「だから注目されるのは嫌いなんだよ……」
  城の壁沿いを歩きながら、独り言をつぶやく。一階の外側は侵入者防止のために窓がないらしく、面白くもなんともない石壁が続く。
  城の裏側まで来た辺りで、
 「――なによ! パパの馬鹿!」
  かすかに聞こえてきた声に、顔を上げる。
 「え?」
  前方、二階か三階かわからないが、開いた窓から誰かが身を乗り出している。
 「あ……危ない!」
――飛び降り自殺!?
 金髪を結い上げた青いドレス姿の女が、窓枠に足をかけていた。
  止める間もなく、女は飛び降り――真下の植え込みに、足から突っ込んだ。
 「大丈夫!?」
  慌てて駆け寄ると、茂みに埋もれた耳のとがった女が体を起こし、こちらと目が合う。
  大きな青い目と色白の肌の――それこそ、物語の『お姫様』がそのまま出てきたような少女だった。
  しかし次の瞬間。
 「――ちょっとどいてよ!」
  横面に裏拳がクリティカルヒットし、吹っ飛ばされた。
 「プリム! 待ちなさい!」
 「自分の相手は自分で見つけるわ!」
 「プリム! ――プリム!」
 「お嬢様ー!」
  背後や頭上から色々声が聞こえたが――もう、どうでもいい。
  帰りたい。
「それは災難だったな」
 「もう慣れました……」
  投げやりに答えると、昼食替わりにドライフルーツの袋を開ける。
  真っ昼間だというのに、通りには人っ子一人いない。商店も軒並み閉店状態。食事は自前で済ませるしかなかった。
 「そういえば、さっきの兵長がお前を捜していたぞ。自分の部隊にぜひ来て欲しいそうだ」
 「え? やっぱり弁償しなきゃダメだった?」
 「は?」
 「酸っぱ……」
  ネコアンズのミイラをひとかじりし、その酸味に顔をしかめる。ニキータのヤツめ、どうりで安いと思った。
 「ジェマも食べる? ネコアンズのミイラ」
 「ミイラ言うな」
 「そっちはどうだったの? 聖剣のこと、なにか言ってた?」
 「ああ……一応は伝えたんだがな」
  言葉をにごす。つまり、色よい反応はなかったということだろう。
  ジェマはネコアンズをひとつつまむと、
 「それより昨日、神殿の近くで兵隊の集まりを見なかったか?」
 「ああ……うん。あれって、なにかの討伐隊?」
 「そうだ。魔女討伐の、先発隊だ」
 「魔女? まさか、妖魔の森の?」
  王国内で魔女と言えば、妖魔の森しかない。
  都から北に位置する、広大な森だ。聞いた話では、獣人や亜人を始めとする魔物の巣窟で、その頂点に君臨するのが一人の魔女だという。その存在は、ポトス村でも知られていた。
  ジェマは、辺りに人がいないことを確認すると、
 「ここだけの話、今のこの状況は流行病などではない。どうやら魔女が、人々の生気を抜き取っているようだ」
 「生気を……抜き取る?」
  たしかに、病気と言うにはおかしかった。
  体そのものに異常があるなら寝ているはずだ。なのにふらふらうろつく姿は、体よりも、精神の状態がおかしいように見えた。
 「一般人だけでなく、兵士も大多数生気を抜かれて、人選に苦労したらしい。まだ二十歳かそこらの若い兵士に階級を与え、隊長にしたくらいだからな」
 「へー……すごい大出世」
  先発隊とはいえ国の一大事。本人が相当優秀なのか、もしくは、よっぽど人がいないのか。
 「妙だと思わないか?」
 「なにが?」
 「魔女になんの得がある?」
 「うーん……」
  たしかにそうだ。
  これまで、魔女がなにか問題を起こしたという話は聞いたことがない。
  むしろ、かつて無法地帯だった森の魔物達を統括し、秩序を作った。それ以来、魔物達もおとなしくなり、襲われる人も激減したと言われている。
  つまり、王国とうまくやってきたはずなのだ。それをわざわざ壊し、自らの身を危険にさらしたりするだろうか?
