「まったく、なんの騒ぎです?」
起きてきたユリエルに、キュカは呆れた顔で、
「……ジェレミアが、エリスに余計なことを言っちまったらしい」
そう言うと、開いたままの玄関の扉に視線を向ける。
エリスの怒鳴り声は家中に響いたらしく、ロジェとニキータも顔を出してきた。テケリの姿はなかったが――まあ、気づくことなく眠っているのだろう。
それはともかく、ジェレミアは自分に向けられる視線から顔をそらすと、
「……あたしはただ、忠告してやっただけだ」
吐き捨てるように言う。
夜な夜な抜け出して何をしているのかと思えば、よりにもよって――
「――バカヤロウ! お前ら突っ立ってる場合か!?」
ワッツの怒鳴り声に、思わずすくみ上がる。
「こんな時間に一人でどっか行っちまったんだぞ!? 草原は夜になると魔物が出るし、町に行けば僧兵がいる! エリスに何かあったら、お前、どう責任取るつもりだ!?」
「あ……」
自分の感情を押し出すばかりで、すっかり忘れていた。
ワッツの言うとおり、もし、エリスの身に何かあったら――
「……連れ戻してくる」
「オイ!?」
我に返ると、制止の声も振り切って、開いたままの玄関の扉をくぐり、夜の町に向かって駆け出した。
◆ ◆ ◆
「……何やってるんだ?」
「うるさいわね! 笑いたきゃ笑いなさいよ!」
見下ろすこちらに、エリスはヤケクソ気味に怒鳴り返した。
アナグマが掘るだけ掘ってほったらかしにしたのだろう。見事にはまったエリスが、穴の底で泣いていた。
まあ、こんなに真っ暗では気づかず落ちても仕方のないことではあるが、肩が震えるのを必死にこらえ、
「まったく……ドジだな」
「なによ! ホントに笑うことないじゃない!」
「あはははは」
こらえきれず、とうとう声に出して笑う。
ふと視線を下に戻すと、エリスは涙声で、
「なによ……みんなして、人のこと邪魔者扱いして……」
「……悪い。とにかく上がってこい」
笑いすぎたらしい。すねたように膝を抱えるエリスをうながすが、彼女はうつむいたまま、
「……足、痛くて動けない」
「ケガをしたのか?」
思わず身を乗り出す。
穴は両手を広げたくらいの幅で、大人の背丈より少し深いくらいだろうか。足から落ちれば、ねんざくらいするかもしれない。
ここからでは、ケガの程度はわからないが、
「自分で治せるだろう。さっさと――」
「ダメなの」
「なに?」
エリスはうつむいたまま、肩を震わせ、
「さっきからやってるんだけど……ダメなの。魔法……使えなくなっちゃった」
途中から嗚咽が混じり、見つけた時のように、顔を膝に埋めて再び泣き出す。
かける言葉が思いつかず、とにかく下りようと穴の縁に手をかけ、
「――――!?」
突然、足を乗せたくぼみが崩れ、そのまま穴の底へと滑り落ちる。
「っつぅ……」
幸い、エリスを下敷きにせず済んだものの、ぶつけた腰をさすりながら顔を上げると、目を腫らし、髪もぼさぼさのエリスの顔がすぐ近くにあった。
そして彼女は、一言、
「ドジ」
「うるさい!」
痛みも忘れ、反射的に怒鳴り返す。
「心配してやってる相手にそれか。見ろ、爪が割れただろう!」
「なによ。あんただって泣いてる女の子を笑ったくせに」
割れた爪を見せても、彼女は悪びれる様子もなく、逆に言い返してくる。二人もいると穴は狭く、声がよく響く。
「あ、血」
割れた爪に目をやると、今頃になって血がにじみ出してきた。土でこすれ、手の皮もめくれている。
痛くないわけではないが、無視してエリスの足首をつかみ、
「爪などまた伸びる。それより足を見せろ」
「そっちじゃないわよ! 反対!」
「…………」
「女の子の足を気安くさわるんじゃないわよまったく」
「…………」
一瞬、穴に落ちたまま放っておけば良かったと思ったが、それも大人げない。
改めてケガをした足を診ると、擦りむき、足首も赤く腫れている。さすがに骨まで異常はないだろうが、
