「ひ……ひどい目に遭った……」
「いやぁ、貴重な体験でしたねぇ」
同じようにアナグマに拉致されたというのに、ユリエルはいつものペースだった。
全員アナグマに運ばれてきたらしく、ダークプリーストから逃れることは出来たが、泥まみれだ。
「――やれやれ。あいつらときたら、もうちょっと穏便に出来ないもんかねぇ」
その声と妙なエンジン音に振り返ると、巨大な何かが草をかき分け、こちらに向かってやってきた。
「……戦車?」
自分達の前で停車した、オレンジ色に塗装された鉄の塊をぽかんと見上げる。
例えるなら、巨大なタルに車輪をつけたような形だ。天井には大砲らしき筒、左右には巨大なアームが取り付けられている。
ほどなく大砲の後ろのハッチが開き、姿を現したのは、ずんぐりした体格のドワーフだった。
頭には角のついた重そうな石の兜をかぶり、緑のツナギを着ているようだが、伸ばしっぱなしのヒゲと頭髪にほとんど隠れてしまっている。もしかすると、体よりヒゲと頭髪の占める面積のほうが広いかもしれない。
ドワーフは、戦車の上からこちらの顔ぶれを見渡し、
「災難だったな。ケガはねぇか?」
「助けて……くれたのか?」
まあ、そう考えるのが妥当(だとう)ではあるが、ロジェは半信半疑といった感じだ。この場にいる全員そうだろう。
ドワーフもそれに気づいたらしく、
「別に恩着せようってわけじゃねぇから安心しろ。俺はワッツ。ちょっくら鉱石を採りにポルポタ方面から来たんだが、そしたらまあ、おめぇらがダークプリーストに追われてるのを見つけてな」
言いながら、ワッツと名乗ったドワーフは、ハシゴを伝って戦車から降りる。
「あのアナグマはあんたのか?」
ジェレミアはたむろしていたアナグマに目をやるが、ワッツは首を横に振り、
「いんや。アナグマなんて、元々ここにはいなかった。十年前の戦の時、ここで採れる鉱石を発掘するために、ヴァンドールの連中が連れてきたんだ」
「ヴァンドール?」
そういえば、モティもそんなことを言っていたような気がする。
ワッツは懐からパイプとマッチを取り出し、
「で、戦が終わると、こいつらはもう用なしっつーことで、ここに置いてけぼりだ。置いてかれたアナグマ達もかわいそうだが、元々ここに住んでいたダークプリースト達にとっても、迷惑な話だろうな」
そう言うと、片手で器用にマッチを擦り、パイプに火をつける。
テケリは目をぱちくりさせ、
「アナグマさんがいると、なんで迷惑になるでありますか?」
「あちこち穴を掘るだろう?」
ワッツが指さした先を見ると、なるほど確かに、話をしている側から、アナグマが木の根本を掘っている。根本に穴を掘られては、小さな木だと斜めに傾くか、最悪、倒れるかもしれない。
「そうでなくとも、大がかりな発掘作業で山を荒らされている。その手伝いをしていたアナグマに、いい感情は持てねぇさ」
言いながら、適当な石に腰を下ろす。
「俺達だって武器を作る。そのためには材料が必要だ。だがな、その材料は大地が作り出した自然の恵みだ。……俺達は大地への感謝と敬意は忘れねぇ。掘った後は片づける。なのにヴァンドールはそんなのお構いなしに、荒らしたら荒らしっぱなしだ。後片づけもなんもしねぇ」
そう言うと、ふーっ、と煙を吐く。
――ここでもヴァンドール、か……
行く先々で、その国の名を聞く。
滅亡したと聞いたが、各地に残した傷跡は深いようだ。
――今ごろ……ペダンもそうなっているのか?
