「へー、これが、この森がランディのだって証明か?」
「だってさ。人間社会ってめんどくさいよね」
切り株に腰を下ろし、ジェマからもらった巻物を膝の上に広げると、チットとポポイが物珍しそうにのぞき込む。
仰々しい文字の羅列の最後には、大臣であるエルマンのサインが記されていた。わざわざ大臣が署名するとは、それだけ大ごとなのだろう。
エリニースは呆れた顔で、
「まったく、森の存続をお願いするだけじゃなかったのかい?」
「そのつもりだったんだけど……なんか、こんなことに」
本当に、今でも信じられない。
ただあの時の自分は、怒っていたのだと思う。これまで怒ることなんてめったになかったのに。
エリニースは鼻で笑うと、
「フン、アタシの『遺言状』も、多少は効いただろう?」
「怯えた顔してました」
森の役目、重要性を記した文章の最後には、こう書かれていた。
『なお、この忠告を無視し妖魔の森に害をなした時、王国は魔女の呪いにより三代待たずして滅びるであろう』
「嘘は書いてないよ。この森がなくなれば、国中に瘴気は蔓延するし、水源だって枯渇して、長くは保たないだろうしね」
「ホント、信心深くて助かりました……」
仮に遺言状を偽物と捨てられたとしても、恐怖を植え付けておけば、おいそれと手は出せない。なにしろ討伐隊は、エリニースの最期の言葉を聞いているのだ。
「今さらだけど……僕でいいのかな? 所有者って」
「王国に取り上げられるよりはマシさ。……そもそも、あげたり取り上げたり、『自分らのもの』ってツラしてんのが気にくわないんだよ。この森の獣人達は、人間が国を作る前から、ずっとここで暮らしてたってのに、勝手に国境線を引きやがって」
「はあ……」
妖魔の森と王国とのトラブルはあまり聞いたことはなかったが、表沙汰になってなかっただけで色々と不満はあったらしい。後半は完全に愚痴だ。
「なー。これ、なんだ? こんなのついてたか?」
「ああ、これももらった。蛇の紋章なんて、悪趣味だよね」
剣の鞘につけていたメダリオンをはずし、ポポイに見せてやる。
蛇呼ばわりされたと思ったら、とうとう蛇の紋章までもらってしまった。そんなに縁がある生き物だっただろうか?
エリニースもメダリオンの紋章をのぞき込み、
「『世界を呑み込むルシェイメア』か……ふぅん。案外、お似合いかもね」
「ルシェイメア?」
首を傾げると、エリニースは意外そうな顔で、
「知らないのかい? 蛇のモチーフで、自分の尾を呑み込んでるならルシェイメアだ。縁取りの葉はマナの樹だね。よくルシェイメアと一緒に描かれている」
「へー……」
もらった時はあまり深く考えていなかったが、何かしら意味があったらしい。
「この世界が生まれた頃『神獣』と呼ばれる八体の神がいた」
「マナの要塞と戦った?」
「いいや。その頃の神獣とは姿がまるで違う。この世界を作ったという八体の創造神さ」
メダリオンを再び剣の鞘につけ、話に耳を傾ける。
「ある時、空の彼方より巨大な蛇が現れ、八体の神獣を次々と呑み込んだ。蛇は神々が作り出した世界をも丸呑みにし、最後に大きな大陸を呑み込もうとした。しかしそれは、世界を一周し、巨大化した自分のしっぽだった」
「――あ、『せかいをつくったへび』の話」
幼少の頃、読んだ絵本を思い出す。
幼児向けだったので内容は簡略化されていたが、たしかそんな話があった気がする。
「蛇はそれが自分の体と気づかぬまま呑み込み続けたが、そのあまりの大きさに、蛇の腹は内側から裂け、力尽きてしまった。蛇の体からあふれた血は塩辛い海となり、横たわった体は大地となった。そして裂けた腹の中から、一本の巨大な樹が生えてきた」