 「事の真相を確かめるべく、王国はこれまで魔女の元に三回使者を送った。しかし、ことごとく帰らず……最後に送った使者は、無残な死体になって帰ってきたそうだ」
 「死体……」
  想像してしまい、ネコアンズを口に入れる手が止まる。
 「そうこうしている間に状況はさらに悪くなり、今のこのざまだ。はっきり言って、初動の遅さは責められるだろうな」
 「うん……」
  見せしめ効果は抜群だっただろう。恐怖に駆られ、ようやく討伐隊を出したということか。
 「でも……わざわざこんなことをするってことは、この状況を望んでいる『誰か』がいるってことだよね?」
 「なに?」
 「え? だってさっき、『魔女に得はない』って……」
  ジェマは一瞬ぽかんとし――肩をすくめると、
 「……その通りだ。実はそのことで気になることがあってな。私はこれから、南の寺院へ向かう」
 「寺院に?」
 「……たしかにこれは酸っぱい……」
  ようやくネコアンズをひとかじりし、やはり酸っぱかったらしく顔をしかめる。
 「――あのー、お話中すみません」
 「はい?」
  振り返ると、クセのある黒髪に、赤いバンダナをカチューシャのように巻いた少女がいた。
  話が通じると思って声をかけてきたようだ。彼女は少し安堵の表情を浮かべると、
 「この辺りでおばあちゃんを見ませんでしたか? わたしの祖母なんですけど、いつの間にかいなくなっちゃって。病院も閉まってるし、どうしよう……」
 「あ……ごめん。見てない」
 「すまないが、私も心当たりがない」
 「そうですか……ありがとうございます」
  礼を言うと、辺りをきょろきょろしながら立ち去る。捜すのも一苦労のようだ。
 「こういう時、真っ先に犠牲になるのは、あの子のような何も知らない弱者だな」
 「え?」
  ジェマは、残りのネコアンズを口に放り込むと、
 「先日、衰弱した赤ん坊が保護されたそうだ。両親が骨抜き状態で、世話をしなかったらしい。病気がちの老人が、薬を飲まなくなって病死したり、医者がいなくて治療が受けられず手遅れになったり……直接の原因にはならずとも、確実にその影響で亡くなった者が大勢出ている。子供、年寄り、いつの時代も、そういった弱者から先に犠牲になる」
 「ひどい……」
 「市民の間では謎の奇病として噂が立ち、パニック状態だ。金持ち貴族は真っ先に逃げ出し、流通もストップして食糧難。この状況が長引けば、王国は内部から崩壊だな」
 「街の人は、魔女のしわざだってこと知らないの?」
 「噂くらいにはなっているだろうが、正式には発表されていない。もしそんなことが知れ渡れば、早まった身の程知らずが何をしでかすかわからんからな」
 「そっか……」
  何が起こっているのか、知ることすら出来ない。それはそれで、残酷なような気がする。
 「…………」
 「どうした?」
 「その……僕に何が出来るかなって……」
  剣を収めた袋を握りしめる。
  ジェマはこちらの肩を叩くと、
 「まずは聖剣だ。一刻も早く『ガイアのへそ』へ向かい、ドワーフに剣を直してもらえ」
 「ワッツさん、だったっけ? その人にお願いすればいいの?」
 「そうだ。ドワーフの中でもっとも腕のいい鍛冶屋だ。ガイアのへそには地底神殿もある。水の神殿の兄弟のようなものだ」
 「ああ、土のマナの種子だっけ? ……共鳴ってヤツ、しなきゃダメ?」
 「ダメだ。種子との共鳴が、聖剣復活の近道だ。……くれぐれも、放り捨てて逃げないようにな」
  釘を刺され、心の中で舌打ちする。
  世界八か所にある神殿。ルカに頼まれたのは、それらの神殿に安置されたマナの種子と聖剣の共鳴だった。なんの意味があるのかはよくわからないが。
  ジェマは心配そうな顔をすると、
 「ここからは別行動だ。ガイアのへそは妖魔の森から近いし、何かあっても助けてやることは出来ないが……一人で大丈夫か?」
 「大丈夫だよ。これまでもそうだったし」
  昔からそうだった。
  誰も助けてはくれない。
  すべて、自分一人でなんとかするしかない。
 「じゃあ、さっそく行ってくる。ジェマも気をつけて」
 「あ、ああ。途中にキッポ村があるから、今日はそこに一泊するといい。……くれぐれも、気をつけるんだぞ」
  ジェマはどこか不安げだったが、一人は慣れている。別れると、足早に都を後にする。
  ようやく一人だ。
  気を遣う相手もいないのだから、しばらくは気楽に過ごせそうだった。
「うーん……」
  ぱらぱらと変色したページをめくるが、どのページもひどいありさまだった。
  ニキータからもらった謎の本。相当古い上に手書き。おまけに保存状態も悪かったらしく、所々破れたりカビてたり……そしてなぜか、最後の数ページは白紙になっていた。まさか書きかけ?
