世界一の悪い子 前編 - 4/5

 サシャが死んだ。
 その日はつわりがひどいからと言って、寝室に引きこもった。本当は妊娠してから今まで、びっくりするほどつわりなんてなかった。今もそうだ。ああ、この子はなんて『いい子』なんだろう!
 いい子すぎて、私が嘘つきにならなきゃいけないじゃない!
「――ヒストリア。大丈夫かい? なにか食べたほうが――」
「――うるさい! あっち行って!」
 ドアの向こうの彼の声に、思わず怒鳴ってしまった。
 彼はただ、こちらの体を心配をしているだけ。わかっている。そんなことはわかっている。
 なのにこちらの気も知らず、のんきに体を気遣うそのやさしさが、今はただただ腹立たしかった。
 目の奥が痛い。
 泣いてはダメだ。私には泣く資格なんてない。サシャを殺したのは私。レベリオで、大勢の民間人を殺したのも私。
 私が最初から、ちゃんとエレンを止めていれば、誰も死ななかったのに。
 なのに私は、他人に丸投げした。誰かがエレンを思いとどまらせてくれると、虫のいい期待をした。
 他人の言葉で思いとどまるくらいなら、あの日の私の説得でとっくに思いとどまってたはずじゃない! なんてバカなの!
 泣いちゃダメだ。
 枕に顔をうずめ、涙を必死にこらえる。だけど抑えきれなかった。耐えきれずに涙があふれだし、喉の奥から嗚咽が漏れてくる。
 ダメだ。声を出してはダメだ。彼に聞かれるかもしれない。
 それだけはダメだ。私が泣いているなんて知れば、きっと彼は心配して、ずっと私の側を離れない。誰にも聞かれてはいけない。
 シーツを口にくわえ、思い切り噛み占める。これで少しは音も漏れないはずだ。
 結局私は、涙をこらえることが出来なかった。
 枕に顔を押し付け、口はシーツでふさぎ、音を立てぬよう静かに泣いた。
 どれくらいそうしていただろうか。
 いつの間にか眠っていたらしく、窓の外は薄暗くなっていた。

 それから私は、毎日を無気力に過ごした。戸惑った子供達は、私から距離を取るようになった。彼だけは、相変わらず私の体調を気にかけ、やさしかった。
 サシャの死から一か月経った頃だった。ザックレー総統が亡くなったと知らせが届いた。エレンの信奉者による爆弾テロだという。
 私の妊娠を知った時、困りつつも、それでも『めでたいことだ』と言ってくれた総統の笑顔を思い出す。
 もう、涙すら出なかった。

 エレンの声が聞こえた。
 すべてのエルディア人に向けての、一方的な宣言。
 その直後にすべての壁が崩壊し、壁の中の巨人が歩き始めた。
 近くの街の様子を見てきた兵士の報告では、壁の崩壊により多くの犠牲者が出ているという。
 しかしもっと信じられなかったのは、多くの犠牲者が泣いているその横で、戦勝パーティーが開かれているということだった。飲めや食えやのお祭り騒ぎだったという。
 狂ってる。
 大勢、人が死んでるのに。
 どうして、そんなひどいことが出来るの?
 誰も、泣いてる人達に寄り添ってあげないの?
 でもホントはわかってる。私も、歩いていく巨人の群れを遠巻きに見たから。
 あんな強大な力を見せつけられて、逆らえるわけがない。信奉するしかない。
 狂うしかない。
 ひざまずき、奴隷になるしかない。
 人類は、巨人には勝てないのだから。