなり、森に視線を落とすと、黒い影となった木々に混じって人影が見えた。

 ――待ち、人……?

 ふと、あの妙な占いを思い出す。そして、死を喰らう男が言っていた言葉。

 ――あなた方の本日のお相手はワタクシではありません――

 肩が、ざわつく。
 人影はゆっくりとこちらに歩み寄り、次第にその姿がはっきりとなる。
 夕日に照らされ、現れたのは――
「ルカ!?」
 間違いなくその姿は、ルサの妹――ルカだった。他に人の姿はなく、一人のようだ。
「……お前達は、なぜ戦う?」
 彼女は、こちらの驚きなど無視して、声が聞こえる程度の距離で足を止めると、
「復讐か?」
「――違う!」
「ならばなぜ戦う」
 ルカは、真っ先に反論したロジェをにらみつけ、
「理由もなく、命がけで戦う理由などないはずだ。ガキのごっこ遊びじゃあるまいし、世界のため、正義のために戦っていますなんてトチ狂ったことを言わないだろうな?」
「…………」
「マナの教団と戦う者は、皆、復讐のために戦っている」
 その言葉に、一瞬、マハルのことを思い出す。
「都合のいい正義を掲げ、きれいな言葉を並べ……自分を正当化し、その手を血に染める。お前達は違うというのか?」
 誰も何も言わないでいると、彼女はいらついた顔で、
「何か言ったらどうだ!? それとも、その程度の覚悟で戦っているのか!?」
 怒鳴りつけると、剣の柄に手をやり、
「それなら、復讐のために戦っている連中のほうがまだマシだ! その程度の覚悟で――アナイスに勝てると思うな!」
「――っ!」
 ルカの抜刀をきっかけに、ジェレミアが双剣を手に駆け出す。
 外に出た安心感が一転、空気は緊迫したものへと変化し、金属のぶつかり合う音が響いた。

 ◇ ◇ ◇

「お前達、よせ!」
「兄さんは下がって!」
 制止しようとするレニの前に出ると、ロジェは剣を抜いた。
 すでにジェレミアの双剣がルカに向かって振るわれていたが、ルカは剣でそれを受け止め、そのまま間合いを詰めると、すかさずジェレミアに足払いをかける。
「――――!?」
 足をすくわれ、バランスを崩した瞬間を見逃さず、ルカの膝がジェレミアの腹にめりこみ、続けて剣の柄でこめかみを殴り飛ばし、ジェレミアの体は地に転がった。
「グッ……!」
「ジェレミア!」
 倒れ込んだジェレミアをガードするようにキュカが間に入るが、まともに交戦する間もなく、ルカが振り下ろした剣で構えた刃がへし折られた。
 ルカは、武器を失ったキュカ目掛けて剣を振り上げ――
「――やめろ!」
 そこに剣を手に突っ込み、ルカが振り下ろした剣を力任せにはじくが、すぐさまルカも反撃に出る。
 女性が振り回すには不釣り合いな大剣だが、ルカはまるで苦もなく振り回し、刃がぶつかり合うたびに、手に、痺れるような震動が伝わってくる。

 ――なんだこの女!?

 振り下ろされた剣を受け止め――その重さに、内心焦る。
 男だの女だの、そんなことを言っている場合ではない。力といいスピードといい、もしかするとバジリオス将軍と同格――いや、それ以上かもしれない。
「どうした? その程度か!?」
 いつの間にか、反撃はおろか、防戦一方になっている。
 こちらは息が上がっているというのに、ルカは疲れた様子も見せず、それどころか、刃がぶつかり合うたびにその重さがどんどん増していく。
 そして、こちらが一瞬よろめいた瞬間、ルカはこちらの懐に一気に踏み込むと、下段から剣を振り上げる。

 ――ぎんっ!

「――――!」
 剣で受け止めた――と思ったが、負荷に耐えきれず、とうとう剣が、折れた。
 こちらにはもう、別の剣を抜き放つヒマもない。かわす余裕もない。
 後はもう、ルカが振り上げた剣を振り下ろされるのを待つのみだった。
 そして次の瞬間、体が思い切り地面に叩きつけられた。

「…………」
 何が起こったのかわからず、仰向けに倒れたまま、ぽかんと空を眺める。
 とりあえず、自分が生きているのだということに気づいた途端、全身から冷たい汗が吹きだし、ほどなくして、体にのしかかる重みで我に返る。

 ――にい、さん?

