5話 勇者の紋章 - 1/4

「ジェマ!?」
「あ、ああ……お前か。一体、どうなって……」
 寺院から外に出ると、広場の柱にもたれたジェマがいた。状況がわかっていないらしく、どこかぼんやりしている。
「まさか、ジェマも生気を抜かれたの?」
「隙をつかれてしまってな。……まったく、人に気をつけるよう言っておいて、面目ない」
「でも……よかった」
 無事な姿に、自然と肩の力が抜ける。
「ランディ?」
「だって……ジェマの身に何かあったらと思うと、怖くて……」
「お前……そんなに心配してくれたのか?」
 ジェマの後ろで、ルガーがかわいそうなものを見る目をしていたが、きっと気のせいだろう。
「アンちゃん、このおっさんがジェマか?」
「よかったわね。無事で」
 ポポイとプリムの姿に、ジェマは不思議そうな顔で、
「お前、ずいぶんにぎやかになってるようだが?」
「えーと……まあ、色々ありまして……」
「この状況……まさか、お前がやったのか?」
「――いまさらなに言ってんだよ! どっかの騎士だかなんだかよく知らねーけど、なーんの役にもたたないで! この救世主ポポイさまに泣くほどカンシャしろよなまったく!」
 ポポイの頭を押さえつけ、黙らせる。
 一体、どこからどう説明すればいいのだろう。悩んでいると、先にプリムが、
「……ねえ。考えたんだけど、私、一度、家に帰ろうと思うの」
「あ……うん。そうだね。それがいいと思う」
 あんなに、ディラックを助けるまで帰らないと力強く言っていたのに。
 あの時とは一転、泣きはらし、憔悴しきった顔だった。
「あの……大丈夫?」
 何を聞いているんだろう。
 大丈夫なわけがない。
 恋人だけでなく、幼馴染まで目の前で奪われたのだ。
 足をボロボロにしてまで追ってきたのに。すべて徒労に終わって、ショックを受けないはずがない。
 しかし彼女は笑い出すと、
「やーねぇ、なんであんたがそんな顔するのよ。生きてるのは確かなんだし。それがわかっただけでも大収穫よ」
「え?」
 なんだこの女?
 ほんの数秒前まで、疲れ果てた顔をしていたのに。
「あ、そうそう、それでね。みんな、今日は私の家に泊まって行くのはどう?」
「プリムの? ……急に行ったら迷惑じゃない?」
「かまわないわよ。どうせパパも当分帰ってこないだろうし。部屋もたくさんあるから――」
「悪いがお断りだ。俺は今すぐ帰る」
 プリムの言葉を最後まで待たず、ルガーは即座に断る。
「えー? なんでだよ。いーじゃん」
「こんな人間だらけのところでくつろげるか」
「気にしすぎだって。誰も気にしやしねーよ」
 ポポイも引き留めるが、ルガーは呆れた顔で、
「何言ってんだ。お前も俺と来るんだ」
「は!? なんで!?」
「お前の魔法はひどすぎる。エリニースが『一から叩き込んでやるから連れてこい!』って息巻いてたぞ」
「げ……」
「それはいいけど……ルガー、大丈夫? せめて一晩休んだほうが……」
 ポポイはともかく、ルガーの体調のほうが問題だと思うのだが、彼自身は気にしていないのか、
「傷はもう大丈夫だ。それに、フレディの葬式に、少しでも顔を出してやりたい」
「あ……そう。そうだよね……」
 そう言われては、止めるすべはない。
「それじゃあ、世話になったな。また森に顔を出せよ」
「アンちゃん、絶対だぞ! そん時にゃあ、もっとすげー魔法みせてやるからな!」
「うん。楽しみにしてるよ。色々とありがとう」
 ルガーと、ルガーに引きずられるポポイに手を振る。
 プリムも振っていた手を下ろすと、
「それじゃあ、あなた達はどうするの?」
「申し出はありがたいが、私もすぐ城に行き、状況を報告しなくてはならない。……お前にも来てもらう」
「僕も?」
「お前は貴重な証人だ。私を介してより、直接事情を話したほうがいい。今日は、兵の宿舎でも借りればいいだろう」
 言われてみればそうだ。王国にしてみれば、突然人々が元に戻って、状況がわからないはずだ。
「それってひょっとして……私も行かなきゃダメ?」
「そういえばプリム、お城に出入りしてたんでしょ? だったら――」
 プリムは血相を変えて、
「わ、私、もう帰るわね。パメラのこと、ご家族に謝りたいし」
「え? 一人で大丈夫?」
「大丈夫よ。あなたには迷惑かけたし、これ以上、世話になるわけにはいかないわ。自分でやらなきゃ」
 慌ただしく走り出し――思い出したように振り返ると、
「それじゃ、またね!」
「うん、また……」

 ――また?

