16話 役立たず - 3/3

「なにこれ……ウソでしょ?」
 コートニーが震える声でつぶやく。
 扉が開き、のっそりとした動作で現れたのは、人間よりも一回りも二回りも背丈がある虫のような怪物だった。
 体はまるで鋼鉄の鎧を着ているようだったが、実際に体が重いらしい。猫背気味で、巨大な鎌状の両手を、重そうに引きずっていた。
 しかしその鎌は、薄暗い中でもギラギラ光り、人間の体など一瞬で真っ二つに出来そうな鋭さがあった。
「――ヘン、なんだよ! ただの虫ケラじゃねーか!」
 ポポイの声に、プリムは我に返った。
 振り返ると、ポポイが胸を張って仁王立ちしていたが、足はガタガタ震え、顔面蒼白だ。
 しかしこのチビは、怖い時ほど強がるらしい。杖を掲げると、
「こんなもん、オイラの魔法でペぺぺのぺーーーーーだ! 相手がわるかったな! くらえーーーーー!」
 勢いよく、怪物目掛けて杖を振り下ろす。

 ――…………

 何も起こらなかった。
 ポポイも、ぽかんとした顔をしたが、すぐに気を取り直すと、
「あ、あれ? ……もう一回!」
 再び杖を振るう。

 ――ぽひゅ。

 今度は間抜けな音と共に、かろうじて白い煙が出た。
「ちょっと! 何やってんのよ!?」
「い、いや、そんなこと……あれ?」
「まさか、魔法が封じられてる?」
「え?」
 振り返ると、クリスは床に視線を落とし、
「この模様、今、光ったんだよ。きっとこれ、魔封じだよ」
「え? それってつまり……」
「魔法は使えないってこと」
『え?』
 ファウナッハの、人を馬鹿にした笑い声が脳内で再生される。

 ――ふしゅるるる……

 怪物の、息を吐く音が響く。
 一瞬、静かになり――
「――ギャーーーーーーーーーーーー! どーするどーする!? あけろあけろあけろ! ころされるーーーーーーーーー! じぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ! ギャーギャーギャーーーーーーーーーー!」
「何しに来たんだオメーは!?」
 パニック起こして右往左往したと思ったら扉を叩きまくるポポイに、カートは怒鳴り、コートニーは腰を抜かして泣き出す。
「腰抜かしてる場合じゃない! 立って!」
 クリスの怒鳴られ、コートニーは泣きながら立ち上がったものの、足がガクガク震えている。完全に、ポポイのパニックが伝染している。
 クリスはコートニーをかばうような格好で、じりじり後退しながら、
「……拷問くらいは覚悟してたけど、それすらないなんて」
 しっかりしているようには見えるが、絶望感を隠しきれていなかった。ついさっき、笑いものにされ、打ちひしがれるヒマもないままこのありさまだ。

 ――あれ……?

 今頃になって、プリムはあることに気づく。クリス達は丸腰で、武器らしい武器を持っているのが自分だけである、ということに。
 じっとりと、槍を握る手に汗がにじんだ。
「や……やってやるわよ! あんな虫がなによ!」
 吐き捨てると鞘を抜き、槍を構える。
 そうだ。自分がやるしかない。やるしかないのだが――そんなつもりはないのに、切っ先が、カタカタと震える。
 怪物が一歩、前に出た。それと同時に、後ろに下がっていた。
 それを自覚した瞬間、どうしてこの槍が取り上げられなかったのかがわかった。
 取り上げる必要がなかったからだ。

 ――串刺しにしてやるわ!

