4話 反撃の刃 - 2/4

 ――ガシャン!

 派手な音を立てて、地底神殿の扉の前に設置されていた水晶玉が、巨大な氷に押しつぶされる。
 ポポイは自信満々に振り返り、
「ヘン、どーだ! オイラの天才的な魔法は!」
「――ドアホーーーーーーーーーーーーー!」
 エリニースが振るった杖が、ポポイの体を吹っ飛ばす。
「加減しろっつってるだろ! こんな無駄にでかい氷出して! どーすんだいこれ!?」
「エリニース、ムチャはダメ!」
 怒り狂うエリニースを、チットが必死になだめる。
 たしかに封印しているオーブは壊れたが、今度はポポイが出した巨大な氷で扉が塞がってしまった。
「――はっ!」
 その氷目掛けてルガーが突きを放つと、氷に亀裂が走り、水を吹き出しながら真っ二つに割れる。
『おー』
 パチパチと周囲から拍手が起こるが、ルガーは呆れた顔で、
「でかいだけで、中身はスカスカだ。こんなもろい氷出していばられてもな」
「ホントだ。水だ」
「あ! なんだとー!」
 断面をよく見ると、凍っているのは表面だけで、中は凍りきれず溶けかけの雪みたいにびしゃびしゃだった。とんだ見かけ倒しだ。
「まあまあ。あのチビすけが多少なりともお役に立てるようになって……ワシゃあ嬉しいですだ」
「フン。こんな加減出来ない魔法連発されちゃ、いざって時、ヘロヘロになって役に立たないよ」
「ヘーン、だ! オイラの才能にシットしてろ!」
「こりゃ、チビすけ!」
 舌を出すポポイに、ドワーフの村長の拳が振り下ろされる。
 エリニースは杖で体を支えながら、深いため息をつくと、
「ああもう……年を取るってイヤだね。なんか、もう疲れちまったよ」
「じゃ、ワシの家に来るだ。茶ぁ飲んで、ゆっくりしてけ。――チビすけ、しっかりお役に立つだよ!」
「わかってるよ!」
 昨日よりさらに老けたように見える。促され、エリニースは村長と一緒に立ち去る。
「それじゃあ、行ってくるよ。……プリムはどうする?」
 村長の厚意で用意してもらった革のブーツと、裾にスリットの入った黄緑の上着と黒いボトムに着替えたプリムは、少し考えてから、
「……私は待ってるわ。チビちゃんみたいに、まだ魔法も使えないし。しばらく外で、魔法の練習してみる」
「あ、うん……そうだね。そのほうがいいと思う」
 一晩経ち、なんだかずいぶんおとなしくなった気がする。
 単純に疲れが溜まっているのか――もしくは、リアルな死の恐怖が彼女を変えてしまったのか。どちらにせよ、あまり無理はさせないほうがいいだろう。
「……あの、ランディ」
 神殿に向かおうとして――振り返ると、プリムは突然頭を下げ、
「ごめんなさい。私のせいで、余計な恨み買わせちゃって」
「え?」
 想像しなかった謝罪の言葉に、ぽかんとする。
「……ディラックさんのことしか興味ないと思ってたよ」
「失礼ね! 私だって……色々考えるわよ!」
 思わず漏れた本音に、プリムは顔を真っ赤にして怒鳴る。
 しかし、すぐに肩を落とすと、
「……本当に、ごめんなさい。そりゃあ、置いてかれた時は腹立ったけど……自業自得だし。それでも帰らなかったのは私だし。……ごめんなさい」
「…………」
 こういう時、なんて答えればいいのだろう。
 悪いのはいつも自分。謝罪するのもいつも自分。こんな真剣に謝られたことなんて、ほとんどなかった。
「……怒ってる?」
「え?」
「そうよね。自分ばっかり責められて……私なんか、ディラックのことばっかりで」
 黙っていたせいで、勘違いしたらしい。
「あの、別にそんな――」
「本当に、ごめんなさい!」
 頭を下げると、逃げるように走り去る。
「あー……」
 本当に、なんて答えれば良かったのだろう。
 モヤモヤした気持ちのまま謝ることはあったが、謝られてモヤモヤするとは。
「……あの女は俺とチットで見ておく。お前は地底神殿へ急げ」
「うん……ありがとう」
「ま、まあ、ここは気を取りなおして! それじゃあアンちゃん、いこーぜ」
 ルガーを見送ると、気を取り直し、ポポイと共に神殿の扉を開ける。
 長年、放置された建物の中は独特の空気が流れ、どこかに穴でも開いているのか、驚いたバットラーが一斉に奥へと飛んでいく。
 見える範囲では、亀裂の入った壁のレンガが所々崩れ落ち、何かの動物の白骨死体が転がっていた。真っ暗闇の奥からは、何かの声みたいな音と共に、ズシン、ズシンと、大きな何かが動くような謎の揺れまで感じる。
「…………」
「……さて、それじゃあアンちゃん。ケントーを祈るぜ」
「お前も来るんだよ」
 逃げようとするポポイの首根っこをつかむと、ランプの明かりを頼りに、神殿の中へと足を踏み込んだ。

