14.明日への力 - 4/5

「ホレ、あそこじゃ」
 精霊達の案内で町中を走り、ほどなくして、捜していた顔ぶれが見つかる。
「――エリス!?」
 こちらに気づいたジェレミアが、真っ先に駆け寄ってくる。
「二人とも大丈夫――」
「まったく、お前はどこほっつき歩いてたんだ!?」
 ユリエルの声を、ジェレミアの怒鳴り声がさえぎる。
 その態度が癪にさわったのだろう。エリスは憮然(ぶぜん)とした顔で、
「どこに行こうと私の勝手でしょ」
「――――!」

 ――ぱしんっ!

 次の瞬間、乾いた音が響いた。
 ジェレミアの平手がエリスの頬を思いきり引っぱたき、その音に、思わずすくみ上がる。
 ぶたれたエリスはぽかんとしていたが、我に返った瞬間、
「何すんのよ!」

 ――ぱぁんっ!

 エリスの手の平が、ジェレミアの頬を思い切りひっぱたいた。
『…………!!』
 その音に全員すくみ上がる。ジェレミアも、まさか自分が平手打ちされるとは夢にも思っていなかったらしく、その勢いによろめく。
 エリスは早口に、
「口より先に手が出るわけ!? どいつもこいつも、気に入らないことがあるならハッキリ言いなさいよ! 遠回しでわかりにくいのよ!」
「…………」
 ジェレミアは叩かれた頬を押さえもせず突っ立っていたが、我に返ると、
「……花を捨てたのは悪かった。それに、お前を邪魔だと思ったことはない」
「…………」
「八つ当たりして、悪かった」
 それだけ言うと、仲直りしようということなのか、ジェレミアは右手を差し出す。
 その光景に――この件に関してはもう終わりだろうと、周囲から安堵の息が漏れる。
 エリスも、しばらくその手を眺めていたが――
 ぱしんっ! と、差し出したその手を、思いっきり払いのけた。
『…………!!』
 予想しなかった行動に、その場の空気が凍り付く。
 ……これまで、恐怖などいくらでも味わった。だが、そのたびになんとかして切り抜けてきた。
 なのに今、目の前で繰り広げられる光景に、自分達は限りなく無力だった。凶暴な怪物に立ち向かう勇気はあっても、小娘二人のいさかいに、口ひとつ挟めない……
 野郎共が戦々恐々とする中、エリスは、ぽかんと突っ立つジェレミアをにらみつけ、
「ひとつ足りないわ」
 口調は冷静だったが、確かな怒りを感じる。
 エリスは手を下ろし、
「それについて謝る気がないんなら、わたしは許さない」
「…………」
 しばらくの間、二人はにらみ合っていたが――
「……勝手にしろ」
「フン」
 女二人は互いに背を向け、男は全員、深いため息をついた。

 * * *

「ロジェはどうしたんだ?」
「一人でどこかへ行ってしまいまして。今、ウンディーネとサラマンダーが捜しています」
 ロジェがいないことが気がかりなのか、レニは心配そうだったが――それよりも、
「……で、エリスに一体なんて言ったんだ?」
 そちらのほうが気になったらしい。キュカはジェレミアに小声でたずねる。
 ジェレミアとしてはだんまりを決め込んでも良かったが、この先、しつこく聞かれても困る。
 誰も聞き耳を立てていないことを確認すると、小声で、
「あたしはただ……『あいつだけはやめておけ』と、忠告してやっただけだ」
「…………」
 おおむね予測はしていたのだろうが、キュカは呆れきった顔で、
「あのな、そんなこと言って『はい、わかりました』って誰が言うんだよ」
 言わないに決まっている。
 エリスにしてみれば訳がわからないだろう。怒るのも当然だ。
 しかし、それでも――
「あたしだって……それくらいわかっている!」
 吐き捨てると、キュカを置き去りに、ずかずかとレニの元へ向かう。
「な、なんだ?」
「……お前に言っておきたいことがあるんだがな」
 強引に腕をつかみ、顔を近づけると、小声で、
「お前、自分の立場わかってるんだろうな?」
「…………」
 それだけ言い放つと、レニの腕を乱暴に放し、歩き出す。
「おーい、そっちで合ってるのか~?」
 キュカの声は無視して直進する。むろん、合ってるかどうかなど知らない。
 ……みんな、忘れてしまっているのだ。
 レニもレニで、居心地の良い場所に逃げようとしている。
 彼にとって、エリスの側はさぞかし居心地がいいだろう。彼女は、何も知らないから。
 いっそのこと、エリスに彼のことを全部教えてやろうか。そうすれば――
「…………」
 ……自然と口元が緩む自分に、湧いてきたのは嫌悪感だけだった。つくづく、嫌な女だと思う。
 結局、自分がやっているのは八つ当たりだ。ついさっきエリスに謝っておきながら、まったく反省していない。

