壁が崩壊してから二日後の昼過ぎ、少しずつ詳細が届き始めた。どうやら壁の崩壊の直前、シガンシナ区にマーレの襲撃があったという。
その最中、大勢の兵士が死んだらしい。
兵士が死者のリストを持ってきたが、こちらに見せるのをためらっていた。臨月の妊婦の体を気遣ったのだろう。
しかし『女王の命令だ』と言って、半ば強引にリストをひったくった。
……女王の仕事なんてまったくしていないのに。こういう時だけ『女王』を振りかざすなんて。
自分で自分に反吐が出そうになる。
一枚で収まりきらなかったリストに目を通し――程なくして、背筋が凍り付き、足が震えてその場にへたり込む。
そこには、知ってる名前ばかりがずらりと並んでいた。何しろ犠牲者の名前が、兵団上層部ばかりだったからだ。
ピクシス司令も、妊娠した私を叱ってくれたローグさん、かばってくれたナイルさんの名前もあった。
どうしてこの人達が、こんないっぺんに?
「……ジークの脊髄液入りのワインをばらまかれ、それを口にした者がみんな巨人にされたそうです。放っておくわけにもいかず、殺すしかなかったと……」
私の表情を読み取ってか、兵士が苦々しい顔で教えてくれた。
私を巨人にしようとした人達が、巨人にされて死んだ。
なんなのそれ。まるで『仕返し』みたいじゃない。
私、そんなの望んでない!
震える指で、リストの最後の一枚をめくると、もっと信じられない名前があった。
「う、そ……」
ハンジ・ゾエ
リヴァイ
リストの最後のほうに、この二人の名前が並んでいた。
うそだよ。こんなの。
なにかの間違いだよね?
どうにか出来なかったの? エレン?
みんな、どうでもよかったの?
全部、壊さなきゃいけなかったの?
あなたは何がしたいの?
これでもまだ『私達のため』だなんて寝言言うの?
じゃあどうして私、こんなに苦しいの?
どうして私を苦しめるの?
わかんない。
わかんないよ。
「ヒストリア、大丈夫かい? 少し横になったほうが……」
顔を上げると、心配そうな彼の顔があった。
相変わらず、彼はやさしい。
でもこのやさしさは、どうせ過去の自責の念だ。私にやさしくして、過去の悪さを帳消しにしたいんでしょ?
だけどあなたは、私に石を投げたクソ野郎。その事実は変わらないの。
いっそのこと、全部ぶちまけてやろうか? 『別の男の頼みで近づいただけだ』って。『子種さえいただければ誰でもよかった』って。
そうすれば、その善人ヅラの仮面を投げ捨てて、怒り狂って私を殺してくれる? おなかの子、もろとも。
この子さえいなければ! 私は今ごろ巨人継承して、『立派な女王さま』としてみんなから尊敬されて、この島の頂点に君臨して! エレンにも、イェーガー派? だのにも好き勝手させたりしなかったのに!
この子さえいなければ!
……ああ、また人のせいにしてる。
――こいつを殺す勇気が、私にあれば――
また、かつての母の声が聞こえてきた。
わかってる。全部私のせい。
サシャやザックレー総統、ピクシス司令達も、ハンジさんも兵長も、私が殺した。
たくさんの仲間を殺した。
私にやさしくしてくれた人達、守ろうとしてくれた大人達、みんな殺した。守らなきゃいけない、大勢の民を壁の下敷きにして殺した。そして今、海の向こうにいる数えきれない大勢の人たちも、私が殺しまくってる。
もっと早く、兵団にすべて打ち明けてしまえばよかったんだ。
それもこれも、勇気がなかったからだ。
エレンを殺す勇気が、私にあれば。
お父さん、お母さん、やっぱり私はあなた達の子です。私に、あなた達を責める資格なんてありませんでした。
ユミル。約束破ってごめんなさい。
私、あなたが一番軽蔑する悪い子になっちゃいました。
――ドクンッ……
突然、胎動を感じた。
――あれ……?
大きくなったおなかに手を触れる。
待って。ちょっと早いんじゃない? でもこれって……
「ヒストリア!?」
痛みに耐えきれず、おなかを押さえてうずくまる。
間違いない。
この子、こんな時に産まれようとしてる!
お産は難航した。
陣痛は激しくなったり弱くなったりを繰り返すばかりで、日が沈んでずいぶん経っても、赤ちゃんは出てくる気配がなかった。
これは長丁場になりそうだと、医者と助産師の言葉が聞こえた。それはつまり、この痛みもそれだけ長く続くということだ。
これまで、つわりもなく『いい子』だったのに。ここに来て、私を苦しめるの?
でも、そうだよね。怒ってるよね。
自分は散々愛情を欲しがっといて、私はあなたに愛情も何も与えないんだもんね。
ひどすぎるよね。
こんなひどいお母さんなら、いないほうがいいよね。
『あなたさえいなければ』とか、そんなこと考えちゃってごめんなさい。
本当はわかっていたの。いなくなるべきは私だって。
あなたは何も悪くない。私の身勝手に振り回されただけの『かわいそうな子』。
「ヒストリア、がんばるんだ。がんばるんだ……」
彼は何度も同じ言葉を繰り返しながら、苦しむ私の背中をさすってくれた。自分が産むわけでもないのに、とても苦しそうな顔で、目に涙を浮かべて声をかけ続けてくれる。
私は、勝手にあなたのやさしさを疑って、あなたを傷つけようとしたのに。あなたが私を笑わせようと必死だったこと、知ってたのに。
あなたのようなやさしい人に、人殺しになってくれだなんて。この人にそんなこと、出来るはずがないのに。
ごめんなさい。
私はもうじきいなくなるけど、大丈夫。あなたにはこの子がいる。
あなたなら、一人でもきっと大事に育ててくれるよね?
私はこれから、自分の命と引き換えにこの子を産む。それで私の役目はおしまい。
それでいいんでしょ? エレン。
「――『おしまい』じゃねーよバーーーーーーーカ!」
――え?
思わず目を見開くと、もう何年も会っていない懐かしい顔がそこにあった。