「……お金がないって、こんなにも不安になるものなのね」
「……今頃知ったの?」
どんよりと重苦しい空気の中、プリムが泣きそうな声でつぶやく。
後ろをとぼとぼついてくるプリムに、
「ねー。ホントにもう、帰ってよ」
「なによ! チビちゃんにはなにも言わないくせに!」
「当たり前だよ。ポポイはこれから帰るんだから……事情が全然違うよ」
なんかもう、疲れた。まだ昼過ぎだというのに、今すぐベッドに潜り込んで休みたい気分だ。
一方で、ポポイはお気楽に、
「なー、アンちゃん。もうつれてってやったらどうだ? こりゃあ帰らないぞ」
「お前は、後は帰るだけだからいいんだろうけどさ――」
言いながら、ぴたりと足が止まる。
「イテッ。急に止まるなよ!」
ポポイが足にぶつかり文句を言うが、それどころではない。
ポポイが帰る。それはつまり、
「……プリム、今からでもパンドーラに帰ろう。途中まで送るから」
「もう! さっきからそればっかり!」
プリムは腰に手を当て怒鳴るが、こちらも強い口調で、
「ディラックさんの捜索続けるにしても、僕とじゃなくてもいいでしょ!? 他の人にお願いするとかさ!」
「そんなこと言って! 逃げる気!?」
「そーじゃなくて! ポポイが帰るってことは、その……二人っきりになるってことなんですけど!」
「はぁ?」
なぜ、こんな当たり前のことに気づかなかったのだろう。
しかし、プリムはきょとんとした顔で、首を傾げている。
「いや、だから……ディラックさんだって怒るでしょ。自分の彼女が、自分の知らない男と二人旅してたとか……」
ここまで言って、まさかわかってない?
逆にこちらが驚いていると、プリムは相変わらずきょとんとした顔のまま、
「なに言ってんのよ。ディラックが、お子様相手になに怒るわけ?」
――ぴしっ。
その瞬間。音を立てて、空気が凍った――ような気がした。
「――ね、ねえちゃん……」
「へ? あ……」
ただならぬ気配に怯えるポポイに、ようやく失言に気づいたらしい。慌てふためいて、
「いや、そういうわけじゃなくて! すっごく頼りにしてる! 子供なのにしっかりしてるし! 田舎の子って大人になるの早いって言うけど、ホントだなって!」
「ねえちゃん! 火に油そそいでるぞ!?」
ポポイが必死にフォローしようとするが、もういい。もういいのだ。
どうりで、通りすがりのような相手に警戒もせずついてきたわけだ。謎が解け、むしろ心穏やかに、
「……そーですかぁ。気づかなくて申し訳ありません。プリムお嬢様は都会の大人様ですもんね。これまで従者がこんな田舎のお子様だなんて恥ずかしくて仕方なかったでしょう? でももう無理しなくていいですよ。実は僕も、都会の大人様のエスコートなんてあまりにも荷が重すぎてとても背負いきれないと思っていました。都会の大人様のためにも、今後は一緒にいて恥ずかしくない身の丈にふさわしい都会の大人様に同行をお願いしてください。それではお達者で」
「ちょ、ちょっと! えーと、ほら! かよわい女の子が一人とか、心配にならない!?」
「『子供が大人の心配するな』って、おじーちゃんが言ってたなぁ」
「えーと……とにかく頼りにしてる!」
「ほかになんか言うことないのかよ……」
ポポイまでもがあきらめムードでつぶやく。
きっと、これがこの女の本音なんだろうな。見捨てよう。この女、見捨てよう。そうしよう。
――ざぁっ。
「え?」
――鳥?
