「行け! フレイア!」
「そんな人間、やっつけちゃえ!」
フレイアに向けて歓声が、こちらには罵声が飛び交う。
それはそうだろう。
エリニースやルガーにとっても、彼女達にとっても、仲間の仇なのだから。
「教えてあげる! あの子はまだ、十五になったばかりだったの!」
蹴りをかわし、後ろに下がる。
「優しい子だったわ! 瘴気にやられ、死の淵をさまよっていたわたしを、寝る間も惜しんで看病してくれた! わたしを救ってくれたエリニースを、母のように慕っていた! だから誰よりも、魔女討伐を決めた人間が許せなかった!」
振り下ろされた爪を避けると、すぐ後ろの木の幹に、刃物でえぐったような跡がつく。
「……わたしも許さないわ! あの子を殺したあなたを! わたしから、たった一人の家族を奪った人間を! 許さない……許さない!」
激しい憎悪に、全身に寒気が走る。
「どうしたの!? 本気を出しなさい!」
防戦一方のこちらにしびれを切らしたのか、挑発するように、
「剣を使ったっていいのよ! フレディを殺したように!」
「――――!」
とっさに剣をつかみ――鞘ごと、放り捨てる。
「――っ! 舐めるな! 人間!」
それが気にくわなかったのだろう。フレイアは身をかがめ、全速力でこちらに突っ込んでくる。
世界から、音が消える。
歓声も罵声も、自分の息づかいさえ、何も聞こえなくなる。
ただこちらに突っ込んでくるフレイアの姿が、やけに遅く見えた。
鋭く伸びた右の爪が迫り――体をひねってかわしながら、その手首をわしづかみにすると、フレイアが突っ込んできた勢いそのままに、思い切り横なぎにぶん投げる。
「え?」
世界に音が戻り、視界に入ったのは、離れた大木に背中を叩き付けられたフレイアの姿だった。
しん、と、辺りが静まりかえる。
衝撃で木の葉がはらはらと落ち、さっきまでの歓声も罵声も、ぱたりと止んだ。
「――フレイア!」
静寂を破ったのはルガーの声だった。
地面に落ちたフレイアの獣化が解け、人間の姿になる。
「っ……た~」
フレイアは、背中をさすりながら体を起こすと、
「まいった」
「え?」
「まいったわ。さすが、ルガーをぶん投げただけのことはあるわね」
「……誰に聞いた?」
チットが、口を押えて目をそらす。
いや、そんなことより。
背筋に寒気が走る。恐る恐る振り返ると、獣人達の視線が、すべてこちらに向けられていた。
「あ……あの……」
この数だ。逃げ切れるはずがない。
死を覚悟した次の瞬間。
「――人間がフレイアを倒したぞ!」
「すごいすごーい! 今の、どうやったの!?」
辺りに、割れんばかりの歓声が上がった。
獣人達が、次々と人間の姿になる。男女はもちろん、年寄りや子供までいた。
「え? あの」
「今の、どうやったんだ? 教えてくれよ!」
「この腕、アンタより細いんじゃない? どこにあんな馬鹿力あんのよ」
「失礼ね! 同じくらいよ!」
「いい投げっぷりだったね! ウチの娘の婿に来ないかい?」
「ねー、聖剣見せてー」
あっという間に取り囲まれる。
「ちょっと! エリニース!?」
もみくちゃにされながらなんとかエリニースに詰め寄ると、彼女は笑いながら、
「この子らは人間嫌いだけど、心を許した相手には陽気で懐っこいもんさ。かわいがっておやり」
「フレイア、この森で一番強い! そのフレイアに勝った! 今からこの森で一番強い、ランディだぞ!」
「え? 一番強いのって、エリニースのことじゃなかったの?」
「エリニースは別枠だぞ。ルガー、フレイアに勝ったことない」
「余計なことは言わなくていい」
ルガーが、チットの頭を押さえつける。
エリニースは座り込んだフレイアの前まで行くと、
「フレイア、少しは吹っ切れたかい?」
「まー、気は済んだわ。わたしだって……わかってるのよ」
立ち上がり、服のホコリを叩き落とすと、
「……ごめんなさい。あなたが悪いわけじゃないって、わかってるの。あなたがいなければ、今頃この森は焼かれてたかもしれないってこともわかってる。わかってるけど……わたしの気を晴らすために、こんなことに付き合わせてしまった。ごめんなさい」
「あの……フレイアさん?」
「フレイアでいいわ。あなた、わたしに勝ったんだから、もうちょっと堂々としてくれなきゃ困るわ」
「え?」
「……ずいぶん重いのね」
彼女は、近くに落ちていた剣を拾い上げると、鞘のメダリオンをのぞき込み、
「ま、世界が乗ってるんだし、重くて当然か」
どこか納得した顔で、放り投げてよこす。
剣を受け止め、改めてフレイアに目をやると、彼女はさっぱりした顔で、
「あなたは確かにわたしの弟を殺したけど、その死に十分報いてくれた。……わたしは、あなたを許す。でも、忘れないで」
そう言い残すと、森の奥へと走り去る。
――許す?