 ――最低だな……

 ……自分は、どうしてここにいるのだろう。
 何か目的がやって、意志があってこの世界に来たはずなのに、それがなんだったのか、どうしても思い出せなかった。

 ◆ ◆ ◆

「ちょっと待つダスー」
 何かに気づいたのか、ジンが全員を制止する。
 ジンは耳を広げ、
「何か聞こえるダス」
 自分も耳を澄ませると、かすかな金属音が聞こえてきた。
 音がする方角へ向かうと、建物が燃える中、複数の僧兵が武器を手に走り回っている。その相手をしているのは――
「――ロジェ!?」
「アンタら遅いでー!」
 向こうもこちらに気づいたのか、ロジェの援護をしていたウンディーネが手を振る。
「ええい、数が多い!」
 サラマンダーが勢いよく火を吹き、僧兵がひるんだ瞬間、ロジェが踏み込み、剣の腹で僧兵を殴り倒す。
「あいつら……!」
「手を貸すぞい!」
 言うとノームは姿を消し、ジェレミアの双剣に宿る。
 ジェレミアはノームの力をまとった双剣を構えると、僧兵に向かって駆け出し、それに続いて、キュカもルナの力を借りてロジェの援護に向かう。
「ここは我々がなんとかします。あなたは火を消してください」
「火を?」
 ユリエルは弓を引きながら、
「このままでは、我々が火だるまです」
「――よっしゃ、やるでー!」
「オイラも力を貸すダスー!」
 こちらの返事も待たず、ウンディーネとジンはすでにやる気だ。
「ま、待て……」
 二人が何をする気か悟ると、慌てて、
「……私は村を燃やすことはやったが、火を消したことはない」
「それがなんや!」
 ウンディーネの激しい一喝に、思わずすくみ上がる。
 ウンディーネは語気を荒げ、
「このまま放っといたら、メノスの二の舞やないか! 全部燃えてもーてええんか!?」
「――崩れるわ!」
 エリスの声に顔を上げると、近くの建物が崩れ始め、たまたま下にいた僧兵が押しつぶされる。
「…………!」
「このままだと、逃げ場がなくなるダスー!」
 ジンの言うとおり、ほとんどの建物から火の手が上がり、いつ崩れてもおかしくない。いや、煙に巻かれて全滅するのが先か。
「ちょっと何突っ立ってんのよ! あんたしかいないでしょ!」
 エリスにまでそう言われてしまうと、もはや逃げ場はない。
「……わかった。やってみる」
「よっしゃ! ジン、行くで!」
「了解ダスー!」
 こちらがうなずくなり、ウンディーネとジンは手を繋ぎ、天に向かって一気に上昇する。
 それを見届けると、目を閉じ――