ここはいにしえのファ・ディールなのだから、『今ごろ』という表現も妙だが、それまで、南国の小さな島国でしかなかったペダンが、侵略国として世界中に知れ渡ったのは確かだ。
世界中を荒らすだけ荒らし、そのまま勝手に滅びて――
「…………」
「キュ?」
足下のラビがこちらを見上げていることに気づき、抱き上げる。
「ワッツさんは、アナグマさん達とおトモダチでありますか?」
「あん? トモダチっつーか……」
テケリの問いにワッツは目を丸くし、ゴワゴワのあごヒゲをなでながら、
「なんか、なつかれちまってなぁ。ここへは鉱石を採りにたまに来るんだが、穴掘ってたら、いつの間にか寄ってくるようになってな。もしかすると、仲間だと思ってるのかもな?」
そう言うと、ガハハと豪快に笑う。
「ところで……つかぬ事をお伺いしますが」
「なんだ?」
ユリエルは、ワッツが乗っていた戦車に目をやり、
「あの戦車は、ワッツ殿が作ったものでしょうか?」
「おうよ。元は捨てられたガラクタだったんだが、それを集めて俺が作ったんだ」
「これを一人で?」
改めて戦車に目をやる。
さすがにこんな機械のことは知らないが、金属を加工し、さらに動くようにするとなると、それ相応の技術がいるはずだ。
ユリエルは、これ幸いと言わんばかりに目を輝かせ、
「それでは、船の修理が出来たりはしませんかね?」
「船ぇ?」
ワッツは目を丸くしたものの、すぐに、
「どんな具合でぇ?」
「エンジンに負荷がかかりすぎ、発火してしまったんです。あと、装甲にも傷やへこみがあるんですが、なんとか出来ませんか?」
「ふむ……」
あごヒゲをなで、しばし考え込んだものの、
「――よし。ここで会ったのも何かの縁だ。まだ『直せる』と断言はできねぇが、診てやるぜ。俺は、発明家として結構有名だからな」
「本当に直せるのか?」
キュカは半信半疑だったが、ワッツは胸を叩き、
「おうよ。ロリマーにゃ、ボン・ボヤジとかいう発明家がいるらしいが、ポルポタじゃ俺のほうが有名だ。……そういや、ロリマーでマナの教団が船造ってるっつう話を聞いたが、そろそろ完成した頃じゃねぇかな?」
「なに?」
意外な言葉に、ジェレミアが目を丸くする。そういえば以前、マハルがそんな話をしていたような気がする。
ワッツはパイプの煙をくゆらせ、
「なんでも、すげぇ大砲がついてるってウワサだぞ。なんなら、おめぇらの船にもつけてやろうか?」
「いりません」
ユリエルは笑顔でキッパリ断るが、ワッツも笑顔で、
「遠慮するな。盛大に二つ、三つ、人が入れるくらいのを取り付けてやる」
「いりません」
「俺が考えた大砲の中に、弾の代わりに人を入れて長距離飛ばすってのがある。これがうまくいったら、離れた場所まで一瞬で人を送り込むことが可能になるぞ」
「それはちょっと欲しいかもしれません」
「なら、最初のテスト飛行は代表してお前がやれ」
「やはりいりません」
「そうか。残念だな」
「……そもそも、大砲で人吹っ飛ばしたら死にますにゃ……」
こちらの適切なコメントに、ユリエルは大砲を断り、ニキータもぼそりとつぶやく。
「それにどうせにゃら、日常生活に必要にゃ施設のほうが……」
「私専用の個室が欲しいから作っていいぞ。むしろ作れ」
「あ、わたしもー」
「ニキータの意見には賛同しますが、あなた方の意見には賛同致しかねます」
手を挙げるこちらとエリスのもっともすぎる意見を、ユリエルはなぜか却下した。
「そんなことは後でいいだろう。問題は、動くようになるかだ」
「それもそうですね」
ジェレミアの言葉に、ユリエルもひとつうなずく。
それにしても、こんなところで技師が見つかるとはなんとも幸運な話だ。後は、ワッツの手に負えるかどうかだが、仮に手に負えなかったとしても、そこから糸口が見つかるかもしれない。
そんな期待が湧く中――ロジェがぽつりと、
「……なあ、それはいいんだけどさ。俺達、なんでこんなところにいるんだっけ?」
…………。
『あ』
「……本来の目的を忘れるところでした」