 「まさかこれ……昔の文字?」
  字が汚いのだと思っていたが、どうやらそういうわけではなさそうだ。
  さすがに古典語はお目にかかったことがない。すなわちこの本を読むには、まず古典語の勉強から始めなくてはならない。
  ため息をつき――妙に暗いことに気づく。
 「え?」
  目の前に、誰かいる。いや、目の前だけではない。
  斧を手に、仮面をかぶったゴブリンが、自分の周囲をぐるりと取り囲んでいた。
 なぜこうなる。
  あの本、呪いの本なんじゃないか。
  目が覚めると木の幹に縛られ、口にも猿ぐつわを噛まされ、声すら出せな状態だった。そして周りには果物や土がついたままの野菜がゴロゴロ転がっている。畑から盗んできたのか?
  この逃避したくなる現実を、とりあえず本のせいにする。
 「ウホッ。おきた!」
 「起きたおきたオキタ!」
  目を覚ましたことに気づいた二匹のゴブリンが、嬉しそうに、その場でくるくる回転する。辺りには太鼓の音が鳴り響き、ボロい斧を持ったゴブリン達がたむろしていた。
  人間より小さな体に、常に仮面で顔を隠した小鬼だ。この辺りでは、斧やナタを外に出しっぱなしにしていると、ゴブリンに盗まれるとよく言われている。
 「んむっ……」
  声を出したいところだが、くぐもった声しか出ない。
  そしてゴブリン達はこちらの顔をのぞき込み、
 「オマエ、今日のマツリのゴチソウ」
 「ヨロコベ。オマエ、ウマそう」
 「むごっ!?」
  わざわざ教える必要のあることか?
  よく見ると向こうの広場で、人一人、丸ごと入りそうな巨大な壺が火にかけられていた。ああ、『ゴチソウ』ということは、あの中に放り込まれて……
……………
「むーーーーーーーーー! むごーーーーーーーーー!」
 「オッ。踊り、始まッタ!」
 「我ラも踊る!」
  必死の苦情も、まるで伝わらない。
  とにかく、この場からなんとか逃げねばならない。
――剣……
 辺りを見渡すと、積まれた野菜と一緒に、バッグと剣が放置されていた。ご丁寧なことに、あの呪いの本も一緒だ。
  しかし、どうする?
  すぐ近くだというのに、手も足も出ない。
 「ねえ――」
  どうする? なんとか縄を緩めることは出来ないか?
 「ねえキミ」
 「!?」
  肩をつつかれ、振り返る。
 「何やってんの? 新しい遊び?」
  長い金髪をポニーテールにした、女の子だった。
  こんなところに似つかわしくはないが、とにかく人間だった。
 「んー!」
 「あ、これ?」
  猿ぐつわを外してもらい、ようやく口が利けるようになった。
 「バッカねー。なにやってんのよ?」
 「縄! 縄ほどいて!」
  少女はのんきにコロコロ笑うが、それどころではない。あごで木々の向こうを指し、ようやくゴブリンに気づいたらしい。少女は縄の結び目に手をかけるが、
 「かったい……」
 「そこに剣あるから! その包み!」
 「これ? ……重っ」
  長い包みをほどき――出てきた錆びた剣に少女は眉をひそめたが、縄を切るには十分だ。
  ようやっと拘束を解かれると、息つく暇もなく、荷物を持って一目散に逃走した。
「はあ……ありがとう。助かったよ」
 「どーいたしましてー」
  ゴブリンの集落から十分離れたところで、ようやく礼を言う。
  捕まったその場で殺されなかっただけマシだが……これまで同じような目に遭って喰われた人のことを思うと、笑えない。
 「まったく、太鼓の音が聞こえたから行ってみたら……ドジね」
 「すみません……」
  集中しすぎると周りが見えなくなる。
  これからは外で読書は控えよう……そんなことを考えながら、
 「そういえば……キミ、なんでこんなところに?」
  逃げるのに必死で後回しになっていたが、こんな荒野に女の子が一人で歩いているなど、普通はありえない。
  そもそも、なんだその格好は?