 ――大気のマナに自分の波長を乗せて、同化する――

 それはほんの一瞬だったかもしれない。
 目を開き天を振り仰ぐと、町全体を覆うように、巨大な雨雲が生まれていた。

「降りすぎー!」
「文句を言ってる場合か!」
 豪雨の中、大声で叫ぶエリスに怒鳴り返す。
 ウンディーネとジンの力で生み出された雨雲を、こちらの術でさらに巨大化させたのだが、確かにこの降りっぷりは想像以上だった。
 戻ってきたサラマンダーも呆れた顔で、
「大丈夫か? まったく、力加減が出来ねーな」
「余計なお世話だ!」
 どうやら僧兵は片づいたらしい。そもそも、メノスのゴーレムほどの力はなかったらしく、全員でかかればあっけないものだった。
「見て。火が消えていくわ」
 ルナの視線の先に目をやると、さっきまで家を焼いていた炎がみるみる小さくなっていく。火事に関してはもう大丈夫だろう。
 ひとまず胸をなで下ろすと、
「ロジェ、大丈夫だったか?」
「あ、ああ……」
 しばらく一人で僧兵とやり合っていたようだが、幸い、かすり傷程度で済んだようだ。
「エリス、手当てを――」
「イヤ」
「…………」
「これくらい大丈夫だよ」
 そっぽを向くエリスに苦笑いを浮かべながら、ロジェは自分で傷の手当てを始める。
 ……好き嫌いがハッキリしているというか、そこまで露骨じゃなくてもいいのではと思うが、まだ機嫌が悪いらしい。
 見上げると、雨が次第に弱くなる。これなら川が氾濫して、今度は洪水、ということはないだろう。
 キュカも空を見上げたまま、感心したように、
「お前、天気なんか操れるんだな」
「本当なら、大がかりな儀式になる」
 天候を操るというのは、おいそれと出来るものではない。
 極寒の地でありながら温暖な気候を維持するアルテナも、女王の力に違いはないだろうが、他にも大がかりな仕掛けや複数の術者の協力があるはずだ。
「ペダンは元々水源が豊富だから雨を降らせる必要はないが、逆に雨続きで洪水が起こることがある。そういった時は、大がかりな儀式で一時的に雨雲や嵐をそらしたりするが……あくまで最終手段。実際には、めったにしない」
「そうなのか?」
「自然の力に、人は逆らえない」
 そう、逆らえない。
 今回は精霊の力でなんとかしたが、本来、自然の力を前に、人間など無力だ。
 仮にコントロール出来たとしても――何度も好き勝手にそれを行えば、手痛い反撃が来る。
 ……自然そのものであるマナを、か弱い人間が完全に操るなど、所詮無理だったのだ。
「あ、あれ……」
 エリスに服を引っ張られ、彼女が指さした先に目を向けると、複数の黒い影がこちらに向かって飛んでくる。
「邪魔をするのはお前達か!」
 影――人形達は上空で停止し、その中から、二股の帽子をかぶった人形が前に出てくる。
「あいつがマグノリア……」
 自己紹介があったわけではないが、一番強い力を感じる。ルカの言葉を信じるなら、あの人形を焼けば――
「きゃっ!」
「なんだ!?」
 マグノリアと共にやって来た人形やオモチャ達が、突然こちらに突っ込んできた。
 どうやら体当たりくらいしか出来ないようだが、それでも頑丈な木で出来たオモチャが勢いよく激突すればケガくらいはする。全員、慌てて逃げ回り、剣で追い払う。
「サラマンダー!」
「おうよ! ――火遊びもほどほどにしねーと、ヤケドするぞ!」
 サラマンダーは体を膨らませ、マグノリアに向かって勢いよく炎を吹く。
 しかし、
「無駄だ!」
 マグノリアの目が光り、サラマンダーの炎が途中で爆発した。
「アハハ! この程度の雨がなんだ! 燃えるのはお前達だ!」
 吠えると、マグノリアは周囲をぐるりと見渡し――とたんに、周辺の建物から再び炎が吹き出した。
