1話 永遠の一瞬 - 3/4

「なんであんな怪物が――」
「だから『よそ者は災いを持って来る』って散々言っただろ! それなのにあんな子を――」
「ありゃあ本物の化け物だったぞ! あんなのの首ぶった切るとか、あいつ人間なのか? 化け物が人間に化けてるんじゃあ――」
「だから嫌なんだよ! よそ者は!」
 暗闇の中、階下から聞こえてきた声に目を開ける。
 声は複数だった。よく聞く声、あまり聞かない声、様々だった。ただわかるのは、誰かが非難されていることだった。
 体が、熱い。
 元々熱っぽかったが、悪化したらしい。家に帰ると、事情説明もままならないうちに寝込んでしまった。
 額が、ズキズキする。
 深くないと言っていたが、傷口からなにか悪いものでも入ったかもしれない。そこだけ妙に熱くて――体の奥底は、妙に寒かった。
 声は、相変わらず聞こえる。
 寝返りを打ち、仰向けになると、目を閉じる。
 大きく息を吸い――ゆっくりと吐く。
 息を吐くうちに、声は遠く、小さくなり、やがて聞こえなくなる。
 すべての雑音を消し去り、音のない世界へ。
 いつの間にか身についた、一人になるための対処法だった。

 包帯をほどき、卓上の小さな鏡を見る。
 前髪をかき上げると、額から右のこめかみにかけて生々しい一本線が入っていた。
 血は止まっていたが、油断すればまた出血するかもしれない。
「夢じゃない、か……」
 傷が、痛む。
 その痛みが、昨日の出来事が現実だと教えてくれる。
 包帯を巻き直し身支度を整えると、手持ちの中で大きめのバッグを引っ張り出し、ひとまず着替えを詰める。他にも色々必要だろうが、そこまで考えていられない。
 一番丈夫な革靴を履くと、バッグを持って一階の台所へ向かい、水筒を探す。
「……熱は下がったか?」
「うん。熱は大丈夫」
 聞き慣れた声に、振り返らず答える。
「傷は?」
「もう大丈夫。……跡は残るかもしれないけど」
「そうか……何か食べるか?」
「いい。いらない」
 丸一日食べていないはずだが、まるで空腹を感じない。
 水瓶の蓋を開け、水筒に水を注ぐ。
 水筒をバッグにしまっていると、いったん引っ込んでいた養父が戻ってくる。
「これでも巻いておけ。……ちと、派手か」
「ありがとう。いいよこれで」
 持ってきた真新しい紅色のバンダナを受け取る。
 ……たしかに色はきれいだが、身に着けるには少々派手かもしれない。
 包帯を隠すようにバンダナを巻きながら、
「プリシラは?」
「夕べは預かってもらった。もうじき帰ってくるじゃろう」
「そう……」
 しばらく、気まずい沈黙が流れる。
「お前、その荷物……」
 足元のバッグに視線が向けられる。
「……この村、出るよ」
「待ちなさい。出て行ってどうする? あてなどないじゃろう」
「でも、決まったんでしょう?」
 養父の言葉が詰まる。
 夕べ、何を話し合っていたのか。いや、話し合いにすらなっていなかったかもしれない。
「もうこれ以上、迷惑かけられないし……元からこの村に、居場所なんてなかったし」
 昔から、トラブルが起こるとそうだった。
 身に覚えのないことで真っ先に疑われ、責められ、次に出てくるのは『出て行け』の言葉だ。
 そのたびに、間に入って収めてくれたのが養父だった。
 しかし、今回ばかりはそうもいかない。村人が『守り神』と信じ込んでいる聖剣を自分が抜いてしまったことは事実であり――そのことで、養父が責められる。
 養父の立場を、これ以上悪くするわけにはいかない。
「……その通りじゃ。すまん。これ以上、ワシの力ではどうにも出来ん」
「うん。今までありがとう」
「待ちなさい」
 再び呼び止められると、養父は用意していたのか、小さな布袋を置くと、
「これはせめてもの支度金じゃ。少ないが、持って行きなさい」
「でも……」
「いいから、持って行きなさい」
 無理矢理握らせる。あまり重くはない。
「……ありがとう。大事に使うよ」
 これがギリギリ出せる金額だろう。結局、最後の最後まで世話になってしまった。
「あと、これも。……お前に責任を取ってもらう」
「これって……」
 細長い布袋を、重そうに机に置く。
 袋の口を縛る紐を解くと、中から、昨日の錆びた剣が出てきた。
「村の守り神なんでしょ? どうして?」
「守り神であり、疫病神。……どうやら、皆はそう思っておるようじゃ。そんな剣を置いておいて、またなにかあっては困るとな」
「……そう」
 なんとも虫のいい話だ。
 いつもは存在しないかのように扱うくせ、いざとなったらすべての責任を押しつける。
 疫病神同士、一緒に放り出す良い機会ということか。
 剣を袋に戻し、肩に担ぐと、
「……プリシラが帰ってくる前に行くよ。元気で」
「どこへ行くつもりじゃ?」
 どこへ。そんなの、自分が聞きたいくらいだ。
「……母親を、捜してはどうじゃ?」
「母親?」
 妙なことを言う。
 自分は行き倒れて死んでいた、旅人の子のはずだ。
 そう聞かされていた。
 養父はイスに座ると、
「もう十五年ほど前になるか。お前は母親に連れられて、この村にやってきたんじゃ。ワシは、お前の母親に会っておる。死んでなどおらん」
 その言葉に、驚いていない自分に驚く。

