「これどう? 似合う?」
「……いいんじゃないのか」
首飾りを見せるエリスに適当に返すと、彼女は目をつり上げ、
「ちょっと! 見もしないで適当に言うんじゃないわよ!」
「そう言われても……第一、なぜ私を誘う」
付き合えと言われて出かけたはいいものの、ついて行った先は自分とさほど縁のない服やアクセサリーが並ぶ市場だった。ついてきたラビも退屈そうだ。
これなら女同士、ジェレミアを誘えばいいはずだが、エリスは口をとがらせ、
「だって、ここんとこずっと船のことばっかじゃない。朝から晩まで本ばっか読んで。せっかく連れ出してあげたんだから、感謝しなさいよ?」
「…………」
エリスの言う通り、確かにここ数日、船のことばかりだ。
一度没頭すると、食べることも眠ることも忘れてしまう。それだけに、無理矢理にでも外に連れ出してくれる存在はありがたいものなのかもしれない。
……昔にも、こんなことがあったような気がする。
あの頃、そうやっていつも外に連れ出してくれたのは――
「――あ! これかわいいと思わない? きれいな色してるし」
思考は、エリスのはしゃいだ声に中断された。
見ると、今度は薄紅色の貝の髪飾りを手にしている。彼女は髪飾りを頭に当て、
「ねえねえ。せっかくだし、これ買ってよ」
「……物を贈るのは、誕生日か何かの記念日の時だろう」
遠回しに断ったつもりだが、通用しなかったらしい。エリスは髪飾りをこちらに突きつけ、
「じゃあ、今日わたしの誕生日だから。買ってよ。むしろ買え」
「……なんで今日がいきなり誕生日になるんだ?」
「だってわたし、自分の誕生日知らないしさ」
「なに?」
適当に流すつもりだったが、予想外の返答に目を丸くする。
「捨て子だったのよ。だから、ホントの誕生日はわかんない」
「…………」
あっけらかんと答える。今さらで気にしていないのか、もしくは同情されたくないのか……どうりで、カシムと似ていないわけだ。
「そんなことよりさ、買うの? 買わないの?」
エリスはしつこくねだってくるが、その声が、妙に遠くに聞こえる。
「少し……具合が悪い。帰る」
「ちょっと……もう!」
エリスの不満の声を背に受けつつ、元来た道を引き返す。
右肩が、ざわざわする。
さっきから頭もぼんやりする。やはりここ数日、無理をしていたのかもしれない。
エリスは横からこちらの顔をのぞき込み、
「ちょっと……ホントに具合悪そうだけど、大丈夫?」
問いには答えず、人気のない路地へと入る。
さっきのにぎわいが一転、人の姿がなく、日陰になっているので少し涼しい。
「――大丈夫ダスかー?」
人気がないことを確認して、精霊達が顔を出す。
ウンディーネは心配というより呆れた顔で、
「ここんとこ、あんま寝とらんやろ。根詰めすぎると、また体壊してぶっ倒れるで」
「余計なお世話だ」
適当に返しながら、冷たい壁にもたれかかる。
ほどなくして落ち着いてきたが――エリスが突然、
「脱ぎなさい」
「は?」
「いーから脱ぐ!」
「ちょっ……!?」
「ぷきーっ!」
抵抗するヒマを与えず、ラビの抗議の声も無視して、エリスはこちらの胸ぐらをつかむと、問答無用で前をはだけ――
「ひっ!?」
服の下を見たとたん、反射的に手を離す。
エリスは我に返ると、バツが悪そうに、
「ゴ、ゴメン……」
「……謝ることはない」
顔を背けると、服を直す。
タナトスの模様は日が経つにつれてじわじわ広がり、今では腰の辺りまで浸食されている。皮膚も青黒く変色し、自分でも気味が悪い。
……エリスの反応は、いたって自然なものだった。
こんなおぞましい体、誰が受け入れられる。
「なあ。もう隠さんと、みんなに正直に話したらどないや?」
「なに?」
ウンディーネの言葉に、サラマンダーもうなずき、
「そうだぜ。一人で考えてもしかたねーだろ。ホラ、大勢で考えりゃ、いい知恵が出てくるかもしれねーし」
「…………」
精霊達もそんなことを言ってくるが――襟元を正しながら、