 一瞬、その言葉の意味を考える。
 プリムとは、ここまでのはずだ。『また』とはなんだ?
 プリムは慌てた様子で、ルガー達が去った方角へと走り去る。
「行っちゃった……」
「あの娘は?」
「いや、僕もよく知らないんだけど……」
 よくもまあ、そんな相手と一緒に行動していたもんだ。自分でも不思議に思う。
 ジェマは、腰に下げた剣に目をやると、
「聖剣の修理は終わったようだな。それから、何をしていた? みんな元に戻ったということは、一応は解決したということだと思うが」
「一応は、ね……」
 妖魔の森のこと、寺院のこと、話さねばならないことはたくさんある。
 しかし、それより先に確認したいことがある。
「ジェマ、知ってたんじゃないの?」
「なにを?」
「帝国が絡んでるって」
 ジェマは、眉一つ動かさなかった。こちらの質問を肯定しているようなものだ。
「……まあ、今さら隠すこともないか」
「それがどうして、魔女討伐になっちゃったんだよ? いくら噂になってたからって、うかつすぎない?」
「あの森の広さは都と同じくらいだ。なのに、獣人達と魔女のおかげで手出し出来ない。……王国の本音としては、開拓し、新たな街や畑を作りたいんだろう」
「そんなことのために!? そんなことのために、王国の一大事を後回しにしたの!?」
 信じられない。
 帝国に攻め込まれたら、それどころではなくなるのに。
「あまり王国を責めるな。あの段階では、まだ帝国のしわざという確たる証拠もなく、むしろ魔女を疑う声のほうが多かった。不安がる民を前に、何かしら行動を示す必要もあったしな」
「希望的観測で魔女を疑ったの? 王国のパフォーマンスのために、魔女を利用したの?」
「言い過ぎだ」
「もういいよ……」
 こんな話、とてもエリニースやルガーに聞かせられない。
 どうする?
 このままだと、どうなる?
 エリニースの死を偽装し、いったんはやり過ごしたが、結局は問題の先延ばしに過ぎなかった。むしろこのままでは、森が危ない。
「ルガー……」
 まだ、そう遠くに行っていないはずだ。
「ジェマ、ごめん! ちょっと用事思い出した!」
「は? まて、こっちも聞きたいことが――」
「後で話す! 先に城に行ってて!」
 それだけ言うと、急いでルガーの後を追った。

 目の前を、黒い服の行列が通り過ぎて行く。運ばれている棺の大きさからして、中身は子供だろう。
 皆、一様に暗い顔をして、特に母親と思われる女性は抜け殻のようだった。
 生気は戻ったはずだというのに。
「……気分はどうだ?」
「あんまりよくないかな……」
 ルガーが、約束していた宮殿近くの公園に顔を出したのは、別れてから三日目の夕暮れ時だった。
 フードをかぶっていたが、背が高いのですぐにわかった。人の多い時間だと、かなり目立つだろう。
 ルガーは荷物から、一本の巻物を取り出すと、
「お前が頼んでいたものだ。……どこまで役に立つか、わからんがな」
「こんなに早くありがとう。あの、無理してない? 大丈夫?」
 ここからガイアのへそ、さらに妖魔の森を行ったり来たりとなると、この数日間、休む間もなく歩きっぱなしのはずだ。
「妖魔の森の危機だ。多少の無茶は仕方ない。……それに俺達の体は、タフだ」
「そう……エリニースにもよろしく伝えておいて」
 巻物を預かり、広げて内容を確認する。
「こっちは、フレディの葬儀が終わったところだ。エリニースも城に戻った」
「そっか。……あの、お墓参りとか、してもいい?」
「うん?」
「あ、やっぱり嫌がるかな。家族もそうだし、本人も……」