  肩をむき出しにした赤いパンツドレスに青いハイヒールの靴。ピンクの小さなショルダーバッグを下げていた。
  ……どう考えてもそれは、街への『お出かけ』の格好だろう。こんな荒野では違和感しかない。
 「あれ? キミって……」
 「ん? なに?」
  見覚えのある顔だった。金髪碧眼の、とがった耳の少女。さすがに服装は違ったが、その気の強そうな目に、心当たりがある。
 「……ひょっとして今日、お城の窓から飛び降りたりしなかった?」
 「え?」
  少女は、驚いた顔で目をぱちくりさせ――
 「あ……あんた、まさかあの時の!?」
  どうやら顔は覚えていなかったようだが、誰かをぶん殴ったことは覚えているらしい。彼女は一瞬、うろたえたようだが、
 「ま、まあ、あの時は興奮してたし……助けてあげたんだから、チャラよチャラ!」
 「はあ……」
  それは彼女が決めることだろうか。
  そもそも何者なんだ?
  国王には年頃の娘も妹もいなかったはずだ。となると、親族か、それなりに位の高い貴族か……どちらにせよ、厄介な子と関わってしまったらしい。
 「なによ?」
 「いや、別に……」
 「そんな風には見えないわね。言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ!」
 「えーと……」
  このままでは引き下がってくれそうにない。悩んだ末に、足元に視線を落とすと、
 「……その靴はどうかなー、と……」
 「靴?」
  まるで今初めて気がついたように、自分の足元を見下ろす。むろん、突っ込みたいのは靴だけではないが。
 「いーじゃない。気に入ってるのよ、この靴」
 「はあ……」
  そういう問題か?
  結局、みんなそうだ。言えというから言ったのに、まるで取り合わない。だから最初から言わないようにしているのに。
 「――あ、そうよあんた! 私、これから妖魔の森へ行くの! 一緒に来なさい!」
 「へ?」
  冗談だろ。
  しかも『来てくれないか?』ではなく『来い』ときた。兵隊が完全武装で赴くような危険な森に。しかも当の本人は、お出かけのような格好で。
  冗談だろ。
  胸中で同じ言葉を二回繰り返すが、気づいた様子もなく、
 「聞いちゃったのよ! 私の恋人が、魔女討伐に妖魔の森へ向かったって! パパの差し金に違いないわ!」
 「パパ?」
  こちらの反応は置いてけぼりに、彼女は早口に、
 「ディラックは王国兵なの。でもパパはそれが気に入らない。街の状況が落ち着いたら、パパが選んだ人とお見合いしろって……私とディラックの仲を引き裂きたくて仕方ないのよ! 信じられない! 死ねばいいと思ってるんだわ!」
  早まった身の程知らず。
  なるほどジェマが心配した通り、公にしてこんなのが続出したら大変だ。
 「でもその人、兵隊さんなんでしょ? ……兵隊さんの仕事だと思うんだけど」
 「うるさいわね! そんなの関係ないわよ!」
  関係あるだろ。
  なんなんだこの子は。助けてもらったことには感謝するが、恩を着せて無理難題を要求。アメ玉ひとつと引き換えに、チョコを要求する程度の問題だと思っているのだろうか?
  それともこの子は、アメ玉すらなくても、チョコから蜂蜜まで、なんでも手に入れられる暮らしをしてきたのだろうか?
  なんだか、イライラする。
 「決まり! 助けてあげたんだから、今度は私を助けてもらうわよ!」
  チャラになったんじゃなかったのか?
  ぽかんとしているうちに、決定したらしい。そして思い出したように、
 「あ、私はプリム。あなたは?」
 「ランディ……」
 「そう。じゃあランディ。よろしくね!」
  プリムは明るい笑顔で言うと、まるでピクニックに行くかのような軽い足取りで荒野を駆け出す。
  その後ろ姿を眺めながら、あの少女と交際しているというディラックとやらに思いを馳せる。
  女など他にもいるだろうに、あえてあの疲れる女と付き合う理由。
  財産狙いか?