16話 役立たず - 2/3

「きゃあ!?」
 いきなり体が宙に浮いたと思ったら、ポポイ共々床に落下した。
「いったー! なんなのよ!?」
「ねーちゃん、ぐるじぃ……」
 ポポイを下敷きにしていることに気づき、プリムは慌てて、槍を手に立ち上がった。
 廊下を歩いていただけのはずなのに。あまりに突然で、なにが起こったのかわからない。
「プリム! ポポイ!」
「クリス?」
 顔を上げると、驚いた顔のクリスと目が合った。カートとコートニーもいる。城に来たレジスタンスは、ゼノアと、あとはこの三人だけのようだ。
「まったく、所詮は子供の浅知恵ね。あんな猿芝居でうまく行くとでも思ったの?」
「え?」
 声に振り返ると、鉄の扉があった。
 扉の、ちょうど顔がくる辺りは格子窓になっていて、そこから誰かがのぞき込んでいる。さっきのファウナッハとかいう女だ。
 どうやら彼女の魔法で、この部屋に飛ばされたらしい。
「おいこらオバサン! こりゃどーいうことだよ! 『コーテー』はオイラたちと『ワカイ』すんじゃなかったのかよ!?」
「……しつけのなってないガキは嫌いよ」
 食ってかかるポポイに、冷たく言い放つ。
 薄暗い室内を見渡すと、牢屋というよりホールのようだった。石造りで、壁にはロウソクの明かりが灯されている。よく見ると、床全体に奇妙な白い模様が描かれていた。
 そして部屋の奥にもう一枚、やけに大きな鉄の扉があった。

 ――ガシャン!