「……私のために、時間を使えとでも?」
「?」
「ただでさえノルンで足止めして、船まで壊れて散々時間を無駄にしているのに、この上、私のためにタナトスをどうにかしろと?」
「あ、あんたねぇ、命かかってるのよ?」
「だからなんだ」
真っ直ぐエリスをにらみつけると、彼女は開きかけた口を閉じる。
ため息をつき、右肩を押さえると、
「……どのみち、取り憑いたタナトスは決して離れない。私には時間がないんだ。時間がないのに、そんな無駄なことに時間を使うなんて馬鹿げている」
「そんなのまだわかんないわよ! 前例がないだけで、本当に方法がないかどうかなんてわかんないじゃない! ねぇ!?」
エリスは同意を求めるように精霊達に目をやるが、精霊達は黙りこくったまま、何も答えない。
「なんか言いなさいよ!」
さらに怒鳴りつけ――しばらくして、
「大地の顔……」
「え?」
突然ルナが口にした言葉に、エリスがきょとんとする。
「この世界が生まれた時から存在する、大地の顔……ガイアなら、何かいい知恵があるかもしれない」
「ガイア?」
ルナの言う通り、ガイアは世界が生まれた時から存在し、世界のすべてを知っているという。
ノームもうなずき、
「うむ。ガイアは、求める者に知識を与えてくれる。もしかすると――」
「行きましょ!」
エリスは精霊達の言葉を最後まで聞かず、こちらの手を引っ張る。
「行く……ガイアの元へか?」
「そうよ。……あんた、これまでどれだけの人に命助けてもらったと思ってるのよ?」
「…………」
無意識に胸元の指輪に手をやり――そのことに、エリスは勝ち誇った笑みを浮かべ、
「だから、行きましょ。ね?」
「そうだぜ。何もしないより、ずっといい」
「キュウ! キュウゥッ!」
サラマンダーに同意するように、ラビもぴょんぴょん跳ねる。
周囲の雰囲気にため息をつくと、
「……わかった。行けばいいんだろ、行けば」
「そうよ。行きましょ」
言うなり、エリスはこちらの手をつかみ、走り出す。
「…………?」
ふと視線を感じ、走りながら振り返ると、いつからいたのか白い猫と目が合う。
猫はすぐ顔を背けると、こちらとは逆の方角へと走り去った。
「よく来たね」
「…………」
――大地の顔……
今頃になって、以前、ワッツが言っていた『大地の神』は、ガイアのことを指していたのだと気づく。
言われるがまま来てはみたものの、いざ目の前にすると、何を聞けばいいのかわからない。
なんとなく隣のエリスに目をやると、
「……わたし、近くで待ってるから。二人で話しなさい」
「あ、ああ……」
こちらの視線の意味を勘違いしたのか、精霊達と共に元来た道を引き返す。もっとも、あまり聞かれたい内容ではないが。
「キュッ?」
「…………」
唯一ラビだけが足下に残ったが、ラビならまあいいか……と、気を取り直し、再びガイアを見上げる。
ガイアは、穏やかなまなざしでこちらを見下ろしていたが、やがて、
「キミは、何かをひどく恐れているようだね」
「…………」
まるで、こちらの心を見透かしているかのようだ。
しばらく黙り込んでいたが――やがて、
「……毎日眠りにつく前になると、このまま目覚めることなく消えてしまうんじゃないかと思うんだ」
だから朝になると、真っ先に、自分がまだ自分であるかを確認してしまう。
安心したのもつかの間、体を見ると、タナトスは昨日よりも確実に体を蝕んでいる。
自分が自分であること――そんなことは当たり前のはずなのに、自分にとっては当たり前ではない。
ここ数日、寝る間を惜しんで何かに没頭しているのも、単純にタナトスが恐ろしいからなのかもしれない。
ガイアはしばらく瞑目していたが、ゆっくり目を開くと、
「ありのままを受け入れなさい。そうすれば、キミが恐れるものはすべて消え去る」
「…………」
――ありのまま……
その回答に、正直、失望する。
つまりそれは、ガイアの知恵を持ってしても、どうにも出来ないということだろう。
なら――
