戦というものは、『攻め時』というものがあるらしい。
  それを見逃してしまうと戦が長引き、人も資金も消耗する。それどころか体制を立て直した敵に逆に攻められ、窮地に陥る。だからこそ、目先の『楽』に逃げてはいけない。
  もはやうろ覚えだが、昔読んだドン・ペリの兵法書に、そんなことが書いてあったことを思い出す。
  指定の場所に続く塔の中を一通り確認し、準備を整えると、剣を抜いて外へ出る鉄の扉を開ける。熱い風と共に焦げた臭いが鼻をついた。
  空はすっかり暗くなっていた。何もない開けた場所は低い柵で囲まれ、階下からは赤い炎と、それに照らされた煙が、人影が見える方角へと流れていくのが見える。
 「尻尾を巻いて逃げるかと思っていたぞ」
  そして広場の奥には、ゲシュタールが待ち構えていた。
――このまま、取りに行きますか?
 ゼノアの、冗談とも本気ともつかない一言。
  皇帝の首は無理だが――少なくとも、この人は。
  今、ここで。なんとしてでも、片付けなくてはならない。帰り道なんて知ったことか。
  改めてゲシュタールを見ると、その足元に、見覚えのある黒装束の人物が転がっていることに気づく。
  黒い水たまりの上に横たわり、ぴくりとも動かない。
 「その人……」
 「やれば出来るじゃないか」
 「は?」
  ゲシュタールは、なぜか感心した様子で、
 「俺の刺客を返り討ちにしてくれたそうだな。甘っちょろいガキと思っていたが、訂正しよう。少なくとも、この無能共より骨のあるヤツだったらしい」
  どうやらあの忍者達は、ゲシュタールが放った刺客だったようだ。
  こちらの視線が足元に向かっていることに気づいたのか、
 「ああ、これか。任務も果たさず、報告と言い訳して逃げて来た無能だ。期待はずれは死んで当然」
  そう言うと、ゴミのように脇に蹴り飛ばす。
 「それにしても、一人で来るとは勇敢なものだ。感心したぞ」
 「……無関係な人は巻き込みたくない。僕はあなたとは違うんで」
 「嘘は言わんでいい。お前も、足を引っ張る『役立たず』は、最初からいらんだけだろう?」
  こちらの軽い嫌味を、さらなる嫌味で受け流す。
 「仲間だのなんだの作ったところで、最後に信じられるのは自分の力だけ。仲間ヅラするヤツほど、いざとなったら自分の弱さを盾に『なんとかしてください』と泣きつくクズか、こちらの強さを利用したいクズか、そんなのばかりだ。だったら最初からいないほうがマシだよなぁ?」
 「…………」
  身に覚えがありすぎて、反論どころか同意してしまいそうになる。この人も、なんだかんだで苦労してきた人なのかもしれない。
 「俺はお前を勘違いしていたようだ。その詫びついでに教えてやろう。この戦いにおいて、無関係なヤツなどいないということだ」
 「この戦い……?」
  どの『戦い』だ?
 「おしゃべりはこのくらいにしよう」
  ゲシュタールは突然、鎧で覆われた左腕をこちらに突き出す。
 「勇敢な一匹狼に敬意を評して、この俺自ら遊んでやる」
――がこんっ。
「え?」
  突き出した手が、落ちた。
  そして手首の断面には、複数の金属の筒らしきものがあり、そこから、低い、うなるような音が響いた。
 「――いっ!?」
  嫌な予感に思わず飛び退くと、さっきまで自分が立っていた場所に連続でなにかが打ち込まれ、地面に無数の穴が空いた。
 「銃!?」
  ゼノアのものとは違う。連続で弾を発射し、速度も威力も段違いだ。避けなければ、蜂の巣にされていた。
  それが、本来、腕があるべき場所についている。むしろ、腕そのものが機械化されている?
 「まさか、自分の体を改造したの? 腕ぶった切って!?」
 「何が悪い」
  ゲシュタールはこともなげに、
 「俺は自分の肉体、自分の技術、自分の知識……すなわち、自分の持てる力でこの強さを手に入れた。借り物の力で強くなったつもりの連中とは違う!」
  なんの話をしているのだろう。よくわからない。
 「聖剣もそうだ。そんな大昔の骨董品にすがって、期待する連中も、脅威を感じる連中も、どうかしている。ひねり潰して、目を覚まさせてやる!」
  ダッシュでその場を離れる。じっとしていたら撃ち殺される。
  身を隠す場所がなく、ポケットから黒い玉を取り出すと、ゲシュタールの足下の地面めがけて、力一杯投げつける。
――ぼんっ!
 玉が地面にぶつかると、黒い煙がゲシュタールを包んだ。
 「――小癪なマネを――」
  通って来た塔へ逃げ込むと、扉を閉め――弾丸が鉄の扉を貫通してすぐ横をかすめる。扉にかんぬきを通して閉じたが、持ちこたえられるのは数秒か。
  近くに下へ続く階段があったがそちらには向かわず、奥にある塔の上に続く木製の階段に向かう。
  その階段を上る前に、もう一発、白い玉を部屋の中心めがけて投げつける。火薬のにおいと共に、今度は白い煙を部屋に充満させると、急いで階段を上る。
  塔の中は事前に確認した。この上の部屋は、明り取りか物見のためなのかよくわからない吹きさらしの四角い穴が壁にいくつかと、中身のないタルが二つ、放置されているだけだった。
  石材をケチったのか、後から増設したのかは知らないが、階段同様、床も木製で、だいぶ老朽化しているようだった。だからなのか、当初、階段には『通行禁止』の札をぶら下げたロープが張られていた。
 「――どこだ小僧!」
  てっぺんの部屋にたどり着いたところで扉が蹴破られ、慌てて壁際のタルの後ろに隠れる。
  上は行き止まり、下への階段は煙で隠れているはずだ。塔の構造を知らない者なら、目についた上への階段を上ってくるかもしれないが、構造を熟知しているゲシュタールが、そんなことに気づかないわけがない。
 「まさか、俺の裏をかいたつもりじゃないだろうな?」
  声は、こちらがいる方角へ向けられていた。
  そして、一段、また一段と、階段をきしませながら、
 「お前のようなこざかしいヤツは、相手の裏をかきたがる。だが、所詮はガキの浅知恵だ。俺には通用せん」
  心臓が高鳴る。
  もしかすると、この音が聞こえているんじゃないか。そんな気がしつつも、足下に抜いた剣を置く。
  事前に、壁の穴に通してくくりつけておいたロープをたぐり寄せ、もう片方の手でポケットの中身を取り出すと、強く握りしめる。その間も、足音が、どんどん近付く。
  そして、ゲシュタールの影が見えたところで、
 「サラマンダー!」
  階段へ向かって、コインを投げつけた。
 「な――」
  火柱が、ゲシュタールの驚く顔を照らし出した。
  そして次の瞬間には、轟音と共に足下が崩れていった。