 目だけ動かすと、肩の辺りに自分と同じ深緑の髪が見えた。表情はわからないが、気絶しているのではないかというくらい、ぴくりともしない。
 さらにその向こうに目をやると、顔を引きつらせたルカが、標的に到達する寸前で刃を止めたまま、固まっていた。あと少しタイミングがずれていれば、間違いなく斬り殺されていただろう。自分ではなく、兄が。
 ようやく、飛び出してきた兄に助けられたのだと理解するが、ルカが攻撃を止めた理由がわからない。彼女にとって、自分だろうと兄だろうと、斬った所で不都合はないはずなのに。
「――――!」
 突然、ルカが振り向きざまに剣を振るうと、数本の矢が地に落ちる。
「……申し訳ありませんが、この場は退いてもらえませんか?」
 少し体を起こし、声がした方角に目をやると、ユリエルが弓を構えて立っていた。その穂先は、まっすぐルカの頭に狙いをつけている。
 ルカは、しばらく剣を構えていたが――舌打ちをすると構えを解き、
「……命拾いしたわね」
 それだけ言うと剣を鞘に収め、その場から足早に立ち去った。

「に、兄さん……大丈夫、か?」
 ルカの姿が見えなくなり――ようやく体を起こす。
「キイィッ!」
「大丈夫でありますか!?」
 ラビが全速力ですっ飛んできて、その後を追ってテケリが駆け寄る。どうやらこのラビが、ユリエル達をここまで案内したらしい。
「ケガはありませんかにゃ?」
「すいません。遅くなってしまいました」
 ニキータと共に、遅れてやってきたユリエルもこちらに駆け寄る。
 ルカが退いた理由が新手が現れたからなのかはわからないが、どちらにせよ、兄に助けられたことは確かだ。
 しかし、わからない。
 どうしてこんな無茶を――
「兄さん?」
「あ……ああ……」
 顔をのぞき込むと、顔面蒼白で、ガタガタ震えていた。今の返事も、肯定というより単なるうめき声だったようだ。
「大丈夫ですかにゃ? ひょっとして、ケガしたとか……」
 ニキータの言葉に、右肩を押さえていることに気づき、手を伸ばそうとして、
「――キィッ!」
 突然、ラビが鋭い声を上げて割り込んでくる。
「ラビきち、どうしたでありますか~?」
 テケリがラビを抱き上げ、なだめるが、この前のように興奮した様子でじたばたと暴れる。まるで、こちらが兄に近づくのを嫌がっているみたいだ。
「……よっぽど嫌われてるんだな」
「そ、そうだな」
 嫌われる心当たりがないのだが、キュカの言う通り、そうとしか言いようのない態度だ。
 ユリエルは兄の額に手を当て、
「……ふむ、少し熱がありますね。急いで戻りましょう」
「立てる?」
 エリスが心配顔で兄に手を差し出し、兄もその手を取ろうとして――
「キィッ!」

 がぷっ。

 テケリの手からはい出たラビが、エリスの手に食らいついた。
 一瞬の沈黙ののち、
「――噛んだ! このラビまた噛んだ! 今夜の夕飯にしてやる! 生きたまま油に放り込んでやる!!」
 エリスは手から流血しつつ、噛み逃げしたラビを追いかけ、兄は行き場を失った手を困った様子でさまよわせた。