「立てるか?」
「……立つだけなら出来るけど……」
見上げると、狭い空が見える。
上から見た時はすぐ上れる程度の深さだと思ったが、穴の底から、しかも座ったままだと、とてつもなく深いような気がする。
どちらにせよ、片足でこの穴を登るのは難しいだろう。
「……仕方ない。これくらい術で――」
「ねぇ」
振り返ると、エリスはどこか不安げな顔で、
「……聞かないの? なんか、色々あるでしょ?」
「言いたいことがあるなら後で聞く。とにかく帰ろう」
「…………」
「……どこへ行くつもりだったのかは知らんが、こんな時間だ。明日にしよう」
「……ちがうの」
エリスは、再び膝を抱えてうつむくと、
「魔法……なんで使えなくなったのかわかんないの。わたしの取り柄ってこれくらいなのに、これじゃ、ここにいる理由もないし……」
そういえば、エリスの同行を許したのは、多少なりとも魔法が使えたからだ。
その魔法が使えない。それでは――
「わたし、やっぱり帰ったほうがいいのかな?」
「?」
「みんな、わたしのこと邪魔に思ってるみたいだし。なにかあった時、一人じゃなんにも出来ないし。この上魔法まで使えないんじゃ、迷惑かからないぶん、いないほうがマシよね」
「…………」
――帰る……
エリスの身を考えれば、それが一番いいのかもしれない。
いっそ、このまま追いつめて帰してしまうのも、ひとつの優しさかもしれないが――
「ねぇ。あんな連中ほっといて、このまま一緒にどっか行っちゃおうか?」
「は?」
突拍子のない提案に、目が点になる。
一体、何を言っているのか理解出来ないでいると、彼女はぶつぶつと、
「考えてみればそうよ。なんだってわたしがあんな連中の面倒見てやんなきゃいけないのよ。給料出るわけでも待遇いいわけでもないし。一回姿くらませて、散々困らせてやりゃいいのよ」
「ちょ、ちょっと待て。私も一緒にか?」
「わたしとじゃあ不満なわけ!?」
「そういう問題じゃなくて」
「第一、ヘンよあいつら。一体何が目的なの? これまでずっと一緒にいたけど、目的は見えてこないし、何考えてるのかもわかんない。状況に流されて、なんとなくそっちの方角に流れてるだけ。あんな連中についてったところで、お先真っ暗でどこかでくたばるのが目に見えてるわ」
「…………」
完全に言葉をなくす。
エリスの言うとおり、皆が皆、状況に流されているだけだ。
自分がどうしてここにいるのか、これからどうなるのか。口には出さずとも、漠然した不安を抱えている。
周囲のいらだちも、その不安から来るものなのかもしれない。
「……だったらなおさら、お前がいないとダメだろう」
「…………」
「悪いが、私はお前と一緒に行くつもりはない。かと言って、一人で行けとも言わん。もし帰りたいのなら送ってやるよう交渉くらいはしてやるが……少なくとも、お前がいなくなって困ることはあっても、いて困ることはないはずだ」
「…………」
「魔法など使えずとも気にするな。本当に必要になれば、また使えるようになる」
エリスは黙り込んだまま、こちらをじっと見つめている。
まさか余計なことを言って怒らせたかと思ったが――彼女はおもむろに、
「手、見せて」
返事も待たずに、こちらの傷ついた手を取る。
彼女は、ぼんやりとした目で傷を見つめていたが――短く呪文を唱えると、手が白い光に包まれ、傷がみるみる塞がってゆく。
「ホントだ。また使えるようになったみたい」
そのことに満足したのか、手を握ったまま、エリスは満面の笑みでこちらを見上げた。
* * *
エリスを捜してしばらく町の中をさまよっていると、かすかな楽器の音色が聞こえた。
音の出所を探して周囲を見渡すと、教会が見えた。いつの間にか、近くまで来てしまったらしい。
キュカ達の話では、この教会は無人のはずだ。
しかし前まで来ると、門が開いており、入り口の扉も少し開いている。
