街は、相変わらずの静けさだった。
そんな中、経営中の札がぶら下がった宿に入ると、宿主のほうが驚いたくらいだ。ただ、従業員が誰もおらず、文字通り寝床だけの提供だった。食事も自前で用意するしかなかったのだが、久しぶりの話し相手が嬉しかったのか、朝、好意で菓子とお茶を出してくれた。
「ほんっと、こんな時によく来たわね。あなた達」
「おっさんこそ、こんな時によくやってるな」
呆れる主に、ポポイも呆れた顔で返す。
「まあ、幸い、ワタシはまだ無事だし……開けられるうちは開けておこうかと思ってね。ホラ、もしかすると、勇者様とか救世主様が泊りに来たりとか。そういうこと考えちゃうわけよ」
「救世主?」
なんでこの人、こんなクネクネしてんだ? と思いつつ、お茶を飲む。
食堂のテーブルはガラガラで、自分達しかいない。
主も、隣のテーブルに自分のお茶を用意すると、ため息混じりに、
「噂じゃ、妖魔の魔女が犯人だって言うじゃない? で、その討伐隊が帰ってきたってのに、なんにも変わらないでしょ? もうこうなってくると、そういうのにすがりたくもなるってものよ」
「そういうもんですか……」
自分達ではなにもしないんだな。
そうは思うが、よくよく考えてみれば、それが普通なのだ。おびえながらも、いつも通りの生活をするしかない。
自分だって――聖剣のことがなければ、そうしていただろう。
主人に礼を言い、宿を出ると、南の寺院へと向かう。
ポポイはプリムのマントを引っ張り、
「なー。『じいん』って、どんなトコだ?」
「なんのって……相当古い遺跡らしいけど、行く人もいないし、老朽化もひどいもんだから、ずいぶん昔に立ち入り禁止になったはずよ」
「じゃあ、大きな空き家を放置して、そこに誰かが勝手に住み着いたってわけだ」
王国の管理不行き届き。
観光として利用するにはインパクトもなく、それに修繕費をかけるのも馬鹿らしかったのだろう。結果として遺跡の存在は忘れ去られ、まんまと敵の拠点にされてしまった。
街を出て林の中を進む。
寺院へ向かう人がいたが、みんな生気を抜かれているらしく、虚ろな目で、足取りもゆっくりだ。すぐに追い越し、遠ざかる。
「あれ?」
「どうしたの?」
寺院の敷地内に入った。
広場ではなんの目的があってここへ来たのか、街の住人が虚ろな目でさまよい、建物の入り口には槍を持った仮面姿が二人、入口を塞いでいる。
そんな中、入り口へ真っ直ぐ向かう女をプリムは追い越し――前に回り込むと、
「パメラ? パメラじゃない」
クセのある黒髪に、赤いバンダナを巻いた少女だった。
「あれ? この子……」
プリムを追って少女の前に回り込む。
どこかで見たような気がすると思ったら、この前、街で祖母を捜していた子だ。
どうやら知り合いだったらしい。プリムは少女の真ん前に立つと、
「どうしたのよこんなところで。この先は危ない――」
「――どきなさい」
「え?」
「これから生け贄になりに行くんだから……邪魔しないで」
「え? ……パメラ?」
「……なんかヘンだよ。その子」
目の焦点が合っていないのは他の者と同じだが、何かが違う。
無気力な者達と違い、彼女には確かな意思があるような、そんな気がする。
「パメラ! ダメよ! 行っちゃダメ!」
「うるさい!」
今度ははっきりと怒鳴りつけると、プリムの手を払いのける。
「――止まれ」
二人の門番が、パメラとプリムの間に槍を下ろすが、
「どきなさい!」
槍をつかむと、そのままもう一人に向かって投げ飛ばす。
「プリム!?」
「すげぇ!」
あっという間の出来事に、門番二人は重なり合った状態で目を回してしまった。彼らも生気を抜かれているらしく、あっけないものだった。
「行くわよ!」
「ああもう……」
こっそり忍び込むつもりが、正面突破だ。
もうどうにでもなれという気分で、パメラの後を追って駆け出した。
「なにここ?」
「うぇ、ヘンなにおい……」