 ◆ ◆ ◆

 どうして、あんな無茶をしたのだろう。
 考えてみるが――答えが出るわけがなかった。何しろ、何も考えていなかったのだから。
 固いベッドに腰を下ろし、懐から小さな指輪を取り出す。
 ……彼女も同じだったのだろうか?
 自分が死ぬ可能性など考えもせずに、体が勝手に動いて……少ししか話をしたことのない相手のために――
 しかし、自分はどうだろう?
 もしかすると、ロジェだったからかもしれない。テケリだったらどうだろう? エリスやニキータなら? はたまた、まったく見ず知らずの相手なら?
 そこまで考えて――どんなにがんばっても、あの少女に勝ち目がないと結論を出す。勝てる自信がない。
「――ホレ」
 突然、目の前にお茶の入ったカップを差し出され、我に返る。
 ワッツはカップを差し出したまま、
「風呂掃除しといて正解だったな。いい湯だったろ?」
「あ、ああ……」
 適当にうなずきながらカップを受け取る。
 確かに、掃除しておいたのと、着替えを持ってきておいたのは正解だった。そうでなければ、疲れた体にムチ打って宿まで戻るか、どう考えてもサイズの合わないワッツの服を借りるかしなければならないところだった。
「ロジェ達はもう帰ったのか?」
「ああ。もうじき日も暮れるし、全員ドロまみれだったからな」
 言われて窓の外に目をやると、ワッツの家に着いた頃には赤いと思っていた空が藍色に変わっていた。もうじき日没だ。
 唯一残ったというか勝手につきまとうラビは、ベッドの上でタオルをくわえたりくるまったりして一人遊びをしている。
 ぼんやりとそれを眺め――ワッツに目を向けると、
「……お前には、何から何まで頼りっぱなしだな」
「気にすんな。頼られるのは嫌いじゃない」
 そう言うと、近くのイスに腰を下ろし、お茶をすする。
 ワッツ自身も他に仕事があるはずなのに、船の修理に加えて、壊された武器の修理まで、嫌な顔ひとつせず引き受けてくれた。もしワッツがいなければ、まだイシュで途方に暮れていたかもしれない。
「そんなことより、自分の体を心配しろ。熱が下がったからって、いつまたぶり返すかわからんしな」
「大丈夫だと言っているだろう」
「そういうセリフを吐くヤツほど、人に迷惑かけるんだ。人様が心配してくれるんなら、その人のために従っとけ」
「…………。わけがわからん」
 実際、熱はすぐに下がったものの、念のため自分だけワッツの家に泊めてもらうことになったのだが――実のところ、なんとなく一人になりたかったというのが本音だった。