「……誰かいるのか?」
教会の扉をゆっくり押し開け、恐る恐る中をのぞき込むと、オルガンの音色が聞こえた。音の出所は、間違いなくここのようだ。
なんとなく足音を殺して奥へ向かうと、すぐ広い場所に出る。礼拝堂だろう。
音が聞こえる方角に目を向けると、ロウソクの炎に照らされた、黒い人影が見えた。
「エリス?」
もしやと思って声をかけると、ぴたりと、オルガンの音色が止まった。
……彼女がこんなところでオルガンを弾く理由があるのか、そもそもオルガンが弾けるのかという疑問はあったが、さっさと見つかって欲しいという願望があったのかもしれない。
ため息をつくと、オルガンの側へ向かい――
「――哀れな、魂……」
「――――!?」
突然聞こえた声にすくみ上がり、足が止まる。
「帰る場所もなく、行くあてもなく……自分のことすらわからない、哀れな魂……」
すぐ後ろからだ。
振り返りたいところだったが、本能が危険を察知したのか、それとも別の理由か、体が動かない。
そしてそれとは別に――オルガンを弾いていたのは、青い髪の女だった。
女は、鍵盤に指を乗せたまま、
「……愛される者と愛されない者の違いは何かしらね……」
――この……女……
近くで見たこともなければ、自分と直接関わりがあったこともない。
だが、ロアで会ったことがある。
この女は――
「すべての命は平等……でも、価値は違う。あの方はそうおっしゃった。女神にとってもそうなのかしらね……」
それだけ言うと、女は肩越しにこちらを一瞥(いちべつ)する。
「…………!」
ぞくっ! と、強い寒気が背筋を走った。
ただ、目が合っただけだ。
それなのに、その目の奥に宿る炎のような憎悪と、凍てつくような冷たさ――まったく相反するものが同居する瞳に射抜かれ、声すら出てこない。
女は視線を前に戻すと、鍵盤の上で再び指を踊らせながら、
「すべてを焼き尽くさない限り、争いは終わらない。消したつもりでいても、消し忘れた小さな火種ひとつで争いは再び起こる。世界はその繰り返し」
次第に鍵盤を叩く指の動きが早くなり、それに合わせて曲のテンポも激しくなる。
「女神に見放された哀れな魂よ。聞け、我が音色。歌え、嘆きの歌。憎みを地獄の業火に変え、すべてを焼き払え!」
「…………!?」
不気味な気配に祭壇の奥に目を向けると、うぞうぞとなにかがうごめいている。
「にん、ぎょう?」
動いているのは人形を始めとする子供のオモチャだった。
そういえば、この教会には子供の遺品が奉納されていると聞いた。それらが、動いている。
「ククク……さあ、恐れることはない。その心のまま、進むがいい。心地よい怒りと憎しみに身を任せ、すべてを焼き払うがいい。ククク……ハハハ……!」
背後の――死を喰らう男の言葉に従うように、ひとつの人形の目が緑色に光り、教会は一瞬にして炎に包まれた。
◆ ◆ ◆
「ねぇ。あれなに?」
穴から出て家に戻る途中、エリスが町を指さす。
町が、明るい。
「あれは……火事か?」
遠目でもわかるくらい、町のど真ん中で炎が周辺を赤々と照らし、煙を立ち上らせている。
「消火とかどうすんのかしら? あの僧兵達、融通が利くとは思えないし」
「あ、ああ……」
野次馬のようなエリスの言葉に適当にうなずきつつ――不自然なものを感じる。
燃え広がるスピードが、速い。
おまけに火事の原因がひとつの建物なら、そこを中心に燃え広がるはずだ。なのに、離れた場所からも火の手が上がっている。
不吉な気配に、全身がざわざわする。
「――おったおった!」
「ウンディーネ?」
ウンディーネが、さらにその後に続いて他の精霊達も集まってくる。
「おいエリス! お前がいきなり飛び出して行くもんだから、みんなで捜してたんだぞ!」
「ご、ごめん……」
怒鳴るサラマンダーに、エリスがこちらの後ろで身を小さくする。
「なんだ? お前、家を飛び出してきたのか?」