 しかし、ルガーは別のことを考えていたらしい。思い出したように、
「――ああ、『墓』か。そういえばお前らは、そういうのを作る習慣があるんだったな」
「え?」
「人間は、死体を埋めた場所に石とか木で『墓』ってのを建てるんだろ? 俺達は、そういうものは作らん」
「え? じゃあ、お墓参りって……」
「葬儀の後、埋葬したらそれでおしまいだ。俺達にとって、生きている時こそがすべて。役目を終えた肉体は、偉大なるガイアへお返しし、魂は母なるマナの元へ……そして新しい命となって、この世界に帰ってくる」
 そういえば、エリニースも同じようなことを言っていた。
「俺からすれば、人間のほうがヘンだぞ。墓だのなんだの……そんなもんにすがったところで、死んだヤツは、とっくに次の命になって帰ってきてるんだ。無駄にもほどがある」
「帰ってくる……」
 だからくよくよしないし、振り返らず生きていける。
 そういう意味では、実に合理的だ。
「ところで、お前はどうだった? 王国に事情説明したんだろ?」
「……あんまり思い出したくないかも……」
 思い出すだけで疲労がよみがえる。
 あの後、ジェマと一緒に城に行ったが、会ったのはお偉いさんの部下らしい高官達だった。名前や肩書きは、もはや覚えてすらいない。
「とにかく質問攻め。捕まった犯人の尋問って、あんな感じなのかも」
 あの雰囲気、まさに尋問だった。ジェマがいなければもっとひどかったかもしれない。
 なにより一番嫌だったのは、本物か確認すると言って、聖剣を持って行かれた時だ。
 すぐ戻ってはきたが、なぜかとてつもなく嫌だった。少し前まで、手放したいくらいだったのに。
「まさか、エリニースや俺達のことは話していないだろうな?」
「その辺は大丈夫だと思うけど……」
 伝えたのは寺院でのことだけだ。タナトスが犯人で、エリニースは濡れ衣を着せられただけと伝えたが、どこまで信じてくれたかわからない。
 なにしろ、不可解なのだ。
「どうした?」
「いや……タナトスって、結局、何がやりたかったんだろうって」
 王国を攻めるつもりだと思っていたのだが、それもせず、せっかく奪った生気まで返してさっさと引き上げてしまった。
「あの場で僕達全員殺すことも出来たのに、それもしないで……これまで計画通り進んでいたことを、どうしてあんな簡単に放り捨てたんだろ」
「……『面白い』とか言ってたし、生かして、また遊ぼうとでも思ったんじゃないのか?」
「そうだとしても、僕達を生かすことと街を攻め滅ぼさないのは別問題だよ。これじゃ、皇帝の命令に背いたことになる。それとも――」
「あー、まったく! 思い出すだけで鼻がひん曲がる!」
 面倒くさくなったのか、ルガーが強引に思考を中断させる。
「お前がうだうだ考えたって、答えはあの仮面野郎本人にしかわかんねーだろ! 第一そんなもん、お国のえらいさんが考えりゃいいんだ。……ま、この国のえらいさんがあてにならんのは、とっくに実証済みだけどな」
「そりゃあ、そうだけど……」
「おまえ、こんなとこにじっとしてるから余計なこと考えるんだ。出たらどうだ?」
「そうしたいところだけど、しばらく街を出るなって」
 そのことでジェマと高官達が何やら話していたが、疲れていたのでよく聞いていなかった。とにかくお呼びがかかるまで街を出るなと言われて、もう三日だ。その間、兵士から剣の訓練を受けるなどしながら待ったが、向こうからは何もない。
「結局王国は、魔女に関しては何も言ってないんだろう?」
「帝国のしわざだったって発表はあったけど……魔女を討伐したことにはまったく触れてない。むしろそれ自体、なかったことにしたいのかも」