 * * *

「――あー、また負けた!」
 放り込まれた川から顔を出し、思い切り叫ぶ。
 村長に道着を借りて良かった。せっかくの新しい服とブーツを、ずぶ濡れの泥まみれにするところだった。
「なー。魔法の特訓じゃなかったのかー?」
 川岸で見ていたチットが首を傾げる。
 洞窟から出てすぐの川辺で始めたのは、格闘技の特訓だった。
 これまで通っていた道場では、同年代はもちろん、男にだって負けたことはなかったのだが――こうもポイポイ投げ飛ばされると、これまでの戦歴さえ怪しくなってくる。
「……もうよせ。無理に勝とうなんて思うな」
「どうせか弱い女だからって、手加減してるんでしょ!」
「全力を出して欲しければ、それに見合った力を身につけろ。男も女も関係ない」
 言いながら、ルガーは水面から突き出た岩にあぐらをかく。
 その余裕の態度に、これまで格闘技の試合で勝つたび喜んでいた自分が恥ずかしくなってくる。
 もしかするとみんな、自分に遠慮してわざと負けていたのでは……勝ったと喜んでいる自分を、影でクスクス笑っていたのでは……そんな妄想さえ湧いてくる。
「第一俺は、おまえを弱いとは思わん」
 顔を上げると、ルガーはこちらの目を見据え、
「真の弱者は、己の弱さにさえ気づかないものだ。強くありたいと願うなら、まずは己の弱さを認め、向き合うことから始めろ。さすれば、戦わずとも勝てるようになる。……エリニースの教えだ」
「エリニースの?」
 魔法使いでありながら、格闘技のプロと呼ばれる獣人達の師匠。きっと彼女の強さは、魔法の強さだけではないのだろう。
「お前は、今の自分に疑問を持っている。疑問を抱いたから、俺に勝負を挑んだ。それでいい。お前は必ず強くなる」
「……なんだか、『お師匠様』みたいね」
「ルガー、森で二番目に強い! みんなの『ししょー』だぞ!」
 チットが無邪気に手を挙げる。きっと一番はエリニースなのだろう。
 岸に上がり、髪の水を絞りながら、
「……ねぇ。今さらだけど、どうしてあんた、私の特訓に付き合ってくれるの?」
「あいつに借りが出来た」
「でも、あんた達にしてみれば、その……仲間の、仇……じゃないの?」
 言ってみて、自分自身に嫌悪を感じる。
 何が『仇』だ。諸悪の根源は自分なのに。
「あ、あのね。元はといえば私が悪かったのよ。私のせいであんな――」
「――今さら何も言うな!」
 鋭い眼光と怒鳴り声にすくみ上る。
 ルガーは水面に視線を落とすと、
「……フレディの一件は、誰のせいでもない。エリニースの教えを真に理解していれば、フレディもあんな早まったことはしなかったはずだ。……俺もまた、未熟だった。フレディのはやる気持ちに、気づいてやれなかった」
「……ごめんなさい……」
 ……屋敷で、おとなしく待っていればよかったのだろうか。
 彼は、散々忠告してくれたのに。
 その忠告を無視したのは自分。なのに貧乏くじを引かされたのは、忠告してくれた彼だった。きっと、許してはくれない。
 今ほど、自分の性分を恨めしいと思ったことはない。どうしてじっと出来ないのだろう?
「俺も聞きたいことがあるんだがな」
「なに?」
「あいつ、一体何者なんだ?」
「あいつ?」
 ルガーはイラついたような顔で、
「……今朝、組手をやったんだがな。お前と同じように投げられっぱなしだと思ったら、いきなり俺をぶん投げやがったぞ」
「え?」
 ようやく、ランディのことだと気づく。
「ぶん投げたって……え? あんたを……あいつが!?」
 ルガーのほうが頭一つ分大きい上に、筋肉質。体重差は明らかだ。
「ルガーが『本気出せ』って言ったら、ぽーいっ! って! ぽーいっ! て!」
「二回言わなくていい」
 投げるそぶりをするチットに、苦い顔をする。
「本人は修行も何もしてないなんて言ってたが、そんなの嘘に決まってる。あの反射神経と技のキレが、なんにもなしに手に入るわけがない」
 答えられずに困惑していると、ルガーも困惑した顔で、
「まさか、本当に何も知らないのか?」
「えっと……うん。二日前に、ゴブリンに捕まってたとこ助けてあげたの」
「……ゴブリンに?」
 この回答に、さすがに目を点にする。
 ルガーは軽く頭を押さえ、
「そんなのに投げられたってのか……お前もお前だ。そんなろくに知りもせんヤツと、よく一緒に行動してるな」
「しょーがないじゃない! あいつ、自分のことは何も話さないんだから!」
 出会った初日も、ほとんどこちらがしゃべってばかりで、向こうは何もしゃべらなかった。聖剣云々だって昨日が初耳だ。
 フレディの一件も、周囲が騒がなければ墓場まで持って行くつもりだったのかもしれない。一度は見捨てておきながら、どうして。
 チットは不思議そうな顔で、
「でも、オイラ達も昨日知り合ったばっかだぞ。時間、たいしてカンケーない」
「え?」
「あ?」
 川のせせらぎが、辺りに響き渡る。
「――あーもう! なんかもう、色々めんどくさーーーーーーい!」
 どこへともなく、腹の底から叫ぶ。
「ルガー、もう一回勝負よ! 付き合いなさい!」
「まだやるのか?」
「やるわよ! なんか今は、無性に体動かしたい気分なのよ!」
 濡れた靴を脱ぎ捨て、構えを取る。
 そうだ。元々、あれこれ考えたり悩んだりするのは性に合わないのだ。
「なー。魔法の特訓、いつするんだ?」
 チットが首を傾げていたが、無視して、再び地を蹴った。