「またジェレミアさんとケンカしたらしいダスー」
「余計なこと言わないの!」
「イタタタタッ!」
エリスは目をつり上げ、ジンの大きな耳を思い切り引っ張る。
「何があったんだ? 何か言われたのか?」
「あんたには……関係ないわよ」
そう言うと、そっぽを向く。よほど気に食わないことを言われたらしい。
ノームは呆れてため息をつき、
「そんなことより困ったのぅ。手分けして捜しておったんじゃが、他の連中は町まで捜しに行ったぞい」
「うそ!?」
「なに?」
ルナも心配そうに、
「もしかすると、あの火事に巻き込まれているかもしれないわ」
「私が行く。あの火事が気になる」
呼び戻すだけなら精霊だけに行かせてもよかったが、ただの火事とは思えない。
「エリス、お前は留守番して――」
「イヤよ!」
言い終わるより早く、エリスは口を挟む。
「わたしのせいでケガなんかされちゃたまったもんじゃないわ! わたしも行く!」
「そうは言うが――」
「わたしがいたんじゃ、邪魔?」
「…………」
そう言われてはどうしようもない。ため息をつくと、
「……わかった。はぐれるなよ?」
「うん!」
「私達は先に行くわね」
ルナの声に振り返ると、精霊達はさっさと姿を消し、
「じゃ、行きましょ!」
エリスもこちらの腕をつかむと、返事も待たずに走り出した。
◇ ◇ ◇
「……火事?」
炎が視界に入り、ロジェは足を止めた。
エリスと、それを追って飛び出したジェレミアを手分けして捜していると、建物が燃えているのが見えた。教会だ。
元々 人の居住地ではないので、周辺には火を消そうとする者はおろか、野次馬すらいない。むろん、近づくことを嫌ってということもあるのだろうが。
「なんでこんなとこが……」
たしか、この教会は無人のはずだ。燃える理由があるとすれば放火くらいだが、誰が、なんのために燃やすのか、その理由が思いつかない。
入り口へ回ると、教会の扉が開き、中から煙と共に誰かが出てきた。
「ジェレミア!?」
「お前か……」
ジェレミアの元に駆け寄ると、すすけて黒くなってはいたが、ケガらしいケガはしていないようだ。
ただ、煙を吸ったらしく、足下がふらついている。
「大丈夫か? 何があったんだ?」
肩を貸し、教会を背に安全な場所まで移動しながら聞くが、ジェレミアは咳き込みながら、
「くそっ、アイツら……」
「アイツら?」
ジェレミアは顔を上げ――その視線が、止まる。
つられて自分も顔を上げると、赤い炎が視界に入った。
「え?」
振り返ると燃える教会が、もう一度振り返ると、今度は少し離れた別の場所から火の手が上がっている。
「なんで……」
「いつぞやの女と、鎌を持った魔族だ!」
「鎌?」
『女』だけでは誰なのかわからなかったが、鎌と聞いて、一瞬、あの気味の悪い魔族を思い出し、背筋に寒気が走る。
あの時の魔族が来ているのだとしたら、もしかすると――
「――いたいた! 無事か!?」
その声に振り返ると、教会が燃えていることに気づいて駆けつけたらしい。キュカとユリエルの姿が見えた。
二人が到着するのを待たず、
「ジェレミアを頼む!」
「ってオイ!?」
ジェレミアを二人に任せると、新たに火の手が上がった建物に向かって走り出す。
嫌な予感がする。
だからと言って自分に何が出来るかわからなかったが、それでも、じっとしているよりマシだ。
しばらく走っていると、火事から逃げてきた住民達の姿が見えた。
その流れに逆らってしばらく走ると、火元に近づいたらしい。
すでに人気はなく、まさに今、燃えている家々が目の前にあった。熱気に汗が噴き出す。
しばらく、呆然と炎を見ていると、
「――きれいな火だねぇ」
ふいに、そんな声が聞こえる。振り返ると、自分と年が近そうな若い男がいた。
「最初は小さな火が、ありとあらゆるものを呑み込んで、やがて大きなひとつの炎になる。きれいだと思わない?」
――誰だ?