「それがマナの樹?」
「そう。マナを生み出す伝説の大樹さ」
よく、おとぎ話に出てくる大樹だ。
精霊や妖精を生み出す、世界一大きな木。しかし誰も見たことがなく、想像上の植物だとも言われている。
「樹の根元、つまり蛇の腹の中だ。そこから、黒き翼の竜へと姿を変えた神獣が群れとなって飛び出し、世界に様々なものを運んだ。それは、これまで蛇が呑み込んできたものだった。怒り、悲しみ、絶望、欲望、そういったもので世界は満たされた。そして最後に、白き翼の竜が、あるものをくわえて大樹の根元から飛び出した」
エリニースは、杖でこちらの剣の柄を軽く叩くと、
「一説では、この白竜がくわえていたものが最後の希望――マナの剣、すなわち『聖剣』だと言われている。そういう意味じゃ、この『世界を丸呑みにした蛇』ってのは、偉大なるガイアとも、母なるマナとも取れるね」
「だからこの紋章、蛇なわけ?」
「かもね。ま、ちょうどいいじゃないか。家紋にでもしたらどうだい?」
「……家、ないんですけど」
「だったら、ここ住めばいい! オイラ、かんげーするぞ!」
「え?」
チットの無邪気な言葉に、一瞬、頭の中が真っ白になる。
帰る場所なんて、もうどこにもないと思っていたのに。
エリニースもうなずき、後ろにそびえ立つ城を杖で指し、
「この森はアンタのもんだ。あの城も、アンタのもの。アタシは出てくから、住めばいい」
「でも、所有権なんて人間が勝手に決めたことだし……そっちにしてみりゃ、迷惑なだけでしょ?」
「そんなことはないぞ」
振り返ると、話が聞こえたらしい。槍を担いだルガーが、茂みをかき分けこちらの前まで来ると、
「お前はエリニースとの勝負に勝ち、王国を自分の意のままに動かした。……俺達は強き者に従う」
「――ちょっとルガー! 置いてくんじゃないわよ!」
ルガーの後を追って、もう一人やってくる。
「プリム? ……どうしたのその荷物?」
「どう? 今度はバッチリでしょ?」
背負っていたリュックを下ろし、その場で一回転してみせる。
この前と似たようなピンクのパンツドレスに、上着と丈の短いマントを羽織り、足元もドワーフの村でもらったブーツを履いていた。たしかに厚着になってはいたが、アクセサリーで着飾っているのは女心というやつか。
「家に帰ったんじゃあ……」
「ルガーに手伝ってもらって、抜け出してきたの」
「ルガーに?」
振り返ると、ルガーはうんざりした顔で肩をすくめる。
「あ、そういえば聞いたわよ。あんた、この森もらったんですって? やるじゃない!」
「あー……うん。一応」
「『一応』って何よ。要は、この森で一番えらいってことでしょ?」
「は?」
「何とぼけた顔してんだい。アンタがこの森の新しいリーダーだよ」
「はい?」
そこまで考えてはいなかった。確かにこの森をもらったということは、一夜にして、国一番の地主になったということになる。
「でも、僕はフレディを……」
「フレイア。下りといで」
エリニースが頭上に向かって声をかけ――目の前に、赤毛の女が降ってきた。
「うわ!?」
ずっと木の上にいたらしい。
そして辺りから、次々と獣人達が姿を現す。その数は城で会った時の比ではない。どこか殺気立った様子で、ほとんどが獣化していた。
「アンちゃん!」
「ちょっと! どういうつもり!?」
「下がっていろ」
ポポイとプリムを、ルガーが後ろに押しやる。
女は、無表情に前に立つと、
「……わたしはフレイア。あなたが殺したフレディは、わたしの弟」
みるみる、あの時、木陰に立ち尽くしていた赤毛の獣人の姿になる。
彼女は構えを取ると、
「――勝負!」
掛け声と共に、地を蹴った。