確かに船も問題だが、温泉の問題も、引き受けた以上、ほったらかしにするわけにはいかない。
「まさか、ダークプリーストがあんなに迷信深いとはな」
ジェレミアの言葉に、全員首を傾げて黙り込む。
まさか双子という理由だけで、あそこまで執拗に追われるとは夢にも思わなかった。まさに問答無用だ。
あの様子だと、捕まったが最後、本気で処刑されるかもしれない。別に好きこのんで双子として生まれたわけではないのだが……
ロジェはため息混じりに、
「双子って、そんなに悪いものかな?」
「……たしかに双子に関する言い伝えは色々あるが……あまりいいものはないな」
なんとなく、双子にまつわる言い伝えを思い出す。
「本来、一人ずつ生まれるものが、複数一緒に生まれるなど犬畜生と同じだとか双子を身ごもった母親は鬼畜腹と言われ、根拠もなしにとにかく不吉と言い張ったり、中には殺してしまえとか……母上……おいたわしや……」
「兄さん……そういうネガティブな言い伝え、わざわざ調べないでくれよ……」
出来ることなら知らないでいたかった……そんなロジェの心中がひしひしと伝わってくる。
「まあ、双子が歓迎されないのは、単純にお産が大変とか、跡継ぎ問題とか、そういったトラブルが起こりやすいからでしょうね」
「で、でもまあ、一回のお産で子供が二人! 二倍でお得と思えば!」
『…………』
まるで『これひとつ買えば、今ならオマケで同じものをもうひとつ!』と言わんばかりのノリだった。ニキータらしいと言えばらしいが。
ジェレミアも、めずらしくこちらを励ますように、
「お前達はまだマシだ。体術も魔法の能力もきっちり半分こした中途半端な役立たずが二人いるよりは、得意・不得意の分野がはっきりした、その道のスペシャリストが二人と思えば単品でも使い道はある」
『…………』
キュカは小声で、
「せめて、『短所を補い合える』とか言おうぜ……」
「……何かまずかったか?」
無駄に傷ついただけだった。そして聞こえている。
ワッツは、吸い終わったパイプの灰を捨てながら、
「まあ、事情はよくわからんが、今日はこれで終いにしようや。俺の隠れ家に泊まってきな」
「うきょ! 隠れ家でありますか!?」
テケリは目を輝かせるが、こちらはぽつりと、
「……何から隠れてるんだ?」
「バカヤロウ! 『隠れ家』とか『秘密基地』っつーと、幼き日のあこがれだろーが!」
「…………。よくわからん……」
「うきょきょ! ワッツさんは子供のキモチがわかるであります!」
テケリはワッツが気に入ったのか、すっかり乗り気だ。
しかしロジェは、眉をひそめ、
「でも、いいのか? そんなに親切にしてもらって」
「ま、困った時はお互い様だ。――ボウズ、なんなら一緒に乗るか?」
「ボウズじゃないであります! テケリであります!」
そう言いつつも、テケリはすでに戦車のハシゴをよじ登っている。
「おい、テケリ!」
「まあ、ここはお言葉に甘えましょう。悪い人ではなさそうですし」
呼び止めようとするロジェを制し、ユリエルも、ワッツの言う通りにするつもりのようだ。
テケリに続いて、ワッツもハシゴを上り、
「それじゃあ案内してやるから、ついてきな。船の詳しい状態も聞きたいしな」
そう言うと、ワッツはテケリと一緒に戦車の中へと姿を消し、ほどなくして、戦車がエンジン音を立てて動き出した。
「ついたぜ」
拡声器からワッツの声が聞こえ、戦車が停車する。
ハッチが開き、ワッツはこちらを見下ろすと、
「イシュに石掘りに来た時は、ここを使ってるんだ。好きに使っていいぞ」
そう言って、リュック代わりなのか、ヒモのついたタルを担いで戦車から降り、案内する。
隠れ家と言っても、その入り口はどう見ても洞窟だ。切り立った崖のふもとにぽっかりと穴が空いている。
しかし中に入ると、意外と広かった。
「へぇ……生活に必要なのがそろってるんだな」
中を見渡し、ロジェが感心した様子でつぶやく。
どうやら、元の洞窟をさらに掘って改良したらしい。入って最初の部屋には煮炊きをするためのかまどがあり、その横には薪が積んである。