「ひっ!?」
 その扉が激しく揺れる。金属がぶつかり合うような音に、コートニーがすくみ上がった。

 ――ふしゅるるる……

 そして、空気が漏れるような音に、思わず槍を構える。
 なにか、いる。
 人ではない、なにか大きな生き物が、扉を叩いている。
「……結局、そういうことか」
 クリスは顔を上げ、ファウナッハをにらみつけると、
「皇帝は、最初から和解するつもりなんかなかった。そういうことでしょう? この卑怯者!」
「『卑怯者』は、あなた達を生け贄にここへ来なかったあなた達のお仲間。たった三人で来るとは、よっぽど信頼がないのね」
 食ってかかるクリスに、ファウナッハは冷たい目で、皇帝のことともクリスのこととも取れるような言葉を返す。
 そして、プリムとポポイを一瞥し、再びクリスに視線を戻すと、
「だけど一番『卑怯』なのは、『仲間』に頼ることより、『部外者』を巻き込むことにしたあなた達。あ、それとも、聖剣の勇者を差し出して、自分達は見逃してもらう計画だったのかしら? そういうことならごめんなさい。話聞いてあげなくて」
「なんだと!?」
「…………!」
 カートは怒りで顔を赤くし、一方クリスは、怒りで赤かった顔が、みるみる蒼白になる。なにか言い返そうとしていたが、口をぱくぱくさせるだけで、言葉は出てこなかった。
 背後では、重い鉄の扉が激しく叩かれる音が響く。大きく息を吐く音が聞こえ、まるで、早くここから出せと催促しているようだった。
「あ……あああ……」
「おい、しっかりしろ!」
 ヘナヘナと、顔面蒼白でへたり込むコートニーを、カートが支える。
 姿は見えない。しかし見えないことが、逆に恐怖を煽ってくる。
「――あーあ! どいつもコイツもしっかりしろ! このポポイさまがいるんだぞ!?」
 突然、ポポイがふんぞり返って声を上げる。
「なんかカイブツがいるんだろ!? そんなもん、オイラの魔法がありゃあイチコロだ! 『セーギ』はかならず勝つんだぞ!」
「そっ……そうよ! どんな化け物用意してるのか知らないけど、串刺しにしてやるわ!」
 ポポイの声に我に返ると、槍の穂先をファウナッハに向ける。
 ファウナッハは一瞬、きょとんとしたが――肩を震わせ、声を上げて笑い始めた。
「なんだよ! なにがおかしいんだよ!」
 怒って杖を振り回すポポイに、ファウナッハは笑いすぎで涙目になりながら、
「……ああ、ごめんなさいね。そうね。正義は必ず勝つ。それは事実よ」
「わかってんじゃねーか!」
 しかしファウナッハは、ポポイへの関心などすぐ失せたのか、どこへともなく視線をさまよわせると、
「何年前だったかしら。大衆の面前で、お仲間もろとも焼き殺されたバカがいたわ。『悪』だったから負けちゃったのね」
「――――!」
 誰かが、息を呑む気配がした。
「クリス?」
「…………」
 クリスはうつむき、何も言わない。
「てめぇ、何がしたいんだよ! さっきから、人のこと散々バカにしやがって!」
「あら、自分で言うのもなんだけど、割とやさしいのよ、私。バカがバカのまま死ぬのもかわいそうだから、教えてあげようと思って」
 怒りで食ってかかるカートに、ファウナッハは笑いながら、
「バカってかわいそうよね。『自分がバカ』ってこと知らないから。バカだから自分が『正義』と勘違いする。バカだから、身の程もわきまえずに、絶対勝てない相手にちょっかいかけて、死ぬ。しかも、他人まで道連れにして、周囲をとことん不幸にする。……むしろ『悪』だと思わない?」
 ガシャガシャと、背後の扉がうるさい。
「さて。そろそろ開けてあげなきゃ、扉が壊れそうね。それじゃあ――」
「――待って」
 突然、クリスが顔を上げる。
 彼女はファウナッハをにらみつけると、
「……私が持っている情報を全部話します。だから、他の人達は解放して」
「クリス!?」
「お願いします! 全員が無理なら、せめてそこの二人だけでも出してあげて!」
「やめろクリス!」
「バカなことしないでよぉ~!」
 土下座するクリスに、カートとコートニーが慌てて頭を上げさせようとする。
「まあ……驚いたわ」
 その姿に、ファウナッハは目を見開き、
「あなた、自分にそれだけの価値があると思ってるの?」
「え?」
 クリスが驚いて顔を上げると、ファウナッハは、今度は哀れむような顔で、
「ああ、ごめんなさいねぇ。『だから呼ばれた』って勘違いさせちゃったかしら? ……いらないのよ。お遊び連中が持ってる程度のゴミ情報なんて」
「……お遊び……」
 愕然とするクリスに、ファウナッハは諭すように――しかし、底冷えするような冷たい目で、
「まさかバレてないとでも思ってたの? あんた達がタスマニカに祖国を売ってること」
「売る!? そんなこと――」
「してるのよ。まさかタスマニカが『親切』で助けてくれてるとでも思ってホイホイ情報流してたの? おめでたい頭してるわね。それとも、わかっててやってるのかしら? 今、陛下がいなくなったら、この国はどうなる? 誰が・・喜ぶ?」
 誰も、何も言い返せなかった。話についていけないポポイだけが、まぬけな顔でキョロキョロしている。
「あんたは、同胞を地獄へ導き、無関係な他人を巻き込み、敵国に媚びへつらって故郷を売ってる極悪人。『悪』は、やっつけなきゃね」
「…………」
「ぷっ……ククッ……アハハハハハハハ!」
 完全に言葉をなくすクリスに対し、ファウナッハは大きな声で笑い出し、そのまま、牢の前から姿が消えた。
 笑い声と共に足音が遠ざかり――背後では重い音を立てて、扉がゆっくりとせり上がっていった。

