「な……なんかよくわかんないけど、やったな! オイラ達の勝ちだぞ!」
「あんた、何もやってないじゃない!」
ようやく降りてきたのか、頭に枝や葉っぱが刺さったポポイに、プリムが槍の柄を振り下ろす。
エリニースはため息をつくと、おもむろに頭巾を脱ぐ。結い上げた黒髪があらわになった。
「こうなったからには仕方ない」
「エリニース!? よせ!」
「お黙り。いつも言ってるだろう。殺そうとするからには、殺される覚悟も持てと。……いいよ。最初から、覚悟は出来ていたんだ。アタシの首、持って行きな」
「はい?」
首を差し出すように、頭を下げる。
一瞬、言葉の意味を考え――
「ちょ、ちょっと待って! そんなことしに来たんじゃなくて! 頼みがあって――」
「そうよ! ディラックは!? 首なんてどうでもいいわよ!」
詰め寄るプリムに、エリニースは顔を上げて目をぱちくりさせる。
どうやら誤解があったらしい。ため息をつくと、
「そもそも、なんであんなことを?」
「……俺達を、救うためだ」
「ルガー、黙りな」
エリニースが口を挟むが、ルガーと呼ばれた獣人は首を横に振り、
「いいや、今回ばかりは黙らない。あんた一人を悪者になんて出来ない。……この期に及んで、俺達の気持ちを酌んではくれないのか?」
「…………」
灰色の獣人はこちらに振り返り――その姿が、みるみるうちに人間の姿になる。
「……俺はルガー。ガキの頃から、エリニースに仕えている」
獣化した姿ではわからなかったが、まだ二十歳かそこらの若い男だった。背はかなり高く、浅黒い肌に灰色の髪をしている。姿はほとんど人だが、耳だけは完全に変えられないのか長かった。
ルガーに続き、周囲にいた獣人達も、次々と人間の姿になる。若い女もいた。
皆、似たような特徴をしており、肌に赤いペイントで模様を描いていた。まじないのようなものだろうか?
「あ……僕はランディ。改めて、よろしく」
名乗っていないことに気づき、こちらも名乗る。
「オイラはポポイだ! こっちのねーちゃんはねーちゃん!」
「プリムよ! 意味わかんないでしょ!」
ポポイの頭を押さえつけて怒鳴る。
「……ところで、『救うため』っていうのは?」
「この森は、ある時期になると蓄えた瘴気を吐き出す。毎年のことだが、ここ数年はその量が異常に多かった」
「『ショーキ』って?」
「……毒の空気みたいなもんだよ」
こいつがいると話が進まないな……と思いつつも、首を傾げるポポイに手短に説明してやる。
「いつも誰かが瘴気にやられ、そのたびにエリニースが薬を作って治してくれた。しかし、瘴気が増えるにつれ、薬に必要な薬草が減っていき、ついに採れなくなってしまった」
「……恥を忍んで、王国に助けを求めたのさ」
エリニースが、ぽつりとつぶやく。
「だが、王国から返ってきたのは『自分達でなんとかしろ』だった。――なんとか出来る限界を超えたから頼んでんだろ! 馬鹿か!」
手にした頭巾を、思い切り地面に叩き付ける。
「あいつら、アタシ達のことが邪魔なんだよ! 自分達が困った時は散々すがって、散々利用するくせ、こっちがすがると見捨てやがる! いっそいなくなればいいと思ってるんだ!」
「で、でも、だからって、都の人に危害を加えたって解決にならないよ! 何人死んでると思ってるの!?」
「え?」
エリニースは顔を上げ、
「……なんの話だい?」
「何って……街じゃあ、両親が骨抜きにされて衰弱した赤ん坊が保護されたり、薬を飲まなくなったお年寄りが亡くなったり……おまけに市場が閉鎖されて食料もない、医者も骨抜きになって治療が受けられない。このままじゃ、王国が滅びるのは時間の問題だよ」
様子がおかしい。エリニースは呆然とした顔で、
「そんなはずはない……たしかに生気は抜いたけど、人は選んだし、生死に関わるほどじゃない……死人なんて、出るはずがない」
「え? ……じゃあ、王国の使者は?」
「使者?」
「二人帰ってこなくて、三人目は死体になって帰ってきたって……」
「…………」
エリニースの白い肌がさらに白くなり、小刻みに震えている。
「……そんなの、一人も来なかった。仮にこの森の誰かが追い返したとしても、アタシの耳に入らないはずがない……」
