2話 音のない世界 - 5/5

「女の子? さあ……見てないねぇ」
「そうですか……」
「でも、さすがに女の子一人であんなとこには入れないよ。オレだって無理だ」
「そう、ですよね……うん。それもそうか」
 うなずき、自分に言い聞かせる。
 通りすがりの猟師に礼を言うと、森の入り口に立つ。
 地底神殿に入るには、エリニースに会わなくてはならない。
 正直、悪い噂しか聞いたことがない。しかしこうなったからには、実際に交流があるドワーフ達の言葉を信じて、行ってみるしかない。
「なんだー? びびってんのかー?」
「……ポポイ、ついてこないでよ」
 なぜかついてきた妖精の子供は、こちらを見上げると、
「なんだよー。子分のメンドーみるのがオヤブンの仕事だろ。オマエ、たよりないもんなー」
「だったらしがみつかないでうっとうしい!」
 こちらの後ろに隠れるよう、足にしがみつくポポイを振り払う。そもそも、親分子分とかなんの話だ?
「なんだよ! オイラのこと、足手まといだって思ってるな!? でもどんな怪物が出てきても、この弓で、ぶすーっ! ってしとめてやるよ!」
 村から持ち出してきたのか、木を組んだだけの小さな弓に矢をつがえようとして――ポロリと、矢が落ちる。
 もう一度挑戦するが、引きが足りず、放たれた矢は目の前ですぐ落ちた。
「じゃ、帰り気をつけて」
「まてまてまてーーーー! じいちゃんから聞いたぞ! オイラの家、上の台地にあるんだって!?」
 歩きながらも、足元にまとわりついてくる。帰る気配はない。
「……『かも』だよ。『かも』。自分で思い出さないと、帰れないことには変わらないよ」
「なんだよ! ぬかよろこびかよ!」
「なんで僕に、お前の家がわかると思ったんだよ……」
 なにゆえ自分が遭遇する相手は、ことごとく理不尽なのばかりなんだ。
 ここまで来ると、ボブの理不尽のほうがかわいく感じる。村が懐かい。
「なー、ハラへったー」
「これでも食べれば?」
 振り返りもせず、ネコアンズの袋を押しつける。
「すっぺぇ……」
 無視して、朝にも関わらず暗い森の中を進む。
 ポポイはネコアンズをかじりながら、
「ところで、さっきさがしてた女の子って?」
「…………」
「あ、ひょっとして好きな子か? 『コイビト』ってヤツ」
「あんな自分勝手で人任せな子はタイプじゃない」
 むしろ苦手だ。
 そもそも、なんであんな女を心配しているのだ。元々、彼女だって一人で向かっていたのだ。痛い目に遭ったとしても、それは自業自得だろう。
 ……だんだん腹が立ってきた。
 腹が立ったり落ち込んだり、また腹が立ったり。ここ数日の自分はおかしい。なんなんだ、一体。自分の身に、何が起こっているんだ?
 わからない。
 わからないから、こんなにもイライラするのか?
「お、キノコ。食えるかな?」
「それ、毒」
「なんか実がなってるぞ!」
「それ、苦いだけ」
「なー。これ、なんだ?」
「今度はなに?」
 小さいと、地面に近いものがよく見えるらしい。いい加減うっとうしくなってきた。
 強引にでも追い返そうと振り返り――すーっと、全身から血の気が引いていく。
「それって……」
 ポポイが手にしていたのは、女物の、青いハイヒールの靴だった。
 こんな森の中を、こんな靴で。そんな馬鹿なことをする女、一人しかいない。
「――プリム!?」
 辺りを見渡す。
 地面に目をこらすと、乱れた足跡が見えた。まだ新しい。
「おい、アンちゃん!?」
 ポポイが追ってくるのを気配で感じながら、森の中を走る。
「!?」
 とっさに身をひねると、すぐ横を誰かが通り過ぎた。
「獣人……?」
 足を止め、姿を確認する。
 初めて見たが、間違いない。人に近い姿をしていたが、全身が黒い毛皮に覆われている。顔も、ほとんどオオカミと同じだ。
「あ、あの、勝手に入ってきてごめん。なにかするつもりはないんだ。だから見逃して――」
「――黙れ人間!」
 犬歯をむき出しに怒鳴る。しゃべった。
 ニキータがしゃべるんだから、別にこの獣人がしゃべったところでおかしくはない。なのに、なぜかひどく驚いている自分に気づく。
「エリニースを殺そうとするヤツは、誰であろうと許さない!」
「ちょっと!?」
 早い。
 突っ込んできた獣人を転がるようにかわし、片膝をついて急いで起き上がる。
 逃げるか? いや、ポポイもいるのに、逃げ切れるわけがない。
 悩む暇もなく、態勢を直した獣人が再びこちらに迫ってくる。
「――――!」
 何も聞こえない。
 風のうねりも、木々のざわめきも、何も感じない。
 相手の動きが、異様に遅く感じる。顔面目掛けて、膝が迫ってくる。
 視界が、一瞬赤くなった。
 どさりと、すぐ後ろで倒れる音が聞こえた。
「はぁっ、はぁっ……」
 思い出したように、心臓が激しく鼓動し、汗が噴き出す。
 抜いた覚えはないのに、いつの間にか手は剣の柄を握っていた。切っ先から、赤い液体がしたたり落ちる。

