「どうぞ」
  カフェの隅っこの席で例の手紙をぼんやり眺めていると、頼んでもいないのにお茶の入ったカップが出てきた。
  驚いて顔を上げると、ゼノアが濡らしたハンカチを差し出す。
 「あ、ありがとう……」
  傍目にもわかるくらい腫れていたらしい。引っぱたかれた頬はまだ熱を持っていて、心なし、耳鳴りがする。
  ハンカチを受け取ると、ゼノアは軽く頭を下げ、キッチンへ戻って行く。気を利かせてくれたのか、もしくは何か探りに来たのか。
  一瞬そんなことを考え、自分に嫌気がさす。
 「――おい。何を迷ってるんだ?」
  顔を上げると、一度はクリス達と立ち去ったはずのカートが再び現れた。
  彼は、断りもなしに向かいの席に座ると、
 「まあ、お前は四天王と戦ったことがあるからな。警戒するのはわかるけど、昨日の敵は今日の友と言うし。和解の場にお前も顔を出しておけば、今後、命を狙われることもないはずだ」
 「…………」
 「現に、俺とコートニーを解放してくれた。皇帝も、ようやく心を開いてくれたんだと思わないか?」
  カートは陽気な笑みを浮かべて言ってくる。
  ビラの内容は、皇帝からレジスタンスへの和解の申し出だった。話し合いの食事会を開くから城へ来いという。それも今日の夕方。服装も普段通りでいいという細やかな気遣いまで書いてあるときた。
  ひとまず手紙をしまうと、
 「……『なんだガキか』って顔してたけど」
 「顔に出たならすまない。だがそれを言っちまったら、俺達だってそうだ」
 「そう……」
  苦労はお互い様のようだ。だからと言って、気を許すかどうかは別問題だが。
  誘導は通じないと悟ったか、カートは作り笑いをやめると、小声で、
 「ジェマさんから聞いた。年の割にずいぶん思慮深くて、頭の切れるヤツだってな?」
 「ひねくれてるだけです」
  素直であればあるほど馬鹿を見る。悟ったのはいつ頃だっただろう。
  相手の顔色を読み、腹の内側ばかりを探っている。
 「正直な話、どう思う?」
 「…………」
  ゼノアが入れてくれたお茶を一口飲み――ぽつりと、
 「……皇帝に、何の得もない」
  そもそも『和解』というものは、戦う理由がなくなった時や、自分が不利な時、もしくは得になる時に言い出すものだ。
  見た限り、レジスタンスの規模はそこまで大きくはない。年齢層も十代、二十代の若者ばかり。リーダーに至っては、十八歳の小娘ときた。
  クリスには申し訳ないが――皇帝にとって目障りな存在ではあっても、お世辞にも『有益』とも『脅威』とも呼べる存在でもない。
  クリス達も、それがわからないほど愚かではないだろうに、
 「でも、行くんでしょう?」
  カートは無言でうなずく。そしてポケットに手を突っ込むと、
 「……後からでもいい。来てくれ」
  そう言うと、テーブルの真ん中に、小さく畳まれた紙を置いた。
「ちょっとこれ! どういうことなのよ!?」
  借りている部屋に戻り、荷物の整理をしていると、プリムがノックもなしに飛び込んできた。
  どうやら外出してすぐ戻ってきたらしい。息を切らしながら、ビラを手に興奮した様子で、
 「皇帝がレジスタンスと和解って……それじゃあ戦争がなくなって、ディラックも帰ってくるってことでしょ!?」
 「よかったじゃん! これでぜんぶカイケツなんだよな!? よくわかんねーけど!」
  わかんねーなら黙ってろ。
  出かけた言葉を飲み込み、
 「……そうだね。だから安心して帰って。僕は後で帰るから」
 「なに言ってんだよ! オイラたちもクリスのねえちゃんたちといっしょに行こうぜ! ごちそう出るんだろ?」
 「テーブルマナーのなってないヤツは連れて行けません。第一お前、無関係だろ」
  バッグのポケットから果物ナイフを取り出し、鞘から抜く。そろそろ研いだほうがよさそうだ。
 「…………」
  視線を感じ振り返ると、プリムがどこか怪訝な顔で、
 「……ねぇ。なにか隠してない?」
 「別に隠すようなことないでしょ」
 「嘘おっしゃい! だったらどうして、みんな逃げるような準備してるの!?」
  アジトの中は、レジスタンスのメンバーが片付けを行っていた。
  定期的に移動しているらしく、手慣れたものだ。いつでも撤収出来るよう、すでにほとんどの荷物がまとめられている。今頃別室で作戦会議中だろう。
 「和解するなら逃げる必要ないはずでしょ!? これ、罠じゃないの!?」
 「ワナ?」
  きょとんとするポポイを無視して、プリムはこちらに詰め寄り、
 「罠ならどうして行く必要があるのよ!? 止めなきゃ!」
  ビラを突きつけてくる。一応、ちゃんと考えてはいたようだ。
  ナイフを鞘に戻し、服のポケットに入れると、
 「……こんなのをわざわざばらまいたのは、アジトがわからなかったなんて間抜けな理由じゃない。多くの国民に、『皇帝がレジスタンスに歩み寄る姿勢を見せた』ことに意味があるんだよ」
 「えーと、つまり……どういうことだ?」
 「レジスタンスの活動内容は帝国の武力解除と諸外国との和平。ところがこのビラには、皇帝がそれを受け入れる準備があるから、話し合いのために城まで来いと書いてある。行かなかったら、どうなると思う?」
