3話 命の使い道 - 2/3

「これが、剥製?」
 つややかな毛並みに、しなやかな身のこなしは、生きているようにしか見えない。さっきは見えなかったが、背骨に沿って角だか太いトゲのようなものまで生えている。
 あんな場所になぜ――と考えていたら、タイガーキメラが突然飛び上がり、体を丸める。
「ひっ――」
「こっち!」
 立ち尽くすプリムの腕とポポイの首根っこをつかみ、全力でその場を離れる。
 激しい衝撃音と、飛んできた小石が背中に当たる。振り返ると、タイガーキメラはまるでボールのように丸くなり、背中の角が、石畳にめり込んでいた。
 ああ、だからあんなところに角があるんだな。と、納得している場合ではない。
「あー、なんだよ! バカにしやがって!」
「ポポイ?」
 振り返ると、ポポイがずっと担いでいた木の弓を構え、矢をつがえようとしていた。
 しかし、矢尻がポロリと地面に落ち、構えることさえ満足に出来ていない。
「――貸して!」
「あ! コラ!」
 突然、プリムが木の弓を奪い取ると、矢をつがえる。
 こんな粗末な弓矢が効くのか、そもそも当たるのかも怪しい。
 しかしプリムは、力いっぱい弓弦を引き――
「痛っ!」
「いっ?」
 弓弦がはじけ、板を組んで作られただけの弓が崩壊する。その拍子に、矢はあらぬ方向へ飛んで行ってしまった。
「ねーちゃん! 力強すぎ!」
「この弓がもろいのよ!」
 言い合いを始める二人に、エリニースに振り返り、
「エリニースさん! この二人は関係ないでしょ!?」
「ランディ?」
 肩に下げたままだった荷物を放り捨て、剣を抜く。
「アンタ一人で戦うのかい?」
 エリニースは小首を傾げ、プリムとポポイをちらりと見ると、
「ま、確かに戦力にはならないか。アタシも、用があるのはアンタだけだしね」
「アンちゃん!? 無茶だ!」
「どこかに隠れてて!」
 こっちだって、出来ることなら逃げ出したい。
 しかし、この二人を放ってそれは出来ない。かといって、このまま食い殺されるのも嫌。
 戦うしかないのだ。
 いつだって、一人。そんなの今さらだ。
「いいねぇ、その勇気。気に入ったよ。……それじゃあ勝負に集中出来るよう、そちらさんにはご退場いただこうか」
「へ?」
「うわっ!?」
 プリムとポポイの体が宙に浮き――あっという間に、一瞬開いた扉の向こうに放り出された。

 * * *

「いった~……」
「……大丈夫かお前ら?」
 扉の外で待機していたチットが驚いた顔をしていたが、無視して閉まった扉を叩く。
「ちょっと! 開けなさいよ!」
「無駄だ。エリニースの魔法で封じられている」
 さっきの灰色の獣人が冷静に答えるが、真正面からにらみつけると、
「一体何なのよ!? 話し合いしようと思ったらあんな化け物けしかけて! 一人相手に、理不尽じゃない! なんであいつが――」
 ふと、鎧の置物に目が留まる。
 穂の根元に小型の斧がついた、ポールアックス型の槍を持っていた。装飾に緑の旗がついている。
「――借りるわよ!」
「は? おい、お前!」
「ねえちゃん?」
 有無を言わさず鎧から槍を奪い取ると、装飾の旗を捨てる。
 この際、レプリカでもかまわないと思ったが、ずっしりと重く、刃も鋭く研がれている。本物だ。
 穂先を扉の隙間に差し込もうとして、腕をつかまれる。
「離しなさいよ!」
「そんなことしたって、その扉は開かない」
「ここでおとなしく待ってろって言うの!? あいつを殺して……どうせ私達も殺すつもりでしょ!?」
 灰色の獣人はため息をつくと、呆れた様子で、
「……あっちだ」
「え?」
「入り口はそこだけじゃない。そこの階段を上がって外に出れば、すぐ下が庭だ」
「ありがとう!」
 灰色の獣人が指さした先を見ると、確かに階段があり、庭の方角にドアが見える。
「――ちょっと! なに勝手なことしてるのよ!?」
「どきなさい!」
 赤毛の獣人が階段の前に立ちふさがる。槍を振るって追い払おうとするが、逆に槍をつかまれる。
「離しなさいよ!」
「……勝手なことはさせない。ここは通さない!」
 声からして女のようだ。片手で握った槍を、ものすごい力で押し返す。
「フレイア。通してやれ」
「なに言ってるのよ! エリニースを裏切る気!?」
「エリニースは、『俺達に』手出しするなと言ったんだ。こいつらが手出しするのは別問題だ」
「またそんなへりくつ……」
「今回の件、俺も思うところがある。……俺はただ、この森とエリニースを守りたいだけだ」
「…………」
 二人の獣人はにらみ合い――ほどなく赤毛の獣人は、無言で道を開けた。