 その熱に雨が一気に蒸発し、周辺が白い水蒸気に包まれる。
「チキショー! オレの炎が効かないだとぉ!?」
「精霊の炎でも燃やせない……」
 水蒸気で視界が悪い中、サラマンダーの悔しそうな声が響く。
 いくら雨で炎の威力が弱まっていたとはいえ、マグノリアの炎はそれを上回っている。
「むっ!?」
 そんな中、上空を飛んでいた人形が次々と矢で射落とされていく。
 矢が飛んできた方角に目を向けると、白い煙の隙間から、弓を構えたユリエルの姿が見えた。
「――はぁっ!」
 立て続けに、水蒸気の中から勢いよく飛び出したジェレミアが、マグノリア目掛けて双剣を振るうが、マグノリアは上昇して双剣をかわす。
「こざかしい!」
「逃げろ!」
 ジェレミアに向かって叫ぶのとほぼ同時に、マグノリアの目が光り――その視線が、矢を放とうとしていたユリエルに突然方向転換する。
「――――!」
 予期せぬ事態に、ユリエルの矢の放つ手が一瞬止まり――次の瞬間、すぐ後ろの建物が爆発し、ガレキが降り注ぐ。
「ユリエル!」
「隊長――ぐっ!」
 振り返ると、スキを付いた木馬のおもちゃが、ジェレミアの腹に思い切り体当たりを喰らわせていた。
「このオモチャ、止まらねーぞ!」
「きゃー! なんなのよこれー!」
 まとわりつく人形やオモチャをなぎ払いながら、キュカはヤケクソ気味に怒鳴り、エリスも頭を抱えてその場にしゃがみ込む。
「何ボケっとしておる! 行くぞい!」
「し、しかし……」
 ノームに急かされるが、サラマンダーの炎が効かず、ああも動きが素早いのでは――
「――レニさーん!」
 聞き覚えのあるエンジン音に振り返ると、周囲がライトに照らされる。
「テケリ?」
 見ると、ワッツの戦車がこちらに向かっていた。開いたハッチから、テケリが上半身を出して手を振っている。
「来るな!」
 人形達も戦車に気づいたのか、体が半壊した人形までもが、戦車に向かって一直線に飛んでいく。
 もはや、悩んでいる場合ではない。
「ノーム!」
「任せておけぃ!」
 ノームの姿が消え、次の瞬間、地中から鋭いダイヤが次々と飛び出す。
 雨と煙で視界は悪い上、相手はあちこち動き回っていて、数も多い。しかし、やらなければならない。
「行け!」
 オモチャ目掛けて、ダイヤミサイルを一斉に放つ。
 オモチャ達は背後に迫る危機に気づかなかったのか、ダイヤミサイルに次々と体を打ち抜かれ、ただ一人、こちらの攻撃を避けたマグノリアが残る。
「よくも我が同胞を!」
 取り巻きのオモチャは今の魔法で粉々に砕けたが、肝心の親玉が残っている。むしろ仲間を壊され、さっきより怒っているようだ。
 状況はこちらが有利なはずなのに、サラマンダーの炎が聞かない以上、他の精霊達の力もあまりアテにならない。すなわち、攻撃手段がない。
「あの人形……にらみつけたものが燃えてない?」
「にらみつけたものが?」
 ルナの言葉に思い返してみると、さっき爆発が起こったものは、人形の視線の先にあったものだ。
 だったら――
「こんなこと、もうやめるであります!」
 振り返ると、戦車から降りたテケリがマグノリアに向かって声を上げている。
「テケリ、逃げろ!」
 説得が通じる相手ではない。
 懐を探りながら、慌ててテケリの元へ向かうが、その間も、
「なんで燃やしちゃうでありますか!? 仲直りするであります!」
「うるさい!」
 マグノリアはテケリを一喝すると、憎悪に満ちた声で、
「お前にわかるものか! 世界に見捨てられたわたし達の気持ちなど……わかるものか!」
 マグノリアの目が光る。
 ほとんど同時に、テケリとマグノリアの間に駆けつけると、懐から出したものを掲げる。
「レニさん!?」