 「行かなかったら……皇帝の和解の申し出を拒んだことになって……でもそれだと、レジスタンスの活動内容と矛盾するし……」
  何も考えていないポポイは置き去りに、プリムは何度もビラの内容を読み返し、気づいたらしい。驚いた顔で、
 「――拒んだが最後、『レジスタンス』じゃなくて『テロリスト』にされちゃうってこと!?」
 「『てろろすと』?」
 「行ったら行ったで、何されるかわからない。百歩譲って本当に話し合いだったとしても、クリス達に都合のいい話を向こうがしてくるわけないし。タスマニカに助けを求めるにも、今からじゃとても間に合わない」
 「それじゃあ、行っても行かなくてもクリス達がピンチってことじゃない! どうするのよ!?」
 「どうもしない。この街を出るだけ」
  ぴたりと、プリムが驚いた顔のまま硬直する。
 「これはクリス達と皇帝側の問題。たまたま居合わせた僕達『よそ者』には関係のないこと。……このアジトも安全じゃなくなる。だから、プリムは夕方までにはパメラさんとポポイと一緒にこの街を出て」
 「え? なんだなんだ?」
 「ちょっと……なにそれ。見捨てろって言うの?」
 「散々言ってるでしょ。パメラさんだけでも助けられたんならもう十分。それとも行く先々で、よく知りもしないあの人もこの人も助けろって言うの? そんなの命がいくつあっても足りないし、助けられるだけの力が自分にあるとでも思ってるの? どこへ行っても助けられてばかりのくせに!」
  パンドーラでもそう。上の大地でも、サンドシップでも――帝国に来てからも。
  誰も助けられなかった。
  散々他人を疑って、信じられないでいる自分が、その信じられない他人に助けられてばかりいる。
  助けるつもりの人に助けられて、あげく助けられなかったなんて最悪だ。あれほど自分の無力に打ちのめされたことはない。
  少なくとも、ここに来るまでは、自分が守ってきたつもりだったのに。
 「――あーーーーーーもう! なんだよ! オイラをムシすんなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
  重苦しい空気の中、ポポイの大声がこだました。
 「さっきからなんだよ! そっちでかってに話すすめてよ! オイラのことはムシか!?」
 「……ポポイ、どうせ話についてこれないでしょ」
 「そんなことねーよ! オイラをバカにすんじゃねー!」
 「じゃあ、なんの話してるか言ってみて」
 「え?」
  逆に問われ、ポポイは一瞬きょとんとすると、
 「えーと……あー……」
 「とにかく、この街を出たら港まで戻って、すぐにセルゲイ達に船を出してもらって」
 「コラーーーーーーーーーー! オイラだってちゃんとわかってるぞ! クリスのねーちゃんたちをたすけるんだろ!?」
 「は?」
 「とにかくピンチなんだろ!? だったらオイラたちもいっしょに行ってたすけるぞ!」
  だめだ。まったく話を理解していない。
 「……私も行く」
  振り返ると、プリムは壁に立てかけていた槍を手に取り、ぼそぼそと、
 「そりゃあ……助けられてばっかだし。そんな力、ないのかもしれないけど。ケガを治すくらいなら、出来る」
 「言ったでしょ。迷惑だって」
 「それでも行く」
 「帰って。お願いだから」
 「……帰らない!」
  突然、大声で怒鳴り、槍柄を思い切り床に突き立てると、
 「どーせ私は嫌な女よ! 人の気持ちも考えないで、好き勝手な事ばっかり言って! 自分の都合が悪くなったら引っぱたくし泣きわめいてうやむやにする嫌な女! 考えてやんない! あんたの気持ちなんて考えてやるもんですか!」
  顔を上げると、目に涙を浮かべてこちらをにらみつける。
 「たとえディラックが帰ってきたとしても、私はあんたに付き合う! この槍を預かった時に、エリニースやルガー達と約束したの! なのにあんたをほったらかしてのこのこ帰ったんじゃ、私の面目丸つぶれじゃない!」
 「ルガーだってそこまで――」
 「うるさいわね! 決めたの! もう決めた! だってあんた、行くつもりでしょ!?」
 「…………」
 「人には帰れ見捨てろとか言っといて! 自分は見捨て切れないくせに、馬鹿なこと言ってんじゃないわよ! 置いてくなら置いてけばいいわ! 後から勝手に行くから!」
 「お、オイラもー!」
  プリムの勢いに蹴落とされつつ、ポポイも慌てて手を挙げる。
  ルガーのヤツ、余計なものをよこしてくれたものだ。軽く恨みながら、もはやつかない日がなくなったため息をつくと、
 「……あの城は、周囲は堀に囲まれて、正面からしか入れないから、会食のために来たって形で入るしかない」
  本当に後からのこのこ来られてはたまったもんじゃない。半ばヤケクソに、カートから預かった紙を机の上に広げる。
 「中に入ったら、そこからどうなるかわからない。いきなり捕まるかもしれないし、毒入りの料理が出てくる可能性だってある。残りのレジスタンスの情報やタスマニカの情報を吐かせるためにも、そう簡単には殺さない、とは、思うけど……」
  思うけど。
  そうは言っても、実際どうなるかなんて行ってみるまでわからない。むしろ、その場で殺される可能性のほうが高いくらいでは?