「……この命は、なんのために使えばいい?」
「キミが望む通りに使いなさい」
今度は即答だった。
そのことに苦笑しながら、
「難しいことを言う」
「難しくはありません。単純すぎるだけです」
「そうかもな」
結局、ガイアを訪ねても無駄だった。
きびす返し、踏み出そうとすると、
「大気のマナに自分の波長を乗せて、同化する……」
「?」
足を止めて振り返ると、ガイアは閉じていた目を開き、
「キミが素直な心で世界と向き合うことが出来るなら、何も恐れる必要はない。感じたままを受け入れなさい」
ガイアはそれだけ言うと、再び目を閉じる。
次第にその姿は周囲の岩と同化し、もうどこがガイアなのか、わからなかった。
* * *
「なんでそこまでする必要がある!?」
その意見に、ジェレミアはテーブルを両手で思い切り叩いた。
「船はもう直ってる! すぐにでも出発するべきだ!」
さほど広くない地下の研究室で、ここまで大声を出す必要はないが、それでも叫ばずにいられなかった。
船そのものはすでに直っている。
しかし、魔法強化が遅れているせいで、出発が出来ない。
こちらとしては魔法強化など中止してさっさと出発したいのに、ユリエルとワッツは首を縦に振らない。
こちらの態度に対し、ユリエルはあくまで冷静に、
「ちゃんと説明したでしょう。確かに、飛ぶだけなら支障はありませんが、強化出来るところは強化しないと――」
「時間の無駄だ! そんなことしなくても、これまでやってこれたじゃないか!」
何しろ戦場をくぐり抜け、時には竜までも相手にした。
船の機能としては、これまで通りで問題ないはずだ。なのにそれ以上を求めるなど――
「やれやれ、騒がしい嬢ちゃんだな」
それまで奥の机に座り、細かいパーツをいじっていたワッツが口を開く。
彼は作業の手を止め、体半分をこちらに向けると、
「これまでやってこれたから、これからも大丈夫に違いないって? なんでそう言い切れる?」
「それは……だったら、大砲のひとつやふたつつけたほうが手っ取り早いだろう!」
とっさにそんなことを言うが、言ってから、こちらのほうが現実的のような気がしてくる。
「『攻撃は最大の防御』と言うしな。だったら――」
「私は反対です」
こちらの言葉が終わるのを待たず、ユリエルが口を開く。
彼はこちらをにらみつけ、
「そんなことをすれば……ナイトソウルズは、本当に戦うだけの船になってしまう」
「…………?」
彼が何を言いたいのかわからず、きょとんとしていると、ワッツもこちらをにらみつけ、
「お前さんが反対しようがしまいが、修理を請け負ったのは俺だ。俺がいいと言うまで、出発は認めねーぞ」
「…………」
しばらく、ワッツとにらみ合うが――結局、先に目をそらしたのはこちらだった。
舌打ちすると、吐き捨てるように、
「……あいつはどうした?」
そういえば、昼から姿が見あたらない。
「魔法強化はあいつに任せているんだろう? あいつは何をやってるんだ?」
「レニならエリスが連れてったぞ」
「なに?」
ワッツの言葉に、目を丸くする。
「ここんとこ、ずっと部屋にこもってたしな。ちょうどいい息抜きにな――」
「ふざけるな! 急がなきゃならないのに、何のんきに遊んでるんだアイツらは!?」
「レニはちゃんとやっている。それは俺が保証しよう。お前のほうこそ、何をそんなにカリカリしてんだ?」
怒鳴るこちらに対して、ワッツはとことん冷静だった。
彼はこちらの目を真っ直ぐ見据え、
「一体、何を急ぐ必要がある? 俺には、自分で自分を追い込んでいるだけにしか見えねぇな」
何か反論の言葉を探すが、言葉が出てこない。
ワッツは肩をすくめ、
「まあ、人間、そういう時期もあるだろうが……だからって周りにまき散らすのはやめろ。迷惑だ」
それだけ言うと、話は終わりだと言わんばかりに背を向ける。
しばらく、その背をにらみつけるが――
「……フン」
こちらもワッツに背を向けると、早足に階段を上る。
――何も知らないくせに!