許してもらおうなんて考えていなかった。
そもそも、許されることではないと思っていた。
「――プリム!?」
「ど、どーしたねーちゃん!? どっか具合悪いのか!?」
チットとポポイの声に振り返ると、だーっ、と、プリムの目から、なぜか大量の涙が流れていた。
プリムはしゃくりあげながら、
「だ、だって……だって……『許す』って……」
「は?」
ルガーも呆れた顔で、
「別にお前が許されたわけじゃないけどな」
「わかってるわよ! わかってるけど……でも……よかった……よかった!」
「なんの話?」
ぽかんとしていると、プリムは肩を怒らせ、
「なによ! あんたが泣かないから……私が代わりに泣いてあげてるんじゃない!」
「意味わかんないよ……」
なんなんだろう、この女。笑ったり泣いたり、コロコロとせわしない。
「ところで、どうすんだい?」
「え?」
「ここに住むって話」
「…………」
エリニースの言葉に、一瞬考える。
聖剣の勇者だのなんだの持ち上げられたが、結局自分は、なんのためにここまで来たんだろう。
妖魔の森のことも、寺院でのことも、結局、成り行きでそうなってしまっただけだ。人々を救おうとか、そんなご大層な意志があってそうしたわけじゃない。
「どうした?」
エリニースが首を傾げる。
「……ごめん。しばらく旅に出るから、それは無理」
お母さん。
エリニースを見ていると、どうしても思い起こされる。母の記憶などないはずなのに。
別に会いたいわけではない。
しかし自分のルーツを知ることも、悪くはないだろう。
聖剣のことと母親のことと。果たしてどちらが『ついで』なのかは知らないが。
「えー? 行っちゃうのか?」
チットは不満そうだったが、エリニースはわかっていたらしい。うなずくと、
「じゃ、大家が留守の間、この城と森はアタシが管理しとくとするか。管理料は、家賃と相殺ってことで」
「お願いします」
要は、これまで通り。それが一番落ち着くだろう。
「それじゃあ、さっそく出発ね。次はどこへ向かうの?」
言いながらリュックを背負うプリムに、一瞬考え――
「まさか……一緒に来るつもり!?」
「今さら何言ってんのよ」
「オイラも行くぞ! 子分のメンドーみるのが、オヤブンの仕事だからな!」
「でも、なんで?」
ポポイは無視して、プリムに疑問を投げる。そもそも、彼女の目的とこちらの目的はまるで異なるはずだ。
しかしプリムは、特に疑問も何もない顔で、
「あなたの行く先に、ディラックやパメラがいる。だったら、私がやるべきことはただ一つよ。第一、あなた一人じゃ心配なのよね。その剣だってディラックのほうが似合いそう」
「……ディラックさんが帰ってきた暁には、ラッピングして差し上げますよ」
「冗談よ! ……ホントのこと言うと、私一人じゃ無理みたいだし」
一瞬、顔に不安の色がよぎる。
きっと彼女も、平気だと思っていたのだ。一人でもどうにかなると。
結局は、世間知らずの強がりに過ぎなかった。
「……あの女、一体何者だ?」
「え?」
肩越しに振り返ると、ルガーが小声で、
「エリニースの城より、でかい屋敷に住んでたぞ」
「あのお城より!?」
それなりの身分だとは思っていたが、あの城よりとなると、それこそ王家の親族か、同等の身分か。
「一応、自分の意思だと一筆書かせたが、大丈夫か? あんなお嬢様が家からいなくなったら、大騒ぎで大捜索、ヘタすりゃ一緒にいるお前が誘拐犯扱いだぞ」
「げ」
ルガーの適切すぎるアドバイスに、背筋が寒くなる。
「……あ、あの~。ディラックさん達は僕が捜すから、やっぱり家に帰ったほうが……」
プリムはピンクのポーチから紙の束を出すと、
「ねー。ルガーが『現金持ってたほうがいい』って言うから、アクセサリー色々売ってきたんだけど、これだけで足りるかな? 欲しいものは、この紙と交換すればいいんでしょ?」
「くれぐれも無理しないでね。具合悪くなったらすぐ言わなきゃダメだよ。あ、なんなら重いのお持ちしましょうか?」
「これが人間……」
ただ自分に正直なだけなのに、ルガーがなぜか心底悲しそうに目頭を押さえる。
ルガーはプリムをにらみつけると、
「おい、約束しろ。親父さんには、定期的に無事を知らせる手紙を書くんだぞ。俺達のリーダーが、しょうもない理由で捕まったらたまったもんじゃない」
「わかってるわよ」