 「本当に和解する、なんてことは……」
 「だといいね」
  さっきの、思い詰めたようなクリスの顔が脳裏をよぎる。
  『逃げる』という選択肢だってあるはずなのに。リーダーとしての責任か、周囲からの圧力か。自分で自分を追い込んでいるみたいだ。
  プリムは、地図の一点を指さすと、
 「ねえ。この赤いバツは?」
 「気にしなくていい。そんなことより、逃げ道の確保」
  何が起こるかわからない以上、作戦など立てようがない。ならばせめて、何が起こっても逃げられるよう、退路を考えておいたほうがいいだろう。
 「橋が一本しかないけど……この橋が封じられたら、もう袋のネズミじゃないの?」
  その通りだった。
  城は高い塀に囲まれ、さらにその塀の外側を、深い水路が囲んでいる。塀のメンテナンスや修理のため、塀の外に出る扉が数カ所あるようだが、水路を渡れなければ意味がない。しかし、逆を言えば――
 「そんなもん! オイラの魔法があればぜーんぶカイケツだろ! 『コーテー』もやっつけてやるよ!」
 「あ。パメラさんに、レジスタンスと一緒に逃げるよう伝えておかないと」
 「あ! ムシかよ! オイラの魔法にさんざんたすけられといてなんだよ!」
  ポポイがぴょんぴょん跳んで自分をアピールする。本当なら、こんなちびっこ連れて行くわけないのだが、
 「……わかってるよ。脱出には、お前の力が必要だし」
 「おお、話わかるじゃん! まかせとけよ!」
  こちらの気持ちも知らず、無邪気にはしゃぐ。
  つくづく、無力だ。こんなお子様に頼らなければならない。
  自分が嫌になる。
 「……あの、ランディ」
 「なに?」
  振り返ると、さっき引っぱたかれた頬に、プリムが手のひらをぴたりと当てる。
 「ちょっと……」
 「じっとして」
  ほとんど痛みは治まっていたが、まだ少し赤かったようだ。残っていた熱が引いていく。
  プリムは手を放すと、
 「……色々ありがとう。ごめんなさい」
 「…………」
  うつむいたまま、謝罪する。
  顔を上げると、
 「パメラには、私から伝えておくね」
  そう告げると、返事も待たずに部屋を出て行った。
* * *
「パメラ。私よ」
  パメラがいるはずの、地下の一室の扉を叩く。
  洗脳は解けたと聞いたが、本人が怯えてしまい、自らこんな地下の部屋に閉じこもってしまったらしい。
  鍵が掛かっているかはわからない。しかし、開けてはいけない気がして、ドアノブには触れないまま、
 「あ、あのね。このアジト、もうじき危なくなるの。だから、レジスタンスの人と一緒に逃げて欲しいの」
  返事はなかった。しかし、かすかな物音がした。
  しばらく、ドアの前に佇む。
 「……あのね。言いたいことはいっぱいあるんだけど。なんだか、うまく言えないや」
  色々と言葉は考えた。しかし、何も出てこなかった。
  ドアに額を押しつけ――出てきたのは、
 「ごめんなさい」
  一番、伝えなければいけない言葉だった。
  反応はなかった。
  そもそも、こんな言葉を伝えて、一体、彼女に何を望んでいるのだ?
  許しか? 許してもらって、以前と同じ関係に戻るのか?
  なにか、違う気がする。
 「……ねぇ。パメラさえ良かったら、なんだけどさ」
  顔を上げると、ドアの向こうにいるであろうパメラに向かって、
 「私と、友達になってくれないかな? ……迷惑、かな?」
  やはり、返事はなかった。
  言いたいことは言った。もうこれ以上は何も言うまい。
  大きく息を吐くと、もたれかかっていたドアから体を離す。
 「……ディラックを取り戻せるよう、祈ってるわ」
  その声は、ドア一枚を隔てたすぐ向こう側から聞こえた。