 ――おまえ、かあちゃんに捨てられたんだってな?

 そんな噂話を聞いたのは、いくつの頃だっただろうか?
 根も葉もない作り話だと思っていた。
 それなのに、否定することが出来なかった。
「夜中じゃったし、雨も降っていた。そんな中を、幼子を連れた異国の女が一人。当時は戦争で世間が騒がしかったから、きっとどこかから逃れてきたんじゃろうと中に入れてやったが……朝にはいなくなっていた。おかげで名前も聞けず終いじゃ」
「そう……」
 何も感じなかった。
 嬉しいでもなく、怒るでもなく。しいてあげるなら、こんなものだと冷えていく感覚。

 捨てられたんじゃない。死んだんだ。

 あの時そう言えなかったのは、いつか迎えに来てくれるという幼い期待だったのかもしれない。
 期待なんて、するだけ無駄だった。
「おにーちゃん、おじーちゃん! ただいまー!」
 重苦しい空気を破ったのは、騒がしい足音と明るい声だった。
 飛び込んできたプリシラは、室内の雰囲気に一瞬、きょとんとしていたが――荷物に気づくと、
「おにーちゃん、どっかいくの? わたしもいく!」
「プリシラ、来なさい」
「イヤ!」
 養父が手招きするが、プリシラはこちらにしがみつく。事情など知らないはずなのに、大人にはわからない子供の直感だろうか。
 もう、会えないかもしれないと。
「わがままを言うな。……少し、遠くに出かけるんじゃ。おじいちゃんと待とう」
「とおく? いつかえってくるの?」
「……ごめんプリシラ。おじいちゃんと仲良くね」
「ねぇ! いつかえってくるの? わたしもいく! つれてけ! つれてけぇっ!」
 羽交い締めにされ、手足をばたばたさせながら叫ぶ。
 養父の目に促され、足早に家の外へ出る。
 玄関のドアを閉めても、妹分の騒ぐ声が聞こえた。
 ……もしかすると、自分の時もそうだったのだろうか?
 置いて行かれる寂しさと、もう帰ってこないかもしれない恐怖。
 そして次に湧いてくるのは、迎えにきてくれるという――期待。
「ごめん、プリシラ」
 もう一度、謝罪の言葉を口にする。
 母親に裏切られた自分が、今度は裏切る側になってしまった。
 足早に家から離れると、見慣れた二人組の姿が視界に入る。
「ボブ? ネスもどうしたの?」
「よ、よお」
 呼ぶと、ネスにつつかれ、ボブが引きつった顔でこちらに振り返る。
 たまたま通りかかったようには見えない。わざわざやってきて、近辺をうろうろしていたらしい。
「昨日は大丈夫だった?」
「お、おう……」
 気のない返事だった。
 次の言葉を待つが、なかなか出てこない。そんな彼の顔は、ひどく緊張しているようだった。