一瞬、誰なのかわからなかった。しかし、見覚えがある。
彼もそれに気づいたのか、どこかで見たような仕草でにっこり笑う。
この笑顔は――
「ア……アナイス!?」
ようやく思い出す。この世界で彼は、自分が知っている少年のアナイスではないことを。
アナイスは、ノルンで会った時とは違う白い法衣に青いマントを身につけていたが、暗闇と炎の赤に照らされ、全身不気味な色に染まって見えた。
「やっぱりお前の仕業か!? なんでこんなことをする必要がある!」
「なんで……ねぇ」
以前会った時もそうだったが、外見は変わっても、中身はまるで変わらない。
アナイスは口元に笑みを浮かべ、
「きれいな火を見たかった……それだけじゃあ、不満?」
「どうもこうもあるか! お前ってヤツは……!」
「気に入らないの? キミのためでもあったのに」
「なに?」
「いい目だね」
アナイスはこちらの目を真っ直ぐ見つめると、
「お前の奥底に潜む、争いを求める獣のような闘志……血に飢えた漆黒の悪魔……」
その唇が、今の状況を心から楽しむように歪む。
「口では善人ぶったことを言っといて、ホントはこの日を待ち望んでいたくせに……」
「――ククク……争いのない日々……さぞかし不愉快だったであろう? お前に、穏やかな時間などもはや必要あるまい」
振り返ると、いつの間にやってきたのか、すぐ後ろに巨大な鎌を持った男――死を喰らう男が立っていた。
炎を背にしたその姿は、逆光で影のように黒く見えた。しかし、その瞳だけがギラギラと輝いている。
その瞳は、こちらを真っ直ぐ捉(とら)え、
「戦いに身を投じなければ生きては行けない……心地よかろう? 争いの火は! 血の臭いは! お前は戦って戦って、戦いの中で死ぬんだよ!」
ぴたりと、まるで金縛りに遭ったみたいに、体が動かない。
死を喰らう男は、こちらを真っ直ぐ指さし、
「これは予言ではない。確定事項だ。お前は新たな火種となって、世界を争いと混乱の渦へと突き落とすのだ! その身と共に!」
言うだけ言うと、やたら耳に残る笑い声と共に消える。
なんのことだかわからず、ぽかんと突っ立っていると、後ろから、
「さて、と。それじゃあ僕もそろそろ行くかな。キミも、いいかげん自分に正直に生きたほうがいいと思うよ」
振り返ると、アナイスはすでにこちらに背を向け、その姿がかき消える。
そして、
「――――!」
アナイスと入れ替わるように、突然、何もない場所から大量の僧兵が現れた。
恐らく、アナイスか死を喰らう男が呼び出したのだろうが、その置き土産に舌打ちしながら、
――なんだって言うんだ!?
こんな状況に立たされても、頭の中には疑問符だけが飛び交う。
周囲の熱気に体は熱くなっているはずなのに、体の芯は驚くほど冷えているような気がした。
◆ ◆ ◆
「アースクエイク!」
――グシャッ!
