1話 永遠の一瞬 - 4/4

「ずいぶんと重いな……」
「そうですか?」
 貸した剣を手に取るなり、ジェマとかいう老騎士は顔をしかめた。
 昨日も見たはずだが、あの後のごたごたもあって満足出来なかったらしい。ここぞとばかりに、じっくり観察する。
 そして唐突に、こちらに振り返ると、
「ところでキミ、親は?」
「いません」
「よそ者と聞いたが、どこから来たんだ?」
「わかりません。……身元がわかるようなものもなかったので」
「そうか……すまない」
 こちらのそっけない返事に、申し訳なさそうに謝罪する。
 昨日会ったばかりの、白髪混じりの初老の男。
 見た目はいかついが、誰よりも真っ先に駆けつけ、傷の手当てをして家まで送ってくれた。そして今日は、村を出た自分を追ってきた。目当ては剣だったようだが――それを差し引いても、『優しい人』のようだ。
 自分の生い立ちを知ると、『優しい人』はみんなそんな目で見てくる。
 彼は剣を袋に戻し、こちらに返すと、
「これまで、剣や武道を習ったことは?」
「……昔、弓を少し触ったくらいなら」
「弓? 狩りをするのか?」
 首を横に振り、
「家畜を飼ってたから、わざわざ狩りに行く必要ないです」
「そうか……」
 村の猟師が、後進の育成のために子供を集めて弓を教えたのだ。一応、自分も的に向けて撃ったが、当たらなかった。弓を引いたのはその時限りだ。
 とりあえず道なりに歩きながら、
「あの……ジェマさん」
「ジェマでいい」
「ジェマは、どこから来たんです?」
 今度は、こちらから質問する。
「タスマニカという国だ」
「タスマニカ……海の向こうの島国の?」
「知っているのか?」
 無言でうなずく。田舎者と油断していたのだろうか?
「どれくらい知ってる?」
 問われて、過去に読んだ本を思い出し、
「……パンドーラ王国の同盟国。ヴァンドール帝国との長引く戦争で騎士団が強くなりすぎて、国王を失脚させた。以来、『共和国』を名乗りながら、実質タスマニカ騎士団の支配国。……タスマニカから亡命した、元王国貴族が書いた本にそうありました」
「そうだ。そのタスマニカだ」
 こちらの回答に、ジェマは苦笑いを浮かべてうなずく。
「詳しいんだな」
「養父が読書好きだったので」
 そういう点では、自分は幸運だったのだと思う。
 学校もなく識字率も低い村でありながら、物心つく前から本を読み聞かせてもらい、自然と読み書きが出来るようになった。異国のことも、全部本で知った。
 本はいい。なにしろあらゆる知識が身に付き、おまけにその時間は一人でいられるのだ。
「ところで、これからどうするつもりだ?」
「…………」
「あてがないなら、水の神殿へ行かないか?」
「水の神殿?」
 その提案に、思わず足が止まる。
 今頃になって妙なことに気づく。そもそも、この人はなんなんだ? なにしに村に来たんだ?
 警戒が顔に出たのか、彼は首を傾げ、
「不満か?」
「あそこはただの廃墟でしょう。行ってどうするんです?」
 実は昔、行ったことがある。
 村から近いこともあって、『探検』と称して、ボブとネスに誘われ渋々行ったのだが――外観はどう見ても廃墟で、入り口も開かなかった。
 他に入れる場所を探したが、結局見つからず、二人の悪態を聞きながら帰った記憶がある。そして、人がいるという話も聞いたことがない。
 しかし、ジェマを首を横に振り、
「いいや。あそこには、神官のルサ・ルカ様がいる。二百年もの間、この地を見守り続けてきた方だ。話を聞く価値はある」
「二百年?」
 言葉そのままの意味で捉えると、あのボロい建物に、御年二百歳のルサ・ルカとやらがいるということになるが――そもそも、人間が二百年も生きるわけがないだろう。虚言癖の老婆が住み着きでもしたのだろうか?
 ……付き合いきれない。布袋に収めた剣を差し出し、
「あの……これ、差し上げます。あなたがその『二百歳のおばあちゃん』のところに届けてください」
「ダメだ。その剣は、キミが抜いたんだ。キミでなければ聖剣は復活しない」
「はあ……」
 また聖剣。
 たしかに剣の形はしているが、あいにく、ただの鉄の棒にしか見えない。しかも錆びた。
 村人達も、本気で信じているのだろうか? 世界を救ったといわれる伝説の剣が、あんな村にあるなど。
 馬鹿げている。
「本だけで得た知識が世界のすべてなら、その世界はとんでもなく狭いものだろうな」
「え?」
「本に書かれていることなど、しょせん他人の目を通して書かれたこと。自分の目を通して見た時、まったく違って見えることもある」
「あてにならないってことですか?」
「そうではない。本に書かれている内容なんて、全体の一部分に過ぎないということだ。キミは、知りたくはないか?」
「何を?」
「世界さ」
「…………」
 正直、ピンとこない。スケールが大きそうなこと言ってるなとは思うが。
「まあ、今はわからなくてもいい。しかし、年長者の言うことは聞いておくものだ」
