自由の翼 後編 - 3/3

「まさか、見送りにも来てくれないとはな」
 港で手を振る人々が見えなくなり、手を下ろしながらながらジャンはぼやく。
 コニーも遠ざかっていく港の方角を見つめたまま、
「まあ、兵長の足とエレンの墓が相打ちになっても困るしな……」
「『相打ち』ってことは、墓砕けてるじゃねぇか」
 前日、到着した港町でのささやかな壮行会にも顔を出さず、その翌日である今日。パラディ島に向かう船が出航する時間になっても、リヴァイは姿を見せなかった。
 ピークは柵に頬杖をつき、
「見送りはともかく、行かないのは正解じゃない? 何されるかわかったもんじゃないし」
「うん、無理に来る必要ないと思う。……あの人、ちょっと苦手だし」
 一度殺されかけたトラウマか、アニはぽつりと本音を付け足す。
 ライナーは、その場にいる面々をぐるりと見渡し、
「今さら何言っても仕方ない。俺達だけで挑むしかないだろ」
 大使に選ばれたのは、かつてパラディ島で104期訓練兵として共に励んだアルミン、ジャン、コニー、ライナーとアニの五人と、ピークを合わせた六人だった。
 この顔ぶれに、ピークは半笑いで、
「あ、なんかダメな気がしてきた」
「なんでだよ!」
 反論したのはコニーだけだった。
「まあたしかに、兵長がいりゃあなんとかなりそうって気にはなるが……」
「ダメだよ。甘えてちゃあ」
 気弱なことを言い出すジャンに、アルミンは冷たく返す。
 始祖ユミルは、求められるまま延々と巨人を作り続けた。
 だから人々は、都合のいい時は巨人に頼り、都合の悪い時は巨人のせいにし、いつまでも巨人に甘え続けた。まるで大人に成長することを放棄した子供と、いつまでも子供でいて欲しい親のように。
 だからダメになったのだ。
「僕達にはもう、守ってくれる壁も、巨人もいないんだ。自分の足で歩かなきゃ」
 『甘え』が許されなかった壁の外の人類は、大量の物資や人を馬よりも早く運ぶ技術を生みだし、翼がなくても空まで飛んでしまった。自分達の力で。
 だから突き放してくれたのだ。かつて、自分の命と引き替えに送り出してくれた先人がそうだったように。
 空を見上げると、昼間にも関わらず、青空の中にうっすらと白い月が見えた。
「なあ、船ん中見て回ろうぜ」
「ヒストリアの手紙はちゃんと持ってきたか? 後で読みたいんだが……」
「何回読んでも内容変わらねーぞ」
 おのおの、好きなように散らばろうとする中――アルミンは突然、白い月を指さし、
「――人類はいつか、月に行くよ」
「……どした急に?」
「ヘンなもん食ったかー?」
 突拍子のない予言に全員足を止め、きょとんとするが、アルミンは月を指さしたまま、
「人類はいつか、この空だって突き抜ける。その時、もし人類がまだ地べたで争っていたら、ガッカリするよ。『あいつら、あんな狭いところでまだそんなみみっちいことやってんのか』って」
 その言葉に、ジャンはぼんやりとした目で月を見上げ、
「あー……そりゃーゆゆしき事態だ。阻止しねぇとな」
 全員、別に否定するわけでも笑いものにするわけでもなく、しばらく月を眺める。
 コニーがぽつりと、
「なぁ。月って何があるんだ?」
「知らねぇよ」
「悪いが俺も考えたことがない」
 ジャンは適当に流し、ライナーがくそ真面目に返す中、
「――私」
 突然、アニが挙手する。
 全員の注目が集まると、アニはまるで重大発表するかのように、
「……知ってる。月には――うさぎがいる」
 一瞬、静かになった。
 ピークは『ああこの子も、こんなジョークが言えるようになったんだ』と、吹き出す準備をしたが――それより早くコニーが、
「――マジか!? うさぎいんの!?」
「え?」
 ライナーも真顔で、
「うさぎがいるということは、肉は現地調達出来るということか」
「え?」
「待ってみんな。月のうさぎが僕達の知ってるうさぎと同じとは限らない。耳が三枚あって角生えてて口から溶解液発射して大きさだって十メートル超えてるかもしれない」
「それもう『うさぎ』じゃない」
 それは新種の巨人だ。
 ピークは、救いを求めるようにジャンに目をやると、
「まあ、お前ら。ここでぐだぐだ考えても仕方ねぇ」
 彼は不敵な笑みを浮かべると、月を指さし、
「行ってみりゃわかる」
『おおーーーー!』
 なにきれいにまとめた感出してんのこの人。盛り上がってる輪から少し離れた場所で、ピークは改めて、リヴァイの苦労が少しわかったような気がした。
 アニはアルミンの隣に来ると、月を見上げ、
「ねぇ。月って、いつ行けるようになるの?」
「そうだなぁ……ずっと先かもしれないし、案外すぐかもしれない」
 人が知らないこと、わからないことに挑み続ける限り、いつか。
「僕達が行けなくても、いつか、誰かが」

〈了〉