そっぽを向き、ルガーに見えないよう舌を出す。こちらの身の保身が掛かっているというのに、書く気はなさそうだ。
「おい、アンちゃん! 次の行き先はわかってんだろうな?」
「次?」
ポポイはやたら上機嫌に腕を振り回し、
「上の大地だ! オイラんちに行くぞ!」
「ポポイの家? でも場所とか……」
「思い出したんだよ! ここんとこ、なんかヘンなかんじだったんだけど、夢でぜんぶ思い出したんだよ!」
「なんで僕が、お前を家まで送ってあげなきゃいけないんだよ」
勝手に着いてきておいて。
しかしポポイは、剣を指さして、
「オマエ、聖剣と種子をきょーめーさせるんだろ? ちょうどよかったじゃん。オイラんちのちかくに風の神殿があるから、案内してやるよ!」
「風の神殿?」
そういえば、ジェマやルカから次の神殿の場所を聞いてなかった。
「まあ……そういうことなら、たしかに都合はいいけど……」
「だろ? 妖精の村なんて、フツーの人間にはたどり着けないんだぞ。いやー、オイラがいて助かったなー。ひれ伏してあがめたてまつってくれてもいいんだぞ」
「えーと、上の大地は……」
無視して、地図を広げる。ここから北のはずだ。
「上の大地なら、俺達の村を通って行くのが近い。途中まで案内しよう」
「え? 村?」
「エリニースが魔法で隠してくれてたんだ。人間に見つからないようにって」
答えてくれたのは他の獣人だった。
「そっか。もう、魔法はないから……」
「それもあるけど、もう、やめることにしたのよ」
「フレディの葬式の時、皆と話し合ったの。どちらかが勇気を持って歩み寄らない限り、何も変わらないって。あなたは、そうしてくれたでしょう?」
「僕が?」
獣人の少女達の言葉に、目をぱちくりさせる。そんなつもり、まるでなかったのに。
「言うまでもないけど、この先はもっと険しい道になるはずだ。今回の件よりきついこともあるだろうけど……アンタなら大丈夫。しっかりおやり」
「おい、ばーちゃん。オイラは?」
「お黙り! 人の言う通りにしないし何度教えても魔法はヘタ! アンタほど手が焼けるクソガキは初めてだよ!」
「あ! なんだとー! ばーちゃんのおしえ方がわるいんだろ! 人のせいに――」
「ホレ!」
エリニースは、二つの青い玉が埋め込まれた木の杖を突き出すと、
「この杖をくれてやる。くれてやるから、上の大地でもどこへでも行きな!」
杖に、ポポイは一瞬ぽかんとしたが、
「――マジ!? やっりぃー!」
「……ポポイ、ちゃんとお礼を言って」
「サンキュー!」
「軽い!」
「ばーちゃん、ありがとーございますー!」
頭を押さえつけ、ようやく礼を言う。
ルガーは心底同情するような目で、
「まったく、同行者が貴族のお嬢様とチビ。実に心強いな?」
「……代わって」
「嫌だ」
速攻で断られる。
その代わりというわけではないだろうが、ルガーも、手にした槍をプリムに差し出し、
「餞別だ」
「え?」
真新しい鞘に収まった槍に、プリムは目をぱちくりさせる。
「この槍は、代々魔女の守護者に受け継がれてきたものだ。振り回すくらいの力と根性はあるようだしな。持って行け」
「そんな大事なものを、私に?」
「そんな丸腰で、何が守れる」
「アタシはもう、魔女を辞めたからね。これから守るべきは、アタシじゃなくて新しいリーダーさ。連れてっておやり」
エリニースの言葉に背中を押され、プリムは槍の柄を握ると、
「……ありがとう。なんか、責任重大ね」
「フン」
ぶっきらぼうにそっぽを向く。
「――よーし、そうと決まればしゅぱーつ! あんないされてやるぜ!」
「おい……」
「まあ、いいじゃない」
記憶があろうがなかろうが、態度のでかさは変わらない。
プリムは、ポポイの目線に合わせて腰を曲げると、
「それじゃあチビちゃん。改めて、これからよろしくね」
「おうよ。まー、大船にのったつもりでたよるといいぞ」
「…………」
大船というより泥船というか。
先行きに不安しか見えない。見えないが、
――ま、いっか。
どうせ上の大地までだ。
プリムも、音を上げた時点で帰らせればいい。それまでの辛抱だ。
「それじゃあエリニース、お世話になりました」
「ああ。アンタ達に、マナの加護を」
「いつでも帰って来い! オイラ、待ってるぞ!」
エリニースやチット達に見送られ、まずは獣人達の村へと向かう。
その道すがら、プリムはふと思い出したようにポポイの隣に並ぶと、
「そういえばチビちゃん。名前は?」