「はあ……」
 気のない返事を返す。
 その薄いリアクションに勘違いしたのか、
「大丈夫か? いっぺんに色々あったから、気持ちの整理もついていないだろう。疲れているんじゃないのか?」
「……少し」
 疲れていないわけがない。
 つい昨日の朝までは、いつも通り家畜や畑の世話をし、書庫の掃除をしていたというのに、今日は帰る家を失い、怪しいじいさんと歩いているときた。いまだに夢を見ているんじゃないかと思うくらいだ。
 傷口が、熱い。
 出血こそないが、いつ開くかもしれない。それとも熱がぶり返してきたか?
 ほどなく、分かれ道に出た。
 目印の看板が立っている。文字がかすれて読めなかったが、左がパンドーラの城下町へと続く道、水の神殿はその逆だ。
「あの……先行ってもらえませんか? 少し、休みます」
「わかった。では私は先に行く。後からゆっくり来るといい」
 すんなりこちらの提案を受け入れ、ジェマはさっさと右の道へと進む。
 その背が遠ざかり――見えなくなると、
「……お人よし」
 ジェマという人物の項目欄に、一つ追加する。
 本当に、後から来ると思っているのだろうか?
 このまま剣を捨て、逆方向へ行くことも出来るというのに。
「はぁ……」
 適当な木陰に腰を下ろす。
 疲れた。とにかく疲れた。
 木にもたれかかると、空を見上げる。木の枝の隙間から、太陽が見えた。
「……どーしよー……」
 とにかく仕事だ。都に行けば、働き口の一つや二つあるだろう。奉公のため都へ行った友人を訪ねるのも手かもしれない。
 都の方角に目を向け――誰かが来るのが見えた。
「おや、村長とこのぼっちゃん。もうかってますかにゃ?」
「ニキータ……久しぶり」
 二足歩行の黒猫。彼のことを一言で言い表すと、まさにそれだった。
 ベストを着て首にはスカーフを巻き、背中には小柄な体に見合わぬ巨大なリュックを背負っている。革の手袋とブーツを履いていたが、脱いだところは見たことがない。
 獣人は人間に迫害され、隠れ住むことが多い。そんな中にあって、彼の一族は商売で人間社会に入り込むことに成功した強者だった。見た目のかわいらしさもあったのかもしれない。
 ニキータはリュックを下ろすと、
「こんにゃトコでお会いするとは。都までおつかいですかにゃ?」
「……ううん」
 首を横に振る。ニキータは、リュックのポケットをさぐりながら、
「そうそう。村長ご依頼の品を入荷しましたんで、近々配達に行こうと思ってたんですにゃ」
「ニキータ、ごめん。もう、村長とこの子じゃないんだ」
 ぴくっ、と、わずかにニキータのヒゲが動く。
「――そうですか。じゃ、仕方にゃいですね」
 察したらしい。出そうとした荷物を早々に引っ込める。
 ニキータは余計なことは聞かない。彼にとって重要なのは、金になるか、ならないか。
 ビジネスライクなその姿勢を嫌う者もいるが、自分にとっては気楽な存在だった。
「して、これからどちらに?」
「…………」
 これから、どうすればいいのだろう。
 養父は、母親を捜せと言った。
 捜してどうする。これまで死んだと思っていた人を、今さら。おまけに名前すらわからないのだ。
 子供を置き去りにするなど、どうせろくな女ではない。会って、恨み言でもぶつければいいのだろうか? よくも捨ててくれたなと。
 わからない。
「ま、理由はどうあれ村を出た。よかったじゃにゃいですか」
「よかった?」
「晴れて自由の身。オイラ、前々から、おみゃーさんをあの村に置いておくにはもったいにゃいと思ってたんですにゃ」
「もったいない……?」
「にゃにしろあの村じゃ、おみゃーさんと村長くらいでしたにゃ。『モノの価値』がわかる人は」
 そう言うとニキータは、さっき引っ込めた包みを広げる。数冊の古本や新聞だった。
「……これがどうしたの?」
 読書好きの養父は、定期的にニキータに本を注文する。
 新書は高くつくので古本だ。だいたいのジャンルを伝え、それに合った内容の書物をニキータが仕入れる。
 ニキータはヒゲをなでながら、
「どうして高くつくとわかって、オイラに注文すると思います?」
「……値段相応の価値がある、って」
 ニキータの商品は高いことで有名だ。昔、魚の干物の値段に村の主婦達は口々に不満を言って買わなかったが、養父は違った。それが『海』の魚だったからだ。
 本にしたってそうだ。どんなツテがあるのか知らないが、ニキータが仕入れてくるのは、国内はもちろん、外国の出来事や文化、誰かの旅行記から料理本、なぜか兵法書と、ずいぶん幅広いものだった。村の商人では、ここまでバリエーション豊かに仕入れることなど出来ないだろう。
 そして自分にとって、ニキータそのものが、村人達にとって『ない』も同然の異世界が、『ある』のだと信じさせてくれる存在だった。
「オイラ、ずっと思ってたんですにゃ。あの村の連中ときたら、深~く根を張った草みたいだって。根なし草、結構じゃにゃいですか。おみゃーさんにゃら大丈夫ですにゃ」