近くに鍋や食器の入った棚や食料も置かれ、奥にはカーテンで仕切った小部屋がいくつかあるようだ。
「すごいであります! これ、ワッツさんが作ったでありますか?」
「おうよ。最初は雨風しのげていいやくらいだったんだが、ついついあれこれ作っちまってな。すぐそこに温泉も湧いてるぜ」
「ホント!?」
『温泉』の言葉に、エリスが目を輝かせる。昨日、本物の温泉ではなかったことに文句を言っていただけに、温泉を楽しみにしていたらしい。
ワッツはタルのリュックを下ろし、全員を見回すと、
「泥まみれだし、明るいうちに入ってきたらどうだ?」
「いいでありますか? レニさん、いっしょに入るであります!」
テケリの言葉に、ぎくりとする。
「い、いや……私はいい……」
しかしテケリは、こちらの手を取り、
「でも、泥まみれでありますよ?」
「いいと言っている!」
怒鳴ると、思い切り手を払いのける。
テケリは驚き――そして、なんとなく傷ついたような顔をしたが、無視して背を向ける。
「レニさん?」
「…………」
ニキータがこちらの顔をのぞき込もうとしてくるが、それから目をそらす。
右肩が、ざわざわとうずいているような気がした。
とっぷりと日が暮れ、皆が寝静まった頃を見計らい、魔法の明かりを灯して温泉に向かう。
ワッツが言っていた通り、隠れ家のすぐ近くに湧いており、辺りには湯気と熱気が漂っていた。
「……ふむ。確かに、町の温泉とは違うな」
白濁した湯船に手をつけてみると、ずいぶん熱い。
宿でも一人でこっそり入ったのだが、あちらは水で薄めるなどして温度を調節しているのだろう。
それに温泉特有のにおいというものも、こちらのほうがきつい。やはり、偽物と本物の差だろうか。
念のため、誰もいないことを確認すると、服を脱いで湯船につかる。
少し熱かったが、無理して肩までつかると、体にこびりついた泥を洗い落とす。
「――キュゥッ!?」
振り返ると、濡れた岩で滑ったラビが湯船の中に転落し、テケリが忘れていったらしいダックソルジャーの人形が激しく揺れた。(なぜそんなものを持ってきていたのか謎だったが)
「……何やってるんだお前は」
「ギュゥ……」
湯船から引き上げてやると、ラビは飲んだお湯を吐き出し、熱そうに体をぶるぶる震わせる。
ラビを適当な場所に置くと、揺れるダックソルジャーの人形に目をやる。
人形の揺れはだんだん小さくなり、やがて、揺れが収まる。
揺れが収まったところで、人形――正確には、人形の真下の湯に意識を集中させ、少しずつ、周囲の湯が渦を巻き始める。
「キュ?」
ラビが不思議そうに鳴くが、集中を続ける。
ほどなくして、お湯が渦を巻きながら吹き出し、そのお湯に押し上げられて人形が浮かび上がる。
「キュゥッ! キュ~ゥ!」
その光景に、ラビが嬉しそうに耳をぱたぱた振っていたが、こちらはその状況を維持しながら、時間を数える。
十秒、二十秒となんとか維持するが――三十秒と保たずして湯柱は消滅し、人形が湯船に落ちた。
「…………」
――こんなもの……なのか……
揺れる人形を眺めながら、ため息をつく。
この辺りは特にマナが少ないようだが、それを差し引いても力が弱まっている。
これでは、船などとても――
「――よう。湯加減はどうだ?」
「こんな夜中に一人風呂か。寂しいやっちゃなぁ」
「…………」
サラマンダーとウンディーネが姿を現し、辺りを照らす。
正々堂々来るのはどうかと思ったが――よくよく考えてみれば、精霊に性別の概念などないのかもしれない。ウンディーネの一見女性のような姿も、しょせんは形だけのものだ。
ルナも姿を現し、
「肩の具合はどう?」
「……見ての通りだ」
右肩を目をやると、あの不気味な模様は相変わらず消えない。
それどころか、ノルンではまだ手の平で隠せる程度だったものが、ほんの数日で、手の平からはみ出るまでに広がっている。
「大丈夫ダス。きっと消えるダス~」
「どうだか……」
ジンの言葉も、もはや励ましにもならない。
「ウチらにウソは通じへんで。めっちゃ怯えとるやんか」
「…………」
そうかもしれない。