「それって……じゃあ……」
「――あの野郎! ハメやがったな!」
頭を抱えて叫ぶ。
「ハメた? どういうこと?」
「薬草と引き換えに、アタシに街の連中の生気を抜くよう依頼してきたヤツがいたんだよ!」
「――それ、どういうこと!?」
赤い髪を肩まで伸ばした若い女が、血相を変えてエリニースに駆け寄る。
「生気を抜いたとか、さっきからなんの話? それじゃあ、あの薬――」
「フレイア、下がってろ」
「なによ! あんたも知ってて黙ってたのね!? 討伐隊なんてのが来た理由も知ってたんでしょ!」
「――アタシがきつく口止めしたんだ。ルガーを責めないでやっとくれ」
エリニースの言葉に、フレイアと呼ばれた女は唇を噛みながら押し黙る。
「あの、じゃあ、その人に言われてやったってこと?」
エリニースはひとつうなずき、
「まずいことはわかっていたけど、援助を断られた直後で頭に血が上っていたし、軽く仕返しもしてやりたかったしね。それに、こっちだって死人が増えて、一刻も早く薬を用意してやりたかった。……他に選択肢はなかったよ」
「エリニースは、魔法でだれかをキズつけたりしないぞ! 魔法はいつも、オイラたちをたすけるために使う! ホントだ! ホントだぞ!」
「そうだ! その話が本当なら、王国だって悪いじゃないか!」
「エリニースはオレの娘を救ってくれた! 許してやってくれ!」
チットを始め、周囲の獣人達も口々に騒ぎ始める。
「……恐らく、大半はあの時のヤツのしわざだな」
ルガーの視線に、エリニースは深いため息をつき、
「まったく、アタシの目も曇ったもんだよ。……討伐隊の連中は、解放してやるよ」
「ホント!?」
「今度は、本当。ただ……」
「ただ、なによ?」
「抜いた生気はそうもいかない。もう別の場所に送っちまった」
「別の場所?」
「――エリニース! 大変だ!」
「なんだい、騒々しい」
外を見張っていたらしいチットとは別のポロンが、慌てた様子で飛び込んでくる。
「王国兵がこっちに向かってる! この前より多い!」
「なんだって?」
「まさか……後発隊!?」
恐らく先発隊が戻ってこないので、数を増やして送り込んできたのだろう。
エリニースはため息をつくと、
「やれやれ……こういうの、『年貢の納め時』って言うのかねぇ……」
「エリニース、逃げて!」
「どこへだい?」
その言葉に、チットが立ちすくむ。
「わかってたのさ。いつだってそう。誰も助けてはくれない……期待なんて、するだけ無駄」
「え?」
「もういいんだよ。ここで、潔く散るさ」
「ダメだ! エリニース!」
「なら、どうする?」
前に立つチットを、何もかもあきらめた目で見下ろす。
エリニースは、今度はこちらに目をやり、
「アンタはどう思う? このままだと、この森はどうなる?」
「どう、って……」
頭の中で、討伐隊の立場と、彼らがこれから行うであろうことを想像する。
「……討伐隊は、魔女を討つまで追ってくると思う。場合によっては、この森そのものを焼き払いに出るかも……」
「そんな! この森、たくさんの仲間や生き物が住んでる!」
「でも、いい口実だと思わない?」
今度は、王国の立場と考えを想像する。
「王国にとって、この森は厄介者の巣窟……エリニースが城にいないとあれば、森ごと焼き殺そうとしてもおかしくない。そうなれば、王国はますます事の真相に気づくのが遅れる。たぶん、エリニースさんをハメた人の狙い通りだと思う」
「フン……やっぱり、そうか」
「オマエ! エリニースに『死ね』と言うのか!?」
「冗談じゃない! だったら俺達は、あいつらと戦う!」
「よせ、おまえ達! 多勢に無勢。勝ち目はない!」
「だったらこのまま滅びろって言うのか!?」
獣人達が次々に口を開き、騒ぎ出す。
「な、なあ、アンちゃん……」
「――そうだ! ディラック!」
唐突に、プリムが声を上げる。
「ディラックなら、きっとわかってくれる! 彼に説得してもらえば――」
「そんなの、魔女に寝返ったとか操られてるとかヘンな疑い持たれて余計ややこしくなるよ! ディラックさんが反逆者になってもいいの!?」
「はん……!?」
さすがにそこまで考えていなかったのか、プリムの顔から血の気が引く。
どうする?