 ――ああ、そうか。

 どうりで、家にどんどん本が増えていくわけだ。
 収納しきれず、村はずれの一軒家を書庫として使うと言い出したのも。いつの間にか新しく買った本を、自分の目の高さに合わせて置いてくれていることも。
 まったく、特別裕福なわけでもないのに。
 こんなよそ者のために、どうして。
「そうそう。餞別ってわけじゃにゃいですけど、これ、いります?」
 ニキータが差し出したのは、一冊の汚い本だった。相当古いようで、表紙もはげてタイトルすらわからない。開いてみると、中も茶色く変色している。
「仕入れの時、紛れ込んだみたいでして。汚にゃいし、内容もさっぱりですにゃ。とはいえ、せっかく誰かが書いた本。捨てるのも忍びにゃいですし、差し上げますにゃ」
「え? タダで? ゴミでもお金取るくせに、熱でもあるの?」
「失敬にゃ。オイラ、行き倒れと迷子にはやさしいんですにゃ」
「迷子……」
 今の自分は、まさにそれかもしれない。
 いくら自由の身になったとはいえ、途方に暮れていることに変わりはない。
 都の方角に目を向けると、
「とりあえず、都まで行こうかなって。あ、働き口とか、心当たりない?」
 ついでに紹介先がないか期待するが、ニキータは表情を曇らせ、
「残念ながら、今、それどころじゃにゃいですよ」
「え?」
「ほら、これ」
 古本と一緒に包んであった新聞を見せる。本と一緒に、よく都の新聞も持ってきてくれるのだが、日付は半月前だった。紙面の一角に、謎の奇病への注意が書かれている。
「流行病……?」
「この新聞が出た頃はそこまでじゃにゃかったんですけどね。昨日通ろうと思ったら通行証がなきゃダメって言われて、おかげで山越えするハメににゃりましたにゃ。門番の話じゃ、医者はいないわ市場も閉鎖されるわで、すっかりゴーストタウン。街の人達、食糧とかどうしてるんでしょうね?」
「村が……」
 ニキータは街の住人を心配しているようだが、自分の頭の中では、真っ先に養父達の顔がよぎる。
 どんな病気かまでは不明のようだが、恐らく感染症だ。
 もしそうだとすれば、ポトス村まで来るのでは? 老人と幼子。医者のいないあの村では、ひとたまりもない。
「通行証って……王国の関係者なら、問題ないってことだよね?」
「え? そりゃあそうでしょうね」
 立ち上がり、バッグと剣の包みを肩に担ぐと、
「ありがとうニキータ。用事思い出したから、もう行くよ」
「そうですか。道中お気をつけて。――あ。もし今晩の宿が決まってにゃいんでしたら、オイラの店に寄ってくださいにゃ。サービスしますにゃよ。にゃひひ……」
「うん。その時はよろしくー」
 ちゃっかり自分の店の宣伝を加えるところは、さすがニキータだった。