いつも死ぬことを望んでいながら、心のどこかに、死を恐れる自分がいる。
今さら、恐れるものなどないはずなのに……
「……人って、不思議ね」
顔を上げると、ルナは漂いながら、
「死ぬことを望みながら、生きたいと願う……殺したいほど憎いのに、同時に傷つけたくないと思っている。どうすれば一番いいのか本当はわかっているのに、どうしてもそれが出来ない。だから苦しくて、いつも迷っている」
「…………」
重苦しい空気に耐えかねてか、サラマンダーが体の炎をふくらませ、
「あー、まったく! 陰気なツラしてんじゃねぇ! お前は考えすぎなんだよ! 楽しい時は笑う、泣きたい時は泣く! それでいいじゃねーか!」
「……お前くらい単純だったら、楽なんだがな」
それだけ言うと、湯船から上がろうとして、
「――――!?」
突然、ゾクッ! と、背筋に寒気が走る。
「なんだ? なんか今――」
精霊達も何か感じたのか、周囲を見渡す。
ほんの一瞬だったが、すさまじい邪気を感じた。
体を拭くのもそこそこに、慌てて服を着て邪気の出所へと向かう。
勘を頼りに茂みをかき分け――
「――きゃっ!?」
突然、向こうからやってきたエリスとぶつかりそうになり、慌てて後ろに下がる。
「……何やってるんだ?」
「そ、それはこっちのセリフよ! 驚いたじゃない!」
口をとがらせるが、明らかに焦っている。
さっき感じた邪気はすでに消え去り、もう何も感じない。
「今のは……」
「エリスさん、こんな時間に何やってたダス?」
ジンの問いに、エリスはこちらに目をやり、
「今夜あたり、魔法の練習でもやるんじゃないかと思って探してたのよ。みんなも眠らせておいたわよ」
「…………」
それにしては妙な場所にいたような気がしたが――深くは追求せず、
「……今日はもういい。戻ろう」
「あんた温泉入ってたの? ちゃんと拭いた?」
無視して隠れ家に戻ると、入り口の前でワッツがたき火でお茶を沸かしていた。
「……全員眠らせたんじゃないのか?」
「いなかったのよ。戦車にでもいたのかしら?」
言いながら、茂みから出る。
「――よう。こんな時間にどうした?」
ワッツもこちらに気づき、座るよう手招きする。
ワッツを挟むような形で座ると、ワッツはいったん隠れ家に戻り、新たにカップを二つ持って戻ってきた。
なんとなく隠れ家に視線ををやり、
「……あっちにかまどがあるだろう?」
「あん? ま、いいじゃねぇか」
そう言うと、空に目を向ける。
つられてこちらも空に目を向けると、木々の合間から、星が見えた。
「…………」
「穴ン中じゃ、見れねぇからな」
そう言うと、たき火にくべていたヤカンからカップにお茶注ぎ、こちらに手渡す。
それからしばらくの間、特に何を言うでもなく、虫の鳴き声と時折吹く風で、木々がこすれあう音だけが響く。
昼間の騒がしさが嘘のように、静かな夜だった。こうして星を見ていると、まるでこれまでのことすべてが夢か何かだったのではないかとさえ思えてくる。
「それにしても、今日は大変だったな。ダークプリーストに追われてるのを見た時は驚いたぞ」
ワッツが口を開き、視線をそちらに向ける。
「別に何もしていない。向こうが勝手に襲いかかってきたんだ」
「ま、そうだろうな。ダークプリースト達の迷信深さにゃ困ったもんだ」
「でも、双子が不吉なんて初めて聞いたわよ。仮にそうだとしても、それだけで殺そうとする? 普通」
「…………」
確かに、不吉というだけで命を狙われるなど、たまったものではない。
不吉といえば――
「……そういえばお前、合わせ鏡がどうとか言っていたな?」
「ああ、あれね」
エリスはお茶を一口飲むと、
「合わせ鏡はね、未来を映すんだって」
「未来?」
「ずーっと続いてるでしょ? その中のどこかに、未来が映ってるんだって」
「その中のどこかに、悪魔が映っているとも言うが?」
こちらの皮肉に、エリスは眉をつり上げ、
「そーゆーひねくれたこと言ってんじゃないわよ。同じ信じるなら、いい迷信のほうがお得でしょ」
「…………」
損得の問題なのだろうか?