 肩が、ざわつく。

 ワッツも、こちらが肩を気にしていることに気づいたのか、
「だから無理はするな。何はともあれメシだ。エリスが昼に作ってくれたヤツがあるから、温め直して――」
 言葉は途中で途切れた。
 どうしたのかと思ったら、何かを叩く音が聞こえる。玄関からだ。
「なんだ、客か?」
「こんな時間に……?」
 戒律で、夜、出歩いてはいけないはずだ。それにも関わらず、こんな時間に来客など……
「私が見てくる」
 カップを置いて立ち上がると、ワッツの返事も待たずに薄暗い玄関へ向かう。肩のざわめきが、さっきよりもひどくなる。
「……誰だ?」
 恐る恐る声をかけると、ドアの向こうから、
「ワッツ、いるの?」
 女の声だ。
 様子からして、ワッツの知り合いか何かだろう。
 鍵をはずし、そっとドアを開け――
『――――!?』
 一瞬、言葉をなくし、後ずさる。
 外にいたのは一人の女だった。
 しかし問題なのは、その女はどう見ても――
「なっ……なんでここに……!?」
「それはこっちのセリフだ!」
 驚いて後ずさる訪問者に、こちらも負けじと怒鳴り返す。
「――おお、ルカ。剣のメンテか?」
 声が聞こえたのか、振り返ると、奥から顔を出したワッツが訪問者に向かって親しげな笑みを浮かべていた。
「しっ、知り合いなのか!?」
「あん? ウチの常連客だ」
「…………」
 完全に動揺しているこちらに対し、ワッツは事も無げに返す。
 そう。訪ねてきたのはルカだった。
 ルカ自身も、まさか自分がワッツの家にいるなど夢にも思っていなかったらしく、玄関ポーチで立ちつくしている。
 ワッツはルカに目をやり、
「何ボケッと突っ立ってんだ? 入んな」
「え、ええ……」
 促され、ルカはようやく中に入り、ドアを閉める。
 警戒も何もしないワッツに、一瞬、呆気に取られるが、
「ワ、ワッツ、この女は――」
「ワッツ、これはどういう――」
「あーもう、ゴチャゴチャうるせぇな」
 ワッツは、ほぼ同時に発せられたこちらとルカの言葉をうるさそうにさえぎると、燭台に明かりを灯し、
「ここは俺の家で俺の店。ここにいるヤツはみんな俺の客。個々の事情なんて知ったこっちゃねぇ。客同士でモメ事起こすってんなら、よそに行ってもらおうか」
『…………』
 ワッツの言葉に、互いに気まずい視線を交わし――やがて、ルカは腰の剣を鞘ごとはずすと、
「……急いでいるの」
「そうか。見せてみろ」
 ワッツはルカから剣を受け取ると、抜刀し、
「こりゃあまた、とんでもねぇ手練れと戦ったな。刃がボロボロだ。あと一息で折れたかもしれねーぞ」
「…………」
 ワッツの感想に、ルカは無言で答える。
「急いでるんだったな? ――しょうがねぇな。二日……いや、明日の夕方までには直しておく」
「お願いね」
 ルカは振り返ると、こちらの足下のラビに気づき、
「かわいいラビね」
「キュッ」
 ルカの言葉に、ラビは当然だと言わんばかりに胸(?)を張る。
 そして、こちらに目をやると、
「あなた、名前は?」
「……レニ」
「そう」
 ルカはそれ以上は何も言わず、近くのテーブルに小さな皮袋を置いて家から出て行く。
「…………」
 しばらく、ルカが出て行ったドアを眺め――
「まったく、こんな大金いらねぇと言ってるのに、勝手に置いて行きやがる」
 その声に振り返ると、ワッツがルカの置いていった袋を開けてため息をついていた。
 横からのぞき込むと、金がぎっしり詰まっている。剣の修理代の相場は知らないが、結構な金額だ。
 ワッツは袋の口を締め、
「ま、これで気が済むんなら、受け取ってやるべきなんだろうな。……もしくは、持っていたくない金か」
「…………」
「なんだ?」
 こちらのもの言いたげな目に気づいたのか、問いかけるワッツに、少し悩んだ末、
「……あの女は教団の関係者だぞ」
「知ってるぜ」
 あっさりとうなずく。
「知っているなら、なぜ――」
「言ったはずだ。ここにいるヤツはみんな俺の客。どこの誰かなんて関係ねぇ」
 そう言うと、ソファに腰を下ろす。
「俺は、俺の気に入ったヤツの武器しか作らない。それだけだ」
「なぜ、武器を作る?」
「必要だからさ」
 即答だった。
「必要だから求める。必要じゃなければ求めない。それだけだ」
「…………」
 それきり、お互い何も言わず、妙な沈黙が室内を支配する。
 しばらくして――ワッツは懐からパイプを取り出し、火をつけると、どこか遠い目で、
「十年前の戦の時も、大量の武器を注文されて、職人達はせっせと武器を作って作って、作りまくった」
「お前も作ったのか?」
「ああ」
 うなずき、吸った煙をゆっくり吐き出す。
「剣は、ただの剣だ。金属の塊に過ぎない。人斬りだろうが草刈りだろうが、どう使われようと関係ねぇ。それともお前、斬られそうになって、剣を恨んだりするか?」
「いや……」
「そういうこった」
 こちらに気をつかったのか、ワッツは立ち上がり、近くの窓を開ける。
 そして、窓の外に向かって煙を一度吐いてから、
「いつの時代も、『人』が『人』を傷つける。たとえ武器がなくたって、その辺に転がってる石やら棒きれ、やろうと思えば素手でも人殺しは出来ちまう」
「…………」
 魔法使いは特にそうかもしれない。
 近づくことなく遠くから、しかも見た目には丸腰の状態で人を傷つけることが出来る。
 そう思うと、直接剣を手に斬り合いをするより、ずっと楽で――ずっと卑怯かもしれない。
「だが、これだけは言っとくぜ。俺は、金儲けのために武器は作らない」
 顔を上げると、ワッツはこちらの目を見据え、
「戦の時も、俺の所にはよく名誉が欲しい、手柄を立てたい、とにかく人よりいいものを持ちたい……そんな連中が、大金持って押しかけた。ま、片っ端から追い返してやったがな」
 その時のことを思い出したのか、ワッツは笑うが、すぐにため息をつくと、
「もっとも、俺が作らなかった所で他の誰かが作るから、たいして意味はないかもしれん。だが、そんな覚悟で剣を振るうヤツってのは、どんな名刀を手にしようと、最後はどこかでくたばっちまう。……俺が武器を作るのは、生き残って欲しいと思ったヤツだけだ」
「…………」
「そいつが何者で、何をやっているのかなんて関係ねぇ。俺は、俺の目で見たものしか信じない。それだけだ」
「私のこともか?」
「そうだ」
 あっさりとうなずくと、ワッツは目を細め、
「……俺は、余計な詮索をする趣味はない。今のお前だけわかりゃそれでいい」
「…………」