 なにやってるんだろう。
 養父やプリシラ達が心配だからといって、病気相手に自分が何か出来るわけでもない。最悪、自分がその病気にかかるかもしれないのに。
 進みながら、自問自答する。
 息が切れる。いつの間にか、走っていた。
「――うわっ!?」
 突然現れた人影に激突しそうになり、つんのめる。
 石に座って休憩中だったらしい。金髪の若い男は、目をぱちくりさせながら、
「あ……びっくりした」
「すみません! 急いでいたので!」
 別に急ぐ必要はないはずなのに、なぜか急いでいた。もたもたすると、また迷子になりそうだ。
 迷子――
「……あの、水の神殿って、この道で合ってますよね?」
 念のため確認すると、男は前方を指さし、
「ああ……この道を真っ直ぐだよ」
 指さした方角へ目を向けようとして、ここにいるのがこの若い男だけではないと気づく。
 格好からして、王国兵の一団のようだ。彼を含め、見えるだけでも十数人の武装した兵士がたむろしている。

 ――討伐隊?

 これだけの人数がいれば、昨日の怪物も退治してくれただろうに。なんだってこんなところに。
「――あ! ありがとうございます!」
 振り返り、あやうく忘れそうになった礼を言うと、改めて走り出す。
 なぜ走る必要があるんだろう。
 わからない。
 わからないが、加速が止まらない。
 しばらく走ると、唐突に道が開け、白い建物が現れた。
 建物のあちこちから透き通った水が滝のように流れ落ち、神殿を囲む堀へと循環しているようだ。
 かつて見た時は、不気味な廃墟に見えた。
 しかし今は、不気味さは感じない。むしろ、きれいな場所だとさえ感じる。なぜだろう。
「来たか。待っていたぞ」
 水路を通り、入り口にたどり着くと、ジェマが涼しい顔をして待っていた。
「……すみません。お待たせしました」
 その顔に、彼が単なるお人よしなどではないことに気づく。

 ――試していた?

 来るか来ないか、賭けでもしていたのだろうか? それとも、

 信じていた?

 会ったばかりの、得体の知れない子供を?
 馬鹿げている。
 しかしそんな馬鹿げた大人を、自分は知っている。
 身勝手な女の子供を。奴隷のようにこき使うことだって出来たはずなのに、それもしないで、なけなしの金を使って書物を買うような、なんとも馬鹿げた大人。

 ――わかってんだよ。このままじゃいけないって。

 『このまま』とはなんだろう。
 雑音も、そうじゃない音も。すべての音を遮断して、生きていくことか?
 こんなものだと、あきらめて生きていくことか?
 かつては開かなかった扉をジェマが押すと、重い音を立てて、ゆっくり開いた。
 扉の向こうの暗い空間に、青白い明かりが灯り、奥へと誘うように伸びていく。
 その光に――急に、我に返る。
 本当に、何をやってるんだろう。
 もう、村との縁は切れたのだ。見捨てたってかまわないのに。
「さあ、行くぞ。ルカ様がお待ちかねだ」
「あ……はい」
 一瞬迷ってしまったが、ここまで来て引き返すわけにはいかない。
 それに、どうせ他にあてはないのだ。ならばいっそ、この馬鹿げた状況に首を突っ込むのも悪くないかもしれない。
 腹をくくると、暗い建物の中へと、足を踏み入れた。