 ――今の……

 やはりそうだ。
 音が聞こえなくなり、何も感じなくなる。
 そして意識が戻ると、終わっているのだ。
「え?」
 振り返ると、獣人の体に変化が起こっていた。
 全身を覆う体毛が引っ込み、顔が、人間の少年の顔になっていく。
「ぁっ……ぐ……」
 口からかすかにうめき声が聞こえ――止まった。
「…………」
 ぽかんと、それを見下ろす。
 人間だった。
 自分とたいして年の変わらない、浅黒い肌に黒い髪の、人間の少年だった。腹の辺りから、みるみるうちに赤い水たまりが広がっていく。
「――フレディ……」
 女のような声に、我に返る。
 振り返ると、木の向こうにもう一人、赤い毛並みの獣人が立ち尽くしていた。
 獣人は視線に気づいたのか、慌てて森の奥へと走り去っていく。
「――はぁっ、はぁっ……」
 一瞬、呼吸することを忘れていたらしい。その場にへたり込み、荒い呼吸を繰り返す。
 体の表面は熱いのに、体の芯まで冷えて寒いような、奇妙な錯覚を覚える。全身、ひどい汗をかいているのに。
「ア、アンちゃん……」
 ポポイの声が聞こえたが、あいにくかまっている余裕がない。
「うっ……」
 頭の奥が痛い。全身の機能がパニックを起こしているのか、胃の中身が逆流し、こらえきれずに近くの茂みに吐き出す。
「しっかりしろよ! オイ!」
「……大丈夫。大丈夫……」
 一通り出し切ったところで、ようやく返事をする。ポポイへの、というより、自分に言い聞かせているみたいだ。
 数回深呼吸をし、恐る恐る振り返る。
 少年は、さっきと同じ横を向いた体勢のまま地面に倒れ、虚ろに開いた目はぴくりとも動かない。
 死んでる。
「…………」
 そう自覚したとたん、頭の中が、妙に冷静になっていくのを感じる。
 斬った瞬間はおろか、剣を抜いたことすらよく覚えていない。
 それがよかったのか悪かったのかはわからない。しかし、間違いなく自分がやったのだ。
「アンちゃん?」
 ポポイを押しどけると、血を踏まないよう死体の傍らにしゃがみ、体を仰向けにしてやる。
 開いたままの目を閉じてやると、それだけで眠ったような顔になるが、もう二度と開くことはない。
「……ごめんね」
 輝きを取り戻した剣を手に、一瞬でも浮かれた自分が嫌になる。
 何が聖剣だ。
 結局、殺しの道具じゃないか。
「プリム……」
 そうだ。彼女はどうしたのだろう。もしや、とっくにやられてしまったのか?
「――アンちゃん、聞こえる」
「え?」
「こっちだ!」
 ポポイが走り出す。
 追いかけようとして――白銀の光に目が留まる。
「あ……」
 地面に放置された剣に、足が止まる。
「アンちゃん! なにやってんだよ! はやく!」
「あ、うん……」
 ポポイの焦る声に我に返ると、剣を拾い、鞘に収める。
 急いで後を追うと、すすり泣く声が聞こえた。
「プリム?」
 茂みの中で、膝を抱えて小さくなっていた。声をかけると、泣きじゃくりながら顔を上げる。
 ひどいありさまだった。全身ドロまみれで髪はぼさぼさ。かろうじて片方の足は靴を履いていたが、ヒールが折れていた。バッグも落としたようだ。
「……どうして帰らなかったの?」
 プリムはしゃくりあげながら、
「だって……来てくれるって……」
「え?」
「きっと、来てくれるって……そんな気がして……」
 その言葉に、唖然とする。
 昨日、会ったばかりなのに。
 怒りをぶつけて、立ち去ったのに。
 物語のヒロインみたいに、ピンチになっても都合良く誰かに助けられて、最後はハッピーエンドになれると、本気で思っているのか?
 いつだってそう。
 誰も助けてはくれない。
 助けてなんてくれないのに。
「ごめん……ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
 まるで叱られた子供のように、同じ言葉を繰り返し、泣きじゃくる。
 その姿に、今さら湧いてくる感情もなかった。代わりにため息をつくと、
「とりあえず……その靴は、やめたほうがいいと思う」
「うん……」
 ひとまず傷の手当てだ。水筒の水で傷を洗い、包帯を巻きつける。
 足も、たたんだ布を靴底代わりに布を巻きつけ、即席の靴にする。
 もう片方の足にも布を巻きながら、
「……ごめん」
「え?」
「これでいいかな。立てる?」
 手を貸し、立たせる。ボロボロではあったが、幸い、大怪我はしていない。
「あ、どこ行くの?」
「僕も魔女に用事が出来たんだよ。……出口まで送ろうか?」
「そ、そんなわけないでしょ! 私も行くわ!」
 慌てて服のドロをはたき落とすと、こちらの横を通り過ぎ、
「ほら早く! 置いてくわよ!」
 森の奥へと駆け出す。
 ポポイは唖然とした顔で、
「……さっきまで泣いてたのに、もう笑ってら」
「そうだね」
 まったく、人の気も知らないで。
「――あ、そうだ! 言い忘れるとこだった!」
 突然、プリムが足を止めて振り返る。
「助けてくれてありがとう! 来てくれて嬉しいわ!」
 満面の笑顔で、ぶんぶん両手を振る。
「…………」

 ――ありがとう?

「……ホント、人の気も知らないで……」
「あの……アンちゃん?」
「絶対に言うなよ」
 ポポイに釘を刺すと、プリムの後を追って、さらに森の奥へと足を踏み入れた。