強い風と、葉がこすれ合う音に顔を上げると、黒い、大きな鳥のようなものが飛んでいくのが見えた。
「なんだあれ……」
見間違いだろうか? 翼が四枚あったような気がする。鳥にしてはあまりに大きくて、不思議な形をしていた。
「あ、あのね! 別に男として見てないとかそんなんじゃなくて! そう、信頼! 信頼してるのよ!」
「ポポイ。この辺って、翼が四枚ある鳥とかいるの? それもすっごく大きい」
「へ? ああ、あの黒いのか。いっぱいいるぞ」
「無視!?」
都会の大人様が泣いている気がしたが、そちらは見えないことにして、
「なんか、初めて見る鳥だなって」
「あれ、鳥じゃねーぞ。じっちゃん、なんて言ってたかな。なんか、とてもだいじな生き物だって」
「大事な生き物?」
――ずしんっ。
地面が、揺れた。
またモールベアか? と辺りを見渡すと、木々の隙間から、巨大な人形のようなものが、音を立てて歩いているのが見えた。
「なんだあれ……」
円柱のとんがり帽子に、巨大なタルのような胴体の、赤金色の金属の塊。なんとなく、ねじ巻きで動くブリキの人形を思い出した。
ただ、その人形は人の二倍くらいの高さがあり、問答無用で二足歩行していた。
「おおー! なんだあれ!? スゲー!」
後から追いついたポポイが、目を光らせて叫ぶ。
「――あん? 誰だい!」
ポポイの声に気づいたのか、人形が足を止め、頭上から声が聞こえた。
「人?」
「なにあの格好……」
ぽかんと見上げると、金髪ショートヘアの女が、人形の肩に足を組んで座っていた。
ただ――腹や足を大胆に出した黒い革製のボディスーツに、真っ赤なマント、顔にはなぜか紫のバタフライマスクを身につけていたりと、こんな森の中、蚊への出血大サービスとしか思えない格好をしていた。いや、街の中でもおかしいが。
女は、顔半分を隠す長い前髪をかきあげ、口元に笑みを浮かべると、
「ふっ、これはちょうど良かった。――とう!」
勢いよく、人形の肩から飛び降りた。
「わっ! と、っとととっ!?」
着地でバランスを崩し、わたわたと両手を振り回して踏ん張る。よく見ると、小柄な体型をごまかすためか、無駄にヒールの高いロングブーツなんて履いていた。
「山とか森にハイヒールなんて、プリムだけかと思ったら……」
「――おだまり! 人の勝手だろーが!」
聞こえたのか、女が振り返りざまに怒鳴る。
ポポイも女の顔をのぞき込み、
「なー、ぐあい悪いのか? 口とか目のまわりが青いぞ」
「こういうメイクだ!」
「ねー、マントにザリガニの刺繍入ってたわよ。ダサっ……」
「サソリだ!」
聞こえたのか聞こえるように言ったのか、プリムも必死に笑いをこらえる。
「――オカシラ!」
ぱかっと、人形の腹が開き、誰か出てきた。
「今度はなによ!?」
一人は細く、一人は太くて大柄という、わかりやすい非対称の男二人だった。上下緑の服の上にサソリのマークが入った銀色の鎧、なぜかとんがったサングラスと、おそろいの格好をしている。
細いのが威勢良く前へ出ると、
「くぉらガキンチョ共! 控えるでやんす!」
「こちらのお方は我らがカシラ、スコーピオン様なので、あーる!」
太いのが片膝をつき、『カシラ』の紹介をする。芸名か?
そして女は、声高らかに、
「我々は! 世界征服をもくろむ秘密結社・スコーピオン団!」
…………。
ひゅうぅっ……と、風が吹く。
不気味な沈黙に耐えられなかったのか、女は小声で、
「……ほら。なんかこう……驚くとか怖がるとか……なんかない?」
「え? えーと……」
なにやら催促されたので、考えた末、
「えーと……名乗っちゃったら、秘密でもなんでもないかなー、って」
「そこかい!」
「なんかおもしろそうだな! オイラもまぜてくれよ!」
「よしなさいよ。いい年こいてごっこ遊びしてる人達となんて」
「『ごっこ』言うな!」
「我々は真剣でやんす!」
顔を真っ赤にして怒鳴る。
このままだとらちが明かないので、
「あの……ところで何してるんです? というか、僕達、どうすればいいですか?」
「ふっふっふっ……千里の道も一歩から。ひとまず有り金全部、置いてってもらおうか」
「あ、なんだカツアゲか。じゃ、急ぐんで」
「コラーーーーーーーーーーーーー! さらっと流すなさらっと!」
どうにも最近、多少のことではびくともしなくなった。やはり、本気で死にそうな目に遭ったり、正真正銘の『怖い人』に会ったりしたせいだろうか?