 * * *

「へー。オマエが土の精霊か」
「ノームって言いやす。ども、よろしゅうに」
 目を丸くするチットに、ノームは頭を下げる。
 緑のとんがり帽子に、顔がほとんどがヒゲに覆われた姿は、なんとなくドワーフに似ている気がする。
「プリム、髪濡れてるけど……水浴びでもしたの?」
「……うるさいわね。ほっといてよ」
 どんな特訓をしたんだろうか? 頭にタオルを巻き、髪を脱水中のようだった。
 ノームはプリムに駆け寄ると、
「おおー。こちらのお美しい方が親分の! ささ、奥様。あっしの力を授けますんで、どうぞこちらへ」
「は? 奥様?」
「無視して」
「いやー、ノームくん。さすが気がきくねー」
 ポポイが無駄にでかい態度で笑う。
 隙間にはまっていたところを、ポポイが見つけて引っ張り出してやったのだ。
 一体、いつからそうなっていたのかは知らないが、ここ最近の地震の原因がまさかコレとは。精霊のくせに、壁に挟まるとかどうなってるんだ?
 当の精霊本人はよっぽど困っていたようで、すっかりポポイの言いなりだ。おかげで、ポポイの悪いクセが助長されてしまった。
 ノームが、目を閉じたプリムに手をかざし――ほどなくして、
「はい、これであっしの力を引き出せるようになりやした。ご気分、いかかでやんすか?」
「…………」
「プリム?」
 横から顔をのぞき込むと、彼女はうつむいたまま、
「……ごめん。魔法、まだダメなの」
「ルガーと、ずっと格闘技の特訓してたぞ」
「格闘技の?」
 ルガーに目をやると、呆れた様子で肩をすくめる。
「それはそうと、種子との共鳴はうまくいったのか?」
「あ、うん。たぶん、これで大丈夫だと思うんだけど……」
「なによ。ずいぶん弱気じゃない」
「そ、そう?」
 水の種子の時は、なんとなく具合が悪くなったが、今回は幸いそれがなかった。
 理由はわからない。わからないが、なぜかその瞬間の記憶がすっぽり抜けたような――なのに、なにかを見たような、奇妙な感じだった。
「ところであんた、なんでそんな剣持ってるの?」
「え?」
「この辺の人じゃなさそうだけど、どこから来たの? 剣とか、元々習ったりしてたの?」
「そんなんじゃないけど……」
「あ、ちょっと! 別にいいじゃない! もー……」
 プリムの文句を背に受けながら、村長の家を出る。
 これまで自分のことばかりで、こちらのことなど聞いてこなかったくせに。急にどうしたのだろう?
「あんまり話したくないみたいだね」
「……どうせ、誰も信じないよ」
 隣に来たエリニースに、振り返りもせず答える。
 伝説の聖剣だの、それを自分が抜いただの。あまりに現実離れしている。
 ルカには聖剣を復活させるよう言われたものの、復活させてどうするのか、これからこの剣で何をすればいいのか、それさえわからないのだ。
 寺院へ付き合うと言い出したのも、本当は気を紛らわせるためかもしれない。そもそも、自分の目的はこんなことだっただろうか?
「…………」
「なんだい?」
 いつの間にか、エリニースをじっと見ていることに気づく。
「……あの、ヘンなこと聞きますけど」
「うん?」
「エリニースさんって、自分の子供はいないんですか?」
「はあ?」
 エリニースは目を丸くし、肩をすくめると、
「……ホント、ヘンなこと聞くねぇ。子供以前に、アタシみたいな妖怪女、相手する男なんているわけないだろ」
「そう……ですか」
 本当に、なにを聞いてるんだろうか。
「欲しくなかったと言えば嘘になるけどね。でも、血の繋がりはなくとも、みんなアタシの子さ」
「…………」