胸の中で怒鳴りつけ、顔を上げると、花瓶に生けられた花が視界に入った。
◆ ◆ ◆
「ねえ。ガイア、なんて言ってたの?」
「…………」
「ちゃんと話したの? もっと突っ込んで聞かないと――」
「余計なお世話だ!」
帰る道すがら、しつこく聞いてくるエリスに反射的に怒鳴り返す。
怒鳴ってから、エリスが驚いた顔をしていることに気づき、慌てて、
「……すまない」
「う、ううん……余計なお世話よね」
その後は、気まずい空気のまま、互いに言葉を交わすことなく町まで戻る。
「ぷきっ……」
「…………?」
町に戻ると、突然ラビが立ち止まり、一点をにらみつける。
そちらに目を向けると、まるでこちらを出迎えるように、白い猫がちょこんと道の端に座っていた。
猫はこちらの視線に気づくと立ち上がり、背を向けてそそくさと近くの路地へと姿を消す。
「先に帰れ」
「どうしたの?」
エリスの問いには答えず、猫の後を追いかける。
薄暗い中、目をこらすと、さっきの白い猫がタルの上で毛繕いをしていた。
「…………」
「にゃーん」
「…………」
腰を曲げ――じっ、と、猫を食い入るように見つめる。
半信半疑、しかし、妙な確信を持って、ぽつりと、
「……イザベラ?」
「…………」
猫は立ち去ろうとしたが、すかさず首根っこをつかむ。
猫は、だらんっ、と、足をぶらぶらさせていたが――観念したのか、
「フフッ……どうやら、見分ける目を身につけたようだな」
聞き覚えのある声でそう言うと、猫はこちらの手をすり抜け、一瞬で女性の姿へと、化けた。
「ぷきーっ!」
「イザベラ……やっぱりお前か」
以前から、白い猫をちらちら見かけると思っていたが、すべて同じ猫だったようだ。
イザベラの登場に、なぜか殺気立つラビを抱きかかえながら、
「お前、なぜ猫に?」
「ああ、そのほうが楽だからな。人間の姿をしていると、どうにも目立ってしまう」
「まあ、そうだろうな……」
美人の基準はよくわからないが、イザベラが人を惹き付ける魅力を備えていることは確かだ。町中をうろついていれば、噂くらいになるかもしれない。
「それで? あんな姿をして、何をたくらんでいる?」
「前にも言っただろう。私の目的は魔王の世継ぎ捜しだ」
イザベラはため息をつき、肩をすくめると、
「各地を捜し回っているが、やはりそうそう簡単には見つからないようだな」
「そんなのがホイホイいてたまるか。第一何が『にゃーん♪』だ。お前、単純におもしろがって後をつけ回していただけじゃないのか?」
「ああ、イシュでダークプリーストに追いかけ回されていたな。あれには思う存分笑わせてもらった」
「…………」
絶対、おもしろがっている。
もはや怒りを通り越して、呆れると、
「魔王捜しだのなんだの……それで本当に見つかるのか? 選ぶ基準は?」
「純粋で、きれいな心の持ち主であること、さ」
「つくならマシな嘘をつけ」
「おや、本気だったのだが」
イザベラは意外そうに目を丸くする。
そして、にっこり微笑むと、
「それとも、勘違いしているのかな? 『純粋できれいな心』というやつが、真っ白とは限らないだろう」
「…………」
――『美しい真っ黒』もある、ということか……
一瞬、納得してしまう。
イザベラは満足げにクスクス笑うと、
「そうだ。もし、何か困ったことがあればリィを頼るといい。暇つぶしに手を貸してくれるだろう。それじゃあ、またな」
「――ちょっと待て」
立ち去ろうとするイザベラを呼び止め、ラビを下ろすと、懐を探り、
「ノルンでもそうだが、お前には色々世話になったからな。これをやる」
以前、ラビからもらった羽根を差し出す。
「キュッ!?」
「……どうした?」
「キュ~……」
足下に目をやると、ラビがなぜかしょげた様子でこちらに背を向ける。
羽根に、イザベラは目を丸くし、
「ほう。珍しい羽根だな」
「こんなものしかないが……」
「いや、十分だ」
そう言うとイザベラは羽根を受け取り、笑みを浮かべ、
「ありがたく頂くよ。お礼に、ひとつ警告だ」
「警告?」
目をぱちくりさせると、彼女はこちらの耳元に、触れるか触れないかくらい唇を近づけ、
「――弟に気をつけろ」
「え――?」
我に返った時には、彼女はすでに体を離し、何事もなかったように、
「しかし、いいのかね? 私などに贈り物をして」
ぽかんとしていると、彼女は意地の悪い笑みを浮かべ、
「『後ろ』が怖いぞ?」
それだけ言うと、イザベラの姿は一瞬で消える。
――後ろ?