「最悪じゃねぇか……」
 それはそうだろう。
 王国も焦ったはずだ。かなりの金と労力をかけて魔女を討伐したにも関わらず、結果は冤罪でしたなど。
 そんな不都合な事実を、わざわざ国民に知らせるはずがない。やはりというか、このまま闇に葬るつもりだ。
 先発隊の隊長が――ディラックが、そして民間人であるパメラまで行方不明だというのに。
「このままじゃ、エリニースは殺され損だ。森もどうなるか……」
「とにかく、『これ』を王様に読んでもらえるよう、ジェマに頼んでみるよ。うまく行けば妖魔の森が助かるかもしれない」
 預かった巻物の紐を留める。今は、これに賭けるしかない。
「――ランディ、ここにいたのか」
「ジェマ? 今日はもういいの?」
 ここ数日、朝から晩まで城に通いづめだったのだが、今日はやけに早い。
 ジェマの視線に、ルガーは避けるように目深にフードをかぶり、そっぽを向く。
「この前の?」
「あ、うん。……ちょっと人見知りなだけだから、気にしないで。ところで、それは?」
 ジェマが手にした布包みに目をやる。
「ああ、そうだった。城に行くぞ」
「え? お城に?」
 受け取った包みを開くと、仕立ての良さそうな紺色の服が入っていた。借りてきたのだろうか?
「お前がしたことに関して、国王がお喜びだ。褒美を与えたいから、今から城に来いとのことだ」
「え? ……今から!?」
 こんなに急とは思わなかった。だから街から出るなと言ったのだろうか?
「『祝勝会』ってやつか? まだ街がこんなんだってのに、のんきなもんだ」
 ルガーは鼻で笑っていたが、別の考えが頭をよぎる。
「……ルガー、一緒に来ない?」
「なに?」
「だってチャンスだよ。王様に、直接妖魔の森の必要性を伝えられるかも」
「――冗談じゃない!」
 まさか怒鳴り返されるとは思わなかった。思わず体がすくみ上る。
「あいつらは、俺達のことなんて知恵のないケダモノだと思ってやがる! そんなところに俺が行けば、どんな目に遭うか……」
「…………」
 人間のような姿をした獣。それは、少し前までの自分だった。王国側も、同じように考えているのかもしれない。
「でも……だったらなおのこと! 誤解を解かなきゃいけないでしょ!? それじゃあいつまでも王国は獣人のことを『知恵のないケダモノ』だと思い続けるし、獣人達も人間に怯えて隠れ続けることになる! あの森だって、いつまでも『厄介者の巣窟』だよ!」
 この書簡に書かれていることが本当だとすれば、王国にとって妖魔の森を失うことは、自らの首を絞めることになる。それだけは、なんとしてでも阻止しなければならない。
 しばらくルガーとにらみ合い――先に目をそらしたのは、ルガーだった。
 彼はため息混じりに、
「……お前だから白状するが、怖い」
「怖い?」
「行ったところで、怖くてきっと何も言えない。想像しただけで……足が震える」
「…………」
 自分と同じだった。
 周囲の視線が集まるだけで、何も言えなくなる。
 理不尽な言葉に何か言い返したくても、言葉がまるで出てこない。
「フレディやチットは勇敢なヤツだ。たった一人で、人間相手に戦おうとした。……その勇気が、俺にはうらやましい」
「…………」
 自分などより、ずっと強くて勇敢な男だと思っていた。
 しょせん、勝手な思い込みでしかなく――根っこは、自分と大差なかった。
 同じだった。
「……わかった。無理言ってごめん」
「すまん。お前に賭ける」
「うん、ありがとう。やれるだけやってみる」
 まったく、次から次へと。
 戦うべき相手は、化け物でもなければ帝国だけでもないようだった。