 ――お母さん……

「あの、エリニースさん」
「エリニースでいいよ。そんな風に呼んでるヤツいないだろ」
「あ、はい」
「で、なんだい?」
「……フレディのこと、すみませんでした」
「…………」
 こんな言葉に、なんの意味があるのだろう。
 考える暇がなかった。身を守るためだった。言い訳ならいくらでも出来るだろう。しかし、本当にそんな理由だろうか。
 何も知らなかった。
 そうだ。知らなかったのだ。彼らが人と何ら変わらないことを。その死体を見るまで、『獣の姿をした人間』ではなく『人間みたいな姿をした獣』だと思っていた。だから、剣を抜くことが出来たのだ。
 偏見に苦しめられてきた自分が、誰よりも偏見で人を見ていた。
 それなりに知識があると思っていたのに、どうしようもなく無知だった。
 つくづく、自分が嫌になる。
「まったく、何謝ってるんだい。アタシだって、街の連中に悪さしたしね。むしろアンタには礼を言わなきゃいけないくらいだ」
 顔を上げると、エリニースは笑みを浮かべ、
「あの子は、偉大なるガイアと母なるマナに還った。それだけさ」
「還った?」
「体は、ガイアからの借り物。フレディはその返却期限がちょっと早かっただけさ。そして無限の魂は母なるマナの元へ。……まー、たしかに体は燃えちまったけど、魂は消えない。いずれ新しい命となって、再びこの世界に帰ってくるさ」
「マナ……」
 時々、聞く名前だ。
 何か大きなエネルギーのようなもの。これまで、その程度にしか考えたことがなかった。
「アンタに聞きたいことがある」
「はい?」
 振り返ると、エリニースは神妙な面持ちで、
「アンタが本当に聖剣の勇者だというのなら、これからアンタは、世界を救うことになる」
「僕が?」
「世界の危機に、勇者によって引き抜かれるのが聖剣さ。どんな理由があったにせよ、聖剣はアンタを選んだ」
「迷惑な……」
「そう言うな。アタシは、アンタで良かったと思っているよ」
「え?」
 こんな得体の知れない子供が?
 この剣にふさわしい人など、他にもたくさんいるだろうに。
 エリニースはこちらの手を取ると、
「たしかに、この手で命を奪うこともあるだろう。でも、救うのもまた、この手さ。……きっと、アンタで良かったんだ。アンタなら……アタシらみたいなはみ出し者も、救ってくれる」
「僕が……」
「――アンちゃん、そろそろいこーぜ!」
 休憩に飽きたのか、ポポイが飛び出してくる。
「今からなら、夕方には着くだろうって。急ぎましょ。今度こそ、ディラックを助けるわよ」
 続いて出てきたプリムも、服と一緒にもらったベージュのマントを羽織る。
「……ポポイも来るつもり?」
「なに言ってんだよ! オイラの魔法がないとこまるだろーが!」
「都までのことを言ってるんだけど……」
 どう考えても、ポポイの歩く速度に合わせていたら夕方どころか夜になると思うのだが。まさかおぶって行けとでも?
「……連れて行ってやればどうだ? 後をつけてこられても厄介だろ」
「え?」
「おー! にーちゃん、話わかるじゃん!」
 意外と、ポポイに助け船を出したのはルガーだった。
「ルガーはどうするの?」
「……エリニースを守るのが俺の仕事だ」
 そう言うと、彼は鞘のない槍を担ぎ、こちらに背を向けた。