 ――ゴッ!

 目を閉じていたので、一瞬、何が起こったのかわからなかった。
 息を切らしながら、掲げた幻想の鏡を下ろすと、マグノリアの小さな体は炎に包まれ、すでに地に落ちていた。
 特に何もしていない。ただ、鏡で姿を映してやっただけだ。
 黒い影は、炎の中でもだえながら、
「ああっ……! なぜだ……! なぜ……なぜ女神はわたし達を否定する!」
 体は燃えているにも関わらず、その目はギラギラと輝き、こちらをにらみつけている。
 もはや何かを燃やす力は残っていないらしいが、それでも怨念に満ちた声で、
「お前達も……お前達も捨てられたくせに! 捨てられたくせに! 捨てられたくせにいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
「…………」
 まだ雨は止まない。
 なのに炎は消えることなく、容赦なくマグノリアの布で出来た体を燃やしていく。
 ……この炎は、まるで思念の塊のようだ。

 想いが強ければ強いほど、激しく燃え上がる。

「ワッツ?」
 戦車から降りてきたワッツは、無言でこちらを押しどけると、炎に包まれるマグノリアの前に立つ。
 そして、マグノリアを見下ろし、
「帰りたいか? マグノリア」
 マグノリアは無言だった。もう、しゃべることも出来ないのかも知れない。
 しかしワッツは、意識があるのかないのかもわからないマグノリアに、静かな声で、
「お前はただ、帰りたかっただけなんだろう? 誰も恨んじゃいない」
「…………」
「もう疲れたろう。ゆっくり眠りな。女神様が、きっとお前を受け止めてくれる。だから……もう、眠るんだ」
 雨が弱くなる。
 それと同時に、マグノリアを包む炎も小さくなり、消える。跡には黒い灰の山が残るだけだ。
 ワッツはそれを見届けると、ため息をつき、
「まったく……どんなに手ぇ尽くしたところで、忘れられるわけがないのにな」
「…………」
 ようやく、マグノリアから感じた思念を理解する。
 憎しみではない。怒りでもない。

 悲しみ。

 ただ、それだけだ。
 恐らく、マグノリアに憑依した持ち主の思念が歪められ、暴走したのだろう。
「うん? こいつぁ……」
「どうした」
 灰の山が雨で流れ、その中からひとつの石が顔を出していた。大きさはマグノリアの目と同じくらいの、緑の石だ。
 それを拾い上げ――
「これは……まさか、火石?」
 見る者が見れば、ただの石ではないことがすぐにわかる。手にするとほんのり暖かく、内側に宿るエネルギーに、全身の毛が逆立つ。
 ワッツに渡すと、彼も目を丸くし、
「ほぅ。マグノリアの中に、こんなもんがあったとは」
「火石、ですか?」
 その声に振り返ると、ロジェの肩を借りてユリエルがやってくる。
 エリスは血相を変えて、
「ちょっと! ボロボロじゃない!」
「なんだ。生きてたのか」
「すいませんね、しぶとくて。――エリス、手当てをお願い出来ますか?」
 彼にとって今日は厄日だったのか、服が破け、あちこち細かい傷を負っている。せめてもの救いは、大騒ぎするほどのケガをしていないことか。
 エリスはため息をつくと、
「なによ。どいつもこいつも、結局わたしがいなきゃダメじゃない」
「まったくですね」
 ユリエルは苦笑いを浮かべながらその場に座り、エリスも前にしゃがんでヒールライトを唱える。
「それで、火石ってぇのは?」
 キュカに話を戻され、ワッツは手にした火石に視線を戻し、
「なんでもかんでも燃やしちまう、危険なシロモノだ。ま、あくまで言い伝えだけどな」
「しかし……どうして人形に火石が……」
 どこにでもあるような石ではない。
 仮に手に入れたとしても、知らない者が見ればただの石だ。となると、それなりに知識のある者が隠したのだろうが――
「――そんなん後でええやろ」
 見上げると、雨を降らせていたウンディーネとジンが戻ってくる。
 ノームもうなずき、
「そうじゃな。みんなずぶ濡れじゃ。早く帰って休まんと、カゼひくぞい」
 言ってる側から、テケリがクシャミをする。体が小さいぶん冷えやすいらしく、少し震えていた。
「大丈夫か?」
「うー。だいじょーぶでありますー」
 そう言いつつも鼻をすすっている。足下にラビがいたので、カイロ代わりに抱かせ、サラマンダーにも温めてもらう。
「今頃ニキータも心配してるだろ。お前はエリスはテケリを連れて先に帰れ。あと、これも預けとくぜ」
「え?」
 突然、ワッツに手首をつかまれ、何かを握らされる。
 手を開いてみると、火石だった。

 ――なぜ私に?