 * * *

「どうした!? 逃げ回るだけかい!?」
 エリニースの言う通り、ひたすら逃げ回るだけだった。
 タイガーキメラは体をボール状に丸めて飛び上がり、転がり、その背中の角で襲いかかってくる。
 そのたびに地面はえぐれ、庭は荒れていくが、噴水の前に立つエリニースは気に留めもしない。
 いくら剣を持っていたところで、正面から近づけば、あの巨大な爪や牙に一瞬で捕らえられる。
 後ろからとも思ったが、丸くなって転がって来られたら、ひとたまりもない。
 攻撃するにはなんとか不意を突くしかないが、そんな方法すらないような気がしてくる。
 どうする? 何か突破口は?
 ふいに、木々が揺れ、葉がこすれ合う音が聞こえた。
「――はぁっ!」
「プリム!?」
 いきなり降ってきたプリムが、手にした槍でタイガーキメラの首の真後ろを突き、その背に着地する。真上は盲点だった。
「助太刀するわ!」
 槍にしがみついて宣言する。
 今朝、震えて泣いていたのに。
 恋人を追って後先考えず家を飛び出したことといい、一体、彼女のどこにそんな力があるというのだろう。
「へぇ。勇ましいじゃないか」
「――きゃぁっ!?」
「プリム!」
 タイガーキメラが大きく頭を振り、その勢いに、あっさりと槍ごと投げ飛ばされる。
「ねーちゃん!」
 ポポイの声がした方角に振り返ると、庭を囲む壁の上から、木に飛び移ろうと身を乗り出していた。プリムもあそこから木を伝って飛び降りたようだ。
「なんでこんな無茶なこと……」
「うるさいわね! 助けようとしてあげたんだから、ちょっとくらい感謝しなさいよ!」
 体を打ったようだが、たいしたダメージではなさそうだ。
 タイガーキメラに目をやると、何事もなかったように平然としていた。
「効いてない……」
 刺された場所からは、血ではなく、白い綿のようなものが飛び出している。中の詰め物だ。
「あ……そっか」

 ――あれ、剥製なんだ……

 あやうく忘れるところだった。
 そうだ。そもそも、不意を突いて攻撃する意味があるのか?

 ――アンタが本物なら、わかるはずだ。コイツを動かすマナ・・・・・・・・・が!

 エリニースはそう言った。
 つまり、あの巨体を動かす『仕掛け』が、どこかにある。
 じっと、タイガーキメラを見る。
 作り物のガラスの目の奥――さらにその向こうに、青い光が見えた。
 その光から、細い、糸のようなものが伸びているのが見える。
 辺りを見渡し、噴水の前に立つエリニースの杖に目が留まった。
 二つの石が埋め込まれた木の杖。二つなのに、一つ。
「ど、どうするの!? ちっとも効いてない! どこ攻撃すれば――」
「……プリム、隠れてて」
「は?」
「おかげで、なんとかなりそう」
 一つの水晶に、目が留まる。
 タイガーキメラがのっそりと動き出すと、地を蹴る。
「ランディ!?」
 向かうのは、タイガーキメラではなく、エリニースのいる噴水だった。
「――タイガーキメラ! 来い!」
 自分が狙われるとは思っていなかったらしい。エリニースは慌ててタイガーキメラを呼び――
「あ――」
 エリニースの直前まで迫ると、横に思い切り飛び退く。

 ――ぐしゃっ。

 飛び散った水が、雨のように降り注ぐ。
 目をこらしてよく見ると、タイガーキメラに押しつぶされ、噴水が半壊していた。石像も足元の土台が崩れて逆さまに地面に落ちている。
「……今のはちょっと驚いたよ。でも……惜しかったね」
 振り返ると、エリニースは灰色の獣人に抱えられていた。
 そのことに安堵すると、魔女にもタイガーキメラにも目もくれず、半壊した噴水に向かって走る。
「なに!?」
 落ちた噴水の石像。
 噴水が壊れたことが幸いした。石像が持つ水晶目掛けて、剣を振り下ろす。

 ――ぱきんっ。

 意外とあっさり、砕け散った。
 次の瞬間、水晶から青い炎があふれ出す。
「きゃあ!?」
 プリムの悲鳴に振り返ると、タイガーキメラもまた、轟音を上げて青い炎に包まれていた。
「エリニース! これは!?」
「……タイガーキメラに埋め込んだ動力源のオーブと、それをコントロールするための石像のオーブ……どちらかが壊れたらおしまい。でも……まさか石像のオーブに気づくなんて……」
 たしかに、これにはだまされた。
 もしプリムの一撃がなければ、無謀な戦いを続けていただろう。
「間違いない……聖剣の、勇者だ。それじゃあ……今が、世界の危機だってのかい?」
「――エリニース! 今の音は!?」
 扉の外まで聞こえたらしい。扉が開き、ホールで待機していたチットや獣人達が次々飛び込み、炎に包まれるタイガーキメラに立ちすくむ。
 炎は次第に小さくなり、灰となったタイガーキメラは、風に吹かれて消えた。
「あ、あの。エリニースさん?」
 まさか、こんなにうまく行くとは思っていなかった。
 エリニースはしばらく下を向き――顔を上げると、
「まいった」
「え?」
「まいった……まいったよ。アタシの負けだ。アタシの、負け……」
 潔く、敗北を認めた。