自由の翼 前編 - 2/3

1.道化

「つくづく、希望の船ですよ!」
 医者が去った後、飛行艇の事を問うと、オニャンコポンはやや興奮気味に、
「ここは飛行船の研究所だけあって、技師もいるし人手もある。信じられますか? あの飛行艇を飛ばすために、エルディア人とマーレ人が協力して修理と改造をしたんですよ? ハンジさんは未来だけでなく、彼らの仲も繋げてくれたんです!」
 熱弁を振るった後、慌てて、
「あ……すみません。なんか、無神経なこと……」
「いや……別にいい。お前も、飛行艇も無事でよかったよ」
 それは本気で思う。飛行艇に燃料が残っていれば、あの猛攻の中、爆発していたかもしれない。そして要塞は今頃孤立無援だ。
 しかし同時に『みんな』無事であって欲しかったというのも正直なところだった。
 オニャンコポンは、吊った右腕をさすりながら、
「ホントは私が操縦したかったんですが、この腕なので。ここのパイロットも新人しか残ってなくて、そこがちょっと不安ですが……日没までには帰ってくる予定です」
 横になったまま窓の外を見ると、さっきより風が穏やかになっていた。
 自分がいるのはスラトア要塞の二階の一室だという。すぐ用意出来た個室がこの部屋だったそうだ。
「アルミンもさっきの飛行艇に?」
「はい。アズマビトの救助に。あれから三日も経っていますし、通りすがりの船に助けてもらっているといいんですが」
 通りすがる船などあるのだろうか。それは言わないでおいた。
 意識のない間に起こったことや現状を聞いていると、足音が聞こえてきた。
「――兵長!」
 慌ただしく駆け込んできたのはコニーだった。意識が戻ったことを知らされ、慌てて駆けつけたようだ。
 こちらの顔を見るなり、気が抜けたのかその場にへたり込むと、申し訳なさそうな顔で、
「その……すみませんでした。俺のせいで、足……」
「足? ああ……」
 左足のことはすでに医者から聞いた。どうやら今後は、杖と車椅子の世話になるらしく、もう少し具合がよくなったら一階に個室を用意してくれるそうだ。
 足のこと、不思議とショックはなかったのだが――どうやらコニーはショックだったらしい。自分の足でもないというのに。
「お前は大丈夫なのか?」
「え?」
「本当は、すぐにでもパラディ島に帰りたいんじゃないのか?」
 飛行艇が直ったということは、その気になればパラディ島にも行けるということだ。コニーだって、考えなかったわけでもないだろう。
「そりゃあ……今すぐにでも母ちゃんに会いに行きたいですよ。母ちゃんだって、人間に戻ったら戻ったで、いきなり一人ぼっちだなんて……」
 その辺は正直だった。しかし、顔を上げると、
「でも兵士になる時、母ちゃんに言われたんです。『みんなを守る立派な兵士になれ』って。……ここには困っている人がたくさんいる。今はここで、俺に出来ることをやって……それでいつか、堂々と胸張って母ちゃんに会いに行きます」
「そうか」
 どうやら答えは出ているらしい。コニーは立ち上がると、さっきより明るい顔で、
「兵長、その時は一緒に帰りましょう。みんなに俺の母ちゃん紹介しますよ」
「――失礼するよ」
 そこに、白髪の初老の男が入ってきたことで、話はそこまでとなった。
 この要塞の代表と名乗る男の登場でうやむやになったが、