 ワッツが持っていてもいいはずだ。
 しかし、ワッツはさっさと背を向け、代わりに、ユリエルの手当てを終えたエリスがこちらの腕を引っ張る。
「行きましょ。カゼひくわ」
「あ、ああ……」
 結局聞くタイミングを逃し、戸惑いつつも、火石を手に帰路へと就いた。

 ◇ ◇ ◇

「おい、ロジェ」
 兄たちの姿が見えなくなると、ワッツはこちらを真っ直ぐにらみつけ、
「お前は、何のために戦っているんだ?」
「え?」
 唐突な問いに戸惑うが、ワッツはお構いなしに、
「理由がないなら剣なんて捨てちまいな。善だろうが悪だろうが、軸がしっかりしてるヤツはどんなことがあっても絶対ブレねぇ。だが、軸もなければどっちにもつけねぇ半端者は、ただの迷惑だ」
「迷惑……俺が?」
「お前だけじゃねぇ。お前らもそうだ」
「なに?」
 ワッツににらみつけられ、ジェレミアやユリエル、キュカもきょとんとする。
「お前らはたしかに強いだろうさ。だが、それだけだ」
「…………」
「これは忠告だ。いつまでもフラフラしてると、死ぬぞ」
 それだけ言うと、ワッツは戦車の中に消え、轟音を立てて家路につく。そして自分達は、しばらくその場に突っ立ち、戦車の後ろ姿をぼんやりと眺める。

 ――お前達は、なぜ戦う――

 いつだったか、ルカもそんなことを言っていた。アナイスもそうだ。
 アナイス達といいワッツといい、彼らには一体、何が見えているのだろう?

 ◆ ◆ ◆

「なぜ……私が……」
「なによ。わたしに運べって言うの?」
 帰る途中、足下がふらつき始めたテケリを背負い、雨に濡れた道を進む。
 テケリもテケリで、
「うー。テケリみたいな幼子にムチャさせるなんて、最近の大人はけしからんでありますー」
「……そう言うなら、最初から留守番してろ」
 都合の良い時だけ子供ぶるテケリに頬が引きつるが、具合が悪いのは本当らしい。帰ったらさっさと寝かしつけたほうがいいだろうが、その前に、
「……お前、どうしてあの時前に飛び出したりした?」
「?」
「相手は人形だ。説得など無駄だ」
 ようやく何の話かわかったらしい。テケリはひとつうなずくと、
「あのおにんぎょうさん、大事にされてたらしいであります」
「?」
「いきなりいらなくなるなんて、あるわけないであります。ただの……ゴカイであります……」
 声はどんどん小さくなり、振り返ると、テケリはすでに寝息を立てていた。
「…………」
「寝ちゃったわね」
 それからは二人とも無言で、家へと向かう。
 ワッツの家の周辺も雨に打たれたらしく、濡れた土と草の匂いが朝の空気に混じって、すがすがしい空気が漂っている。
 そのワッツの家の玄関ポーチに、誰かがいた。
「ルカ?」
「マグノリア……逝ったのね」
 彼女は玄関の扉に背を預け、町に視線を向けたままつぶやく。
 濡れていないことから、別れた後、ずっとここにいたらしい。
「まさか、あの人形はお前のものだったのか? どうして火石が……」
「…………」
 ルカは腕組みをしたまま、相変わらず視線を町に向け、
「火石は、あなたにあげる」
「おい――」
「マグノリアは、母がわたし達のために作ってくれた人形よ。二人一緒に、あの人形でよく遊んだ」
 こちらの言葉をさえぎるように、ルカは言葉を続ける。
「あの人形を見ていると、昔の時間を思い出す。もう二度と帰ってこない、幸せな時間……」
「…………」
「帰ることの出来ない時間なんて、思い出しても辛いだけ。だから戦うと決めた時、あの教会に捨てた」
「捨てた? ならばなぜここにいる」
「…………」
 ルカは無言のまま、身を預けていた扉から背を離す。
「……忘れなくたっていいじゃない」
 これまで黙っていたエリスの言葉に、立ち去ろうとしたルカが足を止める。
「ワッツも言ってた。どんなに手を尽くしても、忘れるなんて出来ない。大事な思い出ならなおさらよ」
「…………」
 ルカは、しばらくエリスに視線を向けていたが――
「……すべてを背負って生きていく、か……」
 ため息と共につぶやくと、背を向け、
「船が完成した。次はディオール。せいぜい、沈められないことね」
「ディオール?」
「マグノリアのこと、感謝する」
 それだけ言うと、雨上がりの草原を踏みしめて、彼女は立ち去った。