 あんなこと言っておいて、結局は口だけ。
 ファウナッハもわかっていたのだ。だから武器も取り上げなかったし、思う存分馬鹿にもした。
 所詮は、身の程知らずの小娘のたわごとだと。
「――貸せ!」
「え? ちょっと!」
 突然、カートが槍を掴んで奪い取る。
「震えてんだろ! それでどうやって串刺しにするんだよ!?」
「そっ、それは……その……」
 プリムのあまりの頼りなさに、見ていられなくなったらしい。男の意地もあったのかもしれない。
「あなた、槍とか使えるの?」
「ただの果物屋の息子だぞ!? 包丁は得意でも剣とか槍とかさわったことすらねーよ!」
 ヤケクソ気味に怒鳴る。
 それもそうだった。レジスタンスと言っても、ただの市民活動家だ。ランディが異常者なのだ。
「昔は徴兵制があったらしいが、今、皇帝は兵士の代わりにモンスターを飼い慣らしてんだ。『もう、戦争で子供達を失う心配はない』なんて言ってるけどな、本音はクーデターが怖くて、市民には無力でいてもらいたいだけだ」
 聞いてもいないことを早口に説明するが――恐怖をごまかすためだというのはすぐに気づいた。槍を構えはしても、不用意に突っ込んだりはしない。
 怪物の、重そうな鎌がゆっくりと上げられた。
 距離は十分離れている。威嚇だと思ったが、
「え――」
 鎌が振り下ろされた瞬間、猛烈な風に吹き飛ばされた。
 床に体が叩きつけられ、そのまま転がる。
「ギャーーーーー! なんなんだよなんなんだよ!」
 ポポイのギャン泣きする声が響く。とりあえずそっちは大丈夫なようだ。
 慌てて体を起こし、視界に入ったものに背筋が寒くなる。
「うそ……」
 槍を抱えたまま、カートが倒れていた。そして床に、じわじわと赤い液体が広がっていく。
「カート! カート!」
 クリスが慌てて駆け寄り、カートを揺さぶる。幸い、意識はあるようだったが腕を斬られたらしく、手で押さえた傷口からは、血がどんどん流れて止まりそうにない。
「クソッ……手も足も出ねぇのか……」
「しっかりして! すぐに――」
 傷に手をかざし――愕然とする。
 そうだった。ポポイが魔法を使えないということは、自分も魔法が使えないのだ。
 ケガくらい治せるとついてきておいて、何も出来ない。
 ただの、役立たずだ。
「開いて! お願い!」
「ギャーーーーーーー! なんであがねえんだよおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
 後ろでは、コートニーが扉に体当たりをし、その近くではポポイが泣き叫んでいる。
 自分は? 自分に何が出来る?
「……私があの怪物を引きつける。みんなを連れて、キミは『あっち』からこの部屋を出て」
「え?」
 上着を巻き付け、カートの止血をしながら、クリスが『あっち』を指さす。怪物が出てきた通路だ。
「あそこは……あの怪物が出てきた所だから、檻じゃないの?」
「檻かもしれないけど、世話役が出入りする通路や出入り口もあるかもしれない。もしかすると、あっちはこの魔封じの範囲外かもしれない」
 かもしれない。かもしれない。
 希望的観測そのものだったが、他の道もない。クリスはカートが抱えていた槍を手に取ると、立ち上がる。
「おい、クリス?」
 体を起こしたカートが、ぽかんとした顔でクリスを見上げる。
「え? なに?」
 気づいたのか、コートニーも驚いた顔で振り返る。
 クリスは笑みを浮かべると、
「ごめんね。これまでたくさん無茶させて。それじゃあ――」
「――邪魔です。離れてください」
 突然、扉の向こうから声がした。

 ――ごぅん!

 外から、鉄の扉が吹っ飛んだ。ついでに、近くにいたポポイとコートニーも床に転がった。

 * * *

「下がってください」
 と言いつつ、下がるのを待つ間を与えることなく、ゼノアは、パンプキンボムの次は赤いコインのようなものを取り出すと、
「サラマンダー!」

 ――ごぅんっ!

『わーーーーーーーーーーーー!?』
 精霊の名を叫んで部屋の奥の怪物目掛けて投げつけると、爆発と共に火柱が怪物を包み込んだ。
 中にいた全員、状況が理解出来ず、目の前の業火に慌てふためきながら絶叫する。
 炎が収まり、仰向けにひっくり返った怪物を改めて確認すると、
「あれって……マンティスアント?」
 少し、様子が違う。
 かつて、ポトス村で遭遇したものと比べると、全体的に金属っぽい。鎌の鋭さも、圧倒的にこちらが上だ。
「帝国がマンティスアントを改造して作った『メタルマンティス』です。今は実験段階で、処刑に使っていると噂に聞きましたが……ホントだったとは」
 部屋の中を見渡すと、状況がよくわかっていないのか、全員ぽかんとしていた。

 ――プリム?