エリニースの話が本当なら、彼女が死んでも王国は元に戻らない。しかしそれを説明したところで、討伐隊が信じてくれるだろうか?
なにしろ彼らの目的は、『話し合い』などではなく『討伐』なのだ。魔女を見つけたが最後、彼らは彼らの使命を果たそうとするだけだろう。
使命――
唐突に、思いつく。
「……聞きたいんだけど、フレディの死体って、もうここに運んであったりする?」
「なんだって?」
「あるの? ないの? フレディじゃなくてもいい。人の形をした死体」
こんなことを思いつくなんて、自分でもどうかしている。
しかし、一か八かだ。罰当たりだの人でなしだの、どう思われてもかまわない。
どうせ、今さらなのだから。
エリニースは困惑した顔で、
「この城に運んであるけど……アンタ、なにを……」
「こうなったら、討伐隊に使命を果たしてもらうしかない」
ピンと来なかったのか、プリムはきょとんとした顔で、
「それと死体が、どう関係してるのよ?」
「昔読んだ推理小説にあった。追い詰められた殺人鬼が、自分の死を偽装するため、別人の死体を燃やしてまんまと逃げ延びたって話」
しばらく、ぽかんとしていたが――みるみる顔を引きつらせ、
「それって……あんた、そのフレディって人の死体でそれやるつもり!? 信じらんない!」
「じょ、冗談じゃない!」
プリムだけでなく、エリニースも顔面蒼白で、
「自分が生き延びるために、あの子を……アタシの首を差し出せば済む話だろう!」
「もう死んだんだよ! 僕が殺した!」
初めて殺した人。
人間だの獣人だの関係ない。恨みもなければ、名前すら知らなかった相手だ。
しかし、殺してしまったのだ。自分が生きるために。
「この森は弱肉強食なんでしょう!? 弱い者は食べられて、強い者が生き残る! だったら!」
フレディが人間を襲ったのは、単純に、エリニースを守りたかったからだ。しかし今、そのエリニースの命が危機にさらされている。
だったら。
「残さず、食べて」
「…………」
エリニースが、糸の切れた人形のようにへたり込む。
「……エリニース。わたしからもお願い。フレディの命、使って」
「フレイア? アンタ……」
さっきの女だった。
そういえば、声に覚えがある。
「あの、まさか――」
「勘違いしないで」
フレイアは、こちらを鋭くにらみつけ、
「わたしの弟は蛇にちょっかいかけて、その毒牙にやられたの。……それだけよ」
吐き捨てると、目をそらす。
「……なぜだエリニース。『弱肉強食』と言うならば、なぜあんたは弱い俺達を助け、守ろうとする。今だってそうだ。いつまでも助けられてばかりじゃ、あんたを守ろうとして死んだフレディが浮かばれない」
エリニースはルガーを見上げ――自分を取り囲む仲間を見渡す。
「……まいったね。覚悟が……揺らぐじゃないか」
深いため息をつく。
そして、こちらに目を向けると、
「アンタ、やっぱ蛇だわ。狡猾な、猛毒の蛇」
皮肉たっぷりに笑みを浮かべると、立ち上がる。
「こうなりゃヤケだ。妖魔の魔女、最後の魔法を見せてやるよ」
宣言すると、星のペンダントを握りしめた。
「まったく、女一人相手に、ずいぶん大勢で来たじゃないか。なんの用だい?」
「エリニースだな? おまえの悪事はここまでだ!」
後発隊の隊長だろう。勇ましい声が聞こえてくる。あいにく、扉の後ろからでは顔が見えない。
「何やら誤解があるようだけど、ひとまず話をしようじゃないか。お茶でも淹れようか?」
「ふざけるな! 都での悪事、すべてお前が元凶であることは明白! 国王の命により、貴様を討たせてもらう!」
「明白、ね。あげく討伐……王国には失望したよ」
話し合いに応じてくれるならそれに越したことはないと思ったが……やはりというか、頭の中が討伐で固まっている相手にそれを期待するのは無理だったようだ。
エリニースもため息をつくと、
「で、覚悟は出来ているんだろうね?」
「なに?」
「殺そうとするからには、お前達もそれ相応の覚悟があるってことだろう? そんなに欲しいなら、あげるよ。アタシの命」