「あんた達、それだけすごいの作れるのに、やってることがチンピラレベルとか悲しくない?」
「ほっとくでやんす!」
「メカの材料費に有り金全部つぎ込んで、生活費が足りないので、あーる!」
「募金と思ってちょっと恵んで欲しいでやんす!」
「食べ物だけでもいいので、あーる!」
「ああ、ここにもお金に苦労してる人達が……」
「『寄付』を求めてどーする! お前もチョコ出すな!」
怒鳴られ、思わず出してしまったぱっくんチョコを引っ込める。
スコーピオンは気を取り直すと、
「まあ、いい。幸い、メカの材料費は足りたことだし……後はアタシ達の活動費だ。足しにしてやるから、お前達の有り金全部、おとなしく献上しな!」
散々怒鳴って暑くなったのか、取り出したピンクのポーチで顔を扇ぐ。
……どこかで見たような気がする。
「あーーーーーーーーーー! そのポーチ!」
真っ先に気づいたプリムが、女が手にしたピンクのポーチを指さす。
「うん? これかい? いやー、バイト先の宿で、羽振りのいい客がいてねぇ」
「チップとして置かれていたでやんす」
「おかげで足りない部品が買え、試運転にこぎ着けたので、あーる」
「チップ!? 私、そんなの払ってない!」
「昨日の……じゃないよね。その前の宿?」
となると、わずか数日で部品を調達し、メカを完成。なんとも仕事の早い連中だ。
「この泥棒! 返しなさいよ! 私のお金よ!」
「言いがかりはよすでやんす!」
「ありがたーい、チップとしか思わなかったので、あーる!」
「自分のだって言うなら証拠を出しな! そもそもそんなに大事なものなら、どうして忘れるんだい?」
「う!?」
痛い所を突かれたのか、思わず言葉に詰まる。
スコーピオンは畳みかけるように、
「所詮、大事なものじゃなかったってことさ! だから平気で置き去りに出来るんだ! 大事にしなかったお前が悪い!」
「たしかに、昨日まで無くしたことにさえ気づかなかったもんねぇ」
「なに納得してんのよ!? 人のお金を勝手に自分のものにするほうが悪いに決まってんでしょ!」
「あのお金だって、出所をたどっていくとプリムのパパのお金だと思うんだけど……」
「あんなネコババ連中と一緒にするんじゃないわよ! れっきとした私のお金よ!」
「そうなんだろうけどさー……」
自分で稼いだわけでもないくせに。
それで散々父親の悪口を言っていることに、どうにも納得がいかない。
「でもどっちみち、もう全額使っちゃったみたいだけど……」
「あ……」
力が抜けたのか、だらんと肩を落とす。
無気力状態になったのもつかの間、
「あんた達、よくも~~~~~~~!」
「って、コラコラコラ! 人様に刃物向けるな!」
鞘を放り捨て、槍の切っ先を三人に突きつける。脅しでもなんでもない。本気だ。
ポポイは目を点にして、
「……おカネって、人を変えるんだな」
「……怖いよ。お金って」
これまできっと、お金に不自由なんてしたことなかっただろうに。プリムのことだから、『愛さえあればお金なんて必要ない!』なんてお花畑思考を平気で持っていただろうに。
なぜだろう。胸が痛い。
「な、なあアンちゃん。どうする?」
「これは……」
一瞬悩んだ末、ぽんっ、と手を打つと、
「あたたかく見守ろう」
「そうだな!」
ほっとくことにした。
今にも突きを放ちそうなプリムに、スコーピオンは後ろに下がりながら、
「そ、そっちがその気なら、こっちだってやらせてもらうよ! お前達!」
『アイアイサー!』
ビシッ! と、緑の二人は敬礼し――いきなり我に返ると、
「……オカシラ、マジでやるでやんすか? 相手、女子供でやんす」
「我々、どんなにひもじくとも、弱いものから奪ったりはしなかったので、あーる……」
「おだまり! 世界を手に入れると誓ったあの時、アタシは『情け』を捨てたんだよ! お前ら、アタシに付き従うと決めたんだろ! だったら黙ってついてきな!」
「オカシラ……」
まだ男二人のほうが常識的だった。肩を震わせ――顔を上げると、
「――まったくもってその通りでやんす!」
「さすがオカシラ! 悪の鏡! しびれるので、あーる!」
「え? マジかこの人ら」
あっさりポリシーがひっくり返る瞬間を目の当たりにした。
「さあ、わかったんならお前達! スーパースペシャルデラックスゴージャスロボ! その名も無敵のガーディアンロボ、『いちろう君』の始動だよ!」
『アイアイサー!』
なんだかくどい呼称を力強く叫ぶと、男二人が開きっぱなしのメカの腹へと乗り込む。
「名前にセンスがないわねー」
「フン、そんなこと言ってられるのも今のうちだよ! 泣いて謝ったって許してやんないから!」
ブオォ……と、低い音を立てて人形が震え出し、目が光る。
「あんなちっこいモグラが相手じゃ、試運転にもならないからね! あんた達で試させてもらうよ!」
「え?」
モグラ?
その言葉に、ピンと来た。
「じゃああのモールベア達、逃げてここまで流れて来たってこと?」
「おまえらのせいかよ! おまえらのせいで、モーグリとモールベアが戦争して大変なことになってるんだぞ!」
「ふーんだ。強いものが弱いもの追い払って何が悪い。この世は自然淘汰の繰り返し。そうしてみんな生きてるんだ。モールベアとモーグリが潰しあうのだって自然の成り行きさ」
「ふざけんじゃないわよ! あんた達、面白半分にいじめただけじゃない! しかも私のお金使って!」
「面白半分だぁ?」
スコーピオンは、マントを大きく翻すと、
「聞き捨てならないね! アタシ達はいつでも大真面目!」
『――このメカも、真剣に、丹精込めて作ったでやんす!』
中からでも会話が出来るらしい。声が拡声して響いてくる。
『我々の超大真面目な技術力に、世界はひれ伏すので、あーる!』
『いちろう君、スペシャル・ブースターモード、スイッチオン! でやんす!』
たぶん、中で何かしたのだろう。
その瞬間、明らかに、何かが変わった。