「ポポイだよ! 今さらひどいぞ!」
「そーじゃなくて。ドワーフの村長さんに聞いたけど、あなたのその名前ってランディがつけたんでしょ? 元々、なんて名前だったの?」
「今さらめんどーだろ。そのままでいいってそのままで」
「あ、さては本名が恥ずかしいんだ? ぶにゅ? ゴンザレス?」
「ンなわけあるかーーーーーーーーー!」
からかうプリムを、顔を真っ赤にして怒鳴る。
その光景に、不思議な気分になる。
――妖精……
その姿だけなら、人間の子供と大差ない。
なのに、『妖精』だとすんなり受け入れている自分がいる。聖剣の話はすぐには信じなかったのに。
どうしてだろう。とても、懐かしい気がする。
* * *
「――おにーちゃん!」
ドアを叩く音に、プリシラが絵本抱えてドアノブに飛びつく。
「どーも。もうかってますかにゃ?」
「…………」
扉の向こうの人物に、一瞬、プリシラは硬直し――絵本を抱えたまま、無言で奥へと引っ込んでいった。
「ありゃりゃ。がっかりさせちゃいましたかにゃ?」
「ニキータ、すまんな。……誰かが来るたびあの調子じゃ。本くらい、ワシが読んでやると言っておるんじゃが……」
「にゃるほど。それはさておき、こちら、注文の品ですにゃ。次の注文はありますかにゃ?」
「……すまんが、これで最後じゃ。当分、注文はない」
「そうですか」
ニキータは特に気を悪くした様子もなく、代金を受け取る。
「そういえば、聞きましたかにゃ? 都で流行ってた謎の病気。突然、みんにゃ治ったみたいで、市場ももうじき再開されるそうですにゃよ」
「そうか。ここまで来ないかと、みんな心配しておったんじゃ」
「それにゃんですけどね、聖剣の勇者が現れたって噂ですにゃ」
「聖剣の……勇者?」
「あれ、病気じゃなくて、帝国の魔術師のしわざだったらしいですにゃ。で、それを、勇者がやっつけたか追い出したかしたって話ですにゃよ」
ニキータは代金をしまうと、リュックを背負い、
「ここからがとんでもない話にゃんですけどね。褒美に、妖魔の森を要求したそうですよ」
「あんな不気味な森を?」
「噂じゃ、妖魔の魔女の隠し子だとか、二、三人惨殺して王様脅したとか……ま、どこまでホントかわかりませんけど」
さすがに惨殺はないだろう。しかしそんな噂が立つということは、それなりに怖がらせたのは本当かもしれない。
「ともあれ、王国一の地主ににゃったのは確かですにゃ。あそこ、都と同じくらいの広さがありますから」
「…………」
「ま、注文がにゃいなら好都合ですにゃ。実はオイラも、しばらく家を空けて旅しようと思ってたところでして。注文があっても、断るつもりだったんですにゃ」
そう言って、ニキータは軽く頭を下げると、家を後にする。
それを見送りながら、
「聖剣の勇者……? あの子が?」
そんなまさか。
人違いだろう。
* * *
「まったく、ひどい目におうたわい。おぬしが来てくれて助かったぞ」
「大丈夫ですか? 一体、何が……」
閉じ込められていた地下室を後にし、祭壇の間へ戻る。水がないと、魔法はもちろんテレパシーで助けを呼ぶことも出来ない。ルカの弱点だった。
ルカはため息をつくと、
「妙な盗人三人組が来たと思ったら、今度は帝国まで来おったわい」
「帝国!?」
盗人はともかく、帝国は予想外だ。
ランディを街に止めたのは正解だった。うっかり鉢合わせていたら、どうなっていたかわからない。
「どちらもマナの種子が狙いだったようじゃが……まあ、盗人のほうはどうでもいい。即刻、つまみ出してやった。問題は帝国……」
「一体、何者だったんですか?」
「帝国四天王、ゲシュタールと名乗っておった。まったく、女一人くらいひと思いに殺せばいいものを。紳士ぶりおって」
「タナトスに、ゲシュタール。四天王のうち、二人もこの地に来ていた。にもかかわらず、王国を攻め滅ぼすことなく去った。……どういうことでしょう?」
「王国なんぞ眼中になかった、ということじゃ。見ろ」
祭壇に安置されていた種子に目を向ける。
白く石化していたはずの種子が、どす黒く変色し、不気味な光を放っている。
「種子の封印が、解かれてしもうた」
「では、まさか……」
「人間同士の戦争だの世界征服だの、もはやそんな次元の話ではない」
王国の危機も、妖魔の森の危機も。なんと小さきことか。
「伝説が、繰り返される」
それは、終わりの始まりを意味していた。