扉越しで顔はわからないが、笑っているらしい。
エリニースはひとしきり笑うと、
「とはいえ、アタシだって『妖魔の魔女』と呼ばれた女。ただでは死なない……アタシを陥れたヤツも、まんまとそれに乗った王国も、アタシは許さない。呪ってやる」
「――――!?」
扉の向こうから、青い光が飛び出してくる。
「アハハハハハハハ!」
「お、追え!」
間もなく、青い炎に包まれたエリニースが中庭に飛び込み、反対側の扉の後ろに隠れていたルガーと二人がかりで扉を閉める。
金属製のかんぬきをはめ込むのとほぼ同時に、扉が激しく叩かれた。
魔法で強化してあるとはいえ、どれくらい保つかわからない。
「急げ! エリニース!」
「わかってるよ!」
エリニースを包んでいた幻の炎が消え、庭の中央に積まれた木の枝を取り除き――その下から出てきたフレディの首に、エリニースが身に着けていたペンダントをかける。
エリニースは、フレディの頬をなでると、
「……ごめんよフレディ。アンタの命……残さず、いただくよ」
――ぱきんっ。
ペンダントの石に亀裂が走り、フレディの体を中心に青白い火柱が立ち上る。
炎は庭中を駆け回り、木々を焼き、辺りを黒く破壊していく。
「すごい……」
「エリニースの魔力の源……青い炎だ」
同じ場所にいて、自分達にはまるでなんの害もない不思議な炎だった。
炎は確実に証拠だけを焼き尽くすと、最後に、天へ向かって巨大な柱となって昇っていく。
「アハハハハハハハハハハ!」
その炎を背に――エリニースは外の兵達に聞こえるよう、狂ったような笑い声を上げた。
「エリニース! 今のは――」
扉を破壊し、兵が一斉に飛び込んでくる。
「これは……」
まだ炎の残る中、彼らの視線を釘付けにしたのは、黒くなった庭の真ん中で炭化した、人の形をしたものだった。首に下げていた星のペンダントも黒くすすけている。
「焼身自殺……?」
「……う、うむ。この数に勝ち目がないと判断したんだろう。それにしても……」
隊長らしき男はすすけたペンダントを拾い上げ――慌てて頭を振る。戦わずに済んだというのに、兵達はみんなどこか怯えた様子だった。
隊長は気を取り直すと、
「この城のどこかに先発隊がいるかもしれん! 捜せ!」
号令に返事すると、兵達が散り、城の中の捜索を開始する。
それを、身を潜めた柱の陰から確認すると、
「……フン、あんな三流芝居にだまされやがって」
「結構怖かったと思うけど……」
なにしろ本物の魔女に、死に際、あんなことを言われては。気の小さい者ならトラウマになるかもしれない。
「すぐに出るぞ。……エリニース?」
エリニースがうずくまる。
「これで、妖魔の魔女も終わりだ。魔力も全部解放したから……これからは、ただのばあさんだ」
「急いで!」
「わかっている!」
隠れていた柱の後ろ――あらかじめ開けておいた隠し通路に、エリニースを抱きかかえたルガーが先に入り、自分も中に入ると急いで入り口を閉める。
「エリニース、しっかりしろ!」
「具合が悪いの?」
暗くて細い通路をしばらく進む。こう暗くては、様子を見ることも出来ない。
「エリニース! ルガー! こっちだぞ!」
先に外で待っていたチットが手招きし、ようやく外に出た。
「アンちゃん!」
「うまく行った? さっき、すごい火柱が見えたけど……」
チットと一緒に待っていたポポイとプリムも駆けつけるが、ぐったりしたエリニースに息を呑む。
「エリニース! しっかりしろ!」
「……大丈夫。もう大丈夫だ」
地面に下ろされると、自分の足で立つ。
そして、自分の手を見下ろすと、
「わかっちゃいたけど……やっぱりショックだねぇ……」
「エリニースさん?」
頭巾からはみ出た髪が、白い。
エリニースは顔を上げると、どこかさっぱりした様子で、
「ま、今のアタシにゃお似合いか」
黒髪は真っ白になり、声もしわがれ、手も顔も、しわまみれ。心なし、体も縮んだような気がする。
「おばちゃんが、ばーちゃんになった……」
その姿に、ポポイが呆然とつぶやいた。