5話 勇者の紋章 - 2/4

 やれるだけやってみる。
 そう言ってはみたものの。
「……大丈夫か?」
「……大丈夫そうに見える?」
 全方向から感じる好奇の視線に、まるで地に足が付いていないような、奇妙な錯覚に陥る。
 何人か挨拶に来たが、まるで頭に入ってこない。どうせ二度と会うことはないだろうから、覚える必要はないだろうが。

 ――ルガー、来なくて正解だったかも……

 自分だって、注目を集めるのは嫌いなのだ。
 おまけにここにいるのは、いつもこぎれいな格好をした、それなりの身分の面々。服装だけちゃんとしても、仕草や雰囲気まではどうにもならない。
 胃が痛い。出来れば今すぐ帰りたい。
 だが、踏みとどまらなければならない。
「ところで、褒美はどうする?」
「褒美?」
「王国としても、手柄を取った者を手ぶらで帰すわけにもいかないからな。金でもなんでもいいから、もらえるものはもらっておけ」
「褒美……」
 しばらくして、静かになる。国王がお出ましのようだ。
 初めて見たが、王位を継いだのはほんの数年前だったはずだ。付き人と共に現れたその姿は、自分が言うのもなんだが――なんとなく、頼りない。
 彼は王座に着き、集まった面々に軽くねぎらいの言葉をかけ――こちらに、前に出るよう呼ぶと、
「そなたのこたびの働き、見事であった。ジェマから子供が聖剣を抜いたと聞いた時は心配したが……いやはや、実に凜々しい若者で安心したぞ」
「はあ……」
 お世辞に、適当に会釈しておく。一応こういった時の礼儀作法は事前にジェマから教わったが、すでに頭の中から消えていた。こうなると、もうヤケクソだ。
「今回の件、誠に困っておったのだ。まさか帝国が絡んでいたとは……すっかりだまされたわ。結果として、魔女の討伐隊は送り損で役に立たなかったしな。それに引き換え、お主はどうだ。いやはや、その若さで帝国四天王の一人を退けるとは、実にめでたい」

 ――めでたい……

 どこがだ。
 街では、個人商店がなんとか経営を始めたが、逃走した市場の責任者が不在で再開の目処が立たず、物資不足だ。
 あちこちで葬儀が行われたり、病が悪化して苦しんでいる人もいる。
 そして今だって、恋人と親友を奪われ、プリムは泣いているのに。