僧兵の頭上に巨大な岩を大量に呼び出し、一気に押しつぶす。
「まったく、非常事態でもお構いなしか」
つぶやきながら、バラバラに壊れた鎧を見下ろす。
案の定、鎧の中はカラだった。中身が人間なら、火事で避難中の住民を襲ったりなどしないが、魔法仕掛けの人形は、こういった時融通が利かなくて困る。
エリスは感心した様子で、
「へー、やるじゃない。あんなにヘタクソだったのに、やっぱ努力のたまものね」
「フン」
ほめているのかけなしているのか、無視してそっぽを向く。
僧兵は今ので最後だったらしく、襲われていた住民も無事に逃げたようだ。周囲には自分とエリスしかいない。
「それにしても、どこに行ったんだ?」
この辺りはまだ火の手は上がっていないのだが、それでも少し暑く感じる。
悲鳴が聞こえる方角に目を向けると、炎の向こうに、何か見えた。
「あれは……」
目を凝らすと、炎を背景に、複数の小さな黒い影が見える。人の形はしていたが、どう見ても人ではない。
「……人形?」
人形が、こちらに向かって飛んでくる。
「なにあれ!?」
「こっちが聞きたい!」
とにかく物陰に隠れると、すぐ側を、パペットが、クマのぬいぐるみが、木馬のオモチャが、問答無用で通り過ぎていく。
そして、そのうちの一体――二股の帽子をかぶった、緑の目をした人形が、
「アハハ! 燃えろ燃えろ! みんな燃えてしまえ!」
笑いながら、まだ燃えていない建物に目を向け――目が光った瞬間、建物の一角が爆発し、火の手が上がる。
「なにあれ!? どーいう仕組み!?」
「逃げるぞ!」
エリスがさっきと同じ問いかけをしてくるが、無視してその場から逃げ出す。あの人形に気づかれるとまずい。
しばらく走り続け、ようやく足を止めると、お互い息を切らしながら、
「どうなってるのよ……なんで人形が……」
「――死を喰らう男の仕業のようだ。思念のこもった人形に魂を吹き込み、暴れさせているのだろう」
声がしたほうに振り返ると、一人の女が立っていた。
「イザベラ?」
「……なんで?」
現れたイザベラに、エリスが顔を引きつらせる。
「どうした?」
「別に……」
なぜかそっぽを向くエリスは置いておき、イザベラに視線を戻すと、
「死を喰らう男が、この町にいるのか?」
「私がキミ達をつけ回していたもう一つの理由は、ヤツが現れるのではないかと思ってね」
そういえば、ノルンで死を喰らう男に襲われた時、彼女が割って入ってきたことを思い出す。
イザベラはため息をつくと、
「どうやら逆に遠ざけてしまったようだ。だからこんなまどろっこしいことを……」
「なるほど、お前がうろついてくれたから、こちらは何事もなく過ごせたということか」
「感謝しろよ?」
苦笑いを浮かべつつ、肩をすくめる。
「――レニ、急ぎましょ。早いとこ みんなを見つけなきゃ」
「あ、ああ……」
話の合間をぬって、エリスがこちらの腕を引っ張る。
エリスの有無を言わさぬ鋭い目つきに、イザベラも笑いながら、
「それでは、私は私でヤツを追うとしよう。君達も気をつけたまえ」
そう言って背を向けると、軽やかな身のこなしで、夜の町を駆け抜けていく。
その姿が見えなくなってから、
「……イザベラが嫌いなのか?」
「別にそういうわけじゃないけど……あんたはどうなのよ?」
「は?」
「だってホラ、あんなに美人だし、スタイルもいいし。なんか思うこととかないの?」
「ふむ……」
聞かれて、考える。
これまで特別意識をしたことはないが、イザベラとの関係は、友人と呼べるほど親密なものではない。
知り合いと言えば知り合いではあるが、それだけで済ませられるほど他人行儀でもない。かと言って、敵か味方かで考えても、たまたま敵対する必要がないだけで、これから先も味方とは限らない。