ワッツも笑いながら、
「ま、迷信ってのは、理由を突き詰めてみりゃあ、大抵、子供に言うこと聞かせるための大人の小細工か、あとはつまんねぇもんさ。気にしたらキリがねぇ」
そう言うとワッツはカップを置き、ポケットから何かを取り出す。
「それは?」
「指輪だ」
ワッツが取り出したのは、見覚えのある指輪だった。そういえば、ロジェが左の人差し指につけていたのもこんな指輪だったような……
「ロジェのやつ、つけっぱなしで温泉に入っちまったらしくてな。真っ黒だ」
そう言うと、布――専用のクロスらしい――を取り出し、すっかり黒くなった指輪を磨く。
そういえば、温泉の成分によっては、金属を炭化させることがあると聞いたことがある。炭化……
…………。
「あ」
慌てて、首から下げていたヒモを引っ張り、その先にくくりつけていた小さな指輪を手に取る。
エリスは目を丸くし、
「ちょっとあんた! その指輪って……」
「…………」
暗くて気づかなかったが、たき火にかざすと、指輪は見事に真っ黒になっていた。
ワッツは笑いながら、
「あーあ。兄弟そろってうっかりしてるな。貸してみろ」
一瞬迷ったものの、結局、ヒモから指輪をはずし、ワッツに手渡す。
「ずいぶんちっちぇえ指輪だな。子供の頃のか?」
「私のものではない」
「そうか」
深くは追求せず、ワッツは黒くなった指輪をまじまじと眺め、
「安心しな。こんなもん……ホレ。表面磨きゃ、すぐピカピカだ」
そう言うと指輪を少し磨き、一部だけキレイになったものこちらに見せる。
「なんか文字が掘ってあるな。せっかくだ。こん中もキレイにしてやる」
「そんなところも磨けるのか?」
「ちょっと掘り直すだけだ。こんなの簡単だ」
取り出したルーペで指輪を観察しながら、あっさりと答える。
確かにドワーフは手先が器用だと聞いたことはあるが、こんな小さな指輪をこの無骨な手が磨けるとは正直信じられない。
「――クチュッ!」
突然、ラビがくしゃみをして、視線が集まる。
そういえば、ロクに体も拭かずに服を着たので、少し寒くなってきた。
「湯冷めしてるんじゃないの? 今日はもう休みましょ」
エリスの言葉に、ワッツも顔を上げ、
「おめぇら、明日も歩き回るんだろ? この指輪、ちょっと俺に預けろ」
「なに?」
こんな知り合って間もない、信用していいのかどうかもわからない相手に預けて大丈夫なのかと思ったが――ワッツはお構いなしに、
「安心しな。明日にゃ新品みたいにして返してやる」
「金は?」
ワッツはきょとんとした顔で、
「金ぇ? こんなもんで金なんか取れねーだろ。気にすんな」
「なに?」
今度は、こちらが目をぱちくりさせる。
町などを見て回るうちに、外の世界というやつは、食事や寝床に限らず、ちょっとしたものでも金を取るものだと――皆、損得で動いているのだと思っていた。
「……お前にしてみれば、私達は得体の知れない集団だぞ? 助けて何の得がある?」
「あん? 助けちゃいけねー理由があんのか?」
「…………」
さも当然と言わんばかりの返事に、言葉をなくす。
「金なんか、墓場まで持っていけねーからな。それに俺は、金がないならないなりに、どこででも生きていけるタイプだ。そんなもん気にすんな」
「…………」
「別にいいんじゃないの? 大事な指輪が真っ黒のままじゃ、かわいそうでしょ」
「……わかった」
結局うなずく。
エリスの言う通り、不思議と、信用しても大丈夫な気がした。
それにしても――
「お前……変わってるな」
「俺から言わせりゃ、お前らもそうとう変わってるぞ」
そう言うと、ワッツは豪快に笑った。
翌朝。
ワッツに見送られ、再び密林に繰り出す。
繰り出すが、
「どうする? 昨日と同じになるんじゃないのか?」
ジェレミアの問いに、ユリエルはすでに策を練っていたのか、指を一本立て、
「これはどうでしょう? 適当なダークプリーストを一匹捕まえる。そしてそのダークプリーストと引き替えに話し合いの場を設ける」
「人質ですかにゃ?」
「人聞きが悪いですね。『話し合い』と言っているでしょう」
「…………」
断言するユリエルに、ニキータはそれ以上何も言わなかった。
他に良案もなく、とりあえず、ダークプリーストの村へと向かう。見つかる前に捕らえねばならないので、周囲を警戒しながら進む。
進むが――
――ぱさっ。
『あ。』