お香だろう。煙と共に立ちこめるにおいに、ポポイが鼻を押さえる。
不気味な場所だった。
赤黒い床に石造りの壁。窓はなく、壁に取り付けられた燭台がなければ、昼でも真っ暗だ。
人がいたが、外の門番と同じ不気味な仮面で顔を隠し、ぶつぶつつぶやきながらさまよっていた。ジェマを捜そうにも、これでは捜しようがない。
「パメラ! 待ちなさいよ!」
「――プリム」
なおも、パメラにつかみかかろうとするプリムを止める。
「こうなったら、あの子に奥まで連れてってもらおう。そのほうが安全かも」
「……わかったわ」
納得したというよりあきらめたのだろう。プリムは肩を落とすと、パメラと少し距離を置き、後をついて行く。
パメラは中の構造を知っているのか、まるで迷うことなく、奥へ奥へと進んで行く。
「ねえ。あの子とは、付き合い長いの?」
気を紛らわせようとプリムに声をかけると、彼女は少し考えて、
「……会ったのはいくつの時だったかな。ママが生前、ひいきにしてた仕立て屋の子よ」
「生前?」
「私のママ、小さい頃に死んじゃった。病気で」
「そう、なんだ」
意外だった。
貴族なら、病気になってもいい治療を受けられると思っていたが……死ぬ時は死ぬ。当たり前のことだ。
そういう意味では、どれだけ金があっても手に入らないものがある。
「『したてや』ってなんだ?」
「服作る仕事よ。パメラのおじいちゃんとおばあちゃん、腕のいい職人さんなのよ。だから私も作ってもらってたんだけど、六つか七つの時だったかな。ドレスを届けに来てくれた時に、パメラも一緒だったの」
「ああ、それで……」
どう見ても一般人のパメラと貴族であるプリム。どこで接点が生まれるか、わからないものだ。
前方に大きな扉が見えた。
パメラはためらいもなく扉を開き――広い場所に出る。
「うっ……」
強烈な香のにおいに、思わず鼻を押さえる。
祭壇の間だろうか。入り口よりさらに大量の香が焚かれているらしく、においと共に煙で周囲が白く曇って見える。
そして広間には仮面をつけた集団が列を作って並び、奥の腰ほどの高さの壇上に、人影が見えた。
一人は赤い長髪の男だった。角を生やした仮面で口元以外を隠し、白いローブを着ている。もう一人は、王国兵らしき鎧姿の、若い金髪の男だった。
「ディラック!?」
「あの人が?」
プリムが声を上げる。
しかし、パメラと同じくすでに生気を抜かれているらしく、プリムの姿にも無反応だ。
パメラは壇上の仮面の男に向かって、
「タナトス様、お待たせしました」
「パメラ! 行っちゃダメ!」
「――うるさい!」
プリムが祭壇へ続く階段を上がろうとするパメラを引き留めるが、逆に突き飛ばされる。
「パメラ……ディラック!」
「落ちつけねーちゃん!」
体を起こし、後を追おうとするプリムを、ポポイと二人がかりで引き留める。
仮面の男は、自分の元まで来たパメラの肩に手を回すと、
「パメラ? ああ、この娘のことか……」
「ちょっとあんた! 一体どういうつもり!? 二人に何したの!?」
祭壇に上がるのはあきらめ、仮面の男に向かって怒鳴りつける。
男は小首を傾げ、
「この二人は、お嬢ちゃんの友達かね? なら聞きたいのだが、この男、何者だ? エリニースが手こずっただけあって私も苦労したんだ。……何か知らないか?」
「ゴチャゴチャ言ってないで、二人を今すぐ返しなさい!」
「まったく、自分の要求ばかりで、こちらの質問は無視か」
呆れた様子で肩をすくめる。
「これでは話し合いにならんな。お嬢ちゃんはもう少し、ものの頼み方を学んだほうがいい」
「無理矢理人の生気を抜き取って、街をめちゃくちゃにしてるヤツがふざけたこと言ってるんじゃないわよ! あんたと話し合いなんて、こっちからお断りよ!」
「威勢のいいことだ。……そういう身の程知らずほど、良い生け贄となる」
「生け贄ですって?」