一体、自分とイザベラはどういう関係なのか。なにかしっくりくる言葉はないか考え――ふと、小さい頃によく聞いた話を思い出す。
「そうだな……もし姉がいるとしたら、あんな感じなのかもな」
「はぁ?」
たどり着いた結論に、エリスは目を点にする。
「私には男兄弟しかいないからよくわからんが、姉というやつは、何かと弟の世話を焼いたり、おちょくったりしたがるものらしい」
「そ、そう……」
こちらの回答に、エリスはなぜか拍子抜けしたような顔をする。
「それがどうかしたのか?」
「いや、別に……ハハハ」
今度はなぜか、気の抜けたような顔で笑い出す。
「おかしなヤツだな」
さっきまで怒っていたというのに、コロコロ表情を変えるエリスに、つられて自分も笑う。
――姉か……
ふと思い出したのは、小さい頃、アナイスからよく聞いたバジリオスの――セシリアの話だった。
アナイスにとって姉のような存在なのだろうと少しうらやましく思っていたが、いつの頃からか、彼女の話はぷっつりと途絶えた。
何年かして直接会うことになった時、昔聞いた話とのギャップに、同一人物なのかと正直戸惑ったものだ。
もしくは――彼女が変わってしまったのか。
どちらにせよ、今となってはわからない。
「そんなことより、今はロジェ達を捜そう。精霊達が見つけてくれれば早いんだが――」
気を取り直そうとした時、肩に鈍い痛みが走った。
「大丈夫?」
「あ、ああ……」
肩が、ざわざわする。
何かしら危険を感じた時や、気が高ぶった時にもこうなるが、時折、前触れもなくざわつくことがある。
それだけタナトスの浸食が進んでしまったということなのかもしれない。
「……私ね、さっきまでガイアの所に行こうと思ってたの」
唐突に、エリスがそんなことを言い出す。
「あんたのことだから、ちゃんと話を聞いてないんじゃないかと思ってさ。それにもう、あきらめちゃったんじゃないかって……」
「…………」
しばらく、気まずい空気が流れる。
「……なぜお前がそんな心配をする?」
「そりゃ心配するわよ! だってあんた、いつも一人じゃない!」
「え?」
続きは、響いてきた轟音にさえぎられた。
振り返ると、見覚えのある戦車がこちらに向かってくる。
「――いたいた。無事か?」
「ワッツ?」
戦車は適当な場所で止まると、ハッチが開き、テケリとラビが顔を出す。
「レニさんとエリスさん、発見であります!」
「ぷきーっ!」
ラビは戦車から勢いよく飛び降りると、
「ぷきっ、ぷきーっ!」
「なんだ? 怒っているのか?」
「ぷきーっ!」
「ぎゃー! なにすんのよこの非常食!」
こちらの足下をぐるぐると跳び回り、何を思ったかいきなりエリスに体当たりを喰らわせる。
遅れて戦車から降りてきたワッツに目をやると、彼はテケリの頭に手を置き、
「行くって聞かなくてな。ま、戦車の中なら安全だろ」
「相変わらず怖いもの知らずだな」
「おたがいさまであります!」
呆れるこちらに、テケリは元気よく親指を立ててみせる。
「ところで、なんだありゃ?」
ワッツはどこからともなく望遠鏡を取り出し、炎の近くに浮かぶ黒い影に目を向ける。
「あれは……まさか……」
「人形みたいだ。何者かが暴れさせているようだが、どうしたものか……」
逃げるのが一番だろうが、ロジェ達がまだ町にいる以上、放っておくわけにはいかない。
ひょっこり出てきてくれないかと辺りを見渡し――
「…………?」
少し離れた物陰に、人影が見えた。
イザベラやロジェ達ではない。明らかに、こちらの様子をうかがっている。
「誰だ?」
声をかけると、観念したのか、物陰から姿を現す。あれは――
「ルカ!?」
「……また会ったわね」
ルカは、まったく嬉しくなさそうな顔でやってくる。
「一体どういうつもりだ? なぜ今、この町を焼き払う?」