とりあえず振り返る。
そこには、帰ったと思っていたエリスが、冷めた目で仁王立ちしていた。
「おい、どうした?」
足早に雑踏を進むエリスの後を追いかけるが、彼女は振り返りもせず、
「なによ。わたしには贈り物なんてしないくせに……」
「あれはラビが拾ったものだ」
反論するが、エリスの耳には入らなかったらしい。彼女は口をとがらせ、
「それじゃあ私、先に帰るから。あんたは勝手にしなさい」
「おい――」
それだけ言うとエリスの姿は雑踏の中に消え、取り残される。
「まったく……」
「ぷきっ」
足下に目をやると、ラビまでもが不機嫌そうにそっぽを向く。まさか、イザベラに羽根を渡したことが気に入らなかったのだろうか?
「…………?」
ふと、通りを挟んだ向こう側の露店に目をやると、見覚えのある姿が見えた。
「ロジェ?」
買い物でもしているのだろうが、人が多くてよく見えない。
なんとか合流しようと人の流れの合間を縫って近づくが、露店の前にたどり着いた頃には、もう姿はなかった。
「――ぷきーっ!」
背後でラビの悲鳴が聞こえ、しばらくすると、頭のてっぺんに誰かの足跡をくっきりつけたラビが、ヨロヨロと人混みの中から出てくる。
「……何やってるんだお前」
「ぷきっ……」
無理してついてくることはないと思うのだが、まあ、勝手にどこかへ行ってしまうよりはマシだろう。
「――お兄さん、買い忘れかい?」
「へ?」
振り返ると、ターバンを巻いた露店の店主が怪訝な顔でこちらを見ている。まあ、さっきの今で同じ顔がまた来たら、そう思っても仕方ないかもしれない。
突っ立っているのも妙なので、慌てて品を見ると、アクセサリー屋だったらしい。荷台に屋根をつけただけの小さな空間に、所狭しと指輪やネックレスが並んでいる。
「…………?」
その中に、見覚えのある髪飾りがあった。
* * *
「なんでそんなことするのよ!? 信じらんない!」
「必要ないから捨てただけだ。第一、あんなもののために金を出すなんてどうかしてる」
「だからって捨てる!? フツー!」
静かに過ごすつもりだった午後が一変、女達の怒鳴り声が家中に響き渡る。
――なぜ……俺がいる時に……
女二人の甲高い声に、キュカは部屋の隅っこで頭を抱えた。
出来ることなら関わりたくない。が、さっきから、テケリが何かを訴えかける目でこちらの服を引っ張ってくる。
悩んだ末――なるべく明るい感じに、
「ま、まあ、今日は特に暑いしな! お互い気が立っても仕方ねぇ。ここは気分転換に、海で水遊びでもしてきたらどうだ? セクシーな水着見繕ってやるから」
「いつもいつもカリカリして! 花に八つ当たりすることないでしょ! 文句があるなら直接言いなさいよ!」
「だったら言わせてもらうがな! お前、あたし達がどれだけ苦労してるかわかってるのか!? 時間がないっていうのに、お前だけのほほんとして! 見ててイライラする!」
「いやあの、テケリがいるんだぞ? こんな子供に女の醜い争い見せるのは教育的に問題アリだと思わないか?」
「なんですって!? 誰のおかげで毎日人並みな生活出来ると思ってるのよ!? あんたが勝手に焦って勝手に余裕なくしてるだけでしょ!」
「お前みたいに緊張感ゼロよりよっぽどマシだ!」
「どこに緊張する必要があるのよ!?」
「それともなんだ? ずいぶんイライラしてるがあの日か?」
『お前は黙ってろ!』
女二人、同時に繰り出された拳を食らい、壁際まで吹っ飛ばされる。
……確かに今、二人の心はひとつになったと思ったのだが、そんなことに気づきもせず、両者再びにらみ合う。後ろに見えるランドドラゴンとパンサーキメラ。
「キュカさん『あの日』ってなんの日でありますかー?」