頭上から降ってきた網に、全員足を止めた。止めざるを得なかった。
「結局昨日の二の舞か!」
「そういえば浮いてますしねぇ。『頭上注意』の看板でも立てておきましょうか?」
走りつつも、ユリエルからはなぜか余裕さえ感じた。特に余裕になる理由はないのだろうが余裕だった。余裕でいたいだけなのかもしれない。
今度は空から攻めてきたダークプリーストから逃げ回り、適当な岩場に隠れる。
ジェレミアは息を切らしながら、
「人質に取るのも無理だな」
「たぶん、人質とっても襲いかかってくるんじゃねーか? あれ」
そう。キュカの言う通り、ダークプリーストはやはり話し合いになど応じず、人間――いや、双子を殺すことに、鬼気迫るものすら感じた。
ユリエルも、こちらとロジェを順に見やり、
「何が何でも、双子を始末しようとしているみたいですね」
『…………』
別に自分達が悪いわけではないのに、なんとなくその視線が、痛い。
ニキータも気の毒そうに、
「やはり顔を変えるしか……」
「そうよ。昨日言ったみたいに、どうせならもっとイケメンにしてもらいなさい」
「隠すとか変装するとか他にも色々あるだろう……?」
「そんなにこの顔ダメか……?」
笑顔で言い放つエリスに、引きつった声で返す。仮に整形したとしても、双子という事実に変わりはないのだが……
「バカなこと言ってないで、もうちょっとまともな意見は言えないのか!?」
しびれを切らしたように、ジェレミアが怒鳴る。
そんな中、一人考え込んでいたユリエルが顔を上げ、
「――仕方ないですね。プランBに作戦変更です」
『プランB……?』
なんとなく、一抹の不安を感じた。
感じたが、聞くしかない。そしてユリエルも説明を始める。
「これまで、彼らは致命傷を与えるような攻撃はしてきませんでした」
「はあ。確かに、網とか石を投げてくるとか、そんにゃのでしたにゃ」
ニキータも同意する。確かに、どちらかというと『捕らえる』ことが目的といった感じだった。
「それに彼らは、双子を殺すのではなく『死刑』にすると言っていました」
ユリエルが何を言いたいのかわからず、とりあえず話の続きを促す。
「それで?」
「『刑』というものは、『執行』されるものです」
「……で?」
さらに促すと、彼は饒舌(じょうぜつ)に、
「刑が執行されるまでには時間がかかります。なぜなら刑を執行するための準備が必要だからです。あと、法的な手続きとか、時間とか、まあ、とりあえず猶予期間というものが発生します」
「…………」
とりあえず、促さずともしゃべりそうだったので、黙っておく。嫌な予感がする。
そして、予感は的中する。ユリエルは笑顔で、
「二人一緒に捕まってみてください」
『なんでだ!?』
ロジェとまったく同時に不満の声を上げるが(昨日もこんなことがあったような気がする)、ユリエルは笑顔のまま、
「このままでは状況を打破できませんし。話をするチャンスといえば、やはりしっかり捕まって、彼らが安心した時ではないかと」
「だからって、なんで殺す気満々のヤツらに捕まらなきゃならないんだ!?」
「そうだ! 猶予期間ゼロでその場で死刑執行されるかもしれないだろう!」
「処刑法とは国によって違います。絞首刑かもしれないし電気イスかもしれません。犯人が抵抗したらその場でやむなく処刑するかもしれませんが、抵抗さえしなければ、とりあえず法律に則った方法で身柄を確保し、次は裁判です。刑が執行されるのは、裁判で判決が下ってからです」
「ダークプリーストに法律だの裁判だの、そんなものがあるのか!?」
「そうは言いましても、このままでは追われるだけですし。ようするにあれです。虎穴に入らずんば虎児を得ず」
「それ違う! 絶対違う!」
二人がかりで必死に抵抗するが、次の瞬間、背後から、がしっ! と、何者かに肩をつかまれる。
「――いいから……やれ」
『…………』
こちらとロジェの間から顔を出し、ジェレミアはドスの効いた声でそう言い放つ。
そして、ユリエルがロジェの帽子と腰に下げた剣を取り上げ、キュカもこちらの杖を取り上げ、テケリもラビを抱き上げ――
「それでは、頃合いを見計らって救出に向かいますので、頼みましたよ?」
ユリエルが、有無を言わさぬ笑顔で言い放つと、自分達を除く全員が、一斉に近くの茂みに向かって退散する。そして、
「――見つけたぎゃー!」
背後から、ダークプリースト達の声が聞こえた……