「ちょいと待て」
問いつめようとするこちらをワッツは手で制し、
「ルカ。今回のこれは、お前のあずかり知るところじゃないな? お前の望むことじゃない」
「…………」
ルカは肯定しなかったが、否定もしなかった。
「……では、お前は何をしにここへ来た?」
「…………」
「質問を変えよう。ルカ、この事態をどうにかする方法を知らないか?」
ルカは相変わらず無言だったが、ワッツはねばり強く、
「正直に話せ。お前、この事態を止めるために来たんじゃないのか?」
ワッツはそれ以上何も言わず、二人はにらみ合うが――しばらくして、
「マグノリア……」
「マグノリア?」
ルカは、夜空の向こうに飛び交う影に目をやり、
「火を消したければ、マグノリアを焼きなさい。もっとも、マグノリアを焼ける炎があればの話だけど……」
人形の名らしい。どの人形のことなのかはわからなかったが、ワッツにはわかったようだ。ため息をつくと、
「あの人形、やっぱりマグノリアか」
「ええ、マグノリアよ。……見捨てられた恨み、憎しみに凝り固まり、復讐の化身に成り果てた、哀れな人形よ」
それだけ言うと、ルカはさっさと身をひるがえす。
「あ、ちょっと!」
エリスは呼び止めようとするが、やはりワッツが止め、
「止めてどうする。ルカにはルカのやり方がある。俺達は俺達でなんとかするぞ」
「そうは言うけど、これ、あいつらのせいなのよ!?」
「今は誰のせいだのなんだの言ってる場合じゃねぇ。こうしてる間に人が死んでるかもしれねぇんだぞ? 後にしろ後に!」
そう言われては反論出来ない。さすがのエリスも黙り込む。
「――うきょっ?」
「どうした?」
テケリが何か見つけたのか、つられて見上げると、光が見えた。精霊達だ。
手分けして捜しているのか、ルナとジン、ノームの三人だけだ。
「ロジェ達は見つかったか?」
しかし精霊達は他に気がかりがあるらしい。周囲を見渡し、
「今、誰かおらんかったかの?」
「ああ……大丈夫だ」
ルナも周囲の気配を探っていたらしく、閉じていた目を開き、
「……もう気配はしない。どこかへ行ってしまったのかしら?」
「?」
「それより、みんなは見つかったの?」
「あっちにいるダス。ご案内するダスー」
ジンの言葉に安心したのか、ワッツは戦車に向かうと、
「俺は逃げ遅れたヤツを助けに行く。マグノリアのことはお前に任せたぞ」
「あ、ああ。……テケリ、お前はワッツと行け。あとコイツも」
「キュッ!?」
ラビの首根っこをつかんで差し出すと、ラビはなぜかショックを受けたような顔をする。
「ラジャ! であります! ワッツさんとラビきちは、テケリにお任せであります!」
「こいつぁ頼もしいな」
ワッツは笑い、テケリの腕の中でラビは未練がましい目でこちらをにらみつける。
「エリス、お前もワッツと一緒に――」
「悪いな、俺とテケリで戦車ン中はいっぱいだ」
聞こえたのか、ワッツはハッチから体半分を出し、
「男なら、女の子一人くらいちゃんと守ってやりな」
「ぷきーっ!」
「ラビきち、ダメであります~!」
先に戦車に乗り込んでいたラビが脱走を計っていたが、テケリはそれを押さえ込みながら、
「それでは、テケリはテケリ達で行くであります! レニさんはレニさんでがんばってくださいであります!」
「おい――」
言うなりハッチは閉まり、夜の町を走り出す。
振り返ると、エリスは満面の笑みを浮かべ、
「じゃあ、ちゃんと守ってね?」
「…………」
なぜか、勝ち誇ったような顔で首を傾げてみせる。
しばらく、そのまま停止するが――
「わ……わかった……」
その笑顔に、なぜか妙なプレッシャーが肩にずしりとのしかかってきたような気がした――逆らえるわけもなく、ただただ、うなずくしかなかった。