テケリにつつかれるが、それに答える余力もなく、床に突っ伏したまま頭を抱える。
……以前から、この二人の微妙な空気を感じてはいた。
ジェレミアはというと、考え事でもしているのか、いつもしかめっ面をして、声をかけても無愛想な短い返事だけを返す。船の修理が終わり、やることがなくなってしまってからは特にだ。
一方でエリスはというと、やってることは家事や雑用とまるで主婦のようだが、今のこの生活を割と楽しんでいるらしい。ジェレミアとは正反対だ。
……人間というヤツは、自分の機嫌が悪い時に幸せそうな者を見ると、なんとなく腹が立つものだ。
これが夫婦ゲンカなら『犬も食わない』と言って無視すればいいのだが、女同士となると、場合によっては修羅場と化し、周囲を大いに巻き込んだりと、色々悲惨になる可能性がある。せめてもの救いは、二人のケンカに異性が絡んでいないということか。(ここに異性が絡むと、強制的に修羅場ルートへ)
出来ることなら関わりたくない。
しかし、同じ屋根の下にいる以上、そういうわけにもいかない。
「キュカさ~ん!」
「あー、チクショー! 俺にどーしろってんだよ!?」
ごろん、と、仰向けに寝返りをうつと、両手で頭をかきむしる。
そして――おもむろに体を起こすと、ぽんっ、と手を打ち、
「よし、逃げるぞ」
「キュカさん!?」
「だったらお前が止めてみろ!」
と、後ろでヒートアップしている女二人を指さす。
テケリは、鬼のような形相で言い争う二人を見つめ――こちらに振り返ると、真っ直ぐなまなざしで、
「戦うことで芽生える友情もあると思うであります!」
「よし。みんなそうやって大人になっていくんだ」
そんな具合に意志決定したところで、コソコソと玄関へと向かう。
その途中で、
「――おや、二人して何やってるんです?」
地下にいて騒ぎが聞こえなかったらしく、ユリエルがのほほんとした顔で階段を上ってきた。
…………。
「なあ隊長」
「はい?」
「あんた隊長だよな」
「は?」
「なんか今さら役職もへったくれもないとは思うが、隊長と呼ばれるからには隊長だよな」
「あの? どうし――」
「ちょっと手ぇ挙げてくれないか?」
と、先に自分が軽く右手を挙げると、ユリエルもつられて手を挙げる。
「タッチ」
ぱんっ、と、言葉通りタッチすると、そそくさと、テケリと共に玄関から外へ出て――ぱたんっ、と、扉を閉めた。
恐らく、後で仕返しされるだろうが――
「隊長……気の毒であります」
「ああ……仕返しは甘んじて受けよう」
そして、自分は出世なんて望まないと固く決意した。
◆ ◆ ◆
「お前……そのケガどうした?」
ユリエルの頭に巻かれた包帯に目を丸くすると、彼は、ふっ、と遠い目で、
「ああ、サボテンの置物が飛んできまして。『名誉の負傷』というヤツです」
違う気がする。
「……避けることは出来なかったのか?」
「避けるとますます怒るんですよね……」
甘んじて食らってやるのが礼儀だ――その目からは、まるで過去の経験から学習したような悲哀を感じた。感じたところで、自分ならやっぱり避けると思うが。
日が暮れる前に帰ってきたら、いつもと雰囲気が違った。
いつもなら、この時間にはエリスが夕食の準備をしているのだが、今日はワッツとニキータが夕食の準備をしていた。
ロジェも帰ってきていたが、女二人の姿が見あたらない。別々の部屋に引っ込んでいるらしい。
一体何があったのかは知らないが、女二人が衝突し、ユリエルが止めに入ったらしいが――彼の憔悴ぶりからして、何も解決していないことは明白だ。その姿に、テケリは気の毒そうな顔で、
「隊長でも、二人を静めることができなかったでありますね……」
皿を運んでいたニキータも苦笑いを浮かべ、