笑っているらしい。仮面のせいで表情はよくわからないが、肩が小刻みに震えている。
「帝国四天王だかなんだか知らないけど、何様のつもり!? 自分に、人の命を弄ぶ権利があるとでも思ってるの!?」
「くくく……小娘が、私にご高説を垂れるとは……そっちの小僧を見習ったらどうだ? おまえより『身の程』というものをわきまえているようだぞ」
「え?」
プリムが、驚いた顔でこちらに振り返る。
「ランディ?」
「……無理。勝てない」
「え?」
全身から、冷たい汗が流れる。
さっきから心臓が激しく鼓動し、震えが止まらない。
「な、なに言ってるのよ! ここまで来て! あそこにディラックが――」
「無理なものは無理!」
思わずプリムの手を払いのける。
なぜかはわからない。
わからないが、本能が、死にもの狂いで危険を訴えている。
きっとエリニースも同じだったのだ。だから、言いなりにならざるを得なかった。
あの男は、危険すぎる。
「ハハハ。賢い小僧だ。お嬢ちゃん、よく覚えておくといい。身の程知らずの愚か者ほど早死にする。――こいつのようにな!」
突然、後ろに向かって黒い矢のようなものを放つ。
「――がっ!?」
「え?」
タナトスの背後――この祭壇の間を囲む二階通路から様子をうかがっていたのだろう。槍を手に、灰色の獣人がタナトス目掛けて降ってきた。
「え……ルガー!?」
黒い矢の一つが獣人の腹を貫通し、タナトスの足元に倒れ込む。槍を握りしめたまま獣化が解け、人の姿になった。
タナトスは、うつぶせに倒れたルガーを踏みつけ、
「フン、エリニースの飼い犬風情が。不意を突いたつもりか?」
思い切り蹴飛ばされ、槍を握ったまま階段を転げ落ちる。
「ルガー! しっかりして!」
「ど、どうして……」
駆け寄ると、息はある。
プリムが羽織っていたマントをはずし、腹に巻きつけるが、あっという間に赤く染まって行く。
恐らく先回りして、チャンスをうかがっていたのだろう。だからポポイを連れて行くよう言ったのだ。
「なんで一人でこんな無茶したんだよ!?」
「……エリニースの、名誉のためだ……!」
ルガーは腹を押さえ、苦しそうな声で、
「このままでは……エリニースは、王国を危機に追いやった悪女となってしまう……なんとしてでも……俺の手で……」
口から血を吐く。このままでは――
「――ハハハ。文字通り、犬死にだな。魔女もしっかりしつけをしないからこうなるのだ」
「……タナトス!」
「ほう? 震えていたのが、挑む気になったのか?」
顔を上げ、壇上のタナトスをにらみつける。不思議なことに震えは消え去り、寒かったはずの体が、熱い。
タナトスは、口元に笑みを浮かべると、
「勝てないとわかっていながら、私に挑もうとするその度胸。ほめてやらねばな。――そら!」
「え――」
タナトスが手を振るい、次の瞬間、どさどさと落下する。
「いってー!」
「っくぅ……」
なんでこう、落ちてばかりなんだ。
魔法でどこか別の場所に飛ばされたようだが、真っ暗で何も見えない。
『おっと。それでは何も見えんな』
どこからかタナトスの声が聞こえ――壁一列に、ロウソクもないのに青白い小さな炎が灯る。
「なにここ……」
壁の作りから寺院の中には違いないようだが、四方八方を壁に覆われた四角く広い空間。
出口はなく、見上げても、壁と同じ天井があるだけの奇妙な部屋だった。まるで箱の中だ。
「ルガー、ルガー!」
「しっかりしろよオイ!」
そんなことより、まずはルガーだ。
かろうじて意識はある。自分で傷の治療をしているようだが、光が弱い。
『――お前達の勇気を称えて、チャンスをやろう』
「タナトス!」
再び、声が聞こえてきた。
『『そいつ』に勝てたら、街の連中から抜いた生気を返してやる。勝てたら、な……』
声が、終了した。
「あ、あれ……」
ポポイが、壁の一面を指さす。
いきなりなのか、最初からなのかわからないが、壁に、横一列に二本の切れ込みが入っていた。