 泣いているようだった。
 彼女自身はケガをしているようではなかったが、すぐ側でうずくまっているカートに気づく。服や床が、赤くなっている。
「まさかケガ――」
「――アンちゃん!」
 ケガをしたのか、と心配するより先に、横からすっ飛んできたポポイがこちらの足にしがみつき、
「おぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ! じぬがどおもっだぢゃねぇがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「……とりあえず離れて……」
 大変汚い顔で泣きわめかれ、少し引く。
「と、とにかく助かった! 早く外に――」
「無理です。火の手が上がって、来た道を戻れません」
『んえええええええええええええええ!?』
 ゼノアの回答に、ポポイもコートニーも頭を抱えて叫ぶ。
「じゃあ、やっぱり『あっち』なんだ……」
「あっち?」
 通ってきた扉と向かいの位置――メタルマンティスの背後に、通路が見えた。
 しかし、今はそれよりも、
「あ、あれ……」
 プリムが指さした先に視線を向けると、さっき吹っ飛ばしたメタルマンティスが、ぎこちないながらも動いていた。
「え? ちょっとまさか……」
「あの程度では無理でしたか」
 ミシミシと音を立て、ゆっくりと、体が起き上がる。
 さっきの爆発で足をやられたのか、片膝をついていたが、もう片方の足で体を支え起き上がると、両手の鎌を構えた。
 プリムは慌てふためいて、
「ちょ、ちょっと! なんとかしてよ!」
「なんとかって……」
 結局人任せか。
 散々なこと言ってついてきておいて。
 とはいえ、こちらもあんな怪物相手に接近戦は避けたい。ポポイに目を向けると、
「ポポイ、魔法は?」
「さっきからやってるよ! でも、『マフージ』だかなんだかしらねーけど、このヘンな絵のせいで魔法がつかえねーんだよ!」
「これ?」
 何の気なしに、足下の模様に剣を刺す。
『あ』
「え?」
 なぜか視線が集まる。
 剣は、床に突き刺さっていたが――そういえば、石作りの割にずいぶんもろい床だ。まるで柔らかい砂のように、剣があっさりと刺さった。
「なに?」
 そして突然、模様が動いた。
 剣が刺さった箇所を中心に、模様だけが浮び上がり、煙のように消えていく。
「魔封じが!」
「え? それじゃあひょっとして……」
「――チビちゃん!」
「ふぇ?」
 プリムの声に、ポポイが顔を上げる。
「魔法! 今なら行けるんじゃないの!?」
「まほー?」
 ポポイはきょとんとしていたが、
「――おお! この天才にまかせろ!」
 汚い泣きべそかいていたのが、一瞬で、根拠のない自信に満ちた顔に豹変する。
 そしてメタルマンティスを指さすと、
「コラー、このカイブツ! このポポイさまをおこらせたツミは重いからな! オイラがちょっくらホンキ出せば――」
『とっととしろ!』
 イラついたプリムとコートニーに同時に怒鳴られ、言葉は強制終了となった。
「てなわけでこんどこそ!」
 ポポイが杖を掲げると、火の玉が――それも、部屋の天井を覆いつくさんばかりの『巨大すぎる』火の玉が出現する。
「ちょ! ちょっと待て!」
「くらえーーーーーーーーーー!」
「伏せて!」
 とっさに伏せながら叫ぶと、轟音と共に全身に熱い風が吹きつけ、肌がちりちり焼ける。息を止めていなければ、肺が焼けたかもしれない。
 顔を上げると――部屋は黒焦げで、当のポポイは爆風に吹っ飛ばされたのか、壁際でひっくり返っていた。
「あ……あちち……」
「――私達まで焼き殺す気!?」
 起き上がったプリムが怒鳴る。
「効いてないようですが」
 ゼノアの声に我に返ると、メタルマンティスは両手の鎌を交差して堪え忍んだようだ。多少焦げてはいるものの、平然としていた。
 コートニーは驚いた顔で、
「さっきのより派手に爆発しといて、見かけ倒しなの!?」
「あ! なんだとコラー!」
「しかも出口、完全に塞がれちゃったよ!?」
「しるかーーーーー!」
 爆風に押されたようで、出口をメタルマンティスでフタをするような形になってしまった。
 さっきの状況なら、敵が歩けないのをいいことに、スキをついて通り抜けるということも出来たかもしれないが、今度は敵が歩けないせいで、通り抜けることすら出来なくなってしまった。
 ……やはりあのチビを連れてきたのは間違いだった。この城へではなく、妖精村から。いや、むしろ最初の段階から。
 あんな不確定要素に頼ろうとした、自分の責任だ。
「――またアレが来る!」
 クリスの声に顔を上げると、メタルマンティスが交差していた鎌を下ろし、左右に広げていた。
 『アレ』がなんなのかは知らないが、こうなったら、やられる前にやるしかない。
「ランディ!?」
 腹をくくると、剣を手に飛び出す。
 これまで自分に向かってくる相手などいなかったのだろう。怪物は怪物で、驚いた様子で、こちらから見て左の鎌を振り上げるが――その動きは、自分にはひどくゆっくりに見えた。
 一切の音が消える。
「――――っ!」
 固い手応えが通り過ぎ、一瞬、バランスを崩して片膝をつく。
「危ない!」
 クリスの声に振り仰ぐと、たった今、腕から斬り飛ばされた鎌の切っ先が、こちらに向かって落下しているのが見えた。

 ――パンッ!

 突然の銃声と金属がぶつかる音に、落下する鎌の軌道が、逸れた。

 ――どすっ!

 背後で、何か重いものが突き刺さるような音がする。
 膝をついたまま振り返ると、床に突き刺さった鎌が視界に入った。
 鎌のすぐ後ろにメタルマンティスの体があったが――首から上が、なかった。
 とん、と、意外と軽い音を立てて、丸いものが床に落ちる。メタルマンティスの頭だ。
 首から下は膝をつくと、そのまま前のめりに倒れ込む。
 落ちた頭は、しばらく目だけギョロギョロ動いていたが――やがて、動かなくなった。
「うそー……」
 誰のつぶやきか、目の前で起こった出来事に、全員、ぽかんとする。
 ……恐らく、メタルマンティスが一番驚いているだろう。落下した自分の鎌で、自分の首を切り落とされるなど。
 振り返ると、ゼノアが握る鉄砲の口から、白い煙が立ち上っていた。
 とりあえず立ち上がると、
「ナ……ナイスアシスト……」
「ご無事でなによりです」
 ようやく絞り出した言葉に対し、ゼノアは銃口から立ち上る白煙を、ふっと息でかき消した。