「前から思ってたんですが、ユリエルさんって女性の扱いがうまそうでヘタそうな気がしますにゃ」
「おっ。お前もそう思うか。なんとなく女運悪そうなオーラ出してるよな」
「…………」
※しばらくお待ち下さい。
「女同士とは、もっと仲がいいものだと思っていたんだがな……」
「女同士だから、ですよ。……ところで帰ってきていたんなら、真っ先に私の前に出頭するのが礼儀でしょう。何さりげなく最初からいたように振る舞ってるんです」
「スイマセン見捨てたんじゃないんですただちょっと自分の手に負えそうにないなーと思ったからここは隊長しかいないと思った次第でありまして!」
皿で殴り倒され、床に突っ伏したキュカが必死で弁明する。その隣では、砕けた大皿の破片が刺さったニキータが頭から血をダラダラ流して昏倒し、その脇でロジェが割れた皿を無言で片づけていた。
「…………?」
ニキータを放置して黙々と皿を片づけるロジェに、なんとなく違和感を感じる。
周囲が騒がしいのに、まるで耳に入っていないような――
「女同士でなんで仲が悪いでありますか?」
「『女の敵は女』ってな」
料理が出来たのか、寸胴鍋を持ったワッツがやってくる。
「あの二人、性格が正反対みてぇだし、色々思うところがあったんだろ。ま、いい機会だ。この際、とことんケンカさせてやりゃいいさ」
「えー? ケンカはよくないであります!」
テケリは口をとがらせるが、ワッツは楽観しているらしい。笑いながら、
「ぶつかり合うことも必要さ。毎日仲良しこ良しじゃあ、何ひとつわかり合えないままだからな」
「んー?」
意味がわからなかったのか、テケリは首を傾げる。ワッツは鍋のフタを開け、
「まあ、そんなに心配するほどのことじゃねぇってことだ。それともお前、あの二人が悪意の塊みたいな冷たい人間だと思うか?」
「そんなことないであります」
「だったら大丈夫だ。あの二人、根は真っ直ぐで素直な人間だ。周りがあれこれしなくても、そのうち勝手に仲直りするだろ」
「……女の敵は女じゃなかったのか?」
「女の気持ちがわかるのも女さ。ホレ、それより手伝え。エリスの手料理じゃなくて残念だが、たまにはいいだろ」
そう言うと、ワッツは肉と野菜の煮込みを皿に盛りつけ始めた。
「……嫌な風だな」
「なんだか、悪いことが起こる前兆みたいダスー」
姿を現したジンが、周囲を警戒するように耳を動かす。
夜風が吹くたびに草原が波立ち、ざわざわと葉がこすれあう音が響く。
いつもの光景だった。
この風のどこが嫌なのか聞かれても答えようがないが、どういうわけか、そんな気がする。
風に混じって、何かよからぬものが混じっているような……
「考えても仕方ねぇ。今日もいくぞ」
「ああ……」
精霊達も何かを感じ取っているようだが、災いというものは、結局、その時にならなくてはわからない。
気を取り直して顔を上げると、ウンディーネが次々と大小異なる泡を作り出す。ルナやサラマンダーが照らしてくれているとはいえ、暗闇の中ではわずかな輪郭しか見えない。
「今日は十個や。八個当てて合格やでー」
「しっかり狙うんじゃぞ」
ノームが片手を上げると、地面に落ちていた小石が泡と同じ数だけ浮かび上がる。
「ほないくで!」
合図と同時に泡が周囲を飛び回り、こちらは飛び交う泡に狙いを定めて、小石を放つ。
ひとつ、ふたつと泡は消え、八個目に狙いをつけて小石を放った瞬間、突然の強風に泡が飛ばされる。
「おい! 今のは反則じゃないのか!?」
茶々を入れたジンに苦情をぶつけるが、ジンは悪びれた様子もなく、
「実戦に反則もへったくれもないダスー。何が起こっても、臨機応変に対応出来なきゃまだまだダスー」
「くっ……」
単純に成功されたくなくなかっただけのような気もしたが、過ぎたことは仕方ない。