 ――化け物――

 そうかもしれない。
 本当なら、あんな怪物に出会ったが最後、死んでいたはずなのだ。
 今でも信じられない。自分が、怪物の首を一撃ではねたなど。
 そんな芸当が出来るなど、本当に自分は化け物なのかもしれない。
「……お前も、ケガ、もういいのか?」
 挙動不審なボブに代わり、ネスが口を開く。
「あ……うん。もう平気」
「そ、そうか。なら、いいんだけどよ」
 こんな歯切れの悪いボブは初めてだった。いつも堂々として、ふんぞり返っているのに、目を合わせようともしない。
 代わりにネスが、こちらの肩から提げた荷物に目をやり、
「村出るって聞いたけど……ホントみたいだな」
「うん。今までありがとう」
 色々あったが、まともに相手してくれたのはこの二人くらいだった。
 ほっといて欲しいと何度も思ったが、思い返してみると、そこまで悪くもなかった。
「あまり長居しないほうがよさそうだし、もう行くよ。二人とも、元気で」
「あー……」
 ボブのもの言いたげな顔に、思わず足を止める。
「なに?」
 目をそらしたままではあったが、彼はぼそぼそと、
「その……昨日は命拾いした。ありがとよ」
「え?」
 聞き間違いか? 首をひねると、彼は一瞬で顔を怒りで真っ赤に染め、
「言ったからな! 確かに言った! 二度は言わねーからな!」
「うん……ありがとう」
 恐らく、彼の口から初めて聞いた言葉だった。
「行くならとっとと行け! もうオレの知ったことか! せいぜい、途中でくたばらねーようするんだな!」
「うん……元気で」
 逃げるように退散するボブを、ぽかんと見送る。
「……ノミの心臓」
「え?」
「昨日のことが相当こたえたみたいだな。図体はでかいくせに」
「ああ……」
 昔から『乱暴者』で有名だったが、根が小心者なだけなのだ。おかげで憎むに憎めない。
「知ってるか? 怪物がいるって聞いて、上じゃこのまま塞ごうって騒いでたんだぞ」
「…………」
「この村の事なかれ主義は知ってたけどな……」
 予想はしていたが、やはりそうだった。
 今さら期待することなどないはずなのに、少しショックを受けている自分に気づく。その光景を目の当たりにしたネスはそれ以上にショックだったらしく、どこか冷めたような目をしていた。
 ネスは気を取り直すと、
「まあ、餞別はないんだけどな。……達者でな」
「あ、ありがとう。ネスも元気でね」
 軽く手を振り、お互い、逆の方向に向かう。
 彼はすれ違いざまに、
「オレ達だって……わかってんだよ。このままじゃいけないって」

 ――このまま?

 聞こえたつぶやきに、足を止め、振り返る。
 彼の背はどんどん小さくなり、角を曲がって見えなくなった。

 * * *

「……ありえるのか? こんなことが」
 切り離された怪物の首を見下ろし、思わずつぶやく。
 ランプで断面を照らすと、『斬った』と言うよりちぎった――いや、それにしたって妙な断面だった。まるでその部分だけ沸騰して、溶けたような感じだ。
 たしかに『火事場の馬鹿力』とは言う。だが、こんな巨大な怪物の首――いくら細く見積もっても、人間の胴体くらいの太さがある首を、ちぎり飛ばしてしまう力があの剣にはかかっていたのだ。本来なら折れるべきは首ではなく、剣だったはずだ。
 村人達が剣のことで騒いでいた。この村に来るまでは半信半疑だったが、いよいよもって、本物かもしれない。
 しかし――それ以上に信じられないのが、あの少年だった。
 村人がようやく持ってきた縄ばしごを使って下り始めた時、視界に入ったのは、剣を持った少年が、怪物に突っ込もうとしている光景だった。
「――よせ! 早まるな!」
 かなう相手ではない。
 怪物も自ら突っ込んでくる獲物に向かって鎌を振り上げ――その瞬間、信じられないことが起こった。
 怪物が、怯んだのだ。
 怪物の目に、どんな光景が映ったのかは知らない。
 しかし自分には、あの怪物がおびえたように見えた。
 その後のことは見ていない。火が消えてしまい、穴の中が真っ暗になってしまった。
 すぐに別の松明を用意し、照らした時には、怪物の首と体は分離しており、当の少年は地面に倒れて気絶していた。
 ほんの数秒の出来事だった。
 肝心の瞬間は見ることが出来なかったが、彼がやったのは間違いないだろう。
 一体、どうやって。
 ありえない。
 しかし、起こってしまった。
 ならば、考え方を変えねばならない。
 これまで、多くの新兵からベテラン騎士まで見てきたが、自分も含めて、あんなことが出来る者がいただろうか?
 そんなヤツ――
「いや……あいつなら……」
 一人思いついたが、とっくにこの世にいない人間だった。
「――おいあんた! いつまでいるつもりだ!?」
 顔を上げると、縄ばしごにつかまった男がこちらを見下ろしていた。
「こんな気味悪い穴、さっさと塞ぎてえんだよ。一緒に埋められたくないならとっとと出てこい!」
「ああ、すまない」
 これが軍隊による討伐なら死体を持ち帰って検証するところだが、今回はそうも言ってられない。
 地上に戻ると、男は縄ばしごを引き上げながら、
「……まったく、よそ者ってのはどんだけ神経図太いんだか」
 そのつぶやきは聞こえないふりをして、
「ところで、昨日の少年は?」
「は?」
「見たところ、この村の人間ではないようだな。彼と話がしたいんだが」
 明らかな嫌悪が、表情に見て取れる。
 男は一瞬手を止めたが、吐き捨てるように、
「……知らねーよ。ま、この村にはもういられないだろうけどな」
「そうか」
 それは好都合だ。
 こんな村に置いておくには惜しい。
 それになにより、あの剣だ。
 不謹慎かもしれないが、年甲斐もなくわくわくする。
 伝説が、動き出す。