 泣いているのに。

「さて、前置きはここまでとしよう。王国の危機を救ってくれたそなたに、褒美を与えたい。なにが望みだ?」
「望み……」

 ――アンタなら……アタシらみたいなはみ出し者も、救ってくれる。

 脳裏に、エリニースの言葉がよぎる。
 ……誰も、助けてはくれないと思っていたのに。
 期待なんて、するだけ無駄だと思っていたのに。
「……なんでもいいんですよね?」
「むろんだ。金でも家でも、なんでもやろう。嫁さんが欲しいなら、似合いの娘を世話してやってもよいぞ」
 どっと笑いが起こるが、それは無視して、
「では、森と、名誉の回復を」
「森? どこの?」
「妖魔の森。それと、魔女エリニースの名誉の回復」
「なんだと?」
 一瞬で、静かになった。
 王の顔が一瞬引きつったが、すぐに声を出して笑い出すと、
「おもしろい冗談を言う。……だが、あいにくあの森は危険だ。近々、焼き払う予定をしておる」
「だったらなおさら、僕にください」
「ならば、あの森に相当する金をやろう。どうだ?」
「じゃあ、そのお金であの森を買います。売ってください」
「……森など他にもある。そっちで手を打たぬか?」
「いいえ。妖魔の森がいいです」
「もっとこう……他に欲しいものはないか? いくつか言ってみろ。それを全部やろう」
「妖魔の森と、エリニースの名誉。この二つ以外、望むものはありません」
「――子供が生意気言うな!」
 とうとう、身を乗り出して怒鳴る。
「あの森は危険だ! 魔女がいなくなり、これから獣人達が好き勝手を始めるだろう。おまけに魔女の名誉だと? ますます獣人どもがつけあがる! そうなる前に、手を打たねばならぬ!」
「――そうやって、自分達に都合の悪いものは切り捨てるんですか!? あの森は、守るべきこの国の一部ではないんですか!?」
 まさか怒鳴り返されるとは思っていなかったのだろう。一度は乗り出した身を王座へ引っ込める。
「あなた達は、あの森を危険な生き物の巣窟としか思っていないようだけど、あの森は、この辺り一帯の瘴気を吸収し、人が住める場所にしてくれている。あの森を失うということは、王国の滅亡を意味しているんですよ! それでもいいんですか!?」
「なんだと?」
「毎年、浄化しきれなかった瘴気であの森の獣人や生き物達が死んでいる。本来、人間が受けるはずの報いを、どうして彼らが受けなきゃいけないんですか! どうせ死ぬのはケダモノだから、どうなってもかまわないとでも!?」
「――貴様! 陛下に向かって無礼だぞ!」
「この人と話してるんです! おじさんは黙ってて!」
「おっ……」
 偉そうなおっさんの手を払いのける。
「魔女エリニースの、遺言状です」
 ルガーが届けてくれた巻物を差し出す。
「自分の死後も森の存続を認めるよう、森の重要性が書かれています」
 駆け寄ってきた高官に手渡すと、すぐ国王に届けられる。
 国王は巻物を広げて中身を確認し――青ざめた顔で、
「こ、こんなもの無効じゃ。第一、本物かどうかも怪しい」
「そうですか。でも、もうそんなことはどうでもいい」
 本当は、森の重要性を訴えるだけのつもりだったのに。
「あなた達は、あてにならない」
 少しでも恐れていた自分がバカバカしい。
 タナトスと比べれば、みんなただのおっさんだ。こんな連中に任せるくらいなら、いっそ。
「あの森を、焼き払うなんてさせない。そんなに邪魔でいらないものだと言うのなら、僕にください。あの森は、僕が守ります」
 国王の目を、真正面からにらみつける。
「――ああもう! わかった! わかったわい!」
 根負けしたらしい。思い切り自身の膝を叩くと、ヤケクソ気味に、
「望み通り! 妖魔の森を丸ごとおぬしにくれてやる! エリニースの名誉も回復してやろう!」
「陛下! それは――」
「ええい、黙れバジリオス! もう決まったんじゃ! ワシが決めた! 今、この時をもって、妖魔の森はおぬしのものじゃ! そして魔女エリニースの討伐は、完全に過ちだったと認める!」
「ありがとうございます」
 早口にまくし立てる国王に頭を下げると、さっさときびす返して、謁見の間のど真ん中を通って出口へ向かう。
「フン。エルマン、後の手続きは任せたぞ」
「……はっ」
 後ろからざわざわと声が聞こえてきたが、無視して前進すると、控えていた使用人が慌てて扉を開けた。

 謁見の間を出ると、長い廊下を早足で進む。
 どこへ向かっているのかもわからない。いまだに夢の中にいるような、地に足が付いていないような感覚。
 熱にうかされたように、体が熱い。今すぐにでも走り出したい衝動に駆られる。
「――おい! 待て!」
 本当に走っていたかもしれない。ジェマの声にようやく我に返る。足を止めると、心臓が激しく鼓動していた。
 ジェマも走って追ってきたらしく、息を切らしながら、
「……お前、国王相手によくあんなこと言ったな」
「信じらんない……」
 へなへなと、壁に寄り掛かってへたり込む。今頃になって汗が噴き出し、足がガタガタ震え出す。
 本当に、信じられない。あんな大勢の、それも国で一番偉い人相手に。
 少し前まで、たかが一人や二人の同世代相手に、反論も、主張も満足に出来なかったのに。
 どうなっているんだ、一体。自分の身に、何が起こっているんだ。
「でも……気分いいよ」
 こんなこと、あの村の誰にも出来やしない。それを、やってのけたのだ。
 これまで張り詰めていた糸が切れたのか、疲労がどっと押し寄せてくる。
 不思議なことに、そんなに悪くない――心地よい疲労だった。

