妊娠発覚以来、例の彼はますますやさしくなった。
私が牛の世話に行こうとしたらすっ飛んできて、自分が代わりにやると言って仕事を次々取り上げた。
これまで私に甘えてきた孤児達も、私に赤ちゃんが出来たことを大喜びし、自分達で出来ることは自分達でしようと、張り切ってお手伝いをするようになった。
おかげで私はすることがなくなり、考え事の時間が増えてしまった。
本当なら、それは喜ばしいことのはずなのに。
愛する人と結ばれて、子を宿し、周囲がそれを祝福し、楽しみに待ち望んでくれる。幸せな期間だと思っていたのに。
なのに私ときたら、まったく逆だった。愛してもいない男を騙して子を作り、やさしくされればされるほど、罪悪感で胸が苦しくなる。
せめて何かしていれば少しは気が紛れただろうに、それすら出来ない。
庭先で揺り椅子に座って、乾いた洗濯物を取り込んでいる子供達の姿を眺めていると、自然とこの先のことを考えてしまう。
……エレンは本当にやるんだろうか。『世界を滅ぼす』だなんて。
そんなことするわけがない。今、マーレに行っているということは、そこにいる人達の顔を見ているはずだ。
それを見てなお、踏みつぶすなんて。そんなひどいこと出来るわけがない。
「ヒストリアーーーーー!」
名前を呼ばれ振り返ると、洗濯かごを抱えて、子供達が駆け寄ってくる姿が見えた。
お仕事出来たよと、どこか誇らしげな顔に、自然と頬が緩む。
そうだ。エレンはやさしい人だ。ここにいる子供達とも遊んでくれたじゃない。
『世界を滅ぼす』ということは、こことは別の場所にもいる子供達をも踏みつぶすってことでしょ?
そんなこと出来るはずがない。きっと何も出来ずにマーレから帰って――
次の瞬間だった。
突然降ってきた巨大な足が、一瞬で子供達を踏みつぶしたのは。
「――――っ!」
飛び起きると、ぐらぐらと体が揺れた。
全身から冷たい汗が噴き出し、心臓が早鐘のように鼓動する。
「……ヒストリア?」
「どうしたの? わるい夢みたの?」
荒い呼吸を繰り返し、たまらず胸を押さえる。
ようやく顔を上げると、子供達が心配そうな顔でこちらを囲んでいた。
飛び起きた拍子に、ぐらぐら揺れていた揺り椅子が動きを止める頃には、なんとか状況を把握した。
「ヒストリア?」
「あ、ああ、もう大丈夫。ヘンな夢見てたみたいだけど、忘れちゃった」
子供達に、無理矢理笑顔を見せる。
……そう。ただの夢だ。
悪い夢だ。
世界を滅ぼすだのなんだの、最近こんなことばかり考えているから、夢に見ちゃうんだ。もう考えるのはよそう。
第一あのエレンが、そんなだいそれたことをするのも、そんなひどいことも、するはずないでしょ。
彼の目的は、私達を救うことなのだから。
でも――それなら――
胸の奥底が、ちくりと痛む。
それはあの時の、避けられない現実。考えずにはいられない矛盾。
それなら――どうして『子供を作る』と言った私を、止めてくれなかったの?
きっとエレンは、なにも出来ずに帰ってくる。そんな都合のいい妄想で自分を慰めていたある日のことだった。
エレンが、マーレで失踪したという知らせが届いたのは。