その切れ込みが、ゆっくりと開く。
「……目?」
壁に開いたのは、まるでガラス玉のような、大きな青い目だった。
「な、なんだよ! びびらせやがって!」
ポポイが、必死に声を張り上げる。
「ただの目ん玉じゃねーか! そんなもん、このポポイさまが――」
「ポポイ!」
嫌な予感に、ポポイの前に飛び出す。
とっさに剣を抜いた次の瞬間、目が光った。
「アンちゃん!?」
「……大丈夫」
足から力が抜け、思わず膝をつく。
なんだ今の。目に吸い込まれるような、奇妙な錯覚。まるで魂を抜き取られるような、そんな感覚だった。
「まさか……こいつが、街の人の生気を抜き取ってた?」
だとすると、聖剣がなければ本当に危なかったかもしれない。
「オイこら! 目ん玉のバケモノ! テメーよくもやりやがったな!」
「ポポイ?」
ポポイは手をかざすと、
「オマエなんか――こうだ!」
ポポイの目の前に巨大な氷が出現し、目に向かって飛んで行く。
飛んで行くが、
「わーーーーーーーーーーー!」
「って、こっち来るなーーーーーーー!」
氷は目玉の直前でUターンすると、そのままポポイ目掛けて飛んで来る。
左右に飛びのき、氷は壁に激突し、砕け散った。無傷で済んだが、精神的にはダメージを受けた気分だ。
「ううう……」
「お願いだから下がってて……」
どうやら魔法はあてにならないようだ。いや、もとより、ポポイをあてにするべきではない。
「バカ言うな! 一人でなんとか出来るか!」
「なんとかするしかないんだよ」
これまでがそうだった。
誰も助けてはくれない。
助けを期待してはいけない。
期待しては、いけないのだ。
ポポイがなにか怒鳴っているが、その声が、遠ざかる。
剣を構え――左目に狙いを定めると、床を蹴った。
* * *
「ルガー……大丈夫?」
こういう時、なんと声をかければいいのかわからず、プリムは自分でもまぬけだと思いつつ、答えのわかっている質問をする。
大丈夫なわけがない。
巻き付けたマント越しに背中側の傷を押さえるが、血が流れる感触が止まる気配はなかった。
腹を押さえるルガーの手には弱々しい光が灯っていたが――その光が、消えた。
「ルガー!?」
腹を押さえていた手が、床に落ちる。
「た……た、かえ」
「え?」
ルガーは、もう片方の手で握っていた槍を差し出すと、
「たた、かえ」
「で、でも……」
それはつまり、傷ついたルガーを放っておくということだ。
「――いいから行け!」
ついさっきの弱弱しい声が嘘みたいに、鋭く怒鳴る。
「自分の望みを叶えたければ、自分の力でつかみ取れ! 取り戻したいんだろう!?」
再び血を吐く。
「ルガー!?」
「俺に……かまうな……」
最後の力を使い果たしたように、床に沈み込む。
なにこれ。
頭の中が、真っ白になる。
ただの人捜しだったはずだ。
それが、どうして。
妖魔の森に一人で入った時、恐怖で何も出来なかった。
タイガーキメラ相手に、加勢するつもりが何も出来ず仕舞いだった。
魔法だって、力だけ与えられて、操ることがまるで出来ない。
何も出来ない。
助けられてばかりで、誰一人、助けられない。
助けるつもりで家を飛び出したのに。自分にはそれだけの力があると思っていたのに。
「なによ……なによなによなによ! あんたこそ! 人任せにしないで、自分でなんとかしなさいよ!」
体が熱い。
「こんなとこで……無責任に死ぬんじゃないわよ!」
気がつくと、傷口に両手をかざしていた。
――え?
何をしているんだ?
一瞬、我に返ったが――唐突に、青い光が視界いっぱいに広がる。まるで水の中にいるような、奇妙な感覚。
光は次第に収まり――その場に、へたり込む。
「あ、あれ?」
「これが……お前の魔法か」
自分の両手を見下ろしていると、ルガーが体を起こす。
出血はおろか、腹の穴は完全に消え去り、顔には多少の血の気が戻っていた。