 * * *

 執務机のエルマンはペンを止め、ソファに座っているジェマをにらみつけると、
「……ずいぶん楽しそうだな」
「いえ、なんとなく、昔の友人を思い出しただけです」
 彼は書面に視線を落とし、再びペンを走らせる。
「フン。このタイミングで思い出すとは、さぞかし無茶苦茶な友人だったんだろう」
「はい。あの型破りで自由奔放な性格には、いつも驚かされました。……苦労もしましたが」
 だが、退屈はしなかった。
 ずっと年下だったくせ、自分より先を行き――そして、あっという間にいなくなってしまった。
「まったく、子供とは恐ろしい。おかげで王国のメンツは丸つぶれだ。当分荒れるぞ、あれは」
「将軍のあの顔、今思い出してもぞっとします」
 子供にすべての手柄を取られた上、大衆の面前でおじさん呼ばわり。後を追うふりをして逃げなければ、こちらにとばっちりが来るところだった。
「……そのことなんだが、バジリオス将軍が、彼を騎士として登用したいと言っていたぞ」
「は? 恥かかされて、顔がデーモンヘッドになっていましたが」
「手元に置いて、いじめ倒そうという魂胆だろう」
「……うっかり会わないよう、気をつけます」
 そして、将軍の地獄のフルコースをこれから味わうであろう王国兵達に、心底同情する。
「……だが、スッとした」
「え?」
「これで手続きは完了だ。あとはもう、野となれ山となれ」
「投げやりですね」
 エルマンは席を立つと、書簡を差し出す。
「これを彼に渡してやってくれ。妖魔の森の所有者であることを示す書類だ。……ま、こんな紙切れが、あの森の獣人達に通用するかは知らんが」
「それなら、心配はご無用です」
 上質な羊皮紙に書き記された内容を確認すると、丸めて紐で留める。
 自分が知らない間に、妖魔の森の獣人と、すっかり協力関係を結んでいた。同じことが自分に出来るかと聞かれたら、正直、自信がない。
 子供が聖剣を抜いたのは、ただの偶然だと思っていたのだが――あながち、必然だったのかもしれない。
「ところで、蛇は好きかね?」
「蛇?」
 唐突な質問だった。
 彼は、机に置いていた細長い木箱を差し出すと、
「陛下と将軍は大嫌いだそうだ。……まったく救世主と思いきや、とんだ天敵出現だ。おかげで渡しそびれてしまった」
「……申し訳ありません」
 今思い出しても冷や汗が出てくる。あんな冷めた目をしていた子が、国王相手に食って掛かるとは。寿命が縮む思いだ。
 受け取った箱を開けると、硬貨サイズの金色のメダリオンが入っていた。身につけられるよう、鎖もついている。
「蛇ですか」
「そうだ。『世界を呑み込むルシェイメア』……神話の怪物だ」
 葉のモチーフで縁取られ、中央には十字の形――剣だろう。それを中心に円を描き、自らの尾を呑み込む蛇が彫られている。
「聖剣の勇者が現れたら渡すようにと、古くから王家に伝えられてきたものだ。身分証にもなるから、持たせておけ」
「わかりました。……しかし、なぜ蛇?」
「知らん」
 なんともそっけない答えが返ってくる。
「最後に、これは個人的なことなのだが」
「なんです?」
「……どこかで、私の娘を見なかったか? 今年の暮れで十八になる」
「娘?」
 そういえば、大臣には年頃の娘が一人いると聞いたことがある。
 あるのだが、
「いえ……あいにく、顔を存じませんので」
「そうか……まったく、あの馬鹿娘め……もう知らん! 勝手にしろ!」
「はあ……」
 最後は、いない相手への愚痴になっている。
 挨拶を済ませると執務室を後にし――ふと、足を止める。
「そういえば……」
 ランディと一緒にいたあの娘。年頃が一致するような……
「いや、まさかな……」
 相手は大臣のご令嬢。まるで接点がない。
 とにかくこれをランディに渡したら、水の神殿に行こう。
 胸騒ぎがする。