ルナはクスクス笑いながら、
「それにしても、ずいぶん精度が上がったわね。最初の頃は、止まってた標的にも当たらなかったのに」
「フン」
一応ほめているつもりのようだが、嬉しくない。
……昔から、魔法の才能がないのではないかと思っていたが、それを思い知らされたような気がする。
「まあ、剣やろーと魔法やろーと、必要なのは努力やで。才能だけで強くなれるヤツおらへん」
「……そうだろうか?」
努力しても、ダメなことだってあるような気がする。
ロジェは剣を習い出すとすぐに実力をつけていったが、自分はなかなか魔法がうまく使えず、素質があるなんて嘘じゃないかと疑ったものだ。
父は焦る必要はないと言ってくれたが、大抵のことはなんでも器用にこなすロジェを見ていると、何も出来ない自分が悔しくて、強い劣等感を感じずにいられなかった。
「…………」
「どうした?」
黙り込んだことを不思議に思ったのか、サラマンダーが目をぱちくりさせる。
――弟に気をつけろ――
……イザベラに、あんなことを言われたせいかもしれない。しかし、それを差し引いても――
「最近、ロジェの様子がおかしい。単なる思い過ごしならいいんだが……」
「おかしいって、どこがや?」
「どこがと聞かれても困るんだが……」
自分でもわからない。いつも通りと言えばいつも通りだし、違うと言えば違うような気もする。
「……ロジェは、何も言わないからな」
昔からそうだった。胸の内に溜め込み、表では何もないように振る舞う。
いっそのことエリスやジェレミアのように、争いに発展してでも周りにぶつけたっていいのに、それをしたことは一度もなかった。
ノームはヒゲをなでながら、
「まあ、お主がそう言うならそうなんじゃろ。ワシらと違って、生まれた時から一緒じゃからな」
「そうだといいんだが……」
最後に、ロジェとまともに話をしたのはいつだっただろう?
小さい頃はわかり合っているつもりでいたが、今はもう――
「悩みがあるみたいやったら、アンタが聞いたったらええやん」
「私ではダメなんだ」
「なんでや?」
ウンディーネの問いには答えず、草原に腰を下ろす。
……これから、どうするべきなのだろう。
船の魔法強化は一通り出来上がったものの、動力源の問題は未だに解決の兆しが見えない。日に日に、周囲のいらつきが強くなることを感じる。
教会から持ち出した書籍類もすべて読み尽くしたが、結局、自分が今求めている情報は得られなかった。
ガイアの元を訪ねた時も、本当なら自分のことなどより、このことを聞くべきだったのに。
……なんとなく家の方角に振り返るが、人の気配はない。
――来ない……か。
いつもは、こちらが魔法の訓練をしていると、呼んでもいないのに勝手にやってくる。
しかし、今日はこない。
ため息をつくと、ポケットの中のものを取り出す。
「あら、きれいね」
ルナが手の中のものを見てつぶやく。
まったく同じではないが、エリスが欲しがっていたものとよく似た貝の髪飾りだ。散々悩んだ末、結局買ってしまった。
「……エリスに渡しに行ってくれるか? 多少はご機嫌が直るかもしれん」
「アホゆーな。それくらい自分で渡せ」
「…………」
あっさり断られ、しぶしぶ引っ込める。
ルナはクスクス笑いながら、
「あなたでも贈り物をしたりするのね」
「単なる誕生祝いの品だ」
「じゃあ、そういうことにしておきましょうか」
「勝手にしろ」
そろそろ戻ろうと立ち上がり――
「…………?」
――エリス?
一瞬ではあるが、月明かりに照らされて、長い銀色の髪が草原を駆けていくのが見えた。
「お前達は家に戻ってろ」
「どうしたんだ? オレ達も――」
「一人で大丈夫だ」
そう言うと髪飾りをポケットに戻し、さっき見えたものを追って走り出した。