世界一の悪い子 前編 - 3/5

2.殺す勇気

 ――お前さえ産まなければ――

「――――!」
 その声に、一瞬で意識が覚醒した。
 そしてすぐに、ああ、またか、と、いつもの夢であることを思い出す。
 しかしわかってはいても、全身は嫌な汗でぐっしょりと濡れ、心臓が激しく鼓動する。
 近頃、頻繁に見るようになった夢だった。
 いや、夢じゃない。実際にあったことだ。
 幼い私への、母からの最期の言葉。
「……ヒストリア? 大丈夫かい?」
 隣のベッドで寝ていた彼が、寝ぼけ眼で訪ねてくる。
「……大丈夫。なんでもない」
「一緒に行こうか?」
「いい。寝てて。水飲んでくるだけだから」
 相変わらず彼はやさしかった。彼がやさしければやさしいほど、自分の罪の重さに押しつぶされそうになる。
 台所に行くと、水瓶から水を汲み、一気に飲み干す。

 ――お前さえ産まなければ――お前さえ産まなければ――お前さえ産まなければ!

 何度も何度も、その言葉が頭の中に響いてくる。
 壁にもたれ、そのままずるずる床にへたり込むと、膨らんできたおなかに手を触れる。
 エレンが失踪したと聞いてからだった。この子は産んではいけないと考え始めたのは。
 下へ向かう階段を前に、ここから転げ落ちてやろうかと考えたこともあった。『自分のせいだ』と泣き叫ぶ彼の姿を容易に想像出来たので、出来なかったが。
 もしかすると、エレンは本気なのかもしれない。
 でも――だったらどうすればいいの? 兵団に言うの? 彼が失踪した理由を。
 そうすれば、兵団はどうする?
 エレンをそのままにしておく?
 そんな危険思想を持つ者に、この島の命運を握らせたままに?
 でも、もしかしたら――ミカサ達が、エレンを見つけて阻止してくれるかもしれない。
 少なくとも調査兵団の仲間達なら、エレンを守ってくれる。エレンだって思い直すはずだ。
 なのに私が先走って余計なことをしちゃ、台無しになっちゃう。
 そうだ。きっとそう。

 結局、私はまた逃げた。自分に都合のいい妄想に。
 すべての責任を、他人に丸投げして――