 ――キュ~……

 足下に目をやると、ラビがぐったりしていた。鳴いたと思ったのだが、腹の虫だったらしい。
「……そういえばお前、昼は何か食べたか?」
「ぷきゅ……」
 抱き上げると、ラビは力なく耳振る。食べていないらしい。
 ワッツは笑いながら、
「そのラビ、ずいぶんなついてるじゃねぇか。ラビってのは、人慣れしねぇと思ってたんだがな」
 確かに、ラビといえば臆病で、警戒心が強い生き物のはずだ。
 それなのに、このラビは敵と見なせば逃げもせずに襲いかかるし、こちらには警戒もせず甘えてくる。
 本当に、変わったラビだった。
「で、名前は?」
「名前?」
 意味がわからず聞き返すと、ワッツはラビをパイプで指し、
「名前だよ、そいつの。なんかあるだろ?」
「ない」
 正直に答えると、ワッツは目を丸くして、
「なんでぇ。そんなになついてんのに、名前もないのか?」
「ないものは仕方ないだろう」
 一応、テケリがつけたヘンな名前ならあるが、誰も呼ばないのではないも同然だ。
 ワッツはラビの顔をのぞき込み、
「かわいそうになぁ。名前もないんじゃ、その辺のラビと同じじゃねぇか。こんなにぷくぷく太っちまって、おめぇ、そのうち非常食にされちまうぞ」
「キュッ!?」
 ワッツの言葉に危機感を持ったのか、こびを売るように、ラビはこちらの胸に頬ずりする。
「……別に食いはしないさ」
 ため息をついてなでてやると、ラビは耳をぱたぱた振って愛想を振りまく。
 ワッツは笑いながら、
「だったら名前のひとつくらいつけてやりな。ただのラビはいっぱいいるが、おめぇを慕ってくれるラビはそいつだけだろ?」
「…………」
 見ると、ラビは何かを期待するような目でこちらを見上げている。

 ――名前……

「そう……だな。今度……今度、考えておくよ」
「キュゥッ!」
 こちらの言葉に、ラビは『約束だ』と言わんばかりに、大きく耳を振った。

 翌日は、夜が明けて間もない頃に目を覚ました。
 ワッツのベッドを借りて眠っていたのだが、マットが固いせいか、どうにも寝付けない。まあ、元々ワッツが自分用に作ったものだから仕方ないのだが……
 ラビを起こさないよう部屋を出て、家の外――裏側の草原に出て辺りをぐるりと見渡すと、太陽が頭を出し、空を明るく照らしていた。
 朝の冷たい風に、草原がざわざわと心地よい音を奏で――一瞬、ひときわ強い風が吹き、頭上を何かが通り抜けた。

 ――守護精霊?

 まばたきをした次の瞬間には、もう何もなかった。薄暗い空が広がっているだけだ。
「……気のせい、か……?」
 大きな鳥と見間違えたのだろう。
「――あら、おはよう」
 振り返ると、草原の方角から、エリスがこちらに向かって小走りで駆け寄ってきた。
「お前、こんな所で何を……」
「兄さんの見送りよ。村のみんなに、わたしが元気にやってること、伝えるって」
「そうか……」
 それにしては妙な方角から来たような気がするが、自分が知らないだけで、他の道があるのだろうか?
 ふと、エリスの手元に視線を落とすと、何かを握っている。

 ――太鼓?

 手の平サイズの太鼓に持ち手をつけ、回すと左右のヒモの先についた玉が太鼓を叩く仕組みのものだ。太鼓の頭には、木彫りの翼の飾りがついている。
 視線に気づいたのか、エリスはそれを後ろに隠し、
「それはそうと、昨日はごめんなさいね」
「まったく……わざと目印を残していったんだろう?」
 ため息をつくと、昨日、木の枝に結んであったリボンを差し出す。
 いつもエリスが髪を結うのに使っているリボンだ。代わりがないのか、今日も髪をほどいたままで、長い髪が風に流され、少し邪魔そうだ。
 エリスはバツが悪そうに、
「……その、あんたなら見つけてくれるかなー、なんて……」
「気がついたから良かったが、最悪、お前を見つけられなかったかもしれないんだぞ」
「……ゴメン」
 さすがに反省したのか、肩を落とす。
「……でも、見つけてくれたの、嬉しかったのよ?」
「…………」
「ねぇ。それよりさ」
 エリスは気を取り直すと、明るい声で、
「わたし、ここにいてもいいかな?」
「…………」
 その話は、昨日解決したはずだ。なんだってそんなことを再び聞いてくるのか。
「他の連中が何も言わないのなら――」
「あんたはどうかって聞いてるのよ」
「…………」
 なおも問いつめてくるエリスに困惑しつつも、考えた末に、
「別に……好きにすればいいだろう」
「そう。じゃ、好きにするわ」