 * * *

「ゲシュタールと、会ったことが?」
 全速力がいつまでも続くわけがなく、足を止めて振り返ると、ゼノアが息を切らして後ろについてきていた。
「あ……ごめん。僕……」
 あやうく置き去りにするところだった。寺院への道案内の時もそうだが、この子はかなり足が速い。
 歩きながらなんとか呼吸を落ち着かせると、
「……前、船から落ちそうな所を助けようとしたら、キレられたんだよ」
 昔、村の老人を手助けして、逆に怒鳴られたことを思い出す。
 後で養父に聞いてみたら、『自分より弱い相手に助けられ、プライドが傷ついたんじゃないか』と言われたが、『だからと言って怒鳴り返すとは大人げない』とも言っていた。
 ふと、どこかで嗅いだような臭いがする。たしか、サンドシップで嗅いだのと同じ、火薬の臭いだ。
「な……」
 どうやら、さっきの爆発の現場に来たらしい。
 円形のホールのようだが、今は天井にぽっかり穴が空き、部屋の中央に、上の階の床だったであろうガレキが散乱していた。
 ガレキの中、燃えるじゅうたんが室内を照らし、その炎に、メイド姿の女が二人、照らされている。
「人!?」
 ガレキに挟まれ、うつぶせに倒れていたメイドに駆け寄り、体を起こそうとして、
「――――!」
 心臓が跳ね上がるような感覚。そして、全身に寒気が走った。
 若い女だった。束ねた長い金髪が乱れ――なぜか一瞬、プリムに見えた。改めて見ると、顔はまるで似ていないというのに。
「……こちらもダメです」
 もう一人も同じだったのか、ゼノアが首を横に振る。
「ごめん……なさい……」
 自分は、余計なことをしてしまったのだろうか?
 あの時、善意のつもりでやったことが、後の災いを招いてしまった。
「何を謝ってるんです?」
 聞こえたのか、顔を上げるとゼノアと目が合った。
「いや、だってこれは……」
 しかし彼女は、少し怒った様子で、
「向こうが勝手に怒って、八つ当たりでやったことです。『強き者』は、『弱き者』を巻き込んで人を追い詰めるなんてしない」
「……敵は『弱者』だって?」
「少なくとも、幼稚な方です」
 こんな少女に『幼稚』と言われてしまったゲシュタールに、不謹慎にも思わず吹き出す。
「ありがとう。じゃあ――」
「危ない!」
 先を急ごう、と言い切る前に、ゼノアが飛び出す。

 ――きんっ!

 金属がぶつかり合う音が響き、足下にナイフが落ちる。顔を上げると、逆手にナイフを構えたゼノアが、黒装束で身を固めた相手と向かい合っていた。
「こいつら……」
「帝国に雇われた忍者部隊です」
 噂程度に聞いてはいたが、噂じゃなかったということか。そして同時に、その忍者達とゼノアに、同等のものを感じる。
 どう考えても、この子は普通じゃない。なにかしら訓練を受けた子だ。
 そういう意味では、元々は一般市民のレジスタンスよりも、今、目の前にいる忍者達に近い存在と言っていいだろう。
 かすかな風を切る音に、反射的に飛び退く。
 いつの間にか背後にもう一人、両手に短刀を構えた忍者が迫っていた。
「――――!」
 一瞬、何が起こったのかわからなかった。
 金属と金属がぶつかる音が聞こえる。
 いつの間にか剣を抜いていて、相手の短刀を力任せにはじき飛ばしていたらしい。
 忍者はもう片方の手に握った短刀を構えながら距離を取る。
 周囲を見渡すと、ゼノアの向かいの一人、たった今、短刀をはじいた一人を足せば、三人いた。
「息を止めててください」
 突然、ゼノアがこちらの手首を掴むと、自分達の足下目がけて何かを叩きつける。

 ――ぼんっ!

 突然、視界いっぱいに白い煙が充満し、ゼノアに手を引っ張られるまま走り出す。
「え? え?」
 困惑する暇もなく、狭い通路を駆ける。
「ここで迎え撃ちます」
 適当なところで足を止めて振り返ると、煙から抜け出した忍者が、こちらに向かってくるのが見えた。

 ――パンッ!

 それとほぼ同時に、乾いた音が響き、忍者が仰向けに倒れる。
 驚いてゼノアに目をやると、黒い金属の塊を両手で握り、前方に掲げていた。
 持ち手の部分にトリガーがあり、先端が筒になっていて、両手に乗るほどの大きさだ。
「……鉄砲?」
 音に引き寄せられたのか、もう一人の忍者が現れると再びゼノアは発砲し、肩に命中する。
 ……追っ手は、もう一人いたはずだ。
「んなっ!?」
 肩を撃たれ、武器を落として膝をついた忍者の胸ぐらを掴むと、そのまま盾にして、通路から煙が晴れつつあるホールに飛び出す。

 ――どすっ!