 ――一緒に帰りましょう――

 コニーのその言葉に、すぐ返事が出来ない自分がいた。

「ホントよかったですね。キヨミさん達が無事で」
 翌日。ガビとファルコが、して欲しいことはないかやたらと聞いてくるので、とりあえず部屋の掃除を頼むと、十分もせずに道具をそろえて再登場した。
 黙ってやればいいのに、天気の話やら家族の話やら、当たり障りのないことをしゃべり続け、だんだんネタが切れてきたのか、前日のアズマビトの話になった。
 その話はすでにアルミンから聞いていた。飛行艇が航海中の船を見つけ接近したところ、甲板でキヨミ達が手を振っていたという。
 ファルコは床をモップで拭きながら、
「今も小舟で漂流してるんじゃあって思うと、おちおち寝てられなくて……オレのせいで、船沈めちゃったし」
「あれはファルコだけのせいじゃないでしょ」
 ガビが窓を拭く手を止めてフォローするが、ファルコは暗い顔で、
「でも、運良く助けてくれる船がなきゃ、昨日まで救命ボートの上だったし……」
「……アズマビトも、それは覚悟の上だったんだろ。それに案外、救助の船のアテもあったから協力したんじゃないのか?」
 ないだろうと思っていた通りすがりの船がいた――というわけではなく、地鳴らしが起こる直前、一足先にヒィズル本国に帰らせた別の船が、キヨミ達を案じて引き返してきたところを運良く発見してくれたらしい。もちろん、アテなどなくても協力したのかもしれないが。
 彼女達はそのまま、ヒィズル本国に帰るとのことだった。『必ず、パラディ島との和平の道を開く』と約束を交わして。
「――あ、横になってたほうが!」
 体を起こそうとすると、モップを壁に立てかけ、慌てて寄ってきた。
 正直言うと、体のあちこちが痛い。さすがに無理をしすぎたようだ。
 なんとか体を起こすと、
「あの時……お前らが来てくれなければ俺達は危なかった。そうなれば、地鳴らしは止まらなかったし、ここにいる連中も、アズマビトも終わっていた。感謝こそすれ、責めるヤツなんていねぇよ」
「…………」
「礼がまだだった。ありがとう」
 ファルコは一瞬、驚いた顔をしたが、うつむくと、
「その……すみませんでした」
 なぜか謝られた。昨日から、よく謝られる気がする。
 しかし、この少年と自分との間に、謝ったり謝られたりするような問題が発生した覚えはない。それどころか、今日までまともに話す機会すらなかったはずだ。
 困惑していると、ファルコは気まずそうな顔で、
「オレがもうちょっと早く飛べるとわかっていれば、ハンジさんを失わずに済んだんじゃないかって……」
 ガビも、ファルコの隣に来ると、
「アルミン達から、ハンジさんとは一番付き合いが長かったって聞いたから……辛いはずだって……」
 一体、何に気を使っているのかと思えば。
 やたらこちらの世話を焼こうとしていたのも、誰かに頼まれたわけでも、ケガ人に同情したからでもなかったらしい。
 ため息をつくと、
「お前の巨人が飛べるとわかっていようがいまいが、あいつは行っただろうし、お前らを戦わせようともしなかっただろう」
「でも……」
「でももクソもあるか。ガキが大人みたいな責任感じて、余計な気遣いするんじゃねぇ。わかったら二度とそのことで謝ったりするな」
「はぁ……すみません」
「ごめんなさい……」
 わかったのかわかってないのか。この二人だって、家族や仲間を亡くしたばかりだというのに。
 世の中には、とんでもなく悪いことをしておきながら、詫びひとつ入れないクソガキがいると思えば、自分がしたわけでもないことに罪悪感を覚える子供がいる。
 そんな風に育ててしまった大人に、内心舌を打つと、
「……たしかに、防げた死だったかもな」
 なんとなく天井の隅に目をやると、小さな蜘蛛の巣があった。まだまだ掃除が甘い。
「だがそれを言うなら、あの場にいた全員に責任はある。そもそも飛行艇が撃たれるなんてことがなけりゃあ、あんなことにはならなかったんだ」
 あの時――フロックの存在にもっと早く気づいていれば、阻止出来たかもしれない。自分の体が万全なら、代わりに行くことだって出来たかもしれない。
 いや、もっと過去にさかのぼるなら、『エレンを食わせる』という兵団の決断に従っていれば――なんなら、マーレでエレンを見失うなんて不手際さえなければ――そもそも、エレンを調査兵団に入れることを許したりなどしなければ――
 だが、どんなに悔やんでも時間は戻らない。未来なんて知りようがない。
 その時その時で『最善』と思える選択をし続けた結果、得られた『今』という現実を生きるしかないのだ。
 たとえそれが、『仲間を失う』という現実だったとしても。
「……あの、リヴァイさん?」
「あ?」
 目を向けると、なぜか一瞬、ファルコがすくみあがったが、
「その、具合がよくなってからでいいんですけど……よければ、調査兵団のこと教えてくれませんか?」
「あ、私も聞きたい。ここにいるみんな、知りたがってるんです」
 改めて『教えろ』と言われても、何から話せばいいのやら。
「調査兵団で一番強かったんですよね? 『人類最強の兵士』って呼ばれてたって」
「……とんだピエロだったよ」
 意味がよくわからなかったのか、二人はきょとんとした顔で、
「ピエロ?」
「本当に強ければ、ここにはいない」
 そう。ここにはいない。
 弱いヤツは嫌いだった。ずっと、弱いヤツから死んでいくのだと思っていたからだ。
 自分が生き残るのは、強いからだと思っていた。
「強いヤツは、みんな死んでいった。弱いヤツを守って。……俺は、誰も守れなかった」
 てっきり、あの戦いで自分も死ぬのだと思っていた。『人類』とかいう、どこの誰とも知らぬものを守って。
 すぐ同じところへ逝けると思っていたのに。
 ところが、一体何がどうしてこうなったのか。あのヒゲ野郎が突然、自らの心臓を捧げるなんてことさえしなければ。自分は、先に逝った仲間達と同じところへ逝けたかもしれないのに。
 人類を守って死ぬ。そんなカッコいい死に方をするのは自分だと思っていたのに、とんだ道化だ。
 あの男は、最後の最後まで、こちらへの嫌がらせに余念がなかった。
 ファルコとガビは一瞬顔を見合わせ、困惑した様子で、
「そんなこと……ないと思いますけど」
「地鳴らしを止めたのはリヴァイさんじゃないですか」
「……俺じゃねぇよ」
 さすがに少ししゃべりすぎた。
 横になると、どっと疲れが出てきた。二人も察したのか、余計なおしゃべりはやめて、掃除を再開する。
 掃除する音を聞きながら、ぼんやりと外を眺める。数日前は、ここから巨人の群れが迫ってくるのが見えたのだろう。
 しかし、それを止めたのは自分ではない。
 そもそもこの地にたどりつけなければ――仲間達を集め、共に島を飛び出さなければ、地鳴らしは止まらなかった。
 ジークが自らの意思で出てこなければ、地鳴らしは止まらなかった。
 地鳴らしを止めたのは、ハンジであり、ジークだ。
 弱かった自分は、守られてしまった。
 それだけのことだった。