 飛んできたナイフが、盾にした忍者の背に刺さる。
 ナイフが飛んできた方角を見ると、最後の一人が驚いた様子で次のナイフを構えていた。
 それ目がけて、盾にした忍者を思い切り投げつける。
「――うぉっ!?」
 飛んできた仲間の体を避けられず、折り重なって倒れたところで、二人まとめて、胸に剣を突き刺す。
「ぁっ……! ぐっ……」
 下敷きになった忍者はしばらくもがいていたが、こちらも必死に、全体重を剣にかけ、力任せに刃を沈める。
 もがく腕が、地に落ちた。

 ――パンッ!

 再び、さっきと同じ音が響く。
 振り返ると、まだ一人隠れていたのか、忍者が一人、倒れるのが見えた。
 その忍者が落としたのか、足下に筒状の何かが転がってくる。
「げ!?」
 導火線に火がついた爆弾だった。幸い、火をつけたばかりだったようで、慌てて踏んで火を消す。
「はぁっ、はぁっ……」
 火を消して安堵すると、思い出したように、肩で荒い呼吸を繰り返す。
 周囲を見渡し、ゼノアに目が留まる。
「……ゼノア?」
 彼女も、同じく肩を激しく上下させていた。両手で握ったものに目をやり、
「それって……」
「……鉄砲です。筒の中で火薬を爆発させ、金属の弾を高速で発射する古代の武器。……人に向けて撃ったのは、私も初めてですが」
 彼女も動揺しているのか、少し早口だった。
「古の大戦でマナが消えつつあった頃、魔法の代わりとなる武器の開発が行われました。大砲や鉄砲の類いがそれです。ただ、その技術は魔法の復活と共に廃れたそうですが」
「レジスタンスは、そんなの持ってるの?」
「いえ……これは、ある方からもしもの時のために、と……誰かは聞かないでください」
 そう言うと、スカートの下に隠していたポーチから金属の弾を取り出し、慣れた手つきで鉄砲に詰めていく。
 気を取り直し、辺りを見渡すと、襲ってきた忍者は全部で四人。
 それを全員、殺してしまった。
 体は熱いのに、その奥底が冷えていくのを感じる。
 すぐ近くには、二人一緒に、剣で串刺しにした男達が倒れていた。辺りは血の海と化し、もうぴくりとも動かない。
 そのままにするわけにはいかなかったので、体を足で押さえつけ、剣を引き抜く。剣先から、血がぽたぽた落ちた。
「…………」
 まったくためらわなかった。人を盾にすることも、盾ごと剣を突き刺すことも。
 こんなやり方、自分が思いついたわけではない。そうだ、小説で読んだのだ。もっとも、それをやったのは悪役で、盾にされたのも悪役の部下だったのだが。
 悪役の冷酷非道さを象徴するようなシーンだったが、それと同じ冷酷非道さを、自分が持っていたというのか? それとも、この剣が、そうさせているのか?
 少し前の、のどかな日々が、ひどく遠くに感じる。
「……ゼノア?」
 顔を上げると、ゼノアがこちらに背を向けて、静かに吐いていた。
「大丈夫?」
「……すみません。急ぎましょう」
 背中をさすってやると、落ち着いたのか顔を上げる。
 そうだった。人を殺めてしまったのはこの子も同じだ。
 図らずも、共犯者になってしまった。
「――おい、今度はこっちか!」
「床が抜けてるぞ――」
 上の階から、声が聞こえてきた。
「まずい。人が来る」
 立ち上がり、後ろに下がると、かかとに何か当たった。さっき、火を消した爆弾だ。
 拾い上げている間に、ゼノアも立ち直ったのか、
「……牢はこっちです」
 袖で口をぬぐうと、何事もなかったかのように走り出した。